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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第一部・ささやかな渋滞
18/33

18・浮浪者

          18・浮浪者



 ゆっくりとサウナで時間を稼ぎ、チェックアウトしたのは午後九時半だった。


 表へ出ると風は涼しく、いつものように客引きの姿が目立つ。残念ながら人通りの方は少ない。


(しょうがない。木曜日だからな)


 それを他人事のように眺め、スナック橘の通りを目指す。もう少し元気があればコウタの前を通ったのだろうが、今は目の前の稼ぎに集中したかった。


 表通りに比べると目に見えて薄暗い通りへ入り、ミツキはホッと息を吐く。酒場の隅に追いやられたようなその場所だったが、先客でも座っていたらどうしようかと思っていたのだ。旅の歌唄いはその思考も近い人間が多く、『ここでは誰もやらないだろう』と決めた場所で、翌日あっさりと他人が唄っていたということもある。そういう意味のため息だった。


 まずはギターを出す。すると、張り替えたばかりでまだ数曲も弾いてやっていない弦が愚痴でもこぼすようにボロン、と不機嫌に鳴った。


(まあ、そう言わずのんびりやらせてくれ)


 ミツキは心で呟くと、Eのメジャーコードを押さえた。張り立てのせいか一、二弦の張りが緩んだようだ。音叉を出して膝に叩き付け、Aの音を合わせる。それからD,次にGと順番に合わせてみるものの、耳の方がおかしいのかチューニングが合わない。なんとか六本すべてを終えるのに十分もかかってしまった。


(幸先悪いな……)


 ネガティブな考えは捨てようとミツキはギターを構える。曲は喉のコンディションを見るために、慣れたAコードからGコードにまで落とすことにする。


 そんな発声練習のような光景を晒していると、やけに人の声が聞こえてきた。天文館側からの角を曲がって来たのは六人の団体だった。


「おう、流しさんのおらすど」


 最も年配に見える男性がミツキを指差すと、


「ほら、きばれや」


 と小銭をケースに撒いた。その後も続々と後へ続き、


「ほらやっど」


「頑張れ」


 と、ケースはあっという間に小銭まみれになった。賑やかしにはちょうどいいと、ミツキも大声で答えた。


「ありがとうございます!」


 ミツキはいわゆる見せ金を置かない。何のこだわりがあるのかと聞かれれば、性格としか答えようがなかった。貰ってもいないものを置いて、さも入ったように見せかけるのが好きではないのだ。ただ、見せ金には重要な役割もあり、『お金を貰ってますよ』『ここに入れてください』というサインの意味もある。まあ、どっちにせよ堂々とギターケースを開けているミツキには無用のことだった。


 一曲目が終わり、声の調子は少しかすれるくらいで、キーには問題なさそうだった。サクラも入ったしようやく本番幕開け。と思ったところに、


「どうも」


 一瞬誰か分からなかったが、黒のスーツに身を固めて現れたのは、またしても家出少年のリョウだった。バイトを始めるとは言っていたが、よりにって黒服とは最悪のバイトを選んだものだ。


「俺、スーツとか初めて着るんですよ」


 唖然とするミツキに対し、リョウは誇らしげに立ち姿を決めてみせた。


「スーツ買う金があったらもっとまともなバイト探せよ」


 唾を吐くように言い捨てたミツキだったが、


「いえ、これ貸してもらってるんですよ。一日千円のレンタルで。いいとこなんです」


 リョウは嬉しそうに答える。


「バカか! 騙されてるんだよ! どこの世界に貸しスーツで金取る案内所があるんだ」


「でも、頑張れば一晩で八千円くらいなるんで」


「ならねえよ! お前みたいな素人がやる仕事じゃねえんだよ。やめろやめろ、そのうちミスったとかトラブったとかで賠償金取られるのがオチなんだから」


「はあ……」


 ミツキの剣幕にたじろいだのか、リョウはそのまま彼を通り過ぎるように文化通りへ向かって行った。


 小銭の花で勢いがつくかと思われた演奏につまらぬ水を差された気分で、ミツキは今夜最初の日本酒を啜った。紙パックの酒は喉に苦く落ち、体調が完全ではないことを暗に示している。


 三十分が過ぎ、そのまま何もなく一時間が過ぎた頃だ。いつもと違うネタでも探して気分転換を計ろうとした時。


(なんだ……)


 最新の歌詞ばかり収めている赤いクリアファイルに、見知らぬものが紛れ込んでいるのを見つけた。


(これは……)


 見覚えのある画風で大きく黒いハート模様を描いたポストカードには、電話番号と思しき数字が綴ってある。それは熊本で別れた緋堂のいたずらに決まっていた。いつの間に入れたのか分からず、電話番号を書いた意図も分からない。


 が、ついさっきまで投げやりになっていた気持ちに明るい光が差してくる。早くこの鹿児島を乗り切って、彼女へ電話を回せる身分になりたいと思った。


          *


 午前一時が迫っていた。


 身も心も、というのはこういうことかと、ミツキはくたびれきった身体を引きずるように天文館へ向かっていた。稼ぎは結局最初にもらった小銭ばかりが四百円ほどで、とても寝泊まりできる額には達していない。かといって病み上がり――その真っ最中の身、二時、三時とまで唄い続ける体力はなく、風邪気味の喉が明日には復活するか心配だった。


 天文館のゲームセンターへ向かうと、コウタの姿はもうなかった。


 ――「実は今日から泊めてもらう約束してるんですよ」


 確かそう言っていたが、果たして本気で世話になっているのだろうか。


 そう思った時、幾ばくかの嫉妬心が心に芽生えた。彼と自分にどれだけの差があるだろう。ジャンルは違えどその才覚はまだ自分の方にあると思っていた。しかし今、深夜のアーケードで行き場もなく途方に暮れているのは自分の方だ。


 ミツキは羨望の漂う逡巡を断ち切るためにコンビニへ向かった。それから発泡酒とカップヌードルを買い、レジ脇でお湯を入れると暗いアーケードの端で座り込んだ。発泡酒とカップヌードルの組み合わせは、幾度となく口にした組み合わせだ。佐賀で唄う場所が探せず数日を駅前で乗り切った時も、無一文で辿り着いた豊岡で小学生たちに小銭を投げてもらった時も、迷わず発泡酒とカップヌードルだった。路上で人の目も気にせずラーメンを啜っていると、それまで自分が隠そうとしていたすべてが剥がされていくような気分になる。悠々自適な自由人のフリも、音楽で生計を立てているという自負も、それがすべてまやかしであったことに気付く。自分はただのホームレスじゃないかと、まともなメシにさえありつけない、行き場もない、ただの浮浪者なのだと自覚せざるを得なかった。


(いいんだ。『そういうこと』はどうでもいいんだ。俺にとって大切なことはいつも、唄うことだけなのだから)


 冷たい発泡酒が喉を通して脳髄に回る。その心地のままミツキは眠りに落ちたかった。 


 コンビニ裏から段ボールを拝借し、彼はアーケードのシャッター前で寝転んだ。ネットカフェのブランケットは短く、身体を丸めなくてはいけない。それでも十月の夜のうすら寒さだけは凌ぐことが出来る。

時計を見つめ、緋堂のことを考えていた。やはり鹿児島は厳しいのかも知れない。熊本に戻って態勢を立て直した方がいいのではないか。


 色々と思い浮かぶことはあるものの、それにはこの街でしっかりと稼ぐ必要があり、泣き言を言っても始まらなかった。そして何より彼女へ傾きかけている何らかの想いを別のモノにすり替えた自分を自分で律した。



「兄ちゃん、邪魔じゃっど」


 騒々しい、配送の車に追い立てられて眼が覚めた。身体の隅々まで寒気がする。


 ミツキは黙々と荷物を下ろす配送員に頭を下げ、マットレス代わりの段ボールをつまみ上げた。


 配送車は白いボディに水滴を張りつけている。嫌な予感がしてアーケードの入り口を見ると、案の定の雨だった。この街はとことん、ミツキを追い込みにかかるつもりらしい。


 雨となれば、もう動く先もなかった。この狭いアーケードで時間を潰す以外何もない。事前に図書館や公共施設を調べていればと思ったが、今となっては後の祭りだ。


 昨夜に食べたカップラーメンから食欲は戻る気配もなかったが、今は食べておくべきだと思い、吉牛の朝定食を食うことにした。風邪の乗り越え方はいつも同じだ。少しずつ奪われる熱を補うよう、発汗する水分を絶やさぬよう、食事と水分を補給し続けるだけだ。


 昨夜の稼ぎからマイナスとなる出費を惜しまず、ミツキは牛丼屋の椅子で微睡む。それが今出来る唯一の体調管理だった。


 七時半から九時までを端の席で潰していたが、ミツキは思い切って外へ出た。


(難しく考えることはない。こうなったら唄うのみだ)


 まだ開店前のゲーセン前へ行き、アーケードの天井を叩く雨音を恨みがましく耳に流し、ミツキはじっくりと時間をかけながらギターを拭き上げた。まだ新品の音色を残してくれるギターにすべてをかけ、この日中を唄おうとしていた、乗り切ろうとしていた。日中の演奏は夜と違い、リクエストはほとんどない。通りかかる人々の心をなんとか揺らすことが大事になる。そのための看板は欠かせず、彼はさっきまで寝転がっていた段ボールにマジックインキで文字を並べ始める。内容は普段と変わらず、『広島の旅唄い ミツキユウスケです ヨロシク』と大きく書き殴った。人によっては『お時間あれば聴いていってください』『初めての鹿児島です』等々書くことも多様だが、ミツキは看板をシンプルに仕上げる。はっきり言えば、『広島』と書きさえすればよかった。それだけで、『あら遠くから大変ですね』と会話が生まれるのだ。生まれなくても小銭くらいは入る。


 午前十時。背中ではゲームセンターが開き、満を持して演奏開始の時間だった。そこへ、


「おはようございます!」


 元気に現れたのはコウタで、色つやの良い顔つきで小奇麗になっている。


「おはよう。ちょっと夜の上りが少なくて。場所借りるけどいい?」


「もちろんですよ。僕、仲間が多い方が気合入るんです」


 ミツキはコウタのそういう所が好ましかった。下手をすれば自分の売り上げに影響する問題だ。それを大らかな心で許せるのは彼の若さか、それとも性根の部分なのか。


「そういえばミツキさん。昨日リョウ君って見ました?」


 あまり口に出したくない名前だったが、ミツキは今日初めての煙草に火を点ける。


「ああ、バカみたいにスーツ着てやってきた」


「やっぱ来ました? ああしてみると少しカッコいいじゃないすか。僕、少し憧れましたもん」


 そんなものに憧れるな、とは言わず、彼はその話題が通り過ぎるのを待っていた。が、


「そういやこれ、落としていったんですよ」


 それが何であれ見たくもなかったが、顔の前へと差し出すコウタに目を閉じる訳もいかず、無精無精、開いた紙切れを見た。


「昨日の十二時くらいに来たんですけどね。で、そん時なんか落としていったんすよ。これ、歌の歌詞っすよね」


 確かにそこにはB5のノートにびっしりと下手くそな字が並んでいる。愛をください、愛をください、と。


「これ、なんとなくミツキさんが持ってる方がいいと思うんすよ」


「どうして?」


「多分、ミツキさんに唄って欲しくて書いて来たんだと思うんです」


「……」


 言葉が出ないミツキは苦い思いを消し去るために三秒だけ黙り、煙草をもみ消すと項垂れるように頷いた。それから預かったメモをリュックのポケットへ入れた。

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