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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第一部・ささやかな渋滞
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16・路頭

          16・路頭



 三日目の鹿児島の空には晴れ間が訪れていた。ようやくの青空だ。ミツキはサウナのチェックアウトからその足でコンビニへ向かい、例の公園へ向かった。


 ベンチへ腰かけて寝起きの発泡酒を浴びると、世捨て人の身が誇らしく思えてくる。思えてくるが、反動も大きい。


 昨夜は、何の夢も見ずに眠りを終えた。大阪の夢でも見るのではないかと思っていた予想はあっさりと裏切られ、安らかに眠りは明けた。出来得るならばあの顔を、と思う夢もないではなかったが、熊本を離れて三日目でそう考えることが恥ずかしくなった。


 緋堂ミツキのことを、考えていた。


 まだ熊本にいればよかったかと思う気持ちと共に――それは安定していた収入と街のインフラの都合もあったが、何をさて置き彼女への恩を返せていなかった。金では終わらすことの出来ない何かを、ミツキは彼女に感じていた。それが何なのか分からぬまま、彼は熊本を後にしていたのだ。


 久し振りの青空は目に眩しい。ピンスポットを全身に浴びているようだ。

 煙草を吹かすと、風が煙をさらっていった。銀杏の葉を微かに揺らすほどの風だ。鹿児島の秋はようやく色を帯び始めている。


 ミツキは、そういえば、とベンチの横へ置いたギターケースを膝に乗せる。先日の雨にやられて以来の弦交換だ。


 新品の弦の鳴りは、気持ちを大きく前進させる。それはボーカルにも影響を与え、澄み切った弦に誘われるように声のキーは一音上がる。前日までドの音までしか出なかった声がレまで出るようになるのだ。


 ラジオペンチを使い、ブリッジからピンを抜く。古い弦を丸め、新品の弦を張る。弦をペグで巻き取りながら音色を確かめる。張り立ての弦は透き通った音叉の音と共鳴し、どこまでも伸びやかに余韻を残す。


 六本すべての弦を替え終わると、ミツキはEのコードを弾き下ろす。それが鳴っていれば、何よりチューニングの終わった証明だ。


 弦も張り替えて久しぶりにすっきりとした気分も束の間、


「あの、どもです」


 現れたのは家出少年だ。しかもサングラスの方だった。


「なんだよ。頼むから俺に声かけないでくれ」


 が、リョウは更にこちらへ近付きながら先を続ける。


「いや、昨日は悪かったと思って」


 妙なところで義理堅いのか、その顔色は本当にすまなそうに見える。


「分かったらいいんだよ」


 ミツキは首を後ろへ曲げているのもいい加減つらくなり、顔を正面へ戻した。


「で、俺、バイト始めるんですよ」


「ああ、よかったな」


 ミツキはどうでもよさそうに答える。心からどうでもよさそうにだ。


「それで――」


 と、リョウが続けそうになったのをミツキは遮って言う。


「煙草ならないからな。お前も働くっていうんだったらそれくらい考えろよ。俺はお前に煙草を恵んでやるために稼いでる訳じゃないから」


 こいつにはそれくらい言わないと分からない。そういう意味を込めてミツキは言った。


 すると、リョウは背中越しに、


「はい……分かりました」


 と答え、次に遠ざかる足音が聞こえた。


(これでいい。これくらいでちょうどいい)


 誰に向けたとも知れぬひとり言だったが、それはどこかで心に影を落とした。まるで無抵抗なオタマジャクシでも握り潰した気分になるのだった。



 天文館公園での朝の休憩を終え、コウタがいるはずのアーケードへ向かった。


「おう、おはよう」


 アーケードへ着くと、学校へ行っているはずの少女――ルイといったか――がなぜかそこへ陣取っていた。下に広げているのはピクニック用と思しきディズニー柄のマットだ。


「あ、ミツキさん。チャす」


「あれ、俺って名前教えたっけ」


 面食らったミツキが言うと、


「コウちゃんから聞きました。歌がすごい上手いって」


 ルイはそう言うと、ミツキのギターケースをじっと見つめた。その熱い視線に乗じたのか、コウタもそれを後押しする。


「ミツキさん、唄ってくださいよ。ミツキさんが唄うとなんかこう、この辺がパーッとなるんですよ」


 ミツキは張り替えた弦の鳴り具合を確かめるのと、連日で湿気を吸ったケースの乾燥を名目に、その要望に答えた。曲はいつものレパートリーから、歌詞を見なくても唄える曲にした。


 すると、


「すごーい! 多分鹿児島でいちばんじゃないですか! 前に文化通りで長渕唄ってる人いたんですけど、全然本物って感じです」


 こういうのは臨場感勝負のところもあるため素直に喜べないのだが、若い女の子に手放しで褒められるのは悪い気分でもなく、そのついでにミツキは少女へ訊ねてみたところ、


「ところで今日って学校休み?」


「あ、サボリました。面白くないんで」


 簡潔な答えが返ってきた。


 どう返したものか悩んだミツキだったが、家の事情も個人の事情も分からぬままに口を挟むのはよくないかと、小さく頷くだけで終わった。よくよく家出人ばかり集まる場所だ。


 十二時。


「あ、アタシご飯食べに行く」


 そう言ったのはルイで、ミツキはコウタと共に彼女を見送った。


 その後しばらく話し込んだり、ゲーセンへ入ってゆく少年たちに睨まれたりしていたが、その合間合間に高齢の女性を中心にコウタの客が付いた。誰かが色紙を買った訳ではないが、それぞれ「頑張りなよ」と小銭を入れていた。


 そこは同じ路上アーティストのミツキも正直な気持ちで嬉しかった。嬉しかったのだが、その後のコウタの思いがけぬ発言で嬉しさは崩れ去った。


「やっぱこういう時ってバカのフリするのがいちばんなんですよねえ」


「バカの?」


 ミツキはすぐに問い直したが、


「ええ、裸の大将っているじゃないですか。で、少し頭の弱いフリするとオバちゃんたちって騙されるんですよ。コンビニで万引き見つかっても大抵これで大丈夫ですから」


 生きる知恵と言ってしまえばそれまでだったが、ミツキは深い闇へ突き落された気がする。なぜなら、反論すべてが自分へ返ってくるからだ。『広島から来ました』という看板も出したことがある。『これだけでメシ食ってますから』と同情を引いたこともある。そこに嘘はなかった、と彼は思うが、果たして酔客相手に金を巻き上げている自分とコウタがどれだけ違うか、実際のところは世間から見れば大差ないのかも知れない。


「ミツキさんは次どこに行くんすか」


 我に返ると、コウタが小銭の勘定をしながら話しかけていた。が、急に次と言われると答えに戸惑う。順番でいけば次は宮崎だ。そして大分、福岡と、つい一週間まで組み立てていたのはそんなルートだ。それが今、滑らかに口から出ない。なので自然と言葉も濁る。


「とりあえず鹿児島で稼げるようになってからかな」


「そうですか。宮崎メチャよかったですよ」


 コウタは言うが、ならどうして宮崎を離れたのだろう。ミツキはそう思う。よかった宮崎にもかかわらず、彼は今鹿児島にいる。それはなぜか。宮崎での滞在が困難になったからに決まっている。


「俺もミツキさんみたいに楽器勝負だったらなあ」


 ひとり言のように漏らすコウタに、考えるより先に言葉が出た。


「なんでそう思うの?」


 コウタは小銭を小箱に並べ直しながら答える。


「やっぱアピール度が違うっしょ。音が出てれば遠くからも分かりますし。後、やっぱミュージシャンてカッコいいじゃないですか」


 明快な答えに返す言葉もなく、しばし沈黙を持て余した。


「ミツキさん、稼ぐ時ってやっぱ一万とか入るんですか」


 屈託なく訊いてくるコウタへ答えない訳にもいかず、


「たまにはね」


 とだけ答えた。


「はあ、やっぱ違いますねえ。俺なんか二千円ですよ、二千円」


 コウタの言葉に、今度はミツキが食いついた。二千円といえばミツキの最低収入ラインより下だ。


「それで食って行けるの?」


 彼にしては珍しい直球だった。


「食えるのは食えますねえ。よく泊めてもらったり色々もしてるんで。さっきのルイちゃんとこ、実は今日から泊めてもらう約束してるんですよ」


 耳を疑う発言に愕然としたが、ミツキはその言葉の意味を問い直す。


「それって……親御さんも分かった上でってことだよね?」


 コウタは何食わぬ顔で答える。


「ええ、お母さんにはもう一回会ってるんで」


 ミツキはそれを聞いて、コウタのさっきの言葉を思い返した。


 ――「バカのフリするんですよ」


 そして、その意味をようやく理解した。コウタは要するに人の情に訴える生き方を選んできたのだ。書道の書も理解せず、詩の韻も残さず、目的と手段の逆転した、まさに倒置法で生きてきたのだ。彼の人生は生き抜くことのみに特化され、路上で何をやるかは後付けの手段に過ぎなかったのだろう。


 そんな答えに達したミツキは、これ以上その場にいるのが窮屈になり、ギターを担ぐとコウタへ告げた。


「じゃあ、俺行くから」


「はい! あの、水ありがとうございました!」


 また満面の笑みを見せるコウタを背中に、ミツキは再び公園を目指した。たまらなく緋堂ミツキの顔が見たくなった。あのヘラヘラとした丸顔が恋しかった。

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