Episode22 「舞い降りる翼」
時は5分前にさかのぼる。
両手を手錠で拘束された横島健吾は、護送車に乗せられて暮明警察署へと向かっていた。灰色で無地のTシャツに、濃い青色のジーパン。普段の彼からは想像できないほど地味な格好である。
「……」
護送車の車内は、思っていた以上に広々としている。車の窓には頑丈そうな逃走防止用の鉄格子。そして彼の両脇には警察官。言うまでもなく、かなり厳重な状態での護送だ。しかしそれも無理はない。つい数日前まで世間で時の人であった健吾が、一転して重大犯罪者だと判明したのだ。そんな彼を警察署まで護送するとなると、それ相応の対応が必要になるのだろう。
健吾は車に揺られながら、静かに口を開いた。
「……私は、九州のとある田舎町で育った」
「おい!しゃべるな!」
右隣にいる警官が、突如しゃべりだした健吾をとがめる。だが、彼は話すのをやめなかった。
「うちはシングルマザーの家庭でね。私が物心つく前に父親は蒸発したんだ」
「おい!聞こえないのか!話すのをやめろ!」
今度は左隣の警官が、健吾の肩を強く掴みながら叫んだ。
「……構わないだろ、独り言だ」
彼はそう言いながら、両隣の警官を交互に睨み付ける。警官はあきれたような表情で健吾から手を離した。
「……小さい時から貧しくてね。とにかく、金がなかった。田舎の広大な土地も、豊かな自然も、決して私のような貧乏人に恵みを与えてはくれなかったよ。おまけに母は体が弱くてね。満足に力仕事をこなす事も出来なかった。こうなるともう八方塞がりだ」
彼は遠くを見つめながら続ける。その目の中には悲壮感が漂っていた。
「母は毎日近所の人達に頭を下げて、食料を分けてもらっていたんだ。つらかったよ、子供ながらに親のそういう姿を見るのは。何度も何度も、無様に頭を下げて。でも、そうしなきゃ生きていけなかったんだ」
健吾は小さい頃、周りからいじめられていた。理由は簡単だ。貧乏だったからだ。毎日のように近所の家一軒一軒に深々と頭を下げては食料を貰っていく小汚い女性の子供。そんな健吾のことを、周りは決して良い目で見てはくれなかった。
「お金がない……その事実は、対人関係に大きな軋轢を生む。平等な世界など、どれだけの時間がかかろうが訪れはしないだろう。世界は、深刻な病にむしばまれているんだ。そう、お金という病に」
「おい、もうその辺にしておけ」
右隣の警官が言った。だが、それでも健吾は話し続ける。
「この病んだ世界で生き残る術は一つしかない。とにかく、誰よりも金を稼いで、誰よりも高い地位につく事だ。金という病を、金という恐ろしい病原菌を、誰よりも多く自らの体の中に染み込ませるしかない。それが、ワクチンを作る唯一の方法……」
次第に、健吾の目に怒りの色が宿っていく。その不穏さに気付き、両隣の警官は彼を無理やり抑え込もうと立ち上がった。
だがその時。
ガキン、という甲高い音が車内に響いた。
「……なんだ?」
二人の警官は立ち尽くしたまま辺りを警戒する。すると、もう一度ガキン、と音が鳴った。
「おい、あれを見ろ!」
警官が天井を指さす。そこには、奇妙な歪みがあった。
「なんだあれ……」
ガキン、ガキン、ガキンと連続で音が鳴り響く。そのたびに、頑丈な鋼鉄で作られているはずの天井が大きく歪んでいった。先ほどまで話し続けていた健吾は、今度は一転して沈黙し、目を伏せて座り込んでいる。
「おい!まずいぞ!天井が……!」
警官が焦燥感と共にそう言った次の瞬間、護送車の天井がべろりと、缶詰のふたのようにいとも簡単にはがれた。晴れ晴れとした太陽の光が車内を照らす。
「そ、そんな!」
運転手はブレーキを踏み、護送車を無理やり停止させた。
「……このようなところで……」
健吾がおもむろに口を開く。
「このようなところで……君たちに私の道を邪魔されるわけにはいかないっ!」
彼はそう言って勢いよく立ち上った。それを見た二人の警官が彼を抑えようとするが、その時、車内に異変が起こった。
「……?」
先程まで太陽で照らされていたはずなのに、急に辺りが真っ暗になったのだ。
不審に思った警官が空を見上げる。
「……あ、あれは……」
驚くべきことに、太陽の光を遮ったのは雲ではなかった。その正体はなんと、横幅4mはあろうかという巨大な鉄の鳥であった。鳥型の巨大な機械が、この護送車の上に飛来してきたのだ。おそらく、車の天井をはがしたのもこのロボットであろう。
「う、うわあぁぁ!」
「なんなんだよあいつは!」
警官たちはパニックになりながら叫んだ。すると鳥型ロボットの胴体部分から、細いアームが二本飛び出してきた。それはさながら猛禽類の屈強な両足のようだ。それらのアームが、仁王立ちしていた健吾の両肩をしっかりと掴む。
「くくく……では行くとするか、メタルウィングよ……」
健吾は不気味に微笑んだ。彼が弾みをつけてジャンプすると、同時に鳥――メタルウィングも、静かな排気音とともにゆっくりと上昇を始めて彼の身体を持ち上げる。そして高度10m辺りの所でアームを格納し、健吾の背中にメタルウィングがぴったりとくっついた。
「ああ……まったく、いい眺めだ……」
健吾が空中で愉悦のつぶやきを漏らす。周りの通行人たちは足を止め、驚愕の表情でその光景を見つめていた。彼らからしてみれば、突如上空に羽の生えた人間が現れたようなものだ。驚くのも無理はない。
すると今度は、メタルウィングの胴体、つまり現在健吾のバックパックになっている部分から、四本の鋼鉄のフレームが飛び出してくる。これらのフレームが、スムーズな動きで彼の両腕と両足を包み込んだ。その鋼鉄のパーツが人体を覆う様は、まさしく強化外骨格である。
ネアス用補助兵装「メタルウィング」。その実態は、ネアスのフレームを体内に収納した鋼鉄の鳥型ロボットであった。通常のネアスと違い、このメタルウィングから展開されるネアスには胴体プロテクターがない。そのため強度の面では若干劣るが、その欠点を補って余りあるほどの機動力を誇っている。
「……ふん!」
ネアスの力を借りた健吾は、軽々と腕の手錠を引きちぎった。彼の両腕が自由になる。
「さて、と……」
健吾は空中から、護送車の中で呆気にとられたまま腰を抜かしている二人の警官を見下ろした。この愉悦感はまさしく、神にでもなったかのような気分である。
「貴様らはもう用済みだ」
彼がそう言うと、メタルウィングの背中に取り付けられたネオアークエナジーが青白い光を放ち始めた。警官も、周りの通行人たちも言葉を失う。
「……じゃあな」
すると、メタルウィングの両翼の先端部分から、青くて細いビームが勢いよく照射された。その二本のビームはまっすぐに護送車を捉え、一瞬で全てを焼き尽くす。
そして周囲に轟く凄まじい爆発音。周りの通行人たちが、叫び声をあげながら慌てて逃げ出す。
「……誰も、私の邪魔をすることはできない……」
彼はそうポツリと呟くと、一気に上へと向かって飛び、辺りを取り囲んでいた黒煙を振り払った。その姿はまるで、美しく空を舞う翼の生えた天使のようである。しかしその実、今の彼の心の中を支配するのは、狂気という名の悪魔に他ならなかった。




