19・七転び五起き
19・七転び五起き
コウタと並ぶ路上シーンに、正午までは動きがなかった。喉の復調していないミツキは十五分に一曲のペースで唄っている。
「ミツキさん、風邪なんて言わなきゃ分かんないっすよ」
途中でホットレモンを差し入れてくれたコウタへ頭を下げると、
「元が嗄れ声なんだよ。いっそのこと、これで定着してくれた方が楽だ」
「長渕なんて自分の声が嫌で焼酎でウガイしたとかも聞きますよね」
ミツキは今までに二度、声が変わった。一度目は広島で唄い始めた頃。ボイストレーニングも声の温め方も何も知らなかった時代、急に声が出なくなって路上を休んだ。その挙句当初よりクリアな声が出なくなっていた。それは大抵の人が通る通過儀礼なのだが。
もう一度がこの三年間の旅の途中だ。毎日の発声の中で、一度ギターへつけるカポの位置を間違えたまま唄ったらギリギリで唄えたことがある。おかしいなと思い、別の曲でも唄ってみると高く出る。そんな訳でいまや嗄れ声ハイトーンボイスで売っていた。
そこへ文化通りから駆けてきた子が女の子いる。あの艶やかな髪の女子高生はルイだった。
「ミツキさんオハヨー。今日は皆でやってんだ」
「ルイちゃんは学校休み?」
「あーん、毎日それ言わないでくださいよ」
背を向けたルイはコウタにべったりだ。
仲のいい二人をそっと見守り、ミツキは次の曲を唄う。とにかく昼の路上など珍しくて勝手が分からなくなっていたのだが、歌よりも楽器が鳴っている方が人は立ち止まるものだと思い出していた。そこへ、
「珍しか。流しさんのおじゃっど」
とミツキらの前へやってきたのは小さなお孫さんを連れたお婆さんで、他にも何か言ったのだがミツキには理解出来ない鹿児島弁だった。財布から出した千円札をお孫さんに握らせると、ケースへと入れさせた。
「ありがとうございます」
まだ演奏中のミツキが頭を下げると、小さな女の子は何度も手を振っていた。
コウタはその様子をひとしきり眺めると、
「さすがミツキさん。やっぱ違いますねえ」
と感心していた。ミツキに言わせればこうして二人で場所を取って目立っているお蔭なのだが、そう思ってもらえるならそれでもよかった。
その後、午後の一時前になり、コウタがトイレへ立った。そこへ、
「これはどういう意味なの」
と一人の婦人が色紙の前へ立った。
「あ、今ちょっといないんですけど」
困惑しているのは取り残されたルイだったが、
「いいわ。これ頂戴」
と、一枚の色紙を指した。そこにあったのは例の、
――生きてるだけじゃ 死んでるみたいじゃないか
の詩で、婦人は嬉々としてその色紙を手にした。
「おいくら?」
そこにはコウタのやり取りに慣れていたルイちゃんが、
「お手持ちの小銭でいちばん大きいのをお願いします」
そう答えていた。婦人は得心したように財布を覗き、ミツキのケースへ千円札を一枚置いて去っていった。
すべてが終わってから戻ってきたコウタがケースを覗いて驚いている。
「なんですか! また入ったんですか!」
「これはそっちの分だよ。後できちんと分けよう」
するとコウタは上機嫌で次の新作に取りかかり、ミツキは二回目のセットリストを持ち出してのんびりとした曲を唄っていた。十分に一曲のペースは保ち、その間にコウタと駄弁っていた。
「そういやルイちゃんのお母さんにミツキさんの話したら、なんかすごく会いたがってましたよ」
コウタは新作を書き終え、消しゴムで作った花押を押していた。新作の中身は、
――七転び五起き
だった。そんな脱力系の色紙を眺め、ミツキは煙草に火を点けて訊き直す。
「ルイちゃんのお母さんってスナックの?」
「はい。そう言う人、好きらしいです。俺なんかに優しいくらいですから、そりゃいい人ですよ。一回行きましょう」
「まあ、稼ぎがよかった日なら、ね」
「ぜひ来てください。サガンっていうスナックです」
というコウタは、すでに身内気分なのだろうか。旅人はあまりホームを増やさない方がいいと思っているが、それはミツキ自身が心に決めていることだ。こと詩の出来不出来より渡世術の方を極めているらしいコウタには、それが通用したものか分からない。
三時になるとルイは帰り、それぞれ微妙に小銭を増やした二人は一度精算に入る。
「二人って色々便利ですね。お互いに補い合う感じで」
「まあ、相手次第だよ」
そう言いつつ、ミツキは千八百円ほどの金を受け取った。
「夜もやるんですか?」
「ああ、そっちが本番だしね。コウタ君は?」
「俺も出ます。七時くらいでしょうけど」
「分かった。後で会おう」
そう言って吉牛へ向かおうとしたところ、コウタがギターケース越しに話しかけてきた。
「あの、ミツキさん。ちょっと話したいことがあって」
その雰囲気から、この場で言い難いことなのだろう。
「今から吉牛行くけど、その後がいい?」
「いえ、俺もそこで落ち合います。先に食っててください」
*
牛丼を半分掻きこんでいたところに、コウタは大きな荷物で現れた。あれだけの荷物がよく入ったな、と思わせるそのリュックは、ミツキよりも筋金入りの旅人を思わせていた。
「すみません、遅くなって」
「いいよ。とりあえず食えば?」
「そうっすね。大盛り一択で」
男二人で黙々とメシを喰らう姿はよく見る光景だが、食い物に集中する丼系は特にその侘しさが増す。そして、その侘しささえも男らしさに変えてゆく気がする。
「はあ、食いました」
ミツキが二杯目のお茶を飲んでいると、コウタが食べ終えたらしい。
「最近はルイちゃんのお蔭で食生活は潤ってるんじゃないの?」
ミツキがそう訊ねると、コウタは頭を掻き掻き苦笑いした。路上でもおにぎりやサンドイッチを差し入れられているのを何度も見ていた。
「彼杵さんには頭上がらんですよ」
ソノギ、というのがルイちゃんの家の苗字らしい。思えば九州に入ってから珍しい苗字に出会うことは多くなっていた。
「で、早速話なんだけど」
食後の余韻も何もなかったが、話があるなら早く切り出してもらいたかった。あえてルイちゃんのいない場所を選んだのなら尚更だ。
「その、今後のことなんすよね」
コウタの第一声は、しかし大まか過ぎて分かりにくかった。なので、
「ルイちゃんのことじゃないの」
話を見えやすくするためにミツキはその名を出した。
「そうなんです。やっぱミツキさんすげえっす。分かるんですかね、そういうの」
「分かるっていうか、一人ものなら大抵は金か女の話に落ち着くんじゃないか。しかもそれは旅人じゃなくても一般的にも」
「そうっすよね。そうなんすよね。実は今、ルイちゃんが親子喧嘩してて」
「喧嘩? 昨日、ウチに世話になったんじゃないの?」
「ええ。そこでなんかルイちゃん浮かれてて」
「浮かれて?」
「はい、酔ってて」
「酔ってて?」
驚くポイントがずれてしまったが、家の方針は他人がとやかく言うことではない。
「ええ、それで『私、コウちゃんと一緒に旅に出る!』って宣言しちゃったんですよ」
そういう子だったのか、と改めてルイちゃんのバイタリティーに驚いたが、
「それは要するに、ルイちゃんを立てればお母さんに申し訳ないし、逆だとルイちゃんが悲しむってことだよね」
「はい。話が早くて助かります。だからその、ミツキさんだったらどうするかなって、それが聞きたくて」
と言われても他人の事情に首を突っ込むにはミツキは子細が分からない。なんだかんだで、彼にも大人の台詞を口にするしかなかった。
「普通に答えていいと思うよ。女の子を連れて旅が出来る程に稼げる商売じゃないよって。ルイちゃんも毎日見てて分かってるんじゃないかな。それにまず親が許さないだろうし」
あまりといえばあまりにも普通な客観的意見に、コウタは黙り込んでいる。
「コウタ君に自信があったとして、無理な話だよ。そういう時のいちばん悪いパターンは稼げないコウタ君に代わってルイちゃんが『私あなたのために頑張る』なんて言いつつ、怪しい商売に手を出すことだよ。男と女ってそこが違うんだよ。『お前のためなら死ぬ気で頑張る』っていう男がいても、女の『死ぬ気で頑張る』とは訳が違うんだ。死ぬ気だろうと何だろうと男は嫌なことは一切しない。けど、女はするって言ったら何でもするんだ。ルイちゃんにそこまでさせたい?」
「いえ……そこまでは」
コウタは吉野家の湯呑みを、バーボンロックでも煽るように飲んだ。ミツキはミツキで、自分が吐いた言葉に打ちのめされそうだった。胸に過ったのはもちろん、大阪のケイコのことだ。
「コウタ君はさ、このままルイちゃんといたいけど、その方法がなくなってきてるだけなんだよ」
「そうです。そうなんです。俺の詩じゃメシも食っていけなくて、またどこか行こうかなって、でもそう思う度にルイちゃんと離れるのが寂しくなって……」
「どうして俺の詩じゃメシも食えない、って思うの? これまでもずっとそればっかりで食ってた訳じゃん」
ミツキはコウタの本音を引き出すために、あえて無茶な挑発をしてみる。
「それは……一人ならいいんです。新しいとこに行ったら気が紛れて、一日にあんパン一個食うのも必死な生活でも凌げるんです。でも一か所に落ち着く度に、このままでいいのかなって思うようになって」
その気持ちは心から理解出来た。見慣れた街での困窮した事態よりも、知らない街で路頭に迷う方が答えもはっきりするのだ。事態が好転せずとも、自分にはこれしかない、という道が示されるのだ。しかしそれは多くの危険を孕んだ行為だった。それが歓楽街に近ければ近いほど、家出少年のリョウのようになってしまう危険が多かった。
と、近くから電子音が鳴った。
「あ、俺っす」
コウタが探ったポケットから出てきたのはケータイだった。あまりにもその生活ぶりとかけ離れていたツールなので、そういう意味で驚いた。
が次に驚いたのは、
「ミツキさん、ルイちゃん家出するみたいです……」
通話は終わったのか、コウタはだらりと両腕を下げて呆然と呟いた。忘れていた悪寒がミツキの身を包む。




