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戦争の悲惨さについて、考えてみた

作者: 馬頭鬼

 8月15日の終戦の日を迎え、テレビをつけている間に耳にした言葉に、酷く違和感を覚た。

 「戦争の悲惨さを……」

 ちょうど、安保法案についての云々をテレビでよく流している所為だろう。


 ……それは、少し違うんじゃないか?


 そんな違和感を、報道を耳にする度に覚えるのだ。



 理由を考えてみると、意外と答えは簡単だった。

 第二次世界大戦の犠牲者を、単純に「戦争の被害者」だとして聞かされているから、である。


 考えて欲しい。

 「戦争とは何か?」

 色々と意見はあるとは思うけれど、おおざっぱに定義すると……『武器を持った人間同士が抗戦する行為』のことだろう。

 

 さて、太平洋大戦で亡くなった犠牲者の中で、実際に『戦争』で……武器を持った人間同士が抗戦して亡くなったのは何名いるのだろう?

 そうして調べてみたところ、戦闘員の死者は230万人。民間人の死者は80万人となっている。(数字は諸説ある)


 だが、「戦争の悲惨さ」というくくりで語られる悲惨さのほとんどが、原爆被害者と空襲による被害者……民間人であるのだ。

 勿論、学徒動員や特攻隊などの戦死者を語られる場面も多い。

 それでも、我々が報道でよく目にする「戦争の悲惨さ」というものは、やはり民間人の犠牲者である。


 そこで、民間人に多大な犠牲者を出した原子爆弾投下と空襲についてもう一度考えてほしい。

 原子爆弾は市民……非戦闘員の住む一都市に大量破壊兵器を投下した、非戦闘員への殺傷行為……即ち、『虐殺』である。

 空襲も同じく、焼夷弾で都市を囲い、逃げ場をなくした市民を焼き殺す……軍部による計画的な非戦闘員の殺傷行為……『虐殺』である。


 さて。

 太平洋戦争で悲惨だったのは、戦争だろうか?

 それとも虐殺だろうか??


 ……勿論、戦争に参加させられた兵士たちも悲惨だっただろう。

 ろくに武器弾薬どころか水や食料、薬もない最前線に送られ、負け戦で飢えと疫病に苦しみながら死んでいったのだ。

 クズの司令官と糞みたいな参謀の所為とは言え、この辺りは非常に同情の余地はある。

 だが、それでも武器を持って戦場に立つ以上、戦って死ぬ兵士を悲劇だったとは……日本人はあまり思わない気がする。

 殺すは以上殺される。

 そういう因果応報的な発想がある所為かもしれない。


 だからだろう。

 戦争の悲惨さとして語られるのは、基本的に「原爆被害者」と「空襲被害者」……つまり、民間人の犠牲者に対するものが多いのは。

 とは言え、それは本当に「戦争の犠牲者」なのだろうか?

 アメリカ軍のハーグ陸戦条約違反による、戦争犯罪……即ち『虐殺』の犠牲者ではないだろうか?

 

 『虐殺』である以上、悲惨なのは当然である。

 戦う力を持たない無力な非戦闘員を、武器を手にした戦闘員が一方的に殺すのだ。

 ……悲惨で当然だろう。

 事実、今の時代でも『虐殺』が悲惨であるという感覚は同じだし、『虐殺』が非難されるべき恥ずべき行為であるのに、異論を唱える人はいないのだから。


 繰り返しになるが、もう一度考えてほしい。

 最近は、自衛隊・安保法案に対する反対意見で、「戦争の悲惨さを繰り返さないように」という反対意見があるのを耳にする。

 だが、その口が語る悲惨さは、本当に「戦争」によるものなのか?

 戦争犯罪……即ち、「虐殺」によるものではないのだろうか?

 そして、彼らが口にする理想論を実現した日本では……自衛隊を持たず、国際社会で孤立した状態で、強大な国家が攻めてきた場合。

 ……日本で起こるのは、その『虐殺』ではないのだろうか??


 『虐殺』の悲惨を直視した挙句、「戦争反対」を唱え……その結果、『虐殺』を呼び込む。

 これは……一種のシュールな自爆ギャグ以外の何物でもないように思うのだが、自分だけなのだろうか?

 自分が絡まない場所であれば……他の国で主張するのであれば、好き勝手にして貰いたいものだが。



 自分は今回の安保法案について勉強をした訳ではないので、その法案自体について語るのは避ける。

 だが、これでも虐殺を扱った作品を描く者として、『虐殺』が如何に悲惨で下衆めいた、許し難い行為かは、よく知っている。

 少なくとも、よく知っていると思っている。


 だからこそ、言いたい。

 我々が最も避けるのは、先の大戦の悲惨さを避けること……即ち、「戦争の悲惨さ」を避けるよりも先に、『虐殺』の悲惨さを避けることにこそ、最大の努力をすべきではないのだろうか?

 自分の考えを述べさせてもらうならば……虐殺されることを防ぐためならば、戦争行為もやむを得ないと考える。

 女子供老人や赤子……武器を持たない弱者が一方的に殺される行為を『虐殺』と言うのだ。

 それを防ぐためならば、武器を持った男が最前線で死ぬのは、ある程度は仕方ないと思う。

 何故ならば……まっとうな男として生きてきた以上、自分の親や子供、妻が殺されるのを見るくらいなら、武器を持って敵を殺す/自分が死ぬ方がはるかにマシだと思うから、である。


 私は、戦争には反対する。

 だけど……虐殺をされるくらいなら、戦争も仕方ないと思うのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 個別と集団の区別が出来ていないのでは? いくら平和ボケでもいまどき個別自衛権を否定する日本人はいないでしょ。無抵抗で撃たれろなんていくら反対者も言わない。集団的自衛権が問題なんでしょ。日本か…
2016/02/19 10:59 退会済み
管理
[一言] そもそも安保法案を戦争法案とかいうネガティブな印象付けしようとしてるけどもうマスコミの言う事素直に信じてる人いませんよねシールズも若者の運動とか言ってたけどほぼ60~70くらいのじじい共の集…
[一言] いい記事でした。 そして議論するには難しい内容ですね。 こういった問題は、個々人が認識と知性を深めていった後でしか、話し合いのテーブルにすら付けないでしょう。  欧州には素晴らしいと思える…
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