西高東低・3
西高東低・3
シンちゃんのそそのかしに乗った平和公園の路上演奏は午後二時に終わった。真冬というのに観光客の足はパラパラと絶えず、小銭ばかりだが千円にはなった。夜までをネットカフェで過ごす資金は出来た訳だ。
「ワシまだゼロなんやけど」
荷物をまとめてシンちゃんの所へ向かうと、第一声がそれだった。シンちゃんとは売り上げを公開し合うのが鉄則だ。なぜかは知らないが、シンちゃんがそう決めていた。
「そがいに落ち込まんのよ。ゆっくり待てば誰か来るわいね」
ミツキが言うと、
「ゆっくりし過ぎて固まっとるわ。ミッちゃんは唄いながら動くけえまだマシなんよ。ワシ、じっと座ったままじゃけえね」
「じゃあ、動きながら描けばええやん。そりゃもう踊る絵描きで有名になってテレビも新聞もこぞって駆けつけるじゃろ」
「なるほどねえ。踊りながら描いたらそりゃ有名人に――なりとうないわ! 気分悪っ!」
そんなやり取りの中、原爆ドームの対岸をこちらへ向かって歩いてくる人影を見つけた。ミツキはそのトレンチコートの女性を知っている。そして湧き上がるのは気まずさだ。ミツキは直感で、彼女を苦手だと思っている。
早く立ち去りたかったが、シンちゃんの不満がここぞとばかりに噴き出して収取のつかない状況になっている。
そこへ、
「こんにちは」
女性もミツキに気付いていたのか、二メートル前で立ち止まると挨拶を投げた。
ミツキにはどう返しようもなく、
「ああ、昨日はどうも」
そう言ったまま口を閉ざした。
途端に目尻を下げたシンちゃんがミツキを突いた。
「どしたん、ミッちゃんの知り合いなん」
そう思われるのは心外で
「キョウジの飼い主よ」
と、女性に聞こえない程度の小声で答えた。
「今日は、キョウジ君と一緒じゃないんですか?」
女性がまた一歩近づき、柔らかい――柔らか過ぎる笑みで訊ねてきた。
ミツキは仕方なく答えることにして、
「一緒なのは夜だけなんです。今頃、新天地のどこかで酒盛りしてるんじゃないですか」
余計なひと言を加えてしまったと後悔した。
「お酒? なんてお店なんですか?」
案の定、女性はそこに食いついて来る。キョウジのプライドのためにすべてを話すのはやめにしようかと思ったが、そんなものを持ち合わせている奴でもないので、この際、奴の暮らしぶりを訥々と話してあげた。
「そうだったんですか……」
女性も軽くショックを受けたのだろう。無人のビルの廊下で寝泊まりしている奴がいるなんていう話は、俺やキョウジに関わらない限り一生無縁の人なのだ。
「キョウジ君には今日、会われます?」
ミツキは答えに渋ったものの、
「恐らく……」
「じゃあ、これを渡してもらって、どこか暖かい所に行くようにおっしゃってください」
女性はバッグから財布を取り出し、素早く五千円札を抜き取った。それから名刺を重ね、
「お願いします」
そう言うとしばらくミツキの顔を潤んだ目で見つめ、やがて一礼すると足早に本通りアーケード方面へ向かった。
残された二人はそれぞれに不服を抱え、
「何なん! 何なん! ワシ、蚊帳の外?」
まずシンちゃんが吼えた。
ミツキはミツキで、
「なんで俺がメッセンジャーせにゃいけんのじゃ」
と預かった金と名刺を見比べてぼやいた。名刺には『蓮池ユミ』と書かれ、電話番号とメールアドレス以外はなかった。自己紹介のためだけに作った名刺というものは、まるで出会い系サイトのようで気味が悪い。美しい顔立ちをしているだけに、その裏にある思惑が不気味だった。
「シンちゃん、俺、帰るわ」
「帰るって、どこに」
遂にやる気を放棄したようなシンちゃんが呟く。
「俺が帰るんは、胡通りのネットカフェよ。覚えとったら役に立つで」
「はっ、行きんさい」
「じゃ、また調子よかったら明日」
「ハンバーガー希望!」
「次はチーズバーガーよ!」
「うひょー!」
五メートルも十メートルも離れながらそんな会話を交わすミツキたちは、間違いなく、この世のクズだ。クズなりに必死で生きているとはいえ、世間に溢れるビジネスマンたちの不満も、最下層労働者たちの苦悶も、どこ吹く風だ。
ネットカフェに行く途中、少し遠回りをすれば新天地公園だ。
ミツキは長閑な天気の下、本通りから新天地へ向かう。どれだけの大荷物を抱えていてもギターケースがあると様になると思っているが、錯覚だろうか。
それを思えばミツキにとってギターは武器であり防具だった。今、『ギターを持たずに歩け』と言われたらミツキは躊躇してしまう。それほどギターは身体に馴染み、この八年を支えてくれた相棒なのだ。
いくら何でも今日も昼間っから酒盛りをする気はなく、顔出しのつもりで出向いた新天地は何やら昨日と様相が変わっていた。いや、いつもの風景になったという表現の方が正しいだろう。公衆便所わきにはキョウジを含めて得体の知れない連中がたむろしていた。ベンチの周りで思い思いの酒を手に、程度の低い歓談でもしているのだろう。
ちなみに便所の横にはホームレスたちが持ち込んだ雑多なガラクタが堆く積まれてある。ミツキも何かあればそこへギターを隠そうと思っていた時期があった。が、どうにも管理の係りがホームレスの中にいるようで、それがミツキと反りの会わないリョウという男だった。
ミツキはため息を吐きたくなる気持ちで、そちらへ足を運んだ。
「おう、ミツキ! 大変で!」
そこまで声を張らずとも聞こえる、と耳を塞ぎ、ミツキはとりあえず訊いた。
「大変なんはいつもじゃろう。どうしたん」
すると、今日も髭にまみれた顔で、
「追い出されたわ」
昨日、勝手に忍び込んで大宴会を繰り広げていたテナントビルから苦情が入って警察が来たらしい。
「そがあなん、当たり前じゃろ」
ミツキが言うと、
「ワシもネットカフェに行こうかいね」
さらりと、その気もないことを言う。なので、
「お前、身分証明ないじゃろ。ほじゃったら入れんで」
「マジかや! 前に、お前と二人で入れたやん!」
「あれはペアブースで片方持っときゃ大丈夫やったんよ。今は二枚いるけどな」
「そうなん?」
「それこそお前、昨日の金でサウナでも行けばよかったんよ。金が――」
とそこまで言って、預かりものがあったのを思い出し、ミツキは五千円札をキョウジの目の前に差し出す。
「どしたんこれ」
キョウジはミツキの意図が読めず、困惑している。
「預かったんよ。蓮池さんからお前に」
「蓮池さん……? お前、ユミさんに会うたんか! どこで!」
案の定のテンションで驚くキョウジへ、俺は経緯を説明した。
すると、
「キョウちゃんすごいやん、金持ちじゃあ」
「こりゃ、皆で分けんとな。それが新天地ルールじゃけえ」
「ワ、ワシもいいかな」
頭の悪い連中の言葉は右から左に流し、ミツキはキョウジに告げた。
「暖かい所に行け、だとさ」
「……ええ人じゃ。あの人、ホンマええ人じゃ」
神妙な顔つきで拝むようにキョウジが金を受け取ると、
「無駄にせんようにな。俺行くわ」
「そう言うなや。ええやん、ここで飲んで行き」
「……俺も確かにそういう時期があったけどさ。今はもう四六時中飲んどる理由がないんよ。お前も大概にしとかんと身体壊すで」
「へっ。死ぬ時ゃ皆死ぬんよ」
そのふざけた言い方にイラッときたミツキは、
「まだ死ねん理由があるんよ。俺はもう一回――」
会いたい人がいる、と言いかけて止めた。見回せば焼酎片手に缶チューハイ片手に、虚ろな目がミツキを見ている。そいつらの耳に入れる言葉ではない。この気持ちは誰にも汚されたくない、大切な思いだった。
*
ネットカフェへ入り、しばし悩んだ後、六時間のパックにした。隣からAVの音声が漏れ聞こえているが、いつも持っている耳栓をすればそう気になることはないだろう。周囲の客と極力波風を立てないことがネットカフェの鉄則だ。
ブラウザには習慣で開いたSNSが見える。その時々に知り合いになった友人たちは、穏やかな、あるいは華やかな音楽業界で活動していることが垣間見える。
ミツキは思う、俺には何があるだろう。
稼げない日が続いて、キョウジのようにビルの廊下で寝るしかなかったことを日記へ載せてみても、誰も本気で心配はしてくれない。SNSの場にネガティブな発言は禁忌だった。スルーされ、見なかったことにされて、レスポンスは何もない。
だからミツキはいつからか、居場所のみをアップするようにした。それでも面倒は起きる。
――広島いいですね 宮島行かれますか? この時期は牡蠣が美味しいですよね
誰が地元の観光をするものかと思うが、そうも言い返せない。代わりに、
――ちょっと稼げないので 慣れた土地に戻ってみました
そう返すと、五分後には、
――そうですかじゃあ 美味しい牡蠣フライ目指して頑張ってください
と、力の抜けるレスが返ってきた。いったいどこで知り合ったのだか、勢いで友人になった人間はミツキの放浪生活のことを何も知らない。いや、聞いてはいたのだろうが、記憶にないのだ。一般人から見ればその生活はあまりにも凄まじく、危険で、想像がつかないのだろう。
その温度差は死ぬまで埋まらない、とミツキは思う。他人から見れば彼がやっていることは旅行とレジャーであり、人はきっと『お金に余裕があるのだろう』くらいにしか思っていないのだ。
(そんな理解を求めている訳じゃないだろう)
少しばかり疎ましい書き込みをSNSに見かけたからといって、空想が飛躍してしまった。そもそも自分の身空を嘆くなら、こんな生活はいつでも捨ててしまえばいいのだ。
(ただ……)
心残りと言えば、ここまで未練を引きずる心残りもなかった。緋堂ミツキのことだ。
三年前、同じように広島へ戻った時、彼女は確かにそばにいた。青空の下でバスセンターを見上げ、初めて見る広島の風景に目を輝かしていた。それが、
――「宿を取って来るから」
そう言い残して以来、忽然と姿を消してしまったのだ。ミツキが夜の営業場所である三越裏を案内した後のことだ。
なぜすぐに電話をかけなかったのか。一つにはミツキがケータイを持っていないこともある。しかし、それでも公衆電話はかけられたはずだ。それをしなかったのは、彼女にも一人になりたい時があるだろうという気遣いからで、実際、三か月前の鹿児島以来、二人旅の中で離ればなれになるのはお互いの営業中のみだった。それは赤の他人である二人にとって不自然だったろう。その不自然さが心地よさになっていたことも事実だが、あまり彼女に頼るのは控えようとミツキは思っていた。せめてホームグラウンドである広島では緋堂の世話になりたくなかったのだ。
しかし、それが仇になり、夜になっても彼女は姿を現さなかった。
予兆はあった。鹿児島、宮崎、博多と旅が動くにつれ、外で電話をかけていた緋堂の表情が重く沈んでいたのだ。最初は室内からかけていたものが、次第に外へ出るようになった。何かあったことは間違いなく、その何かは電話の相手が原因に違いなかった。そしてこれも間違いなく、相手は男だ。
かといって、ミツキにはそれを訊ねる資格も度胸もなかった。あるのは、いつまでこの旅が続くだろうかというおぼろげな不安と、それを不安と感じてしまっている自分の狭量さだ。緋堂とこの旅を決めた時の決まりごとは一つ、気の向くままに、だったはずなのにだ。
そんな訳でミツキユウスケと緋堂ミツキの旅は三年前のここ、広島で終わりを告げた。ミツキにしてみれば告げたのは彼女で、それは皮肉にも、『何も告げない』ままという、まるで恋愛にありがちな終わりだった。ミツキはそう考えて、彼女に感じていたのは恋心なのだと後になって気付かされた。気付く間に、冬を一つ越えていた。
生まれ落ちたこの街で冬をやり過ごすのは容易い。寒さに負けぬ強靭な体力と精神力、それに三日に一回は入る三千円程度の稼ぎを上手く使うだけだ。そしてその利点は、生き延びる、という行為に貪欲である限り、無駄な空想も妄想もしなくて済むことだった。考える故に己があるのだとして、ホームレスの身の上にそれは意味のないことだった。己を消してこそ日々は乗り越えられる。どんなにありがたい思想も哲学も、気温を上げる力はなかった。冬場に『寒い』と不満を口にすれば誰かが『三か月待て』と言うかも知れないが、それこそ己を消した先の言葉だ。
そういう意味で、春の訪れと共にミツキへまともな思考が戻ったのは幸いだったろう。どこへ消えたか知れぬ彼女を追って旅へ出るには、冬は季節が悪かったからだ。ホームレスにとって冬は文字通り命を削る。他人の迷惑も顧みない行為にさえ出てしまう。しかも当の本人にはその気もなく。
――ネットカフェ。
ミツキはボンヤリとした頭を抱えてドリンクブースへ向かう。いつものようにホットコーヒーを入れ、カップを手にブースへ戻る。
時刻は五時前。ひと眠りすれば、唄いへ出かけるにはいい頃合いだろう。
「戸澤さん」
午後九時の胡通りへ出ると、後ろから来た自転車の男が声をかけてきた。広島広しと言えど、ミツキを本名で呼ぶのはたった一人だ。
「お疲れ様」
配達中の自転車へ声をかけると、ミツキはギターをひとまず舗道へ下ろした。
「帰ってたんですか」
眼鏡の奥の丸い目をパチパチと瞬かせて、リカーショップの店長は訊ねてくる。若く見えるが、ミツキと変わらない歳のはずだ。
「帰ったって言うか、冬眠しとうて戻って来たわ。なんだかんだ言うて、広島が便利じゃけえ」
「はあ。まだいるんです?」
「うん。出発費用が出来るまでは」
「次、どこ行くんですか」
「ほおじゃねえ、札幌まで一気にビューンと」
「死にますよ」
本気で心配されかけて、それもまんざらではないミツキだった。無一文同然の広島から一気に札幌へ行ける力があると思われているのだから、ストリートミュージシャン冥利に尽きるというものだ。
「そいじゃ唄うてくるわ」
「ああ、また去年のボジョレー寝かしてますんで、暇な時にでも飲みに来てください」
そう言い残し、自転車は宵闇へ消える。
街角で酒屋の店長と話し込めるくらいにはまだまだ現役だと、ミツキは軽くほころんだ顔で唄い場へ向かった。
「ミツキさん!」
続く時は続くもので、懐かしい顔に会ったのは花屋のシャッター前だ。
「久しぶり」
「元気でしたか?」
キャップを後ろに被った坊主頭は、ハヤトという。ミツキが路上デビューして二年目に会った男なので、付き合いはもう七年になるはずだ。年齢不詳の笑顔とでかい声がトレードマークだ。独特の歌唱法で歌謡曲を唄い、一度でも歌を聴いた人間は彼の世界に引き込まれてしまう。元が旭川の生まれなので、広島弁は話さない。ミツキもついつられて、彼といる時は広島弁を忘れてしまいそうになる。
「とりえず何か買ってくるから。ギター見といて」
「はい!」
ハヤトは確か自転車だったな、と一本をノンアルコールにしてビールを二本と日本酒を買った。
「ありがと、これ乾杯用。ノンアルだけど」
言いながら手渡すとハヤトは、満面の笑みを浮かべる。ミツキには、その笑みだけでも充分に懐かしいものだった。ミツキの路上シーンを知るミュージシャン仲間は、もう広島では皆無に等しい。
「あざっす! 頂きます!」
二人でプルタブを開けてビールを掲げると、ようやくこの街に戻った気がする。
「そういやハヤト、フェイスブックやってなかった?」
まずは手始めに喉を二度鳴らしたミツキが訊ねる。ハヤトにはメッセージを見ていた雰囲気もない。
「ああ……面倒臭くなってやめたんですよ。あれ自体がっていうより、やり始めてようやく面倒臭い人なんだっていう人が分かって」
「そんなもんやね。SNSってそれが滲み出て、ある意味便利だわ」
「ですね」
ハヤトはノンアルを勢いよく飲むと大きく息を吐いた。わあこれビールだわあ。
ひとまずの乾杯を終え、流れた年月の分だけ会話ははずんだ。もちろん、前回は三年前のことだ。
ミツキはチューニングを終えるとハヤトに言った。
「とりあえず定番唄っとこうか」
「はい、あれですね」
ハヤトとの定番ソングといえば、ミツキが唄う『春よ来い』という歌に続いて、ハヤトの『春なのに』という曲へ続くものだった。最初は偶然重なっているのかと思いきや、
「わざとです」
嬉しそうな顔がそう答えた。
春よ来い、春なのに、と立春も迎えぬ寒空の下で二人は唄う。
お互いにそれから二曲を唄い終え、その最中に千円札と五百円硬貨が一枚ずつ入った。
「そういえばハヤト。向こうの方で唄ってる髭まみれのキョウジってのがおるんじゃけど」
「ああ。知ってます。ただ、僕は絶対に苦手な方なんで挨拶もしてませんけど。ミツキさん、知り合いなんですよね」
「まあ、知り合いっていうか腐れ縁じゃね」
「腐ってそうですもんね」
ハヤトは、普段は言葉も表情も柔らかいのだが、時々毒を吐く。
その後、思い出話をつまみに何曲かずつ唄っていたが、
「あ、あれ? いつだったかな」
ハヤトがギターを弾く指を止めて、ミツキに向き直った。
「どうしたん。何かあったん」
するとハヤトは、
「ミツキさんのこと探しに来た人がいたんです。いつでしたっけねえ……」
ミツキは思わず、
「それ、女の子じゃなかった? でっかいキャリー引いて、大荷物の」
咥えていた煙草を吸い尽くしそうな勢いで訊ねていた。
「いやあ、荷物は分かんないですけど。可愛らしい女の人でした」
「いつ頃か、思い出せん?」
「そうですねえ。二、三年前だったと思いますけど。あ、場所はここですよ」
「そうか……」
「いえ、何かすみません……」
ミツキの肩を落とした姿がよほど不憫に思えたのか、ハヤトが続ける。
「でもウチに帰ったらいつだったかは分かりますよ。僕、路上に出始めた時から日記つけてるんで。七年分」
それにはミツキも驚き、
「本当なん? 分かるん?」
「はい。それを日記に書いたこと自体は覚えてますし、日付は分かります」
ハヤトの言い方からして、ミツキが広島を離れた後にここへ来たのは確かだ。その事実は驚くに値するものだった。ただし、その人物が本当に緋堂本人だったのかは最終的に分からない。何らかの事情で別の人間が現れた可能性も捨てきれない。
しかし、それでもミツキには確信があった。確信の半分が切望であったとしても、それが緋堂ミツキであったことに揺るぎない自信があった。
(そういうことをしでかしてくれるのは、あいつしかいない)
その後ポツリポツリと言葉を交わしつつも演奏は続き、時刻は一時を回った。稼ぎは二人で五千数百円だ。ノルマには少し遠いが、今夜はそれを分けて終わりにしようと思った。
「ミツキさん、明日も出るんでしょう? 僕、日記調べておきますんで」
「ああ、ありがと。何がなんでもって訳じゃないけえ、分からんかったらそれでいいんよ」
荷物をまとめ、ギターを担いだハヤトが自転車にまたがる。
「じゃあ、明日!」
風のようにというのは、このことだろう。ハヤトはいつも別れ際に躊躇いがない。いつも『それじゃ!』と言い残して颯爽と自転車で消え去る。立つ鳥が跡を濁してばかりの旅に身を置くミツキとしては、羨ましいほどの清々しさだった。




