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第3話 激しき雨を止ませた言葉の信念

 灰色の雲に覆われて激しい雨が降り続く中、菅笠を被った水龍は高梁川沿いにある岡山藩の領内を歩いている。


「あれだけの水が速い流れているとは……。村へ急がないと大変だ」


 いつもは穏やかな高梁川だが、ひとたび大雨が降り続くと速い流れによって大量の泥水が押し寄せてくる。それを目の当たりにしながら、水龍は一面の水溜りの中を目的地へ急ぎ足で走り駆けることにした。




「これで1週間続けての雨か……」

「一向にやむ気配もないし、このままではぜっかくの田んぼが水に浸かってしまう……」


 農民たちは、大雨が続くときに牙をむく大きな川の脅威におびえている。あまりにも大量の雨が長期間にわたって降り続くと、住む家も人も飲み込みかねないからである。


 ひとたび川の氾濫が起こったら取り返しのつかないことになるから、雨の季節になると早くやんでほしいと多くの村人たちが祈るのも無理はない。そんな農民たちの気持ちを察しているのは、この村の庄屋である。


「いくら何でも、これは降りすぎだ。降ってもよい雨の量をはるかに超えている」


 相変わらず降り続ける激しい雨に、庄屋は嘆きを隠せない。どうすることもできない状況の中、庄屋は唯一望みを託せる男に書状を送った。


「一刻の猶予もない。庄屋さんに早く会わないと」


 水龍が村の中心にある大きな家屋の前にやってくると、入り口の障子を開けた庄屋の姿が目に入った。


「遠いところからきてくださって本当にありがとうございます」

「庄屋さん、書状を読ませていただきました。これだけの雨を食い止めるためには、すぐに行わなければなりません」


 庄屋と初対面の挨拶もほどほどに、水龍はその場で脱ぐとふんどし姿で雨中を再び歩き出した。大雨で足元が浸かる中、水龍は両手で交差しながら深く祈り始めようとしている。


激水止封げきすいしふう薄暗穏雲はくあんおんうん禁空降烈きんくうこうれつ雲滴止水うんてきしすい暗除青陽あんじょせいよう!」


 漢字4文字の5種類の呪文を唱えながら、激しい雨を食い止めようと水龍は平常心で念じ続けている。水龍は相変わらず降り続く雨に打たれながらも、ふんどし1枚で再び呪文を口から発した。


凄雨無降せいうむこう雲進東行うんしんとうぎょう激流水穏げきりゅうすいおん水地吸表すいちきゅうひょう暖光豊稲だんこうほうとう!」


 滝のような雨であっても、水龍の集中力は途切れることはない。そんな水龍の思いが通じたのか、激しく降りまくった大雨は少しずつ治まってきた。それにつれて、灰色の雲に暗く覆われた空のほうも次第に明るくなってきた。


「お~い! 雨が止んだぞ!」


 水龍の一声に、村人たちは外の様子がどうなのか確認しようと引戸を恐る恐る開けている。村人たちの目の前には、雨が降り止んだ農村の風景が広がっている。


「本当に雨が上がったのか……」

「ほんの少し前まで、恐ろしいほどの激しい雨が降っていたのに……」


 農民の男たちは、自分たちの田んぼがどうなっているのか確かめようと家から一斉に出てきた。1週間ぶりに外へ出るとあって、せっかく植えて成長しつつある稲が流れては今までの苦労が水の泡になってしまうからである。


 一方、それに続けて出てきた子供たちは、ふんどし姿や腹掛け姿になってはしゃぐように飛び出してきた。外で遊びたいという欲求は、子供たちにとって当たり前に持っているものである。


 けれども、雨が上がっても高梁川の流れが速いことに変わりはない。水龍は、裸足で川へ向かおうとする子供たちを呼び止めた。


「川へ行ったら危ない! 濁流に飲み込まれるぞ!」


 普段は静かな流れの高梁川だが、数日にわたって降り続いた大雨は泥水を含んだ激しい流れが次々と襲い掛かるのが水龍の目から見てもはっきりと分かる。そんな速い濁流に足を踏み入れたら、命の保証などないことは明白である。


 それでも、子供たちは水遊びがしたい様子に変わりはない。水龍の周りに集まると、水遊びがしたいという強い気持ちを次々と口にした。


「やっぱり水遊びがしたいよ! したいよ!」

「暑いから、水の中に入って遊びたい!」


 子供たちからせがまれた水龍は、庄屋のいる家へ行って洗濯用のたらいを借りることにした。そのたらいに水を入れようと、高梁川へ行った水龍は両手に2つ持った桶で水を汲んでいる。


「ここに川の水を入れておくから、みんな仲良く遊ぶんだぞ」


 子供たちはもう待ちきれないと思ったのか、すぐにたらいの中へ足を入れてはパシャパシャと水遊びをし始めた。その間も、水助はふんどし姿で水を汲んでは急ぎ足で子供たちのいるところまで運んでいる。


 たらいに水が少なくなったところを見計らうように桶から注ぎ足そうとすると、元気な男の子たちは水龍の真正面に向かって大量の水をかけ始めた。


「わっ! わわわわっ!」


 ふんどし姿の男の子たちは、水龍への水かけ攻撃が決まって喜びを体で表している。無邪気ではしゃぐ子供たちの表情は、さすがの水龍もすっかり参ってしまうほどである。


 そんなひと時を過ごした水龍だが、高梁川に面したこの村ともそろそろ離れなければならない。水龍は、自分を必要としている村々を待たせるわけにはいかないことを認識している。


「短い時間だったけど、皆さん次の場所へ行かないといけないので」

「気持ちは分かるが、そんなに急がなくても……」


 着物を身につけた菅笠姿の水龍は、村人たちから呼び止められてなかなか足を進めることができない。


 農民たちは、自ら作業に勤しむ田畑が水没することはなく無事であることにホッと一息をついた。自分の命と同じくらい大事な農地が守られたことに、村人たちは水龍への感謝の念を忘れていない。


「お前さんがいなかったら、わしらの田んぼや畑が駄目になっていたかも……」

「わしらのためにここまでしてくれるとは、この恩は一生忘れません」


 水龍は、そんな村人たちの気持ちに寄り添うように静かに口を開いた。


「あなた方の気持ちは一生忘れることはないでしょう。ここで再び会える日がきたら、その時はまたよろしくお願いします」


 水龍はそう言い残すと、次の場所へ行くために足を進めようとした。そんな水龍に声を掛けたのは、この村の庄屋である。


「水龍様がきてくれなかったら、大雨でこの村の作物が駄目になるのを防ぐことができなかっただろう……。ほんのささやかな気持ちだけど、これを受け取ってもらえないか」


 庄屋の声に反応した水龍が振り向くと、相手が差し出した手のひらに金1両の小判があった。水龍は庄屋の好意に気遣いながらも、小判の受け取りをやんわりと断った。


「そのお金、わしよりもここにいる村人たちに使ってくれないかな」

「でも、それではせっかくきてくれた水龍様には申し訳立たなくて……」

「わしは銭を受け取るよりも、ここにいる村人たちの優しさのほうが一番大事だと思うなあ」


 その言葉を最後に発した水龍は、この村を後にするべく再び歩みを進み始めた。水龍の言葉を聞いた庄屋は、感銘のあまり言葉を出すことができなかった。


 徐々に小さくなった水龍の後ろ姿を見送ろうと、たらいで水遊びをした子供たちが集まっては手を振り続けている。そんな子供たちの様子を振り返りながら、水龍は同じように助けを求めている次の村へ向かった。

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