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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第一部・ささやかな渋滞
22/33

22・夜明け

これにて第一部、終了です。

          22・夜明け



「そいじゃこの子たちば送ってくるけん。二十分くらい待っとってくれんね」


 ママは表に回した車へ二人を乗せると、


「なんか飲みたかったら勝手に何でも飲んで良かけん」


 運転席の窓を開けて豪快に笑った。


 鹿児島の最後の最後にホームを見つけた気分で、ミツキは表看板の消えた店内へ戻る。


 まだ半分あるロックグラスを小さく啜り、果たしてこれでよかったのかと思うことはある。


 週末の鹿児島の本当の勢いも見ずに終わることは、果たして旅唄いとして正しいのか。そんな思いをグラスの琥珀色に溶かして一気に煽ると、桜島の灰の味がした。気がした。


 右端にフランソワーズ・サガンの小説が並んだシックなカウンターで、ミツキはママに心で感謝しながら新しい酒をグラスへ注ぐ。初対面にして店を預けられるとは、俺の人徳もかなりのものだと。


 時計が一時を指すと、表に車が付くのが分かった。


 そしてドアを開けたのは、タッパーウェアを抱えたママだ。


「いやいや。お待たせしたたい。これ辛子レンコン、食ぶるね」


「はい、頂きます。熊本にいる時、あんまり食べてなくて」


「あら、そりゃよかった。お酒まだある? 私もこれで久しぶりに飲めるけんね。付き合うてくださいな」


 よく喋り、よく飲むママの話題は、やはりというか娘のルイのことだった。


「あげんな騙されやすか子はおらんとよ。こないだもキャバクラの勧誘に引っ張られそうになってさ」


「キャバクラって……ああ、キャバ嬢の方ですか」


「そうそう、キャバ嬢の。それが良かことしか聞いて来んで。すーぐに親子ゲンカよ」


「色々、興味のあるものが多い年頃ですからね」


「その興味がろくな方に向かんで」


 ひとしきりルイちゃんの話をすると、話題はミツキ自身のことへ移った。


「それで、ミツキさんはこれからもプロを目指して?」


「いえ。僕は路上演奏自体がプロの形だと思ってますから。CDデビューもテレビも関係ないです。ラジオには出たりしますが」


「はーあ、ラジオに」


「て言っても、知り合いがパーソナリティーやってるから、なんとなくですよ」


 その後も、はあ、とか、へえ、と感心されながら次の酒を作ってもらった。ママが手にしているのは芋焼酎のロックだ。その辺り、さすが薩摩女なのだろう。


「それで今、好きな方はおらすとですか?」


 新しいロックは角の立った立派なかち割り氷で、唇が切れそうなほどだった。ミツキはそんなウイスキーを口に含み、


「好きな人、というか、好きになれたらいいなという人なら、いるにはいます」


 そう言うしかなかった。ただ、そんな歯切れの悪い言葉はママに一刀両断される。


「そりゃもう、好きな人ばい」


 そのまま話は流れ、ママの好きな占いへと話題は伸びた。手相だけは苦手なミツキだったが、カード占いだと聞いてまず胸を撫で下ろした。ろくなことを言われた試しがないからである。


「えーと、まず何から見られますか」


「じゃあ……いちばん重要な健康から」


 ウイスキーをロックで四杯飲んだ奴の台詞じゃないなと思いながらも、ミツキはママのめくるカードをジッと見ていた。やがて、


「あら、大きか病気はなかよ。その代り、ちょこちょこ小さい怪我に気を付けた方がいいねえ。後、耳も大事にしなさい」


「耳ですか。これも商売道具ですもんね。気を付けます」


「それからこれもミツキさんの大事な運じゃろう。旅は、はあはあ、北の方じゃね」


「まあ九州の南端に来たんですから、後は北上するしかないとは思ってますが」


 と言いつつ、それが熊本なのか宮崎なのか、はたまた大分なのかも本当は分からない。


 が、次にめくったカードが悪かったのか、


「あららら」


 と言ったきりママが黙った。悪い占いは聞きたくないと思いつつも不安になって、


「何なんですか?」


 そう訊くと、


「待ち人よ、これがまた」


「はい……」


 思わず息を飲んだミツキに、ママは笑顔で答えた。


「すぐ近くにおらすごたっですよ」


「近くですか?」


 さすがにミツキもそれはないと思い、笑いながらグラスを傾けた。心の中の待ち人に見当は付きながら。


          *


「あら、もうこげん時間になってしもうて」


 ママがパタパタとカウンター内を行き来すると、時刻は四時前だった。


「ミツキさんは駅? いうてもこげん時間じゃ開いとらんでしょう」


「いや、連絡通路くらい開いてればなんとかなりますよ」


「それじゃ私タクシーで帰りますけん、そこのね、ソファーを繋げたら横になれるとですよ。鍵は預けますけん、帰りは玄関マットの下に置いとってください」


「いいんですか?」


「良か良か。たまに寝込んだお客さんにも同じことしますし、取られて困るもんはなかとです」


「それじゃあ……お世話になります」


「いいえいいえ。ビールくらいなら好きに飲んどって良かですよ」


 そう明るく言うと、彼女は呼んだタクシーで帰って行った。


 久しぶりに感じる静かな個室で、ミツキは早くも、


(またきっと戻って来なければならない。ここへ、鹿児島へ)


 決意めいた思いを胸にロックグラスを口へ運んだ。


 ママの旦那さんが思いを込めたという装飾。それは今後もママが現役を許す限り続いてゆくのだろう。


 ふと、ミツキは思う。歌という形にならないものを生み出し続ける自分は何を残せるのだろう。それはCDでもテレビ出演でもない気がする。


 早朝の四時に一人で心を埋めるにはちょうどいい自問は、そのうちに旅が答えを連れてくるだろうと打ち切った。きっと今までは旅の序章に過ぎなかったのだ。


 旅とは、終わらない道の上で、常に終わりが見え隠れしているものだ。


 僅かでも前に進めるのならば、それが目的地と違ってもよい。


 そうして変わりゆく目的の場所に翻弄され、それでも渋滞の道をひたすら前進することこそが、旅の本懐だろう。


 いつもいつも続く、先の見えない渋滞。


 いつもそれを抜けるためだけの忍耐力だけが必要だった。


 けれどそれは終わってしまえばささやかな渋滞となる。


 そう、ミツキは鹿児島への旅をまとめた。


 ママに言われたようにソファーを並べると簡易ベッドになった。そこへ横になると配管の通る無機質な天井が見え、ウイスキーにやられた頭の中で、自分の旅路が今どこにあるのか薄らと見えてくる気もする。


 三週間前。古ぼけた地図を見上げながら辿り着いたのは熊本だった。週明けの産業通りに荷物を投げては座り込み、延々と続く道の先を見据え、また重い腰を上げた。


 渋滞に巻き込まれた人々は、その先を信じてハンドルを握る。誰もが願う幸せに向かうため、たった一本きりの道でハンドルを握っている。幸せに辿り着く道がいくつもあるというのは、ミツキの中ではウソだった。幸せはたった一つのやり方の上に待っている。その道は間違っている、と誰かが耳打ちしようと、彼は渋滞の道を横目に自分の足で歩き続けた。渋滞こそを道標に変えて。


 午前五時。


 鹿児島の空は夜明けを迎えているだろうか。そう思いながら、これでひとまず最後になるはずの天文館を眺めに行こうかと、ミツキは瓶ビールを抱いて表へ出てみた。手ぶらになるとフットワークも軽いものだ。


 東の空はそろそろ白んでくるのだろうが、まだ星は煌めいている。天文館へ向かう路地はどこも明かりが消え、街全体が眠っているようにすら感じる。そしてそれが勘違いなのだと、いくつもの飲み屋街を歩いてきたミツキはもう知っている。


(どんな街も、本当は眠りはしない。眠ったような街の中で、何かがいつもひっそりと息づいているのだ)


 中国エステのお姉ちゃんすら声をかけてくれない午前五時、ミツキはただひたすら道を往く。やがて行き当たったアーケードの闇に埋もれるゲームセンターの前で、ただビールを煽る。そして、たった五日間の走馬灯はやけに短く終わった。


 この街の本当の姿を捉えたとは決して言えない五日間を、ミツキは後悔と酒で満たす。俺は何一つやれていないと。そしてそれも旅の在り方の一つだった。


 暗いアーケードの床にコンビニと牛丼屋の灯かりが鈍く反射している。垂れ下がった青いネットは蜘蛛の巣のようで、通りがかりの旅人が引っかかるにはもってこいだったろう。


 しかし、それがミツキの見た鹿児島だった。薄汚れた道と響き切れない歌。そしてそこには、いくつもの一人旅をこなしてきたプロの弾き語りはいなかった。そこにはただ、誰かの温もりが欲しくて手を伸ばしているだけの、一人の人間の姿のみがあった。最初からその願いを素直に受け入れていればと思い至りながらも、それはこの鹿児島だからこそ見つかった答えだったことが、今なら分かる。


 数日間世話になったゲーセン前で、ミツキは唄っていた時と同じように胡坐をかくとビールを飲んだ。そして煙草に火を点けた瞬間、彼の目には捨てられた一枚のポストカードが見えた。


 何げなくそれを手にした瞬間、胸に熱いものが走った。ミツキには、描かれたその絵に見覚えがある。黒を背景にピンクで描かれたハートの幾何学模様は、間違いなく彼女の絵だった。


 慌てて裏側を見ると、


 ――金曜の夜に唄ってないなんて最低! 黒服の子に名前聞いたらすぐにここって教えてくれたよ。気付いたらすぐに電話して! 何時でも!


 思わず溢れそうになる涙を堪え、煙草を消し、ミツキは迷わず公園の公衆電話へ向かった。灰にまみれて黒光りするアスファルトも、家出少年に偽物の詩人も、素顔を上手に隠した不良少女も、そんなものに溢れたこの街も、今は何もかもを許すことが出来た。ただ一つ言えることは、たった今、ミツキは長い長い渋滞を抜けた。動かないテールランプを見つめるだけの毎日から解放されたのだ。彼女に何を託すわけではない。何を望むでもない。けれどそこに彼女がいる、それだけで、彼には進む道がはっきりと見えた。


 突然降り出したスコールにも構わず、ミツキはアーケードを走り出た。消えたネオンの下を走り、サウナの前を通り過ぎ、公園の角を曲がり、まるでこの時のために溜まったようなポケットの小銭を弾ませて走った。


                             ――了――


第二部へと続きます。ご感想等あると励みになります。

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