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西高東低‐南高北低  作者: 水銀塔
第一部・ささやかな渋滞
12/33

12・月に恋をした

          12・月に恋をした



「見て見て、天気がいいよ」


 そう言いつつカーテンを開ける音に背中を向けると、ミツキは外していた腕時計を見る。と同時に恨みがましく声を漏らした。


「……昨日のアレで、なんで九時に目が覚めるんだよ」


「分かんない。スッキリ起きちゃったんだもん。ミツキ、シャワー浴びるよね」


「その前に水をくれ……」


 緋堂に手渡されたペットボトルを喉を鳴らして飲むと、彼女が着替え終わっているのに気付いた。


 そんな白いブラウスの緋堂が、布団をはがしにかかる。


「まったくもう、ジーパンで寝ちゃって」


「生憎、着替えるとかそういう余裕がなくてな」


 ミツキは首を回しながら起き上がると、もう一度ペットボトルに口を付けた。それが彼女の飲みかけなのは量を見れば分かる。


 そのことをあれこれ言うより建設的に会話を進めようと、ミツキはベッドを抜けた。


「お望み通りシャワー浴びてくるから」


「じゃあ、十時前には準備済ませてね」


「連泊じゃなかったのか。そのつもりで昨夜は飲んだんだぞ」


 ミツキは重い頭を振り、指折り数えて驚いた。路上にピアニシモにここで、日本酒換算で一升飲んでいる。


「室内清掃があるでしょ。なるべく早目に終わって欲しいのよね。頼まれてる作品があるの」


「別に清掃は強制じゃないぞ」


「いいの。煙草の灰も増えてるし、空気の入れ替えもしたいから。何より外は青空だもん」


 どうしても彼を起こしたいのか、緋堂は五階の窓から外を眺めながら言う。


 仕方なく着替えをバッグから取り出し、ミツキはバスルームへ向かった。


 シャンプーをシャワーで流していると、もうずいぶん髪を切っていないことに気付いた。放置すれば年内にも緋堂へ追いつきそうだ。長い髪をゴムでまとめるだけのスタイルはセットも楽で嫌いじゃないが、唯一、乾かすのが面倒だった。


 十五分後にシャワーを出ると、緋堂は無心にスケッチブックを眺めており、ミツキを見もせずに、


「早いね」


 とだけ呟いた。


「男のシャワーはこんなもんだよ」


「そう」


 グレーのTシャツと相変わらずのブラックジーンズでドライヤーを当てていると、あらためて不思議な夜だったと感じる。旅人同士の出会いは色々と普通でなかったりするものの、こういうパターンは初めてだ。どこか浮かれ気分の足元を掬われないようにとミツキは考えるが、ここまで心を開いてくれる彼女を相手に詮索ばかりするのも気が引けた。鏡越しの彼女は鉛筆を手にスケッチブックへと走らせている。


「はい、終わりました。それでわざわざ日曜の朝に早起きさせた理由はあるんだろうな」


 するとようやくで緋堂は顔を上げ、


「もう早起きの時間じゃないよ。あのね、ミツキが言ってた河沿いに行ってみたいんだ」


 緋堂は立ち上がると、スケッチブックを閉じた。


          *


「そんな楽しいところでもないぞ」


 十月中旬の熊本は予想以上に暖かい。さすが火の国といったところだ。


 ミツキは何故かギターを持たされ、緋堂は緋堂でいつものキャリーを持ってきていた。ホテルで不用品を省いていたようだが、見たところいつもと変わり映えのしない物量だ。


 そんな緋堂が言う。


「なんでもないとこがいいんだよ。せっかくコンビニでお昼も買った訳だし」


 日曜日の三号線は相変わらず渋滞気味だったが、タイミングよく信号が変わったので荷物の多い二人はここぞとばかりに猛ダッシュして道路を渡り終える。


 桜並木の続く河沿いへ来ると空気も涼しく、これが春先ならあちこちに花見客がいたことだろう。


「そこから下りられるんだよ」


 ミツキが指したのはコンクリートの堤で、幅四メートルほどの階段が水面に触れるほど下まで続いていた。手すりも何もない、石段だけの無機質な階段だ。船着き場という訳でもなく、ロマンティックな要素は何もない。それでもミツキの知るところでは、晴れた日の夕方に高校生カップルが肩を並べたりしていた。前日彼が寝そべっていた段ボールの上へ。


「こんなとこ、あったんだ」


 緋堂はそんな場所にもかかわらず声のトーンを二段階跳ね上げ、嬉々として下りていった。


「おい、このキャリーどうすんだよ」


 白いブラウスに白いジーンズの緋堂が振り返る。


「ん? 持ってきていいよ」


「……」


 右手にギターを、そして左手にキャリーを持ち、ミツキは渋々と石段を下りる。


「はいはい、よく出来ました。ご褒美にこのビール飲んでいいよ」


「俺が買ったんだよ」


 言うなり、ミツキは彼女の手から発泡酒を奪い、心地よい音を立てた。


「すごいねえ。迎え酒なんて私の知る世界じゃなかったよ」


「酔い直すんだよ。世界との繋がりを取り戻すためにな」


 彼は意味ありげにそう言いつつも発泡酒の缶を傾ける。そこに有意義な思考は特に何もなかった。


「それにしても、これだけの街中にこんなとこがポツンとあるのは何でなのかな」


 石段の下に広がった十五平米ほどのコンクリートスペースを歩き回りながら、彼女が不思議そうに言う。それはミツキも気になっていたことだが、彼の場合、疑問より何より余計な他人に会わずにすむこの場所を愛していたので、深くは考えなかった。


「日曜じゃなきゃあそこの橋を工事する音が聞こえてさ、それが気持ちいいんだ」


 とは言うものの、


「でも、本当にこんなとこでいいのか。周りは草ばっかりだし、船が通る訳でもないし、五分で飽きるぞこんな風景」


 しかし彼女は早速イーゼルを立て、


「それでも君が気に入った場所でしょ。私もきっと好きになれるよ」


 根拠のない自信を口に、パネルを立てかけた。



 休日の熊本は穏やかな暖かさで、河原の二人を包む。今日が日曜日なのだと実感出来る日曜日はミツキにとって珍しく、その理由は背中を向けて筆を走らせる彼女にあるのだろうと思っていた。彼女の筆が描く白川は、金色の水面も鮮やかに光を跳ねている。


「そろそろ」


 そう言ったのは緋堂で、まだ一時間が過ぎた辺りなのだがもう帰るのかと思い、


「帰るか?」


 そう訊ねると、


「じゃなくて。そろそろ君の歌が聴きたい時間だと思ってね」


「よしてくれよ。今日は虫干しに連れ出しただけなんだから」


「ウソ。リクエスト受ける気満々で担ぎ出してたくせに」


「満々じゃないよ。それに昼間っていうのは歌が合わないんだよ。レパートリーにないんだ」


「唄ってくれたら私のクーラーボックスで冷え冷えのビールあげるよ」


「……一曲だけだぞ」


 すると彼女は筆を置いて手を叩く。


「だったらリクエスト。初めて聞いた曲」


「初めて? 何だったかな」


「お月様に恋をしてー、ってやつ。悲しい歌」


 よりによってバラードか、とミツキは程よく温もったギターを手にするとAのコードを押さえた。


「気乗りしなかったらすぐやめるぞ」


「えー、ダメだよ最後まで唄わなきゃ」


 すっかり筆を止めて聴きにかかる彼女の背中へ舌を出し、ミツキはイントロのハーモニカもなしでギターを奏でた。


 ――あんたが抱きしめてる その可憐な夢 誰かの腕に包まれて眠る頃

 ――おいら一人でポケットに隠した あんたへの歌を取り出しちゃ眺めて


 声の調子も分からぬまま、青い空に吸い込まれそうな気持ちでミツキは唄った。気乗りしない昼間の空、そして太陽。憧れては止まないものであっても、彼にはどこか居心地の悪さを感じさせるものだった。この歌を唄う時は、特にそう思うのだ。


 ――沼地で暮らす泥亀のくせに 夜空に浮かぶ月に恋をした


 ワンコーラスを唄い終えると、声は川面を越えて向こうの壁に跳ね返り、こちらへこだまするのが聞こえた。それをギターが追い、そのアルペジオは静かに消えてゆく。


 筆を置いて手を叩く彼女に、


「はい。おしまいだ」


 すると緋堂は素直に、


「うん。ありがと」


 そう頷いた。そしてまたパネルの絵へ向き直った。


 それからミツキは緋堂にもらったビールを開け、しばし煙草を吹かし、やがてギターを抱えたまま小さくこぼす。


「今の歌さあ、人に貰ったんだよ」


「うん。聞いた」


 それは深夜の出会いだった。広島の路上、まだ堀之内フォーカーズで唄い出した頃の話だ。彼の帰り道に、旭日旗でギターをペイントしたど派手なギター弾きがいた。それが髪も髭も伸び放題で、傍らに必ずウイスキーのボトルを置いているものだから、最初は遠巻きに通り過ぎるだけだった。が、そのうち悪い人でもないのかも知れないと思い、声をかけてみた。


 ――「こんばんは」


 ミツキは男の好きそうなウイスキーのポケット瓶を差し出しながら言ったが、


 ――「お前、こがあなんじゃ一分でなくなあで」


 と苦言を呈された。しかし拒否はされなかったようで、やがて毎晩三時頃をそこで過ごすようになり、ある時『月に恋をした』を聴いた。今どきありそうでなさそうな純粋なバラードに心打たれたミツキは、こう口にした。


 ――「いい歌ですね……僕も唄ってみたいです」


 すると男は、


 ――「やめえ。お前みたぁなペーペーに唄えるか」


 その口調がブルーズのオヤジに似ていたので、やっぱりこの人は悪い人じゃないと勝手に思い、翌日オールドパーのボトルを手土産に持って行くと、


――「ええんよ、ええんよ。どんどん唄いんさい」


 今度は満面の笑みで、翌日には手書きの歌詞とコード符を書いてくれた。


「結局、いい人だったんじゃない」


 ミツキの昔話に相槌を入れていた彼女が、しみじみと足元を見つめる。


「それがさ、ある日酔った口から聞いたら、実体験だったんだ」


「それは、ダメなことなの?」


「ダメって言うか……」


 ミツキはそこまで話す義理もなかったのに口を滑らせた自分を呪い、


「若い時に、大きい自動車事故を起こしたらしくてね」


「まさか……その相手を……?」


「ああ、本人曰く、一目惚れだと。ひどい事故だったらしくて、相手にも下半身に大きな障害が残ったらしい。けどさ……普通、そういう時ってそんなこと考えないもんだろ? 誠心誠意詫びて、頭を下げて、それでなんとか帰れるもんだろ。それをさ」


「……」


 緋堂は何か考えるように筆を宙へ走らせ、そのうち言った。


「それはそれで悲恋だよ。救いようがないほどの」


「……だよな」


 それから二人は微かな風に吹かれ、筆を走らせ、煙草を吹かした。明日は鹿児島へ向かうのだと思うと、それこそミツキには現実感がなかった。

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