Episode21 「取り戻した日常」
「はあ……はあ……」
勇気は息を切らしながら、今しがた倒れたメガネの男に歩み寄る。
「死んで、ないよな……」
革手袋をはめた左手で男の首筋に触れ、脈拍を確認した。
「脈は……あるか……ふう……」
勇気は安堵の声をあげる。
なんとか敵二人を殺さずに倒すことができた彼は、息を整えつつサンダーフィストの出力を最低まで下げた。ネオアークエナジーの光がみるみるうちに小さくなっていく。
「さて、と……ん?」
勇気が耳を澄ますと、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。警備員か、あるいは通りすがりの通行人が警察を呼んだのだろう。
「やれやれ……それじゃあ、行きますかね……」
彼はフードを深くかぶり直しながら、満身創痍のままよろよろとその場を後にした。
数分後には、警察がここにやって来てネアスに身を包んだ二人を見つけるであろう。そうなれば、健吾の計画が全て暴かれるはずだ。昨晩盗まれたはずのネアスが宮田コーポレーション所有の貨物船で見つかったとなれば、彼に何らかの疑いの目が行くのは間違いないのだから。
2日後、午前11時。勇気は佳代子に呼ばれて、暮明町郊外の「グエッタ」というカフェに足を運んでいた。ここに来るのは、以前彼女からUSBを受け取ったあの時以来だ。
「こっちよ、勇気君!」
彼が店内に入ると、店内奥の窓際の席で佳代子が手を振ってきた。あの時と全く同じシチュエーション。ご丁寧に、席も一緒だ。おそらく、あの窓際の席が彼女のお気に入りなのだろう。
「こんにちは、佳代子さん」
勇気は彼女の向かい側の席に座り、その服装をちらりと見つめた。彼女は今日も黒のビジネススーツを着て、甘い香りを漂わせている。そのラベンダーのような香水の香りは、昔からずっと変わらない。
「ええ、こんにちは勇気君。コーヒーは?」
「ああ、それじゃあいただきます」
彼女は近くを歩いていたウェイターを呼び止め、ブラックコーヒーを2つ注文した。
「さて……それじゃあ単刀直入だけれど、話を始めましょうか」
佳代子はまっすぐ前を向き、勇気の目を見据えながら言った。彼女が今日彼をここに呼んだ理由はただひとつ。それは、今後の話をするためだ。
「まず……30分前、横島健吾さんが逮捕されたわ」
「はい」
勇気が頷く。そのことは、既に家を出る前にニュースで見ていた。
勇気が2日前に貨物船で戦いを繰り広げた後、すぐに警察が現場へやって来た。そこで警備員6名と、ネアスに身を包んだ人物2名を発見。全員気絶した状態であった。ネアスの装着者2名は、警察の調べによると以前から国内外で強盗などの犯罪を行っていた国際指名手配犯だったらしい。取り調べの結果、横島健吾からお金をもらって今回の犯行を起こしたことを自供した。
これにより一連の事件が健吾の自作自演であったことが判明。当の本人は以外にもあっさりとこれを認めた。そして時間をさかのぼること30分前、彼はついに警察に逮捕されることとなった。今頃は護送車に乗せられて暮明警察署へと向かっている頃だろう。
「今世間は、横島さんの計画を暴いた謎の人物の話でもちきりよ。なんといっても、ネアスの装着者二人を相手にして勝ったんですからね」
佳代子が微笑む。つられて勇気も、照れくさそうに笑った。確かに、昨日からテレビのニュースはその話題ばかりだ。宮田コーポレーション新社長、横島健吾氏の秘密。そして、その真相を暴いた謎の人物は一体誰なのか。どこのチャンネルも大体そんな感じの内容である。
「なんか……変な感じですね」
今この世界中で、あの夜に戦った人間の正体を知っているのはこの二人だけだ。そう考えると、勇気は誇らしいような恥ずかしいような、複雑な感情になった。
「お待たせしました、ブラックコーヒーです」
「どうも」
二人の元に、白い陶磁製のマグカップに入ったブラックコーヒーが運ばれてきた。勇気はそれを一口含み、のどを潤す。香ばしい苦みが口の中いっぱいに広がった。
「明日、緊急で役員集会が開かれるらしいわ」
「そうですか……大変ですね、こうなってしまうと」
勇気はそう言ってからふと、自分の発言のおかしさに気付いた。去年まであの会社は父の会社で、自分もそこに入社しようと考えていたではないか。それなのに、なぜここまで他人事のように言えてしまうのだろう。
「ふふ、まるで他人事みたいね」
彼女は、勇気の心の中を見透かしたかのように言った。
「す、すいません……」
彼はなぜか無性に申し訳なくなり、顔を伏せた。
「いえ、いいのよ。それで、実は昨日の夜に電話があってね」
「電話……誰からですか?」
佳代子はコーヒーをゆっくりと一口飲み、それから静かに口を開く。
「副社長の筧さんからよ」
「筧さん……ああ、筧美和さんですか」
筧美和。父が社長であった頃から宮田コーポレーションの副社長を務めていた初老の女性だ。勇気も以前、父の付き合いで何回か話したことが有る。いつも微笑んでいて、人当たりの良さそうな初老の女性である。
「実のところ、もう次期社長はほとんど彼女に決まっているそうよ」
「そうなんですか。まあ、納得ですね」
彼女は長年宮田コーポレーションで働いてきた、非常に優秀な人材だ。現状最も社長にふさわしい人物だと言える。
「それで、筧さんから言われたの。秘書としてまた会社に戻ってきてほしいって」
その言葉を聞いて、勇気はぱぁっと顔を輝かせた。
「本当ですか?よかったじゃないですか!佳代子さんなら適任ですよ!」
「ありがとう、勇気君。私も凄く嬉しいわ。……それと、もう一つ」
ここで一呼吸おいて、彼女は続けた。
「筧さんは、あなたに宮田コーポレーションの開発部門に入って欲しいとおっしゃっていたわ」
「えっ」
勇気は素直に驚いた。これは予想もしていなかった展開だ。
「筧さんは、前社長が亡くなられた時から、ご子息であるあなたのことをずっと気にかけてくださっていたそうよ。勿論あなたが工学分野の知識に長けているということも彼女は知ってる。だから、この機会に会社に来てほしいって」
「本当ですか……!」
彼は顔をほころばせる。佳代子は強く頷いた。
「ええ。詳しいことは後日、あなたに直接伝えるそうよ」
「そうですか……じゃあ、これからは僕たち、同僚ですね!」
勇気が無邪気に微笑みながら言うと、彼女もにっこりと笑った。
「ええ、そうなるわね!」
一時はどうなることかと思ったが、どうということはない、気が付けばすべてが丸く収まっていた。かつて彼女からUSBを受け取った時に感じた未来への形容しがたい不安感が、温かい幸福感で塗りつぶされていく。その嬉しさで、勇気は胸がいっぱいになった。
「いやあ、嬉しいなぁ……」
――だが、その幸福を打ち破るかのように、遠くで凄まじい爆音が轟いた。
勇気と佳代子、そしてカフェの中にいた人々全員が、体をビクリと震わせる。
「なんだ……?」
勇気は慌てながら、カフェの窓越しに外を見る。ここから遠くの繁華街の方面で、ビルの谷間から灰色の煙が上がっていた。火事だろうか。いや、それにしてはあの爆発音は不自然だ。
「くそっ、なんだってこんな時に……」
胸の中の温かな幸福感が、またしても奇妙な不安感に塗りつぶされていく。その異様な不快感に顔を歪ませながら、彼はその暗雲を見つめ続けた。




