悪役令嬢だけど、乙女ゲームが始まらなかった件について。
初投稿ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
私はある日自分の前世を思い出した。
死の瞬間から遡るように前世で経験したことが記憶となって勢いよく流れ込んできたその日、私は意識を失い、それから三日間眠り続けた。
目を覚ました時には、前世の記憶と現世の記憶が入交りしばらく混乱状態になったが、それも数日で収まった。
そして、あることに気付いた。
この世界は乙女ゲーム「ワンダー・ラブマジック」、略してワンラブの世界によく似ているということ。そして自分が悪役令嬢役であるということに……。
気付いた時には私は王太子の婚約者で、すでに学園の入学式も明日に迫っていた。
ワンラブの世界では悪役令嬢はヒロインを陥れようとして至る所で登場し、最後は全ルートで王太子との婚約破棄、あとはルートごとに良くて追放、悪くて惨殺とお決まりのパターンになっている。
ヤバい。もう逃げられない!私の顔面は蒼白になり、隣にいた侍女が驚いて駆け寄るほどだった。それでもガクガクと震える私を侍女はベッドに寝かせ、主治医を呼んでくれた。
ごめんね。病気じゃないのよ。でも入学式をブッチするにはいい口実だと、私は安静にという主治医の言葉に大人しくうなずき、そのまま1週間寝込んだ。
さすがに学校をそのままずっと休み続けるわけにはいかず、気が重いながらもなんとか登校した。ゲーム通りならヒロインはほぼ全攻略対象者との出会いを果たしている頃だろう。
「オディール、心配したよ。もう身体は大丈夫なのかい?」
優しく声をかけてくださったのは、婚約者であり王太子殿下であられるジーク様だった。ジーク様は私が寝込んだと聞いて、すぐにお見舞いに来てくださった。入学後の学校の様子などもお話しくださったが、ヒロインと出会ったという話は聞いていない。
そりゃ普通の神経していたら婚約者に他の女の話なんてしないよね。
「ジーク様、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。それにお見舞いも来てくださって本当に嬉しかったです。ありがとうございました」
私は、礼をしながら謝意を述べた。
婚約者と言ってもあくまで臣下だ。付き合いはそれなりに長いが、気安い態度を取ることは未だできないでいた。
「よかった。それより君の従兄のランスが婚約者を連れて入学してきたよ。もう君も会ったかい?皆同じクラスなんだ」
ランスは私の母方の従兄で、辺境伯の嫡男だ。ワンラブの中ではヒロインの幼馴染でストーカーチックな悪役令息として登場する。ヒロインが嫌がっても無理やり妻にしようとするのよね。最後は全ルートのハッピーエンドで攻略対象者に殺されちゃうんだよね。でもバッドエンドの場合は、ヒロインを無理やり妻にして、監禁エンドとかいうのもあったはず。
私は嫌な予感がした。ランスが婚約したって、相手はやっぱりあの人なのかしら。でもそれじゃあゲームはどうなるのかしら?
ジーク様にエスコートされ私は教室に入る。そのまま自分の席に連れていかれ着席をすれば、見知った顔が近寄ってくるのが見えた。しかもその後ろには見覚えのある女性の姿も
あった。
「殿下、おはようございます。オディール、久しぶりだな。身体はもう大丈夫なのか?」
ランスがにこやかに笑っている。美形ではないが、男らしくなかなかの好人物な姿だ。しばらく見ないうちにいい男になったものだ。
そして後ろのピンクブロンドの女性。私がこの1週間ずっと忘れられなかったゲームのヒロインがやはりにこやかに立っている。ランスの腕に自分の手をそっと添えて、隠しきれないピンクオーラを放っている。
「紹介するよ。俺の婚約者のアリシアだ」
「お初お目にかかります。オディール様、アリシア・エルメでございます。」
可愛らしくもたどたどしいカーテシーを取るアリシア嬢、その幸せそうな笑顔にはランスとの婚約について彼女も心から喜んでいることが見て取れた。
……どういうことなのかしら。
「オディール、アリシアはエルメ子爵令嬢だが、訳あってついこの間まで平民として暮らしてきた。貴族のマナーについては入学前に一通り学んでいるが、まだ不安なことも多いようなので、どうか助けてやってくれないか」
「……もちろんよろしくてよ。義理とはいえ私の従妹になる方でしょう。私、女兄弟も従妹もいないので嬉しいわ。アリシアさん、こちらこそどうぞよろしくお願いします」
私はなんとか貴族らしく優雅に微笑んだ。アリシアは嬉しそうに「ありがとうございます!」と応える。
ランスも殿下も私たち二人の様子に笑顔で頷いてた。
いつ、ゲームの強制力が働いて、アリシアが攻略対象者たちを落とし始めるかドキドキしていたが、結局それは杞憂で終わった。
アリシアとランスは終始ラブラブで他者が付け入る隙を与えなかった。
私と殿下の関係もアリシア、ランスカップルと多く過ごすようになって、どんどん距離が近くなっていった。
ゲームでのアリシアは庇護欲をくすぐるようなか弱いタイプの泣き虫な女の子だったが、現実のアリシアは快活で明るく、ランスといつも楽しそうに過ごしている。
私に対しても慣れるにつれて、本当の姉妹のように気安く接してくれるようになって、今では一番の親友となった。
アリシアとランスは学園入学まで、領地で冒険者として魔物討伐を一緒にしていたそうで、その信頼関係は端からみても羨ましくなるほどだった。
ランスが学園に入学するにあたって、アリシアにプロポーズ。身分差が問題となったが、間を置かずに、アリシアがエルメ子爵の血縁であることが判明して、貴族籍を得て、無事に婚約となったそうだ。貴族の子女しか通えないこの学園にも一緒に入学することができて、今に至ったという。
結局、この世界は乙女ゲームによく似ていただけの世界であるということだ。
ゲームのシナリオに怯えて、死を恐れた日々から離れ、無事学園も卒業できた。
明日はいよいよジーク様との結婚式だ。
ゲームのイベントは一つも起こらなかったけど、結果的に皆無事幸せになれて、まさに大団円と言えるだろう。
あのゲームにもしランスルートがあったなら、こんな風に誰も不幸にならない最高のハッピーエンドになったのだろうか。嫌それでもオディールだけは死亡フラグが立ってそうな気もする。
私は乙女ゲームが始まらなかったことを心から安堵した。
◇◇◇
私はアリシア。辺境の町で冒険者の父と優しい母の元で育った。でも父は私が六歳の時に魔物の襲撃による負傷が元で亡くなってしまった。それからは母が女手一つで育ててくれた。領主様は父と知り合いだったようで、父の死後私たち母娘に親切にしてくださった。
母は領主様のお屋敷で働き、私もたまに出入りするようになった。
そんな時知り合ったのが領主様の息子のランス・ローデルだった。
同い年だけど身体が大きく、意地悪なランスは会うたびに私にちょっかいをかけてきた。
そのたびに私はやり返し、ランスを負かし続けた。母はおろおろしていたけど、領主様はそんな私たちの様子を笑いながら見守ってくれていた。
十歳になってもランスは私にちょっかいをかけ続け、私はお屋敷のメイドのお姉様方に愚痴ってみた。するとお姉様方は生暖かい笑顔でこう言った「それは好きな子いじめと言うのよ」と。私は真っ赤になった。ランスが私を好き!?そんなこと俄かには信じられなかったが、しばらくたったある日、直接聞いてみることにした。
「あんた私のことが好きなの?」
ランスは見る間に真っ赤になって押し黙った。私もそれを見て更に真っ赤になった。
その日以来ランスは私のことをからかうことはなくなり、でも一緒に過ごす時間はどんどん増えていった。お屋敷の図書室で一緒に本を読んだり、馬で遠出したり、どこに行くのも一緒だった。
十三歳になり、私が冒険者登録をするとランスも一緒に登録した。
私たちは領地の討伐隊に参加し、一緒に魔物狩りをするようになった。
魔法の才があった私と、辺境伯の嫡男として剣の腕を磨いてきたランスは冒険者として最強のペアになった。十四歳になってからは二人きりで討伐に出ることも増え、私たちはいつしかお互いをかけがえのない者と感じるようになっていた。
でもランスは貴族で、私は平民なのだ。ランスはいつかどこかの貴族令嬢と結婚してしまうだろう。十六歳になったら王都にある貴族学園に入学するランスは、きっと私のことなど忘れてしまう。そう思うと暗澹たる気持ちになった。
入学まで半年となった時、ランスが私を遠出に誘った。そして丘の上で「結婚してほしい」とプロポーズしてくれた。私は喜びで涙したけど、身分差を考え、結婚はできないと身を引こうとした。ランスは食い下がったけど、私はその場から去り、しばらくランスを避け続けた。
しかし、数日後、領主様が私をお屋敷に呼び出し、私は仕方なく訪問した。
きっとランスとの結婚をあきらめろと言われるのだろうと覚悟していたが、領主様は私に一人の老人を紹介した。
エルメ子爵というその老紳士は私の祖父だという。亡くなった父は子爵家の嫡男だったが、母と結婚するために廃嫡されたというのだ。
エルメ子爵は私を引き取り、私は貴族籍を得た。
ランスはもう一度私にプロポーズしてくれて、私は今度こそ「はい」と応えることができた。
学園にも一緒に入学することになり、急遽貴族令嬢としてのマナーを学ばされることになった。
鬼のようなスケジュールで身に着けたマナーは付け焼刃で、不安だらけだったが、学園に入学するとランスの従妹である公爵令嬢のオディール様がいつもそばについて私を助けてくださったので事なきを得た。
オディール様とは親友と呼びあえるような間柄になり、卒業後はお互いの結婚式に参列し、オディール様が王家の一員となった後も変わらず仲良くしていただいている。
そして、私に第一子が生まれたある日のこと、私は出産のショックで前世を思い出した。
それと同時にこの世界が乙女ゲーム「ワンダー・ラブマジック」、略してワンラブの世界に似通っていることを。私がヒロインと同じ名前で、ランスが悪役令息と同じ名前だったということを。その他にもゲームの登場人物と同じ名前、同じ姿の人が散見していたことを。
でも似ていたのはそれだけだ。ワンラブのヒロインは庇護欲をそそる、か弱い乙女だった。いつも泣いてばかりでイライラしたのを覚えている。私なんて逆に子供の頃はランスを泣かしてたからね。
オディール様もゲームでは悪役令嬢でヒロインを陥れようとしていたけど、現実では心優しく、本当にいつも良くしていただいている。
オディール様の夫である王太子様はゲームでは攻略対象者であったはずだけど、オディール様と終始仲睦まじかった。それこそ初めてお目見えした時から、誰かが入る隙間なんかないぐらいにお二人はラブラブだった。
前世を思い出しても、私の夫への思いは変わらない。ここまで違うと小説の登場人物と偶然同姓同名だったぐらいの話だもんね。もしかしたら、前世のゲームの登場人物の名前を自分の周囲の人に勝手に脳が変換したのかもしれないし。今となっては本当に同じ世界なのか検証のしようもない。
でも確かなのは、今私が生きるこの世界は紛れもない現実であることと、私が夫と我が子を心から愛していること。もちろんオディール様も大事な親友である。
前世の記憶がもっと早く蘇っていたら、疑心暗鬼になって今のこの幸せは得られていなかった気もする。
私は我が子の小さな手をそっと握った。本当に乙女ゲームだと言うならこの子に出会えるルートを選びきった自分を褒めてあげたいと思った。
了