7・共同戦線
7・共同戦線
「君はボロい! ボロ儲けじゃん!」
熱燗の徳利を手にした彼女は、今夜もまた高額紙幣の入ったミツキを指して、ボロ儲けだと言う。あれから客足は鈍ったが、一撃の大きい客ばかりが続いた。一方彼女の方には客が付くものの上がりはなかったようだ。
その後、午前の二時半に撤収を終え、今はどういう訳か、早朝まで営業の刺身居酒屋にいる。売り上げの何割かを渡そうとした時の、
――「だったら奢って! 私、居酒屋行きたい!」
という彼女の希望に沿って、気が付けば二人で掘りごたつに足を突っ込んでいる。それぞれに荷物の多い二人は、入り口に近い四人席へ通されていた。
「別に、俺の実力だけじゃないよ。君のお蔭もあって目立ってたから。ああいうのって目立ってナンボってとこあるし。それに俺、相手が誰であれ、路上で一緒になった人間とは売り上げを折半する決まりにしてるんだ」
すると彼女は臆面もなく大きく頷いた。
「まあねえ。私がちょっと盛り上げに協力した感じはあったけど。で、今までどんな人とコラボレーションしたの?」
「どんなって、色々だよ。同じギター弾きもいれば三味線もいるし、ミュージシャンじゃないとこでいく
と色紙に文字を書く詩人とか、それからタロット占いもいたかな。ただ、タロットは全然外れだったよ。きっとうるさい中で占いなんて出来ないんだろう」
生ビールのジョッキを半分ほど飲んだ彼は、本日のお薦めメニューを眺めながら答えた。馬のホルモンのトマト煮込みが美味しそうだ。
ミツキの答えに頷いていた彼女も、おすすめメニューを眺めつつ、
「へーえ。そういう人もいるんだ」
「ただ、そういった人たちとは一日限りの約束だから」
「なんで?」
「大概、稼げない時のお呪いみたいなもんで、そういうのは長く続かないんだよ」
すると熱燗の徳利を傾けていた彼女が、目に見えて不機嫌になった。
「てことは、私も一日限りのお呪いってこと?」
「そういう訳じゃ……今日は元々そこまで実入りが悪かった訳じゃないし。そっちこそ、なんで場所移動してきたのさ」
質問の答えをはぐらかしたミツキが言うと、
「それがさあ、私の目の前で唄ってたギターの人がひどくって。聴いてられなかったのよねえ。君の半分くらい上手かったら許せたのに」
それで自分の所へ、という理由は少しだけ彼の自尊心を刺激する。
「で、絵は売れたの?」
注文の決まったミツキが呼び出しボタンを押すと、
「うん。二人ね」
彼女は素っ気なく答え、現れた従業員へ立て続けに注文をしていた。すでに生ビールを飲み干したミツキは、彼女と同じ熱燗を頼んでいた。
辛子レンコンと馬刺しという観光客根性丸出しの注文を目の前に据えて、緋堂ミツキは満足そうだ。
「それで君は、どんな旅をしてるの?」
訊ねてきたのは彼女の方で、しかし言葉に詰まったミツキは彼女に断って煙草に火を点けると、どこから話したものかとまた悩み始めた。
「そんなに複雑な事情があるなら言わなくていいけど……」
「いや、そうじゃなくて。簡単なことなんだ。最初は地元でやってたんだけど、大勢で演るのに――その時は四、五人で唄っててさ、それが苦痛になってきて」
「そうだねえ。私もそうだけど、唄うのって孤独な作業な気がするもんね」
あながちそうでもないのだが、という言葉は差し控え、ミツキは彼女の言葉に頷いた。
「いちばん大きいのは、結局のところ金の問題かも知れない」
が、ミツキの言葉に彼女は首を横へ振る。
「それって多分、お金が問題になること自体が問題なんだよ。相手は選ばなきゃ」
そして馬刺しに思い切りニンニクをのせると美味そうに頬張る。
だったらと彼女が自分を選んだ根拠に悩んだが、ミツキは複雑な心境を隠して同意した。
「そう……かも知れないな。所詮俺たち、お金の稼ぎ方を間違ってるんだよ」
「方法は何でもいいんじゃない。その、ユウスケ君たちのグループみたいに――」
「ちょっと待って。君、いくつ?」
「二十三歳」
「じゃあ、その呼び方やめてくれないかな、俺二十七だし。せめて上の名前で呼んでくれないか」
しかし、
「やだよ、私と同じ名前とかヘンな感じ」
「仕方ないだろ、そういう名前なんだから」
「じゃあ、私のことなんて呼んでくれる?」
「……緋堂で」
「そしたら私、ミツキって呼ぶ。これは呼び捨てじゃなくてニックネームなの。ミツキさんのニックネームは『ミツキ』」
あからさまに渋い顔を作ったミツキは、しかしその呼び名をついに覆すことが出来なかった。それは目の前で辛子レンコンを齧る彼女の姿が嬉しそうだったからではなく、同じように彼を呼んでくれる少女が存在したことを思い出していたからである。その心地良い耳障りに、何も言い返せなかった。
「そろそろ帰らなくていいのか」
午前四時。オーダーした料理も片付け、二人で熱燗を傾けていたが、うつらうつらと舟を漕ぎ出した彼女に気を遣ったつもりで声をかけた。だが、彼女にその気はないらしい。
「大丈夫……君が帰る時に声かけてよ」
そう言う彼女の言葉を真っ直ぐに受け止め、ならばサウナのチェックイン時間の五時までと決めた。まだ残り二日ホテルに連泊しているという彼女にもそれで問題はないだろう。
「明日も一緒にやっていいかなあ……」
身体を前後しながらも酒を離さない彼女が、不意にそう訊ねてきた。以前の彼ならばきっぱりと断ったはずなのだが、
「別に、構わないけど」
そう答えた。正直なところを言えば、昨日今日の稼ぎで土地を動こうかとも思っていたからだ。熊本のラストをそれで飾ってもいい。それは彼にとっていつも突然の決断だ。
壁にもたれて寝息を立てる緋堂ミツキを視界の端に入れ、ミツキは酒のお代わりを頼んだ。それから、湧いては消える考えごとの中でいつしか彼女の素性ばかり気にしている自分に、仕方がない男だ、と呆れては煙草を吹かした。
*
三号線沿いのホテルに泊まっている、という緋堂とは途中で別れて、ミツキは三連続目のサウナへ向かった。夜風が草の香りを運んでくる三号線は、大型のトラックばかりが大きな音を立てて通り過ぎてゆく。
――「じゃあ、明日またね!」
すっかり酔いも醒めたのか、彼女は真っ直ぐな足取りでキャリーを引きながら闇に消えた。
彼女を見送り、コンビニで何か買っていこうかと考えたが、それは明日の昼に回してサウナのフロントでチェックインした。いつも同じ荷物の彼を覚えたか覚えずか、
「お疲れ様でございます」
と一端のホテル気取りで、元ボクサーの男がギターを預かった。
泥酔時のサウナは心臓に悪いらしい。ただ、サウナに限らず泥酔時はいつも危険なものだ。そんな屁理屈をこねて、多少酔い過ぎた身体をミツキは温めていた。そんな頭に浮かぶのは今後のことだ。
九州はこの半年で佐賀、長崎、熊本と三県を周った。大都市福岡を後回しにしたのは彼の臆病さのせいだ。ともかく寒くなる前に九州を一周りしようと考えた予定は、今の所順当に進んでいる。
ただそれは、彼女――緋堂ミツキには言う必要もない事柄で、そのくせに隠し通したくはない現実だった。なぜだか彼女には隠し事が通用しない気がしている。旅の途中にすれ違った同じ流離い人のシンパシーを共有したいのかも知れない。
そんなことを考えているうちに、サウナの時計はあっという間に二十分を回った。
頭に熱の上ったミツキはそのまま食堂へ向かい、三百五十ミリの発泡酒を買った。この数年でかなり酒に強くなった気がする。それは孤独な時間の使い方を持て余している証拠に思え、そういえば久しぶりによく喋った気もしていた。
(緋堂ミツキか……)
珍しい動物に会った気持ちで発泡酒を口へと運ぶ。きりりと冷えた酒は、否応なく明日からのことを思い起こさせる。土曜日の夜とはいえ、三匹目のドジョウは期待出来ないだろう。それを思えばとにかく今の手持ちを減らさないこと。翌日が市役所の開かない日曜だということを考えれば、また雑居ビルで二十四時間潰すのも手かも知れない。
ミツキはこの三年、まったく同じ思案をもう何百回と繰り返していた。来る日も来る日も考えるのは明日のこと。週末だ連休だボーナスだと世の中の動きに翻弄され、それでも旅は今も続いているが、結局のところ始発と最終さえ分かっていればなんとかなるような生活に嫌気が差しているのが実情だ。
『いっそこんな生活やめてしまえばいい』と、彼は思わない。いつの間にか始まった旅を、今は出来る限りどこまでも続けてゆくだけだ。そもそもこれは示されたいくつかの可能性から選んだ道ではなく、どこかへ消えてしまいたい一心で始めた旅だった。それしか道がないという、選択肢のない旅だった。なので彼の言葉を代弁するなら、素直に『何もかもやめてしまいたい』だった。そして、やめる力のない、やめても行く先のない彼は惰性をそのまま生きる術に変えて、唄うことだけを望みに前へ進むのだった。前進している手応えのない生活を少しでも色付けるために路上で唄い、予定調和の輪から一瞬でも抜け出したいとギターを鳴らしていた。実の所、それは安定した暮らしとは程遠い暮らしだった。安定は、今の暮らしを続けるならば捨て去るべき未練なのだ。
発泡酒の空缶を捨てると、ミツキは仮眠室へ向かった。ここが我が家であるかのような気分に陥ってしまう錯覚を消し、黴臭い空気と毛羽立ったカーペットを進み、小さなドアを抜けた。そこでも自分は異端者でありたいと。




