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まぼろし病と患者達  作者: 風島ゆう
きらめき病
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 自宅に戻ると決めた国広を、理人と奏は手を尽くして手伝ってくれた。


 河原から近い場所の銭湯を見つけ出して国広を突っ込むと、二人は国広の衣服をコインランドリーに持って行った。

 スーツをコインランドリーで回すなんて乱暴にも思えるが、それでも一週間身につけていた状態よりはマシだろう。


 体を洗って髭も当たって、さっぱりとしたスーツに袖を通す。

 一週間ぶりに人間に戻ったような気がして、国広は感慨深さに涙ぐんだ。

 口に入れるもの、身にまとうもの、身を置く場所は人を人たらしめるのだ。


 それから二人は、国広を自宅近くまで送ってくれた。

 人の光を恐れて身を隠すように移動し続けた結果、ずいぶんと遠くまで来てしまった国広を心配したらしい。

 人々が行き交う道を歩き、人々にまみれてバスや電車を乗り継ぐ間、光に酔う国広を二人は励まし続けた。


 見慣れた町並みに辿り着き、慣れた足取りで道を歩き始める。たった一週間しか離れていなかったのに、何もかもが懐かしかった。


 ふと気がつくと、いつの間にか二人のこどもの姿がない。

 まるで不思議な夢を見ていたような気持ちで、国広は自宅の前に立った。


 白を基調に、屋根はオレンジの瓦を敷き詰めたかわいらしい家だ。ささやかな庭も、いずれワゴンを買おうと広めに作った駐車場も、産まれて来る息子を考えてのものだった。


 ふと、庭が丁寧に手入れされていることに気づく。

 花も野菜も植えてはいないが、いつでもそれが実現できるように準備された庭だった。


 妻が一人で手入れしていたのだ。一体いつから。自分はそのことに、気づきもしなかった。

 胸が締め付けられるような思いで、国広は一つ、身震いする。


 ──今更、どの面下げて。


 身勝手な自分にくじけそうになりながら、国広は決死の思いでその場に踏みとどまった。


 ここで向き合わなくて、いつ向き合うのだ。


 「九々重は直接患者に手を出さない」と言いながらも、ずいぶん踏み込んで親切にしてくれた二人の子ども達を思う。


 ひどい、と詰った奏。そでも愛していたのだ、と説いた理人。

 正直で優しかった子ども達が灯した小さな勇気を振り絞って、国広は震える指でインターフォンを押した。


『はい』


 機械を通した一香の声に、心臓が跳ね上がる。


「あ、えっと……」


 言葉がもだつく。カメラが組み込まれたインターフォンの先では、一香が自分の無様な姿を見ているに違いなかった。


「──い、」


 今まで、ごめん。


 言いかけた言葉は、突如がちゃん、と切られた通話によって無情にも阻まれた。


 覚悟の上とはいえ、拒絶された衝撃に、国広は打ちひしがれる。

 どうしようもない虚脱感に足も動かない。


 ぼんやりとインターフォンを見つめていると、家の中で何かを叫ぶような声が聞こえた。

 次いでバタバタと近づく足音が聞こえる。

 迫る喧噪に狼狽えていると、音を立てて玄関が開かれた。


「国広さん!」


 悲鳴に近い声を上げて、一香が家から飛び出して来る。

 勢いのまま飛び込んできた妻の体をとっさに抱き留めて、国広はその頼りなさにはっとした。


 自分よりずっと華奢で小さいこの体が、春汰を身籠り、産みの苦しみに耐えたのだ。

 嗚咽する一香が深い紫の光をまとっているのを見て、国広は彼女の体を力一杯抱きしめた。


「──ごめん」


 ようやく言ったその言葉を、一香が必死に受け止める。しがみつく一香の体がいっそう強く国広の体に押し付けられた。


「国広」


 聞き覚えのある声に呼ばれて顔を上げる。

 少し離れた場所で、小柄な光がこちらを見ていた。


「お袋……?」


 心配するような紫の光、怒っているような朱色の光、慈愛に満ちた薄紅色の光、悲しむような群青色。様々な色の光に覆われて顔は見えなかったが、間違いない、あれは母の光だ。


 国広が失踪して、一香が田舎の母を呼んだのだろうか。一週間という微妙な期間にも関わらず駆けつけてきたところが、母らしかった。


 無口な母が何も言わずに近づく。一見するとよく分からなかったが、母は何かを腕に抱えているようだった。

 一香が気づいて体を離すと、緊張した声で国広に囁いた。


「春汰よ」


 春汰。生まれる前から待ち望んだ、望みすぎて恐れた、そうして今、一番目にしたい息子。

 国広の考え通り春汰がまぼろし病に関わる存在ならば、光に邪魔されずその姿をはっきりと捉えることができるはずだった。


 気持ちが分からなくてもいい。病気が治らなくてもいい。ただ、顔が見たい。触ってみたい。抱き上げてみたい。


 どきどきしながら、国広は母の腕の中を覗き込んだ。

 ぬいぐるみほどの大きさをした春汰は、母の光にまじることなく、見たこともないほどきれいな──きれいな光をまとっていた。


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