16
ルイス・クロフォードが彼女に気づいたのは、馴染みの喫茶店で友人二人と談笑していた時のことだ。
「このあたりに、九々重というお宅はありませんか」
ふいに耳に入ったその言葉に、ルイスは思わず声のする方を振り返った。
農村風景が続くこの町は、竜の姿によく似た国の、胸椎あたりに位置する土地だ。
片田舎で今時レコードをかけるようなこの店は、狭くて薄暗くて外観同様寂れているが、座席数が少ないせいで一見して店内を見渡せる。
店の入り口にあるレトロなレジ台のすぐそばで店員をつかまえたのは、まだ少女の面影を残した女学生だった。
鎖骨の辺りまでふんわりと伸びた黒髪は癖のままゆるやかに流れていて、血色の良い肌の色とのコントラストが瑞々しい。
グレーのダッフルコートから覗く深いモスグリーンの制服はセーラー服の襟を有してはいるがリボンがなく、胸の前を二列の金ボタンで留める変わったデザインだ。
あんな制服には見覚えがないから、この辺の学生でないことは一目で分かる。
店員も同じことに気づいた様子で、曖昧に笑いながら訝しげな視線を少女に向けていた。
「九々重のお宅はありませんか」
張りのある声にほんの少しの焦りを滲ませて、再び少女が店員に尋ねる。
若い店員は舐めるように少女の全身を眺めてから、肩を竦めて首を振った。
「このあたりにそんな名前の人はいませんよ。田舎ですからね、珍しい名前なら知らないはずはないんだけど。他でも聞いてみましたか?」
「誰も知らないって……」
力なく答える少女に、やっぱり、と店員が苦笑する。
途方に暮れた様子で、少女が黒めがちの瞳を外の路地に向けた。
外に何か気がかりでもあるのだろうか。
同席していた友人達に断りを入れて、ルイスは席を立った。
──九々重のお宅はありませんか。
それは合図だ。
分かる者にしか分からない救助要請(SOS)。まさか生きている間に、その言葉を聞く機会が訪れようとは。
レジ台に近づいて、ルイスは店員と少女に声をかけた。
「失礼。ちょっと聞こえたのですが、九々重のお宅をお探しとか」
少女の顔が弾かれたように上がって、背の高いルイスを見上げる。
うっすらとそばかすの浮く頬に、黒い瞳、色づいた唇。派手な顔立ちではないが、若者特有の清々しさのある美人だ。
突然近づいてきた外国人の男に驚いた様子で、少女はしばし言葉を失った。
無理もない。ルイスは西洋の生まれを色濃く映し出した容姿をしている。
百八十を悠に超える身長に白すぎる肌。カワセミ色の瞳。彫りの深すぎる顔立ち。アッシュグレージュの髪は一度黒く染めてみたが、似合わないと散々笑われたので、それ以来地毛のままでいる。
固まる少女を見下ろして、ルイスはしきたり通りの言葉を口にした。
「お名前を伺ってもよろしいですか」
妙な顔をする店員の横で、少女が自分の名前を答えかけてから、考えるように瞳を動かした。
合図のやりとりには決まりがある。
九々重の名を出してその所在を求め、暗に自身が九々重であると示すこと。
応じる者は名を尋ね、乞う者は加えて生家の名を名乗ること。
これは偶然による間違いを避けるための二重の確認で、ルイスの考え通りであれば彼女が次に口にする名は、落星、瑠上、波鳥、路河、もしくは……。
「草音です。草音理人。私は彼の連れの者です」
約束通りの名前を聞いて、ルイスは一つ、頷いた。
「心当たりがあります。僕はルイス・クロフォード。あなた達の外野です」