14・家出少年
14・家出少年
熊本時間に慣れた頭には早過ぎる朝の十時前、館内放送が流れるフロントでギターを受け取ると、ミツキは鹿児島の街へと出た。まだ午前中は雨が残るという不穏なテレビの天気予報とは引き換えに、晴れ間こそ見えないが穏やかな天気だった。考えてみれば午前中はもうじき終わる訳で、予報の通り雨の足跡はあちこちの水溜りが教えてくれている。
さて、とギターを担いだところで行き場のないミツキは、その辺をブラブラと歩いてみるだけだった。
天文館文化通りは朝の顔で、それはどんな街にもある飲み屋街の裏側を見せてくれた。カラスの一団に電柱脇の汚物、それに息を引き取ったかのようなネオンサインたち。
ミツキにとっての大きな発見は、昨日、演奏場所を捜し歩いていた時には見えなかった広いグラウンドを見つけたことだった。今日は生憎の天気だが、晴れた日はいい時間潰しが出来そうな公園だ。
その公園で、ミツキは煙草を取り出して火を点けた。ベンチはまだ濡れており、座れそうにない。そこへ、
「すみません」
背後から声をかけられた。真っ黒なサングラスをかけた若い男だったが、当然、知り合いな訳がない。
それが、
「煙草一本もらえますか」
とやけに腰の低い態度で言ってきた。卑屈な笑いで頭を前後に振る姿は、以前原宿で見た募金箱を抱えるホームレスにそっくりだった。
夜のネオン街でのことなら『あんた誰にモノ言いよんな。ワシはもらうことはあってもあげるもんはなんもない貧乏人なんじゃけえ』と言い返せたのだが、見るからに怪しそうな男と会話するのも面倒臭く、無言で一本を抜いて渡した。するとライターはあったのか、
「へへ。すいません、どうも」
と嫌らしい笑いで火を点けた。
「音楽やってんですか」
またしても気安く声をかける男に苛立ち、
「俺はお前の友達じゃねえだろ。貰うもんもらったんならどっか行ってくれ」
と冷たく突き放した。
「あ、はい、すみません。あ、煙草ありがとうございました」
何度もこちらを振り返る男に唇を歪め、ミツキは苦くなった煙草を投げ捨てた。もうすっかり分かっていたことなのだが、市役所よろしく、こういう場所にいると必ず同レベルの連中ばかり集まる。どうせこの公園も晴れていれば昼間から酒でも飲んでいるオヤジに出会うはずだった。そしてミツキ自身、そういう場に慣れてしまっていた。
どうしようかと思い立ったミツキが次に向かったのは例のゲームセンターだ。さすがにこの時間からたむろしている学生連中もいないだろうと彼は読んだ。
そう思って移動したゲーセンだったのだが、彼はそこで思いがけぬ光景に出くわした。旅の最中と思われる青年が、大きな荷物の中から何やら路上へ並べているのだ。
(はあ……詩人か)
ミツキらミュージシャン仲間の中では揶揄したように『詩人』と呼ばれる、色紙に毛筆で文字を書く類の路上人が、ゲームセンター前の斜面を使って売り物をならべていた。
普段なら決して声をかけないミツキも、旅先の同じ街で出くわしたからには挨拶ぐらいと思い正面に回ってみた。
「こんにちは」
青年はミツキの挨拶で驚いて顔を上げると、一瞬の間を開けた後、
「こんにちは! もしかして旅人さんですか?」
人懐っこい顔で答えた。後ろに向けたキャップの下は、ほぼ坊主頭だった。客商売ならではの笑顔はしつこいほどで、ミツキはその眩しさに思わず目を逸らす。
「鹿児島、なんにもないでしょ」
青年は売り物の詩を並べながら、ニコニコと笑みを絶やさない。
「昨日来たばっかりなんだよ。君はこっちの方?」
すると青年は、ふるふると首を横に振り、
「関東の方なんすけどね。施設飛び出してきたんです」
「施設?」
何か重い話だろうかとミツキが身構えると、しかし青年は淡々と話す。
「児童養護施設ですよ。親がいなかったり虐待されたりした子供の。お兄さんは?」
「俺? 俺は広島からなんだけど、気が付いたらこんなことばっかり五年も続けてるよ」
「五年すか、すごいですね。俺なんかまだ初心者みたいなもんで、十八の時から一年やってますけど全然ですわ」
全然、というのは目の前に並べられた詩のことを言っているのだろうか。そこには、
――生きてるだけじゃ 死んでるみたいじゃないか
――マイナスを二つ合わせるとプラスになる まるで僕らのようだ
と、コメントを差し控えたくなる文章が、稚拙な毛筆で殴り書いてあった。
人のセンスは多種多様だと口をつぐみ、そのうち昼間の潰し方の話になったが、
「ああ。市役所だったらチンチン電車で二駅くらいですけど。でもまあ、行かない方がいいですよ。三十分置きに警備員が来て注意されますから」
なるほど。町は違えどやることは皆同じなのだと納得し、ミツキはとりあえず今日の行き場をあきらめた。そこへ、
「俺と一緒にやりませんか? 二人だったら二倍目立ちますし」
実はミツキも同じことを考えていた。悪い子ではなさそうだし、昼間の当てが出来るまで一日くらい付き合ってもいいだろう。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ええ。だからって四六時中演奏してろって訳じゃないですよ。目立ってナンボってことで」
「分かった。暇潰しに唄うことにするよ」
昼間の路上というのは経験がない訳ではない。夜の演奏で稼げなかった田舎町ではそういう行為に及んだこともある。駅の連絡通路で下校中の小学生に囲まれて難儀したことを思い出せば、少なくとも二人でいる今は気が楽だった。
そうと決まればまずは自己紹介で、
「俺はミツキユウスケ。二十七にもなって風来坊だよ」
「ミツキさん、メチャ先輩っすね。俺は今井コウタって言います。ヨロシクです」
それからミツキはギターを取り出した。ゲームセンターの入り口は間口も大きく、ミツキとコウタが二人で並んでも充分にスペースがある。ただ、改装中の天文館はお世辞にも人通りが多いと言えず、通行人はミツキとコウタの即席ユニットを不思議そうに眺めてゆくだけだった。
「そういえばコウタ君、天文館で絵描きの女の子見たことない?」
「いやあ、知りませんね。俺もまだ三日目っすから」
「そうか。ま、いいよ」
小一時間ほど、ミツキはたまに思い出したように唄っていたが、何も反応はないままだった。そのうち正午を回り、本格的に人通りがなくなった頃。
「コウタ君。俺トイレ行ってくるわ」
「コンビニじゃなくてもゲーセンにありますよ」
コウタは新作を書く手を止めて奥を指差す。
「いや、煙草も買うから」
そう言ってコンビニを目指した。
さして混雑もしていない昼のコンビニでトイレを終えて、コーヒーぐらい差し入れても罰は当たらないだろうとホットの缶コーヒーを二本買った。
「ああ! ありがとうございます!」
コウタはコーヒー一本に並々ならぬ感謝を示し、すぐにふたを開けた。
「こういうことしてると、人の温かさって身に染みますね」
と、缶コーヒーを手にしみじみと語る彼の目は、やけに遠くを見つめているようであった。施設というものがよく分からないミツキには彼の心中を察することが出来ず、場繋ぎのようにギターを弾くだけだった。
十二時半。相変わらず長閑な天文館だったが、ミツキの演奏中に老婆が一人、静かに百円玉を置いて行った。手を合わせて拝むようなその仕草はお賽銭のようで、コウタと小さく笑っていた。
そこへ。
「コウちゃん!」
コンビニの方から声が響いた。ミツキは、それがまさかさっきのサングラスだとも思わず視線を投げた。すると、
「ああ、さっきはどうも」
気まずそうな顔を無理にほころばせながら、男はコウタの前へ歩み寄ってきた。
「え、二人って知り合いなんすか」
事情を知らないコウタが訊ねてきたので、
「ちょっとね」
とミツキは無愛想に答えた。それから無関心にギターを爪弾いていると、二人はそのまま話し始めた。
「昨日、どうしたん?」
「五時までコンビニで。それで、へへっ」
「リョウ君、帰った方がいいって。家出の先輩から言わせてもらうけど」
「いや、帰ってない訳じゃないんですよ。親のいない時にちょっとは」
他愛ない話の中から、サングラスの名前がリョウだということ、家出中の身であること、コウタよりも年下であることが分かった。
その家出少年がまたしても話しかけてくる。
「お兄さん、すごいですね。ギターですか」
ミツキは何が嫌いと言って、ギターを弾いてる時に『ギターですか』と訊ねられるのが最も嫌いだった。なので、
「ああ」
とぶっきら棒に答えた。あまりの不機嫌さを読んだか読まずか、家出少年リョウは立ち去って行った。
「いつから知り合いなの」
ようやく息継ぎをするようにミツキが訊ねると、
「一昨日の夜っすね。家出してきたって」
コウタはそれが何か、という顔で答えた。
「あんまり、深い付き合いしない方がいいよ」
「何かあったんすか」
「別に……煙草ねだられただけだよ。ただ、あんまり深入りしない方がいいから」
「ああ、お金のこととかは困りますからね」
「そうだよ。ああいう奴はすぐ真似したがるんだ。コウタ君の横でそっくり同じことしようとか平気でやらかす」
「ははは、大丈夫ですよ。そんな簡単に真似出来ることやってるつもりありませんから」
笑い飛ばすコウタの言葉は正しく、リョウはそこまで出来る男ではなかった。しかしターゲットを変えれば別だと、その時のミツキには思い至らなかった。




