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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第二部・Early Times Ballad
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西高東低・5

          西高東低・5



「真剣に話したいことがあるんよ」


「おう、ワシいつでも真剣じゃけえ任せんさい!」


 雨上がりの元安橋は、まだあちこちと湿っていた。


 念願のチーズバーガーを手に、三十二歳のモヒカンは満足そうだ。なのでこの話は機を見てまた、と思ったミツキだったが――。


「キョウちゃんのことじゃろ?」


 差し入れの発泡酒を一気に飲み干したシンちゃんはケロリとした顔で言ってのける。


「まあ、他に共通話題もないけえねえ」


 ぼやくように呟いたミツキに、シンちゃんはハンバーガーを食い終えた指を折ってみせる。


「後はマユミちゃんにエミさんにマドカちゃんに――」


 それは過去にこの場所で嵐を起こした女たちの名前だ。


「また刃傷沙汰になるけえやめんさい」


 するとシンちゃんは急に声のトーンを変えて答えた。


「なんで? あの頃、楽しかったやん」


「楽しいいうか、飽きはなかったわいね」


「それがやりたいんよ、ワシら。やないと、ええ歳してこがあなこと続けられんわ」


 いつも笑顔とすっとぼけの組み合わせで生きているシンちゃんでもそういうことは考えているのかと、不意にミツキは感心してしまう。


「さすが一児の父やねえ」


「おう、離婚したけどな」


「マジで? いつ?」


「二年前よ。もちろん養育費なんか払えん」


「はあ……」


 そういう現実を耳に入れると話も切り出しにくいもので、ミツキはひとまず煙草を吹かした。平和公園内は完全禁煙ではなく、灰皿の設置した場所ならば喫煙OKだ。ならばと、ミツキはいつも路上演奏で使っている灰皿を取り出す。


 風に巻かれた煙が、頬を撫でながら橋の上へ消えてゆく。


 背を向けても分かる、路面電車の緩やかなブレーキ音が聞こえる。


 元安橋には、舗道も車道も関係ない観光客の群れが歩き過ぎる。


 何もかも、住み慣れた広島の風景だ。


「シンちゃん」


「どしたん」


「キョウジの女癖ってやめられんもんなんやろか」


 するとシンちゃんは紫色のモヒカンを左右に何度か振ってみせて、


「そがいに不思議じゃろうか。ミッちゃんも前来た時はどっかのお姉ちゃん探して必死じゃったろ? 自分のこと忘れて他人のことばっか言うちゃいけまあ」


 確かに三年前、ミツキはみっともないほどの必死さで彼女の影を追いかけていた。人が集まるところならどこでも訪ね回った。その挙句に辿り着いたのがシンちゃんの、この場所だった。


 言葉を失くしたミツキの代わりにシンちゃんは続ける。


「ワシねえ、これでもねえ、たまに人の役に立っとる思うんよ。世の中は色々忙しかったりするんじゃろうが、ワシだけはここから動かんけえねえ。ミッちゃんみたいな旅人に分からんこともよう知っとるわいね」


 それはシンちゃんにとっては珍しい自己分析の言葉だった。思えば覚えやすいモヒカンも、タトゥーも、耳に差した大きな安全ピンも、すべて誰かの記憶へ留まるに値していた。ミツキが見ていたのはそんなシンちゃんの側面だけで、この何年間、その本質にはちっとも迫っていなかったのだ。


 そう思うと、シンちゃんの邪魔をしてしまいそうなので、


「俺これで行くわ」


 そう言うと路面から腰を上げた。


「え? 唄わんの?」


 驚くシンちゃんには悪かったが、今日の所は朝飯の出前に徹することにした。


「今から新曲作ろう思うんよ。ひとまずネットカフェに逆戻りじゃ」


 言いつつ、ミツキは歩き出す。


「ほいじゃ、明日はご一緒にポテトも!」


 シンちゃんの甲高い声に紛れ、鳩の群れが空へと舞い上がった。



 新曲、とは大きく出たものだと、この五年間で曲の一つも作っていないミツキは街中の雑踏から逃げ出すようにネットカフェへ入った。資金はもちろんあぶく銭からだ。


 いつもの奥まった座席に移動すると、ミツキはカウンターへ行ってシャワーの予約を取りつける。昼間の時間ということもあり、シャワーはすぐに使えた。残りはこの後出かけるつもりのコインランドリーが空いているかどうかだけだ。タイミングを逃すとリュックの中は洗濯物の匂いに溢れ、譜面にまでその匂いが移ってしまう。そのため、二日も風呂に入れない時は靴下を一足捨てて、百円ショップで買い直すこともある。


 どことなく水圧に物足りなさを感じる温いシャワーで頭を洗っていると、今回の広島が満ちたり過ぎていることを感じる。理由はもちろんあの女性、蓮池ユミのくれた万札のせいだとは分かっている。そしてそこに小さな不満も感じているのが実情だ。


 一万円札という金を、路上で見たことがない訳ではない。それはいつも本当に天から降って湧いたようにケースへ投げられる。そして最大の不可思議さは、一万円札を置いた客はすぐにその場を立ち去ることだった。あれを唄ってくれ、これを聴かせてくれ、という注文が驚くほどない。まるで高額紙幣を置いた自分が恥ずかしくてその場から消え去りたい、というような風情で、顔も見せない客がほとんどなのだ。そういう意味で、ミツキは一万円に値する歌を一度も唄ったことがないと思う。


 風呂上がり、ミツキはそんな恩恵でまた一杯コーヒーを飲む。その味は一文無しの時と変わりはしない。結局そういうものなのだ。金は使う人間で色を変える。時折ハヤトが使う言葉に、『マネーロンダリング』がある。それがどんな因果を経て入ったものでも金に罪はないです、こっち側できれいな金に資金洗浄しましょう、と言うのだ。


 つくづく興味深いことを言うハヤトだったが、ギター初心者だった時代から数えて街の看板になろうという彼にもまた、同じ葛藤があったのだと思う。それを見せない彼だからこそ尚更にその言葉は重く、ミツキは彼のことを数多の路上ミュージシャンと一線を画して見ている。そしてその思いは彼にも伝わっているのだろう。彼の言葉を借りるならば、この街ではもう、ミツキ以外に本当の歌唄いは残っていないらしい。


 すばしっこい哺乳動物の栄え始めた現代にあって、愚鈍で鈍重な恐竜が自然淘汰されてゆくならそれもよかった。そして減衰の道を辿る中にあって愚鈍な歌を捨てずに寿命を全うするフォークシンガーがいるなら、それはジャンルを超えてロックになり得るのだろう。


 時計を見ると午後一時半だった。このままいくと三時間パックを使い果たしてしまうと、ミツキは頭の中にアラームをセットする。それは泥酔時以外なら必ず作動する、彼の体内時計だった。ミツキはそのアラームを、四十五分後にセットする。


 時間ギリギリに起きたミツキは慌てて上着を羽織り、靴下を履き、ギターと荷物をまとめると会計へ向かった。なんとか超過はなしで済み、懐にダメージはなかった。コインランドリーは歩いて十分だ。



 洗えるものすべてを洗濯機に入れ、リュックから粉末洗剤を取り出して投げ込んだ。今から一時間はどうやっても動けない時間となる。


 洗濯機三台と乾燥機四台の並んだランドリーは狭く、ミツキは店内添えつけの椅子を表へ出し、ギターを取り出して煙草を吹かす。手押し車の老婆がニコニコとそれを見ながら通り過ぎる。大きな袋におしぼりらしきものを詰めた女性がやって来て乾燥機を回し始める。彼女はギターを手にした彼に不思議な顔のひとつも見せず、店の前の販売機で缶コーヒーを買って彼へと手渡した。


「お兄ちゃん、乾くまで見とってくれんさいね」


 ミツキは笑顔でコーヒーを受け取ると、はい、と素直に答える。そして、路上に限らず色々ともらっていた奴がいたことを思い出した。その気持ちはいつも突然心に現れる。この三年間、ずっとだ。


 洗濯機が止まり、ミツキは洗濯物をいちいち広げて乾燥機へ放り込む。大した量ではないので十分にしておいた。百円玉一枚だ。


 また表へ出てギターを爪弾いていると、缶コーヒーの女性が戻ってきた。


「さっき終わりましたよ」


「ほうね。最近、洗濯物の泥棒もおるけえ。お兄ちゃんがおって助かったわいね」


 大量のおしぼりを持って戻っていった。どこかの飲食店の人間だろう。


 そうこうしていると自分の乾燥機が止まり、その乾き具合を確かめるとまずまずだったので、丁寧にたたんで袋へ詰めた。どうせリュックの中でグチャグチャになるのだが、最初だけでもきちんとする。


 コインランドリーを後にすると、少し時間が余ったのでアーケードへ向かった。その穴埋めと言うとシンちゃんのモヒカンに刺されるので、ミツキは何の前触れもなく再び元安橋を訪れた。


「呼ばれて飛び出て!」


「何なん、それ。ていうか何でまた来たん」


 せっかく上げたテンションを落とされて心外のミツキは、


「これいらんの? ポテト。じゃがいも」


 とマックの包みをこれ見よがしに突き付けた。するとシンちゃんは、


「あー、この身体に悪そうな匂いがたまらんのよ!」


 とフライドポテトの袋を掠め取った。小銭入れのケースを横目に見たが、午前中と変わりない様子だ。このモヒカンは本当にどうやって飯を食っているのだろうと思う。


「美味あ! 何これホンマにジャガイモなん!」


 そのテンションがいつもあれば業績も上がるだろうにと、ミツキは横から手を伸ばしてポテトをつまんだ。


「ああ、出来ればシュワシュワも欲しかったなあ」


 と言うシンちゃんに小銭を渡し、発砲酒を頼む。


「俺、小っちゃいやつね」


「どしたん、遠慮してからに」


 シンちゃんはまるで自分の金のように言いつつ元安橋を東へ歩いて行った。


 残されたミツキはさながら店番だったが、特に難しいこともないのでただ座っていた。冬の夕暮れは早く、たなびく雲は恥ずかしげに紅を差すように薄化粧を始める。


 そこへ、


「こんにちは」


 一人の女性が足を止めた。その瞬間、ミツキは全身に鳥肌が立った。


「こんにちは――」


 面食らっているミツキを横目に、逆光の中で佇む女性は何が楽しいのやら嬉しそうに、


「今日は、唄ってないの」


 荷物を右手に握り、ブーツの足先を細かく震わせた。


「今日は……夜からなんです」


「どこで?」


「三越の裏の花屋の前です。あ、早く行き過ぎるとシャッターが降りてないんで」


「……知ってる」


「ずいぶん待たせてくれたな」


「うん……ゴメン」


「今はさ、何も言えないからさ、夜にいいか?」


「うん、行くよ」


「今度は必ずだろうな」


「……うん……必ず」


 そう言うと緋堂は右手のキャリーケースを引いて、本通りのアーケードへと向かった。


 すれ違いざまに橋を歩いてきたシンちゃんは、


「今の子、メチャ可愛かったで。ミッちゃんの探しよった女と違うん?」


「いや、俺の待ち人はもっと可愛いんよ」


 シンちゃんから受け取った発泡酒を受け取ると、プルタブを開け、一息に飲んだ。飲みながら、目尻に滲む涙をそのせいにした。実に、三年ぶりの再会だった。

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