11・午前三時の追想
11・午前三時の追想
彼女は二日目に、ケイと名乗った。
――「ほんまはケイコなんじゃけど、田舎臭いじゃろ? コは捨てたんよ」
名前より何より、その広島鈍りのギャップが見た目と大きくかけ離れ、いかにも今どきの彼女にはどこか微笑ましさの方が勝った。
――「ミツキはあんまし広島弁喋らんのじゃねえ」
――「なんていうか、親がこっちじゃないからさ。それで自然と」
ミツキ、と呼び捨てするのはどうかと遠回しに一度伝えたのだが、
――「ええやん。ミツキって芸名にするんよ。ミュージシャンぽいけぇ」
そう言い放つ彼女に負けて、その呼び名を許している。年齢差にして七歳。ミツキも含め、二十歳を越えたか越えないかが大きな意味を持つ年頃だった。
何につけてもあっけらかんと答える彼女に、ミツキは好奇心と共に愛着を覚えていた。自分で言うと気恥ずかしかったが、初めてのファンが出来たようだった。彼女と出会って四日目のことだ。
――「ケイちゃんってさ、家の人とか心配しないの?」
いつも午後十時を回ってやってくる彼女が心配で訊ねたが、
――「大丈夫よ。ウチのママ、本通りのアーケードの方でレストランやっとって。ママが帰るまで時間潰ししとるだけじゃけぇ」
なるほど、生粋の街っ子という訳だ。ミツキはそう思うことで、自分を納得させた。そうでもなければ未成年の深夜徘徊を手伝っているその身がもたなかった。
そんなケイコも、十一時半を回ると門限が来るのか、
――「じゃあ、ウチ帰るけぇ」
と残し、一目散に交差点を駆けてゆく。きっと根は真面目な子なのだろう。そう思いながら滞っていた演奏準備を始めると、ギターを抱えた。
この数日、堀之内フォーカーズの敷地から離れて唄っているが、上りはまずまずだった。集団で唄っていた時には越えなかった三千円のハードルを軽く越え、昨日は水曜日だというのに五千円のチップをもらっていた。これならいける、一人で大丈夫、そんな自信が着実に実っていた。
しかし、何もかもが上手くいきそうだった場所へ、ついに天敵が現れた。
――「おう! どうしたん、ミツキ! 体調悪かったんやないんか」
現れたのは堀之内フォーカーズのリーダー、阿保だった。
――「いや……もう大丈夫です」
――「ほぉかほぉか。ほいじゃ、後からハンコ屋前に寄りんさい。精算もせにゃいけんけえね」
阿保はにこやかな顔を崩さず、ミツキのギターケースを覗きながらそう言った。
――「清算って……でもこれは俺が――」
しかし阿保はミツキの言葉を遮る。
――「場所は変わっても同じ堀之内フォーカーズのメンバーなんじゃけぇ。それがスジじゃろ」
何てことだと、まるでヤクザの言い分だとミツキは憤った。しかし、どこかで踏ん切りの付いた気がして、阿保の言葉へ静かに頷いていた。
午前零時。
結局、一円たりともごまかしていない四千五百円のチップを手に、彼はタイジたちのいるハンコ屋前に向かった。そこではオッくんとタイジ、それと見かけない若い少年がギターを抱えていた。
――「ああ、ミツキさん! お疲れっす」
――「向こう、どんなですか」
事情を知らないタイジとオッくんは、笑顔でミツキを迎える。
――「いや、あんまりよくもなくて。で、これなんだけど置いてくわ」
ミツキが自分で稼いだ四千五百円をケースへ入れると、
――「ちょ、何ですか」
――「詳しいことは阿保さんから聞いてくれ。それと俺、今日限りでフォーカーズ抜けるから。今までありがと」
まだタイジが何か言いかけていたが、長居をして阿保と顔を合わすのが嫌だった。彼に会ってしまえばまた上手いこと言いくるめられて、体のいい収入源にされるのがオチだ。
本通りアーケードを平和公園方面へ向け、電話ボックスに入った。ケイコのPHSへ電話したのは午前一時近かった。
が、コールはすぐに繋がる。
――『公衆って、ミツキじゃないん? どうしたん』
初日に教えられていた電話番号へは、これが初めての電話だった。
――「うん、俺だけど。今、大丈夫?」
――『ええよ。大丈夫』
彼女から『大丈夫』という言質を取った彼は、長くなるのを覚悟で阿保の一件を話した。小銭は数日の間に稼いだ十円玉が三十枚ほどある。
――『それってヒドイやん。要するに横取りじゃろ? 最近阿保っちさんおらんからおかしいとは思っとったけど』
――「それでさ、大阪の件お願いしようかと思って」
――『うん、ええよ。いつがいい?』
――「出来れば明日にでも」
それは揺るぎない本心だった。が、いきなり明日は気が早かったかと思っていると、
――『分かった。ほいじゃ明日の昼くらいに駅で待ち合わそうや』
十代のフットワークは鮮やかで、明日の約束がもう決まった。
ミツキは難なく決まった広島脱出に、思わず電話ボックスでへたり込んだ。
(こんな……たったこれだけで未来が変わるなんて)
翌日に向けて出来ることはギターと衣類の用意くらいで、彼は他のことに思い及ばなかった。両親にも、一緒に旅へ出たがっていたタイジにも申し訳なかったが、何も告げない旅立ちにしたかった。それが、いつ終わるとも知れない旅にお似合いだろう。
*
三時を回ってようやくテンションの落ちてきた彼女は、赤いTシャツの上からボリボリと腹を掻き、色気の欠片もなかった。それを指摘すると、
「眠くなるとね、なんだか……。だから、そういうお淑やかキャラのが好きなら最初に言っといて」
飲み干した三本目のワンカップをベッドのサイドボードに置き、彼女は白いシーツへ大の字になった。なかなか出るべきところは出ているようで、色気がないという言葉は撤回してもよかった。
「ヘンなこと考えてるでしょ」
「いいや、別に」
ミツキはワンカップから解放され、再び発泡酒を飲んでいた。とことん今夜は酔わない日だ。
「じゃあ、そのケイちゃん? とはくっつかなかったの?」
「歳の差が大きくて、な」
「ふうん」
もちろん、何もなかった訳ではない。十七歳と二十四歳に恋愛感情が生まれたとして、それがたとえ他人事だとしても、事故だ。一向に不思議はない。
かといって、それをここで吐き出すことに意味はなかった。今は何より、ヨガの瞑想でも始めたのか、ベッドの上でグルグル回ってる緋堂をどうにかするべきだった。
「眠いんなら寝ればいいだろ。せっかくのツインだ」
「じゃあキングサイズのダブルにすればよかった」
「念押しとくけど、そういうの絶対アウトな」
緋堂はヨガをストップしてこちらを向き直る。
「なによ、そういうのって。一人旅が続くと、ちょっと人肌恋しい時もあるじゃない」
「それは一人旅に向いてないんだよ」
彼が真顔で言うと、
「人肌恋しい時もあるじゃん」
彼女はぶっきら棒に言うが早いか、こちらのベッドへ転がってきた。そしてふわりと甘い香りを振りまきつつ、四つん這いになった。
「ミツキって学校は?」
今さらながら基本を押さえた質問に、
「高校出た後は専門学校。後はほぼ職歴なし」
彼は事務的に答えた。
だが、またもや空白の出来た時間に、
「そういう時は相手のことも聞くの」
と緋堂が言う。
「はいはい。緋堂は学校出て、何で美術系の仕事に就かなったんだ」
「あれ、そんな話したっけ」
「俺がピアニシモで一生懸命唄ってる時にな」
「ははっ、ゴメンゴメン。で、私の話なんだけど」
眠気も飛んだのか、彼女は右手にワンカップを復活させて続ける。
「私も似た感じだよ。短大出てすぐ地元の印刷会社に勤めたんだ。最初は絵と並行してたんだけど、何かモヤモヤが募って仕事は二年で辞めちゃった。で、半年前に思い立って、少ない貯金を切り崩しながら今の生活に至った訳。彼氏には言ったけど親には言わず。あ、だから旅人一年生だよ。ミツキのかなり後輩」
「最初から上手くいったのか」
時計を見るともう三時半だった。が、明日の予定もないミツキは、もちろんこのままここへ世話になるつもりだ。家主がいいと言うのだから問題ないだろう。酔った勢いでなるようになっても、それは誰のせいでもない。
「それがさあ、私ツイてるんだよねきっと。初日からいいお客さんが付いてくれて、そんで気をよくしてまずは京都に飛んだよ」
「飛行機か?」
「ううん、フェリー。小樽から出てるんだ、舞鶴行きが」
その航路なら、ミツキも使ったことがある。大阪を出た最初の目的地が小樽だった。
その後、めでたく酒もなくなり、お開きを迎えた午前四時、
「そろそろ寝るか。お前はシャワーでも浴びるんだろうが、俺は明日に回すよ」
「そう? じゃあそうする。今日は広いベッドでぐっすり眠ってくださいな」
ああ、と答えた後の記憶はない。シャワーの音さえ聞いていない。どこかで気が張り詰めていたのか、気が付くと夢の中だった。
『私も一緒に旅しちゃダメかな――』
どこかで聞こえた気がしたが、すでにミツキは眠りに落ちていた。




