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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第二部・Early Times Ballad
24/33

南高北低・1

今回、「西高東低」は現在進行形。

「南高北低」は回想シーンの物語となっております。

混乱の在りませんように。

ではではスタート。

          南高北低・1



「あのね、ミツキ。実を言うと、宮崎は初めてなんだ」


 宮崎へ向かう昼の日豊本線の中で、打ち明け話でもするように緋堂が言った。土曜日だったが乗客はそれほど多くなく、大荷物を抱えた俺たちにも座れる場所はあった。


「実際の所、緋堂はどこを回ったんだ」


 俺は四人掛けの対面に座り、遠ざかる鹿児島の影を見つめながら訊ねた。


「最初は小樽から出たフェリーの着く舞鶴。それから京都の木屋町通り? 後は名古屋に静岡。静岡は細かく回ったよ。豊橋に岡崎に焼津に浜松、他にもいっぱい。都市間が狭いっていうのかな、それに天気もよかったし」


 俺は窓際に立てた缶コーヒーをひと口飲んで再び訊ねた。


「それがなんでいきなり九州にいたんだよ。普通だったら関東に流れるルートだろ」


 天気はすこぶる良好だ。


「なんかね、急に行きたくなっちゃったの。私って基本的に気分で飛んじゃうから」


 そう言うと緋堂は昨夜にもらったというミカンを剥き始めた。昨日の路上で鹿児島のオバちゃんにもらったらしい。


「これ甘い! ミツキも食べてみて!」


 緋堂ミツキは路上の絵描きだ。俺と同様、夜の繁華街で活動する旅のアーティストだ。出会ったのは熊本市内だった。その出会いがきっかけになり、今は同じ旅を共にする仲間にまでなっている。ただし、仲間は仲間だ。男と女の関係ではない。


 とは言え、お互い二十代の男と女ゆえ、同じ旅を続ける仲間としては難しい部分もあるにはあった。が、緋堂は女をひけらかす方でもなく、俺もまた彼女をよき路上のパートナーとして認め、時には利用させてもらうこともあった。彼女を連れていると、自然と人が集まってくるのだ。


 もちろんそれだけではない。


 緋堂とは熊本・鹿児島と、述べ十日ほど夜の路上を共にした。通行人から見れば、俺がギターケースを開いて唄う背後で彼女が絵を描いている構図だ。俺の長い旅唄い人生の中でもあまり例を見ないコラボレーションだったが、彼女の存在は売り上げに悪影響することなく毎晩の演奏を終えていた。逆に彼女のお蔭でチップに繋がることも多々あった。そこには常に俺の演奏を気にかけてくれている彼女の見えない気遣いがあったからだろう。そういう所が助かっていた。


 しかし、これは健全じゃないと、俺は熊本を一度は離れた。緋堂の元を離れた。次第に気にかかり始めた彼女のことをそれ以上意識せずにすむように、逃げるように鹿児島へ発った。


 その挙句、人生初の鹿児島路上は雨にやられ、体調を壊し、知り合った少年少女たちに引っ掻き回されて終わったという散々な結果だった。


「鹿児島、いい街だったねえ」


 不意に緋堂の口から放たれたのはそんな言葉だ。彼女は、俺が一週間どれだけ苦汁を舐めていたか知らない。そして、それはそれでよかった。この世に一人で身に受けるべき不幸があるとするならば、それは最初から誰とも分け合えないのだから。


「もうすぐ乗換だよ。駅で少し時間あるけどどうする?」


 俺は煙草さえ吸えればいいと思いながら、


「緋堂に任すよ」


 それだけ言うと網棚からギターケースを下ろした。


「駅のお蕎麦って気になるんだけど。ちょうどお昼時だし」


「任すよ」


「君、全然考える気ないでしょ」


 まったくその通りなのだが、それは言わないことにしておく。この十日間の付き合いで、彼女が意外と根に持つタイプだと分かったからだ。ホテルに一つしかないコインランドリーへ洗い物を放ったままにしていた時も、夜までグチグチ言われた。


 ――「だいたい君は計画性がないんだよ。行き当たりばったりで天気予報も見やしない。それって旅人失格じゃない?」


 静岡からいきなり九州へ飛んだ女に計画性を口にされると返答に困る。が、そこを突くとかなりややこしくなりそうで、俺は大方の計画を彼女に任せ、


「俺も駅で何か食うよ。上限は五百円だけどな」


「オッケー、私もそうする。宮崎で何があるか分からないからね。地鶏の炭火焼きも食べなきゃだし」


 そんな会話を乗せて、列車は速度を緩めながら都城の駅へと入ってゆく。


 俺はそんな時、こう思う。


 今日は通り過ぎてしまうこの街にも、どこか唄える場所はあるのだろう。今ならまだ、自分の気持ち一つで降車駅を変更出来るかも知れない。俺はどうしてそれをしないのか。


 手の届きそうなものに片っ端から手を伸ばすような問いかけは、けれどもほんの数秒で霧散してしまう。


「ミツキ、着いたよ」


 リュックを背に、イーゼルとパネルを載せたキャリーを引き、緋堂が列車を下りる。彼女と一緒にいられるうちは余計なことは考えないようにしようと、俺もまたギターケースを背負って列車を下りた。



 緋堂念願の駅蕎麦は、少しだけ関西風のわかめそばだった。荷物の多い俺たちは先にギターと画材の載ったキャリーを乗り継ぎの列車へ乗せて蕎麦を啜っていた。蕎麦屋が駅の構内から出た場所にあると聞いたので改札に出てもいいか訊いたところ、切符も見ずに了承が出た。


 緋堂はわかめ蕎麦が気に入ったらしく、


「美味しいじゃん、ねえミツキ」


 普通だろ、という率直な感想を口にするのも雰囲気が悪くなりそうで、


「俺は天かすがあればよかったんだけど」


 と、エビ天があるのに天かすがない矛盾に包まれたまま、ごぼう天うどんを啜り終えた。


 慌ただしい食事が終わると、彼女は、


「ちょっと電話してくるから。先に行ってて」


 そう言い残して店外へ出た。俺も表へ出て喫煙スポットを探し、一時間半ぶりの煙を吹かすと、まだ暖かな宮崎の陽射しにホッとする。


(モタモタしてると冬なんてすぐだからな)


 冬、という言葉が、路上ではとても大きな意味を持つ。冬の寒さはそのまま過酷さに変わるからだ。

この五年、サウナやネットカフェといった、夜を越すための手持すらない時は無人の雑居ビルへ忍び込んでありったけの衣類を纏って朝を待った。待つだけだ。気温十度もない冷蔵庫のような環境で寝ることなど出来ない。そして凍えながら朝を待って早朝営業のマクドナルドでコーヒーを頼み、暖をとり、固い椅子の上で一時間ほど仮眠をとる。時刻が十時になればデパートのエレベーター前でまた座り込み、警備員に注意されるまで目を閉じた。フードコートのあるショッピングモールではその締め付けも緩く、土地によっては朝十時から午後八時までを潰せる場合もあった。


 なんにせよ、そういったホームレス同様の涙ぐましい暮らしぶりにならざるを得ないのは、絶対的に路上演奏のチップが少ないからだ。俺は一晩でもらうチップの下限を三千円に決めているが、それがなかなか上手くいかない。熊本のように毎晩ノルマを達成できる街もあれば、鹿児島のように千円入ればマシという街もあった。決してそれぞれの街が悪い訳ではない。すべてはタイミングなのだが、そのあやふやなものを見抜かなければ路上で生きていくことは出来ない。千円しか稼げない夜を朝まで唄うこと――それしか出来ないという現実で乗り切ることもあれば、その土地に見切りを付けて手持いっぱいのたった五百円分の切符で移動することもある。そういう時の移動は睡眠に没頭した。終着駅に着けばまた同じ電車で折り返し、それを何度も繰り返してようやく目的地に着く。


 すべてはタイミングと知っていながらもそういった悪あがきをするのは、俺が路上演奏というものに未だ真剣に向き合っていないからだろう。唄い始めに必ず手が震える癖も、一曲ごとに酒を煽るのも、この商売に向いていないことの現れなのだ。


 ペットボトルの水を買って列車へ戻っていると、緋堂が赤いチェックのワンピースで戻ってきた。そのまま無言で画材の載ったキャリーを椅子に縛りつけて窓の外を見る。


 電話の後の緋堂は、いつもこうだ。極端に無口になる。


「宮崎は一番街ってとこが賑わってる商店街らしい。その近所に飲み屋街もあるみたいだから、また営業場所も近いかもな」


「うん……」


 動き出した列車にようやくこちらを向くと、


「宮崎、いい街だったらいいね」


 そう、緋堂がしみじみとこぼした。車窓には二筋の飛行機雲が見え、それはまだ見ぬ宮崎の空へと続いているようだった。


          *


「すごいね。南国だよ」


 始めて降り立った宮崎駅前では、いきなりヤシの木の並ぶ道路に目が釘付けになった。車の通りは少なく、立ち並ぶビルは先の方までくっきりと見える。空の青とヤシの木の緑のコントラストは、津市のフェニックス通りを思い出させた。


「下手すると鹿児島より南国っぽいな」


 俺が言うと、緋堂も写真を撮りながら相槌を打つ。


「早く荷物置いて散策したいな」


 その言葉に、俺は財布を開いて相談しなければならなかった。鹿児島での稼ぎは決して多いと言えず、彼女と合流することでようやく資金らしくなっていたからだ。そんな訳で、俺はすでに二日分の宿代を彼女から借りている。


 緋堂の路上スタイルは俺と違い、チップ頼りの運任せではなかった。数年貯めた貯蓄を切り崩しながらの旅だという彼女には、だからなのか出会った時から余裕が見えていた。


 ――「でも、これが尽きた時に私の旅も終わりなんだよ」


 それは北海道に残してきた男との約束なのか、親に言われたことなのか、俺には分からない。ただ、思いの外、彼女の描く絵は高額で売れ、旅の終わりを見るのはまだまだ先のことのように思われた。何にせよ、俺には始まったばかりとも言えるこの二人旅が健全に続くことだけが目的だった。この冬を越すこと、それは毎年の課題だが、今はまだそれを考えたくなかった。


 そんな葛藤をよそに、緋堂は目に見える宿へと手当たり次第に電話をかけていた。そういうことこそ先にウェブで調べればいいんじゃないかと思うが、


「それじゃ微妙な雰囲気が分かんないんだもん。レートも分かんないし。知らない土地なんだから歩いて探そうよ」


 と緋堂は言う。


 とりあえず調べていた一番街商店街へ向かうために、俺たちは駅の西口から見える小さな商店街を抜けることにしてみた。その辺りは駅でもらった観光ガイドである程度チェック済みだ。よくよく思うが、行き当たりばったりなのは俺だけでなくこの旅の常だ。


 しかし、それは仕方ない。緋堂も俺も目的地のある旅を続けている訳ではなく、見知らぬ街に下り立ってみて初めて、そこから目的の場所を決めるのだ。唄える場所。描ける場所。俺たちが探しているのはそれぞれの活動場所であり、それはどんな観光ガイドにも書いていない。確かに緋堂の言うとおり、歩いて探すしかなかった。


 案内所でもらった地図を見ていた緋堂がボソボソとひとり言を言っている。今歩いているのは若草通りという商店街だった。最近、全国各地で見かける、商店街とは名ばかりの寂しいシャッター通りだった。


「多分こっちっぽいんだけど……」


 地図と格闘している緋堂には悪かったが、俺は目線の先にアーケードの看板を見つけてしまう。


「あったぞ。一番街だ」


 二人で大きな荷物を運びながら横断歩道を渡ると、どうやらこちらは繁盛しているようで、異郷の地に来たのだという実感がようやく湧いてくる。途中の軽食屋に大好きなチキン南蛮ライスを見つけた俺は軽くテンションを上げるが、緋堂は、


「そんなの熊本で嫌ってほど食べてたでしょ。私のターゲットは地鶏の炭焼きなんだから、へんなとこで無駄遣いさせないでよ」


 鹿児島で五万儲けた奴とも思えない台詞だ。彼女の絵は大きいものだとA2サイズのパネルになり、その金額は三万円だ。実に俺のノルマで一週間分だった。ただし大作の場合そこには絵が仕上がるまでの猶予期間が含まれ、主に滞在費に消えてゆく。


「フレーム売ってる画商っぽいとこがあればいいんだけど」


「あれじゃないか。なんか店先に壺とか並べてるぞ」


 画商なのか骨董の店なのか、松墨堂と書かれた店先で俺たちは立ち止まる。緋堂はキャリーを俺に任せ、


「ちょっと行ってくる」


 そう言うと所狭しと売り物を並べた店内へ入って行った。骨董と言うよりは海外の土産物屋の様相で、ズラリと並んだ小物たちからはオリエンタルなムードが漂っている。


 数分すると、


「木製の額ならあるらしいんだけど、サイズが違うんだ。待たせてゴメンね」


 何の問題もない顔で笑うと、俺の手からキャリーを取った。


「次はミツキの歌う場所だよ」


 商店街を抜けるとまたヤシの植え込みが続いていた。急に雑多なビルと看板が増え始め、俺のアンテナはようやく仕事を始める。


「多分、こっちが飲み屋街だよ」


 俺は少し興奮気味で早歩きになり、緋堂を置いてけぼりにしてしまった。やがて路地を抜けた場所で立ち止まると、


(これだ。ここしかない)


 路面より一段高い場所へ建ったテナントビルは七階建て。この街の中央に位置しているようで、エントランスも広い。周囲も寿司屋に居酒屋にラーメン屋と賑やかな看板が並んでいる。斜向かいに天敵の無料案内所があるのが気にかかったが、そこは折れて構わないだろう。どの街でも客引きは路上アーティストに無愛想なものだ。


「決まったの?」


 息を切らしてキャリーを引きずってきた緋堂に頷くと、


「庇がないのが気になるけど、今日の所は大丈夫だろ。で、緋堂の方はどうなんだ」


「私? 私はもう決めたよ」


「やけに早いな。じゃあ、次は宿ってことになるけど」


「うん、それもよさそうなのがそこにあった。シングル四千五百円だって。ツインでもきっとそこまでしないよ」


 通りをほんの少し歩いただけでそこまで見ているとは、緋堂もやはり旅人なのだ。



 若草通りのドーナツ屋から左に折れた先にある潰れそうなホテルは、緋堂の言うとおり格安の宿だった。


「シングル二つでもいいんだぞ。鹿児島の最後に少し余裕が出来たからな」


「何言ってるの。六千八百円のツインを二人で割ってごらん。一人千百円も浮くんだよ?」


 有無を言わさずツインの部屋を頼む緋堂の顔を見るのは、もう五回目だ。


 じゃあ、とエレベーター前の販売機で発泡酒を買っていると、


「君はお金の使いどころがおかしい! 荷物置いて外のコンビニに行けば済む話でしょ!」


「分かってるって。分かってるんだけど、すぐにでもひと休みしたいんだ」


 枯れかかった観葉植物の置かれた、鬱蒼とした三階の廊下を突きあたりまで歩くと、ドアノブがヘンな方向に曲がっている部屋がある。


「おいこれ大丈夫か」


「大丈夫だよ、ちゃんと鍵差さるし」


「そういう意味じゃなくてさ……」


 脂に汚れたような白いドアを開けると、思っていた以上にコンパクトな設えが目に飛び込んできた。注目すべきはテレビがベッドの足元で棚に宙づりされたような形で据えられていることだ。


「私こっちね!」


 荷物を床に置くなり緋堂が指差したのはテレビのない方のベッドで、


「はいはい」


 俺は開けたての発泡酒を喉に流し込むのが精いっぱいだった。


「まだ見て歩くよね」


 緋堂が言っているのは街歩きのことだ。


「俺は弦の交換があるからやめとくよ」


「そう? じゃいいけど」


 実際は弦の交換など鹿児島で済ませていた。しかし今は、新しい街に到着して溌剌としている緋堂に合わせてゆく応力に欠けていた。まだいつまで続くか知らないこの旅の中、お互いに無理をした挙句、不揃いな心持で同じ時間を過ごすのは嫌だった。


 緋堂もそれを分かっているのか、


「じゃあ私、出てくるね。八時前には戻ると思うから」


「ああ、気を付けて」


 一人残った狭い部屋で、俺はカーテン越しの外を眺めた。すぐそばは白亜のビルで、きっと飲み屋の入ったテナントビルだろう。


(こういう所にずっと住めたらな)


 昼の間は街の掃き溜めのような場所でも、夜になれば端から端まで明かりが灯り、酒の匂いの中、酔客とドレスの女が闊歩する街。それこそが路上唄いにはお似合いの住処だと思うのだ。


(いや……無理なことは考えまい)


 俺は、一瞬過った理想を頭の中で掻き消した。それが無理なことは、もう自分で分かっている。俺はあえて渋滞を選び、幸せを遠回りして、ギターを鳴らしては手にする僅かなチップに一喜一憂しながら、そうして生きていきたいのだ。人が生活の中で感じる悲喜こもごもを小さな路上に閉じ込めて生きてゆきたいのだ。そうしなければ、生の実感が湧かないのだった。


 それに気付いたのはいつだったろう。もう三年になるこの旅を振り返り、その芽生えがもっと昔にあったことを俺は認めざるを得なかった。大学進学を専門学校に変え、卒業後にあてがわれた就職先を蹴り、バイトを転々とし、やがて路上ミュージシャンになった。それは目に見えない大きな流れに包まれていたようで、何かに麻痺した頭で自分の人生を自分のものとして感じることが出来ず、やっと見つけた手応えが路上の弾き語りだった。そこで俺は初めて、等身大の素直な喜怒哀楽を見つけることが出来たのだ。今さら、人並みの人生に戻れるとは思っていない。


 緋堂はいったいどうなのだろう。


 彼女のスタンスは『貯えが尽きた時に私の旅も終わりなんだよ』という彼女自身の言葉に尽きるのかも知れない。何がなんでも先に進まなければならない旅とは違い、彼女の旅は軽やかだ。言ってしまえば、稼げなかった街にも恨みは残らない。通りがかった街へ軽い笑みを残して次の土地を探すだけなのだろう。


 それはきっと彼女が、いつか来る旅の終わりをどこかで見据えているからに他ならない。彼女にとって旅の友は俺でなくてもいいのだ。逆に、俺の方こそ二人旅を受け入れてしまい、彼女のいる旅、というものに慣れつつあった。



「ただいま」


 と帰ってきた緋堂の手には鍵はない。


「あれ、開いてたっけ」


「オートロックじゃないみたいだしね。まあ、誰かいれば物騒でもないでしょ。


 物騒と言えばフロントの暗さといい、裏口で開け放たれたドアといい、このホテル自体が物騒ではあった。


「何か、面白いもんでも見つけたか」


「うん。色々とあったよ。それからね、たっくさん並んでるヤシの木、ワシントニアパームっていうんだって。大きくなり過ぎて、地元の人は植え替え問題で悩んでるらしいよ」


 それはまた大層なご当地ネタを仕入れてきたものだと感心していると、


「ギター、弾いてないの?」


 冷蔵庫からペットボトルを出して緋堂が訊ねてきた。


「ギター?」


「うん。ミツキって弦を張り替えた後っていつも練習してなかった?」


「ああ、いや、張り替える弦がなかったのに気付いて。近くに楽器屋があればよかったんだけど」


 すると彼女はベッドへ腰かけながらどうでもいいことのように、


「それっぽいのあったよ。駅からずっと国道沿いに歩いて、大きい交差点を一個渡ったとこに」


「どこまで歩いたんだよ。ま、その辺りにあるなら安心だ」


「でさあ、ミツキ。明日明後日の宿を考えておこうと思って」


「……ああ、そうだな」


 金のことになると分が悪い俺は、寝そべっていたベッドを起き出し、彼女と向かい合った。ベッドとベッドの幅が三十センチほどしかないので、妙な圧迫感がある。


「どう転がってもミツキは日曜移動したくないんでしょ」


「したくないっていうか、日曜日の夜に知らない街で演奏するのは勇気がいるんだよ。そりゃ天気でもよけりゃその辺で――」


「ダメ! それはダメだよ。私がいる限り野宿なんてさせないんだから」


「お前に付き合えって言ってる訳じゃないんだよ」


「それでも。私はミツキの旅に同行させてもらってる旅の初心者なの。色々と教えてもらうことも多いし、私はとにかく君を尊敬してるの。宮崎だって夜は冷えてくるだろうし、野宿なんて絶対させないんだから」


 という理屈で、俺が彼女に二泊分の借りを作っているのはそういう訳だ。


「で、どうしたいと」


 俺は不安定なテレビ棚を灰皿置きにして、カチリとライターを擦った。


「だからね、明日は日曜だしホテルの予約も少なそうなの。だったら明日も連泊するかは今晩の稼ぎで即決して、もしもお互い雰囲気がよさそうだったら来週いっぱいやってみないかと思ってさ」


 この自信はどこから来るのかと思ったが、悪い案ではない。お互いに手持を減らさずに済む一日四千円の身入りがある限り、宮崎に滞在しようというのだ。実入りがいいか悪いかは、正直なところふたを開けてみなければ分からない。が、街の構造を見る限り悪くないと、俺の中の直感が告げていた。それと同じ予感が彼女の中にもあったのだろう。


 時刻は六時を回り、隣のビルと大した隙間のないこの部屋にもオレンジ色の西日が射してくる。九州の日没は本当に緩やかだ。


「晩ご飯なんだけど」


 緋堂はポッキーを齧りながらテレビニュースを見る体勢のまま言った。俺はひと言、


「いや、いい」


「だろうね。じゃあ私も今日は終わってからにするかあ。宮崎地鶏は明日に持ち越しだ」


 夕方のニュースが終わりを告げる中で、お互いに無言で出陣前のチェックを始めた。緋堂は絵具の溶剤の匂いが強いからと言って、出し入れするのはパネルと組み立て式のイーゼルだけだ。



 午後八時になった。


「じゃあ、先に上がった方から合流だな」


「うん。ミツキも分かってるよね、さっきの骨董屋さん」


「ああ」


 緋堂はどうやらフレームを探していた一番街通りの骨董屋に交渉したらしく、店の前でやるらしい。音量を出さずに済む絵描きは、苦情の心配もなくアーケードで活動出来るのが羨ましい限りだ。


(とはいえ……)


 屋根も壁もない繁華街で唄うのが真骨頂の俺は、真っ直ぐに目的の場所へ向かう。

アーケードを左にそれた途端、煙と油と香水の混じったような下品な匂いが鼻を突く。しかし、それは決して不快な匂いという訳でもなく、この街が夜の繁華街として生きている何よりの証だった。ここへ営業場所を決めたのは正解だったようだ。


 心配はあった。まさか狙ったあの場所で地元のプレイヤーがギターを抱えていたら、という心配と、ライトバンを横付けしてたこ焼きの類を売るテキヤがいることだ。前者であれ後者であれ出来ることは場所替えだけだったが、狙ったところで唄えない悔しさは振り切れない。


 が、そんな心配をよそに、目を付けていた場所は空いていた。そうと決まればすぐに支度を始めるのが吉だ。


 案内所の黒服たちが暇そうに喋っているのを横目に、俺はギターケースを下ろし、リュックから譜面と譜面台を取り出した。    

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