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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第二部・Early Times Ballad
25/33

西高東低・2

広島編です。

          西高東低・2



 広島一の繁華街と言えど必ずしも客付きがいい訳ではなく、通りすがりの人々は一瞬だけ視線を投げるばかりでミツキの前を無関心に通り過ぎて行く。


 ようやく立ち止まったオヤジはいたものの、


 ――「声はのお、腹から出すんじゃ! 喉で唄とうたらいけん!」


 と、自己満足の言葉をもらっただけでチップにはならなかった。


 路上演奏には様々な人種が集まり、似非ボイストレーナーのオヤジ以外にもこちらの意に反した珍客が立ち止まる。いわゆる『通気取り』だ。中でも厄介なのは絶対音感信者で、


 ――「お前、絶対音感を磨けよ。そうせんとプロにはなれんのじゃから」


 どこで聞き齧ったのか、あらゆる音を一瞬でオタマジャクシに当てはめることの出来る耳を持たないと成功しないというのだ。そうなるとプロ歌手の八割方が落第生ということになる。


 そういうオヤジにはどんな反論も無駄で、最後には、


 ――「それじゃけえお前は成功せんのじゃ」


 と、なぜか腹立たしそうに語気を荒げて去ってゆくのだった。


 ちなみにミツキに絶対音感はなく、あるのは人並みの相対音感だ。そして、それで何も問題はなかった。大事なのはギターの奏でる和音の中から正しい音符を拾い出して喉を震わせることで、ボーカリストにとってはそれが必須条件なのだ。それを思えば腹式呼吸のオヤジの方がまだ的を射ているだろう。


「さて……何を唄うかな……」


 意識して口に出すと、心なしか吹きつける風が冷たく感じられ始めた。一月の末なのだから当然と言えば当然なのだが、ひとり言というのはどんな時でも寒々しく響くものだ。


 そこへ、


「ミツキ! 儲かっとるか!」


 急停車したタクシーから声をかけてきたのはまた武藤で、いきなり缶コーヒーを投げてよこした。


「酒ばっか飲んどったらいけんで!」


 周囲を通る人が奇異の目で見るのも構わず、武藤は車窓に右腕ごと乗り出して笑っている。さすがに五メーターの距離で会話をするのも気が引けて、ミツキは苦笑いを隠さずもらった缶コーヒーを左右に振ってみせた。


「キョウジも向こうでやっとるで! まだ会うとらんのやない!」


 無言で通す訳にもいかず、ミツキは缶コーヒーを開けると、


「昼に一回会うとるよ! また後で合流するけえ!」


 オヤジに習ったばかりの腹式呼吸で答えた。


 すると武藤は満足そうに窓を閉め、後続の車へ割り込む乱暴な運転で走り去った。


 キョウジの話が出たついでに、と、ミツキは次の曲を選び出す。七年前、やはり広島で彼にもらった歌で、『月に恋をした』という歌だ。ただ、歌というのは本当に不思議な物で、唄い手が変わるとその表情をガラリと変える。弾き語りともなればそれは尚更で、だからミツキは逆に、キョウジの吹いていないハーモニカをイントロに重ねた。


 ミツキは唄う。それが彼の本分だとして、しかし今は緋堂ミツキのことを頭の中から払拭するために唄った。そして彼女へ初めて唄ったのがこの曲だったと思い出し、さっきから胸に疼くのが切なさだと知った。改めて、その頃に何も言えなかった自分の愚かさに舌打ちする。彼女と過ごした時はそのまま、彼にとって温もりと輝きの瞬間だった。それゆえに、彼女を思う時はいつも、手放した己の迂闊さを責めてしまう。


 唄い始めて一時間半。午前零時を目前に、ようやく小銭が入った。数人のサラリーマンがからかうように硬貨を投げていったのだが、その一枚が五百円硬貨だったことが気持ちを楽にした。言ってしまえば、冷やかしであっても小銭をもらえるだけマシだった。腹式呼吸のオヤジや絶対音感のオヤジを思えば腹に据えかねるほどでもなく、むしろ健全な路上のワンシーンだった


 ミツキは思う。この世界に、本当に自分の歌を必要としている人間などいるはずがない。立ち止まる人間は誰も、暇潰しに寄っているだけだと。


 零時を迎える流川通りは、終電へ急ぐ人並みが逆行を始め、表向きの賑わいを見せている。その中でミツキは、興味も関心もない通行人たちへと声を張る。唄う対象がいる訳ではない。もはやこうなると街に唄っていると言った方が正しかった。あらゆるストリートミュージシャンは詰まるところ、そういった演奏を強いられることがほとんどだ。足早に過ぎ去る九十九パーセントの歩行者を見送り、残り一パーセントのタイミングにかける。それは無類のギター好きのオジさんでもいい。『大変ねえ』と労をねぎらってくれるオバさんでもいい。他人の心の琴線に触れるまでの演奏でなくとも、一対一の人間関係が成立すればいいのだった。ミツキは歌に感動を求めないし、それを求めてくる相手も苦手だ。それが出来るのはたまたま誕生日だった客にハッピーバースデーを唄う時くらいなものだ。


 時に、『泣ける歌をお願いします』という若い女の子のリクエストがあるが、ミツキは深く考えず、手持ちのバラードを見繕って唄う。本気でそんな歌を唄おうものなら相手は途端に顔色を失くし、フェードアウトするように帰ってしまうからだ。


 一時期はそんな相手に唄おうと意気込んで作った曲もあったが、結局はありがちなバラードに落ち着いてしまい、ついに唄わずじまいでお蔵入りになっていた。そんな訳で、客のリクエストへまともに応じるのは時間の無駄だった。


 ミツキは唄う。出来るだけ心を消して、感情を悟られないように。


 そうこうしていると終電客たちの賑わいも去り、人影がまばらになった代わりにギターケースには少しずつ小銭が溜まってゆく。店の入れ替えの時間は、いちばんの稼ぎ時だった。


 また一人、道を渡って男性客が近付いてくる。ミツキはそれを逃さず、目礼で先手を打った。


「お兄ちゃん、何が出来るの」


 それはいつものありふれたやり取りで、


「最近は吉田拓郎も勉強してますが」


 五十歳ほどか、客の年齢層を見極めてこちらからリクエストを振る。


「じゃあ、落陽やってもらおうかね」


「はい、ありがとうございます」


 今夜一枚目の千円札をもらうと、ようやく心に余裕が出来る。さっきからの小銭も合わせればネットカフェ代にはなるだろう。


「さて、ここからは飯代か……」


 また小さくひとり言を呟くと、気分転換にハーモニカを付けた。


          *


 一時までの間に調子よく二千円をプラスして、ミツキは荷物をまとめた。合計で四千二百円といったところだ。


(久しぶりの広島だし、まずまずだ)


 コンビニへ寄り、キョウジには紙パックの焼酎でいいだろうと、発泡酒と並べてレジへ向うと、


「また明日もやられるんですか」


 宇多田という店長がにこやかに訊ねてきたので、


「家でも建てて安泰になるまでは毎日出ますよ」


 そう答えておいた。路上ミュージシャンに、基本休みはない。


 キョウジの演奏場所はミツキと逆に、流川を大きく北へ向かった飲み屋ビルの前だ。もちろん苦情の類で変わっていなければの話だが。


 苦情陳情の数でいくと、キョウジはミツキの三倍ほどある。何が悪いと言って、ほとんど唄いもせず酒ばかり飲んで通行人の目を虚ろに睨むという癖がいけないのかも知れない。妙に大きな荷物といい、ギターに描かれた旭日旗といい、傍から見ると、どう見ても路上ミュージシャンの風情ではないのだ。髭まみれのホームレスが路上に物をばら撒いて一人手酌で飲んでいるようにしか見えない。


 そんなキョウジが生き延びていることに広島の懐の深さを感じつつ、ミツキは見慣れた街を北へ進む。すると今夜は珍しく真面目に唄っているようで、遠目からもあのがなり声が聞こえてきた。


 ひとまず客が付いているようなので遠巻きに眺めていると、向こうの方が気付いたのか、


「ミツキかや! 早よう来い! 飲もうや!」


 と酒瓶を抱いたキョウジが手招きした。見ると昼間に手渡されたターキーの12年物は残り僅かだ。一万数千円があっという間だった。そして仮にも路上唄い同志の挨拶が『飲もうや』というのもおかしい気がする。


「お疲れ、今終わったわ」


 キョウジの前に立ち止まっていたのは二十代後半に見える女性で、合流したミツキとキョウジの顔を見比べて興味深そうな顔をしている。


「ユミさん。こいつ、ミツキ言うて、ワシの友達だけん」


 キョウジは相変わらずの米子弁鈍りで、どこか誇らしげに言う。


 それよりも、キョウジの口から友達などという言葉が発せられたことに、ミツキは時の流れを感じずにいられなかった。キョウジのやり方へことごとく口を挟んでいたミツキとは、下手をすれば犬猿の仲になっていたかも知れない過去があったからだ。


「じゃあ、また来ますね」


 様相が変わったのを見計らったのか、女性は丁寧なお辞儀と共に静かに立ち去った。長い黒髪の、細面の美しい顔立ちは、キョウジの客としては珍しい人種だった。


「ええ女じゃろ」


 いつにも増して相好を崩したキョウジが言うには、女性は一週間ほど前から立ち寄っているらしく、ターキーの差し入れも彼女からだという。


「珍しい人間もおるもんやな」


 ミツキが言うと、


「まあそがあなことええけ、飲も」


 と残り少ない酒を揺らした。


 午前一時を回った広島の街は決して暖かくもない。十人に訊けば十人が寒いというだろう。その真冬の寒さの中でのんびりと酒を傾けられるのは、やはり路上の住人だからだろうか。慣れというのは恐ろしいものだ。


「ええ子なんよ」


 と、とりあえず発泡酒とウイスキーで酌み交わした酒の行方は、今しがた立っていた女性の話になった。


「結構ええ歳やないん」


 あまり興味の乗らないミツキが言うと、珍しくキョウジは反論しなかった。女と言えば誰彼構わない性格は、あれからどうにかなったのだろうか。精神科に通っている三十代の女を相手にしていた時は『死ぬ』『死なない』と揉めていたはずなのだが。


「今度は違うんよ。寂しい人なんよ……」


 四方八方に伸びまくった髭を揺らして寂しげに語り始めたキョウジだったが、話を聞くと何ということもなかった。死んだ犬に目が似ていると言われただけらしい。


「キョウジお前、憐れんでもろうとるだけやないん」


「いいや違うんよ。あの人にはその犬しかおらんかったんよ。ラブラドールレトリバーのシェイクっていう犬でな、ワシも写真見たけど可愛かったで」


 そう言われればキョウジは人間よりもラブラドールレトリバーに近いと思ったが、ややこしくなるのでミツキは黙っていた。その代り、


「惚れたらいけんで」


 とだけ釘を刺した。すると、


「仕方なかろう……」


 と、柄にもなく静かにこぼした。ということは、すでに手遅れだということか。


「お前の歌なあ、『月に恋をした』って自分でも唄うとるやん。月はきれいに見えるけど、近くで見たらあばたでデコボコなんで。悪いこと言わんけえ、ようしてくれるお客さんで終わっとけよ」


 しかし、それでも、


「あの人は違う。そんなんやない」


 そう、頑なに言い張るのだった。


 そんな訳で、ギターは抱えていても近況報告ばかりの道端に立ち止まる客はおらず、気が付けば二時半になっていた。


「今日、どうするん」


 最後の煙草が消える間際に訊ねてきたのはキョウジで、


「ネットカフェ行くくらいは入ったけえ、いつものとこにするわ」


 が、


「サウナ行かんか。奢るけえ」


 キョウジは紙パックの焼酎をストローで吸い終えて言う。


「奢る言うて、お前稼いどらんやろ」


 キョウジがいつも開くギターケースの中には、小銭が数百円入っているだけだ。


 そこで、へへへ、と気持ち悪く笑ったのはキョウジだ。


「そがあなもん、これで充分やろ」


 キョウジが革ジャンの胸元に手を入れて取り出したのは、皺くちゃの一万円札だった。


「どうしたん。似合わんもん持ってから」


 ミツキは多少の驚愕を含めて、その金の出どころを訝った。


「どうした言うて、ユミさんにもろうたんよ」


 ユミというのはさっきの女性のことだろう。だとして、ミツキは余計にキョウジの誘いを断りたくなった。得体の知れない金で宿を奢ってもらっても寝覚めが悪い。


 そういった意味を込めてミツキは誘いを断る。


「俺はネットで調べもんとかあるけえ、また今度でいいわ」


「何で、そがあなん明日でええやん」


「とにかく金があるんなら、明日明後日の分にでも回しとき。ボチボチ宿に行くけえ、明日また」


「おう。昼過ぎなら明日もあそこにおるで」


 寒空に立ち上がったミツキは軽く身体を震わせ、いつものネットカフェへと向かった。今夜の雰囲気なら明日も程々には稼げるだろう。



 平日の空いたネットカフェにチェックインして、ミツキはひとまずブースの床へ転がった。最後まで嬉しそうだったキョウジには悪いが、例の女にきな臭いものを感じていたのも確かだ。


 特に歌が上手い訳でも顔がいい訳でもないキョウジに万札を出すほど入れ込んでいるのはどうしたものかと、去り際の横顔を思い出しながら考えていた。女は正直なところきれいだった。言ってしまうと、きれい過ぎた。それがミツキには他意のあることを匂わせてしまうのだ。


(かと言って、すり寄る魅力があいつにあるはずもないだろうに……)


 他人の心配にかまけている場合でもなく、ミツキはシャワールームの予約にカウンターへ立った。


 シャワーで暖まると気分が切り替わるもので、少々値の張る缶ビールをカウンターで買い、ミツキは頭にタオルを巻いたままブースへと戻る。


 昨日の夕方、久しぶりのログインを見せていたため、あちこちからSNSへ返信が届いている。その中に、


 ――ミツキさん久しぶりです! 今度、神戸でライブやりませんか?


 というメッセージがあった。


 相手は八年来の友人で行きたくない訳でもないのだが、正直この時期はやめて欲しいと思った。恐らくギャラもなく、真冬の神戸で凍死するのは御免だ。一度唄った三宮の東門街ではヤクザと一触即発の問答があったし、神戸に限らずヤクザの介入がある街は唄えない。


 ヤクザと言えば、この広島でも一時期そういった騒動はあった。シノギとして、若い衆が一日五百円ずつを徴収して回るのだ。たかが五百円だが、その当時は若いギター弾きが四十人くらいいたので結構な金額になっていたはずだ。


 ミツキはどうしていたかというと、断固拒否していた。


 ――「俺が困った時にホンマに助けられるんか? 飲み屋街の困りごというたら全部ヤクザ絡みやないん?」


 と、語気も荒く抵抗したため、渋々、といった感じで退散していった。その二人組は数か月後に捕まったらしいが、ミツキはどうしてあの時あそこまで抗えたのか、恐怖心はありながらも頑として断れたのはなぜなのか、不思議だった。


 濡れた髪をタオルで包み、ビールを片手にメールをチェックする。受信箱にあるのはポイントカードのサイトと、どこで調べたのか出会い系のメールばかりだった。


 それが済むと後はブログの更新くらいだったが、恐ろしく読者が少ないサイトのはずなので、これもまたやる気が出ない。それでも一年前までは月二回は更新していたのだが、気が付けば取り立ててブログに書くような新鮮なネタがなかった。今回の広島帰還も数日前に書いておけばよかったのに、今となっては手遅れだ。後は広島でも数少ないハヤトという歌唄いにだけSNSのメッセージを飛ばし、PCを閉じることにした。やはり最後に『緋堂ミツキ』を検索にかけて。



 熟睡したネットカフェを出たのは退室時間ギリギリの十時半で、おかげで髪がゴワゴワのままだった。それでもゴムで結べば形になるロン毛は便利だ。ミツキはこの二年、髪を切っていない。


 一月下旬の広島は、今日も快晴だ。吹く風が少し強いが、日向を歩くと少しずつ汗ばんでくる。


 新天地公園に寄ろうかと思ったが、昨日の面子に会うのもどこか嫌な感じがして元安橋まで足を延ばすことにする。そのついでに本通りのマクドナルドで百円のハンバーガーを四つ買った。


 本通りの屋根を抜けるとまた風が強くなったが、時間にだけは律儀なシンちゃんのモヒカンが遠くから見えた。いつもの酒屋に寄って発泡酒を買うと、ミツキはようやく元安橋へ向かう。


「早いじゃん!」


 そこまで声を張らなくてもいいだろうに、シンちゃんは橋の向こう二十メートルから声を上げた。


「朝飯買うてきたけえ、一緒に食おうや」


「うわ、マジで」


 ハンバーガーを渡すと、シンちゃんは腹を空かした子犬のようにがっつく。


「美味っ! ハンバーガー美味っ!」


「朝飯、食っとらんの?」


 あまりの食べっぷりにそう訊ねたが、


「卵かけごはん」


 と早口に答えた後、二個目のハンバーガーに手を出した。


 ところでシンちゃんは、これでも一児の父だ。昔ここで炭火焼きパーティーをやった時に、小学生の息子がやはり同じように肉に貪りついていたのをミツキは覚えている。ただ、園内のパトロールに注意されて、炭火焼きはその後橋の下に移動した。


「ああ、食うたわ」


「でさあ」


 ミツキはあまり食欲も乗らない食いかけのハンバーガーを持て余しながら続ける。


「キョウジの奴、最近会うた?」


「キョウちゃん? 二週間くらい見とらんけど。どしたん」


「いや、新天地公園の近くのビルに寝泊りしとるらしいんよ」


「それ捕まるで。誰かの部屋じゃなかったん」


 シンちゃんはさも愉快そうに言う。


「じゃろ? 俺も銭のない時は仕方なく雑居ビルに場所借りしとるけど、基本的に違法じゃけえね。しかも寝泊りだけじゃのうて、昼間っから集まって酒飲んどるんで」


「誰と?」


「シンちゃん知らんかいねえ、新天地公園の性質悪そうな連中」


「ああ、ヤスの」


「それもおった。それとDV姉さん」


「DV?」


「なんか顔に青痣作ってストッキング破れて上着の汚れた姉さん」


「そりゃレイプされとんよ」


 シンちゃんは笑って言うが、ミツキには想像がついていた。キョウジがリョウさんと呼んだ、ガタイだけはいい男だ。女はそのリョウさんに終始べったりとくっついていた。


 シンちゃんはハンバーガーを食べ終えると、路面にイラストを押さえるための石ころを探しに行った。『いつも使うもんなら持っときゃええやん』と言うと、『重いんよ!』と一蹴された。


 確かにキョウジも旅の荷物が重くなるのは避けたい。どうにか譜面の全部を覚え込めないかと果敢にチャレンジしたこともあったが無理だった。新しいのを覚えると旧い方を忘れてしまうというトコロテン状態に陥るのだ。


「ミッちゃんも唄うたら」


 小石を拾い終えたシンちゃんが、薄い色鉛筆画を几帳面に並べながら呟いた。


 なるほど、その手もあるかと、ミツキは数か月ぶりの昼路上に挑んでみるのもいいかと思った。ちなみに前回は去年の春、焼津駅の足湯のそばだった。


「じゃあ、向こう行くけえ」


 ミツキがギターを取ると、


「おう」


 と、革ジャンの腕を上げてシンちゃんが答える。


 ミツキはシンちゃんから十メートルほど離れた、橋の真ん中に陣取る。緩やかなアーチになった元安橋では、中央がいちばん落ち着くからだ。


(久しぶりだな……)


 この場所に限って言えば三年前か、とミツキはケースから取り出したギターを磨きながら思う。当初は毎晩毎晩の振るわない深夜路上の憂さを晴らすつもりで、稼ぎなど無視して唄ったものだ。しかし、結果はそれだけではなかった。時間のある人間はしっかりと聴いてくれたし、たまにはチップを置いて行く外国人もいた。


 昼の路上というのは夜と全く違い、自己満足でなければいけないのだと気付かされたのが広島で、それ以来、ミツキは昼と夜の顔を持つようになった。


 ひとまず譜面のページをめくりつつ、ミツキは自分の中にある夜の部分を少しずつ排除していった。空缶も紙屑も転がっていないその光景に溶け込める、健やかな魂を呼び覚ましていた。通りすがる人々の目を窺わずに済む、ケースの中の小銭を気にしなくても済む、明るい光に晒しても胸を張れるものだけを並べ、そしてギターを鳴らし始めた。

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