Episode8 「パーティー」
横島健吾の社長就任記念パーティーは、暮明町郊外に位置するイベントホールを完全に貸し切って行われていた。タクシーから降りた二人は、緊張の面持ちでホール入口へ向かう。
「佳代子さん、僕のネクタイ曲がってませんよね?」
「ええ、大丈夫よ」
二人はお互いに服装を確認しあった。
勇気はぴっちりとした黒いスーツに青いネクタイという装いだ。短めに刈り揃えた黒髪は整髪料でべったりと押さえつけられ、つやつやと光沢を放っている。
それに対して隣の佳代子は、無地の赤いドレスに身を包んでいた。胸元と背中には控えめにスリットが入れられており、あまり派手な印象になりすぎないよう配慮がなされている。靴は厚底のハイヒールで、歩くたびにカツンカツンと小気味良い音を鳴らしていた。
二人が会場に足を踏み入れると、そこには既に政治家や有名なアーティストなど、多くの著名人が顔をそろえていた。皆手にシャンパングラスを持ち、椅子などは無いので立ったまま談笑にふけっていた。そして床には深紅のカーペット、天井にはまばゆく煌めく巨大なシャンデリアという豪華な会場で、勇気はまるで映画の世界に入り込んでしまったかのような錯覚をうけた。
「凄いですね、ここ……有名人ばかりいますよ」
「勇気君、こういうパーティーははじめて?」
「ええ、父さんはあまり派手なパーティーとかが好きではなかったので」
佳代子はふっと微笑んだ。
「社長らしいわね……ほら、あそこを見て」
彼女の視線の先には、会場の隅であわただしくセッティングを行う記者団がいた。
「勇気君も後で彼らから取材を受けることになると思うけど、とにかく当たり障りのない受け答えをするように気を付けて」
「はい、わかりました」
勇気は力強く頷く。そんな二人の元に、シャンパングラスを複数プレートに乗せたウェイターがやって来た。白いシャツに黒い蝶ネクタイを締めた、清潔感のある男性だ。
「いらっしゃいませ、シャンパンはいかがですか?」
「ああ、どうも。いただくわ。こちらの方にはソフトドリンクをお願いします」
彼女はウェイターからグラスを受け取りながら言った。
「かしこまりました。少々お待ちを」
それを聞いたウェイターは一礼をし、機敏な動きでその場を離れる。
「……どうしよう佳代子さん、僕凄く緊張してます」
勇気は自分のネクタイに手を添えながら、辺りをそわそわと見渡した。佳代子はシャンパンを片手に、彼をやんわりとたしなめる。
「落ち着いて、勇気君。この会場にいる誰もが自分のことを注目しているように思うかもしれないけれど、実際はそうでもないものよ。皆他人のことなんて大して気にしてないの。だからもっとリラックスして大丈夫」
彼女が言い終わるのと同時に、先程のウェイターが今度はプレートにオレンジジュースが入ったグラスを乗せて現れた。
「ああ、どうも……」
軽く会釈をしながら、勇気はグラスを受け取った。
「……うん、おいしい」
勇気はグラスに入ったジュースをちびちびと飲み始める。
「あまり飲み過ぎないようにね。お腹壊すわよ」
「ははっ、佳代子さん、僕はもう子どもじゃないんですよ」
そう言って彼は笑った。幾分か緊張もほぐれたようである。
するとその瞬間、二人の元に一人の男性が歩み寄ってきた。シャンパングラスを片手で弄びながらゆっくりと歩いてくるその姿を見て、勇気は再び顔をこわばらせる。
「やあやあどうも、宮田勇気君。それとあなたは……前社長の秘書をなさっていた……」
「澤田佳代子です。この度は新社長就任おめでとうございます、横島健吾さん」
佳代子は社交辞令的な笑みを浮かべながら、健吾と握手を交わした。
「ああ、そうかそうか、佳代子さん。そうだったそうだった……それと勇気君、君とは信弘さんの葬式で会話した以来だね」
佳代子との握手を早々に切り上げた健吾が、今度は勇気に手を差し出してきた。佳代子は心配そうな表情で勇気を見やる。彼は少しぎこちない笑みを顔に貼り付け、健吾の握手に応じた。
「ええ、そうですね。お久しぶりです」
勇気の握手する手に、自然と力がこもる。
「あー……もういいかな?」
なかなか手を離そうとしない勇気に、健吾は少し困ったような表情で言った。
「あっ、す、すいません」
そう言って勇気は手を離した。
「いや、気にする必要はないよ。緊張してしまうのは仕方のないことさ。……そうだ、勇気君。後で君にスピーチを頼みたいんだが……どうかな?」
そう言った健吾の表情は、きわめて爽やかなものであった。彼の突然の申し出に、勇気は焦りをあらわにする。
「えっ……スピーチですか?」
「ああ、そうさ。せっかく私が尊敬する前社長のご子息に来ていただいたんだからね。別に、長く話す必要はない。本当に少しだけでいいんだ」
健吾は微笑みながら言った。その顔からは、彼の真意を読み取ることができない。
「わ、分かりました……」
彼に半ば気圧される形で、勇気は承諾する。
「ああそうかい、ありがとう!それでは、私はこれで失礼するよ」
そう言って健吾は佳代子の方を一瞥し、そそくさとその場を立ち去って行った。
「ああ……最悪だ……スピーチなんて僕できませんよ……」
勇気は絶望した表情で呟く。佳代子はそんな彼の肩をポン、と優しく叩いた。
「……こうなったら、なるようにしかならないわ」
そう言いながら彼女は、グラスの中のシャンパンを豪快に飲み干した。