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モノクロームの世界、唯一の色彩1

 薄やみの中、少女は無表情に窓の外を眺める。部屋の中は灰色、そして部屋の外も。少女の世界に色彩はない。


 少女には家族がいた。いたはずだ。だが今、少女の周りにいるのは、白い、白い服を来た大人たちだけ。皆、少女に優しく接し、いつも笑いかけてくれていた。だが、その微笑みの向こうにある悪意を、そして無関心さを少女はその青みがかった銀色の瞳で捉えていた。


 少女は大きく息をつく。それはため息にも似た、深呼吸。少女はふと、自分が涙の流し方を忘れてしまったことに気付いた。そんな自分に、何故か静かな笑みが溢れ出てくるのを感じ、少女は少しだけ顔をしかめた。


    *


 春を迎え、そして陽光がときたま夏の訪れを感じさせる。いつの間にか、そんな季節になっていた。いくつかの季節を迎え、俺と優恵の住む街も少しずつだが変わってきている。未だに自宅マンションから見渡す光景は荒野に近い。あの戦争で失われた旧市街が広がり、『第三十二復興指定地区』なんて看板が掲げられたままの状態だ。だが、新市街の方は復興がほぼ完了し、活気が戻りつつある。ただ、復興委員会が設定した計画はどことなくいびつで、新市街だと言うのに街の雰囲気は何十年も昔のもの。戦争が始まる遥か以前、昭和なんて呼ばれていた大昔の時代の街を復元している。まあ、お偉いさんが言うには環境保全や住人の精神衛生上の観点から、あんな街並みにしたらしいのだが…。


 そんな新市街へ俺と優恵は向かっている。家の近くの電停から路面電車に乗り、市街中心で降り、そして二人である場所へと向かって歩く。目的地は聖花学園だ。優恵の通う学園でもあるが、俺は今日からそこで非常勤講師をやるハメになったのだ。


「えへへー、一緒に登校ー」優恵は満面の笑みを浮かべながら、俺の隣をちょこちょこと歩いている。頭に被った大きな白い帽子が、ゆらゆらと揺れる。彼女は背が割と高く育つところは育っているが、動きはまるで小動物みたいだ。


「まあ、な」俺は生返事をしながら、カバンに手を差し込み授業用の資料がちゃんとしまわれているかを確認する。俺の担当する授業は『初等情報数学』。数式処理などをコンピュータを使って行う授業だ。聖花学園には情報の科目を担当する教員がおらず、民間人講師として俺が選ばれた。まあ、そこら辺の事情も色々とややこしかったりするのだが。


「拓人さんは何の授業をやるんですか?」優恵はそう言うと、手からしゅるしゅると奇妙なものを放り投げ、そしてしゅるん、と手の中に再びおさめた。

「情報数学だ。って、何やってるんだ?」

「おお、もしかしたら私のクラスでも授業があるのかな?」優恵は俺の疑問に答えずに、今度は手の中のものを何度も宙に連続して放り出し、そして手のひらに戻した。

「いや、それはわからない。俺以外にも講師が呼ばれているだろうし。って、だから、それなんだ? あ、ヨーヨーか?」俺がそう言うと、優恵はにかっと笑って手のひらに握った円盤形の物体を俺に見せた。そこには清涼飲料水の名前が書かれている。


「そう、ヨーヨーです! 昨日、駄菓子屋に入っていたから買っちゃった♪」優恵は微笑みながら、尻尾を大きく振りつつ、もの凄いスピードでヨーヨーを操り始める。いや、その…。昨日、買ったんだよな? 何でそんなに上達しているんだ…


「優恵、没収」と俺。

「え?」優恵は少し不安げな表情を見せる。その途端に、彼女の大きな耳は垂れ下がり、尻尾は力なくその動きを止めた。

「路上でやると危ない、だから没収」

「ええーーー? な、なんですとっ!?」優恵はいやいやと身をよじりながら、ヨーヨーを握りしめた。

「家に戻ったら返すから。外でやるのは危ない」と俺はそんな事を言いつつも、優恵だったら部屋の中でとんでもない技を繰り広げて、大惨事が起きるのではないかと嫌な想像をしてしまった。


「あ、危なくなんて、ないですよ? ほらほら、こんな遊び方も。『わんこさんぽ』」と、優恵はヨーヨーを地面に転がし、それがツーッと優恵に寄って行く。いわゆる、犬の散歩と言う技だ。何故か名前が変わっている。


「いいから、ほら」俺が手を出すと、優恵は淋しそうな表情でヨーヨーを手渡してくれた。

「あとで返して下さいね? とっちゃ、やですよ?」涙ぐむ優恵。

「とらないって」俺はヨーヨーをカバンにしまうと、優恵の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。そんな様子を、不思議そうな顔をしながら見つめる女の子がいるのに気付いた。優恵と同じ制服を着ているから、聖花学園の生徒だと思う。俺はその女の子に視線を向けてから、ぐるっと周囲を見回した。いつの間にか辺りには学園の生徒ばかりだった。どうやら、もう学園の間近まで来ているらしい。


「あれ? 優恵ちゃん?」

 俺のことを不思議そうに見つめていた女の子が口を開く。すると優恵は、

「あ、由美ちゃん!」と嬉しそうに笑う。どうやら友だちらしい。俺は優恵の友だちに初めて出会い、少し驚いた。優恵に友だちがいるなんて事を聞いたことがなかったのだ。友だちぐらいいるのは、当たり前のことなのにな。


 俺は、その由美という女の子に挨拶をし、今日から授業をすると言うことを話した。すると、由美は俺と優恵のことを執拗に聞き出し、しまいには嫌気がさすほどだった。


 どうやって由美の会話から逃げ切ろうかと考えているうちに、俺たちは学園へと到着した。俺は胸を撫で下ろして職員室へと向かう。が、


「拓人さん、またあとでねー」と優恵が手を振りながら大声で言う。俺は苦笑いをして、周囲から向けられる奇異の目を無視することにした。取りあえず、あとは授業に打ち込むだけだ。

 職員室に到着してまず行ったことは、校長をはじめ教員や事務職員への挨拶だった。校長は品の良い女性であり、他の教職員も温和そうな人が多かった。俺の学生時代には、教員と言えば一癖も二癖もある御仁が多かったように思うが、ここではそんなことはない。


 授業は四限、すなわち昼休みの前の時間に割り当てられていた。そこで初めて生徒たちに会い、軽く挨拶をした後に授業へと移る。初回なので、ガイダンスの一環として簡単な内容の授業を行うことにした。今までにも中小企業などへ出向いて講義を受け持ったことがあるので、まあ授業をすると言う事自体に不安はあまりない。だが、優恵と同い年の若者たちが俺の授業を受け入れてくれるか、それが少々不安だ。とくに女子学生に「キモーい」なんて言われたら、きっと挫折してしまう。


 そんな事を考えつつ、俺は外来講師の使う控え室で授業に使う資料のチェックをすることにした。


    *


 何故か震えが止まらない。今まで色々な仕事をしてきて、ときには危ない目にも遭ったことがある。そんなときでも割と落ち着いていられたはずだ。なのに、今こうして教室の扉の前に立つと震えが来る。教室の中から聞こえる、ざわついた声。それが余計なプレッシャーとなるのだ。

「じゃあ、最初に私が先生を紹介しますね」と、俺の隣にいる小柄で若い女性の教員が俺の微笑みかける。佐藤先生と言う。見かけは優恵よりも幼く感じるぐらいだが、実は俺と同世代だ。ある意味恐ろしい。

「あ、宜しくお願いします」俺は自分の考えを佐藤先生に読み取られないようにと、冷や汗をかきながら笑顔で誤摩化した。


 扉が開く。でも、まだ教室内はざわついている。


「はーい、しずかにー」佐藤先生が可愛らしい声で言う。だが、まだ教室はざわついたまま。


「みなさーん、生まれたことを後悔したくないですよねー?」


 ぴた。


 す、すごい、一瞬で教室が静まり返ったぞ!? 俺はその様子を見て、決して佐藤先生には逆らわないことを心に誓った。


 佐藤先生から紹介を受け、俺は自己紹介をしようとする、が、とんでもないものを見つけてしまった。


 優恵だ。優恵がいる。

 ここは、優恵の教室だったのだ。小さく手を振りながら、「やほー」なんて言ってる。俺はわざとらしく咳払いをし、自己紹介を始めた。


「皆さん、はじめまして。如月拓人です。非常勤の講師として、皆さんに情報数学の基礎を教えます。非常勤ですので、いつも職員室にいるわけではありません、なので、すみませんが質問などは授業の後に受け付け…」俺は営業用の笑みを浮かべながら話し始める。生徒たちは一応黙ってこちらを向いて話を聞いてくれている。あとは、授業についてちょっと興味を持ってくれるような話をすればバッチリだ。よし、ここまで完璧。


「えー。別に、拓人さんの家に聞きに行ってもいいですよねー?」突然、優恵が声をあげて、しまったと小さくなる。どうやら、自宅にいるのと同じように俺に接してしまったようだ。ぶち壊しだ。俺は話すのをやめ、笑いながら顔を引きつらせるしかなかった。しばらくの沈黙の後… 質問の絨毯爆撃が開始された。そのおもな発射地点は、あの由美だった。由美もこのクラスだったのだ。ちなみに、彼女の苗字は会田と言うらしい。


「先生、優恵ちゃんとは知り合いなんですか? 朝も一緒に登校してましたよね」由美のそんな質問に、教室のざわめきは絶頂に。その内容を分析してみると、女子のよからぬ妄想話と男子のひがみ(どうやら優恵は割と人気があるらしい)が混ざっている。こんなときに俺が冷静に状況分析をしているということは、要するに俺はある意味パニック状態なのだ。


「先生、授業を」隣の佐藤先生が微笑みながら言う。が、何故か地響きのような効果音が聞こえる気がする。

「えー、個人的な質問は後にして、授業に入りますー」俺は努めて明るく笑い、そう言ったが、生徒たちは黙る気配がない。怒鳴りたい気持ちがぐっと出てきたが、その前に佐藤先生が大活躍してくれた。さすがだ。まあ、誰も死にたくないものな。


 ようやく静かになったので、俺は電算室のプロッタでカラー印刷したグラフを配った。グラフは簡単な円グラフと、あるカオス関数をプロットしたもの。いつも配られているプリントとは異なり見た目に鮮やかであることが珍しいのか、生徒たちはしげしげと印刷されたグラフを見つめている。とくに、カオス関数の奇妙な形に興味を持ってもらえたようだ。俺はその様子に軽く頷きながら、生徒たちを端からゆっくりと見つめる。男女比はやや女子学生が多いかな、という感じだ。もっとも、あの戦争以来、男性の出生率は徐々に減少しているので、当たり前と言えば当たり前の光景である。


それ以外に気付くのは、優恵のような獣人、スペシャルの生徒がかなりの割合でいると言うこと。全体の二割ほどだろうか。これは一般的な人口分布では考えられないほど、比率が高い。もともと、この聖花学園はスペシャルとヒトとの融和を目指して作られた組織の一つである。だから優恵たちは安心して通学できる。


 ちらっと優恵を見ると、またもやキラキラした瞳でこちらを見つめている。いったい何を期待しているんだか。

「えー、今、配ったのはコンピュータで処理した結果を印刷したものです。この授業では様々な情報、そうだな、例えばアンケート結果などのデータをコンピュータで処理して、こうやってグラフにするようなことをします。こうやってグラフにすると、ただの数値だった情報が、どんな意味を持っているのかわかりやすくなるよね? 配ったプリントに円グラフがあるけど、これは君たちと同じぐらいの歳の人たちが、お小遣いをどうやって使っているかを調べたものなんだ。で、グラフにすると…」俺が説明を始めると、大半の生徒たちはプリントへ目を向ける。中にはニヤニヤ笑いながらグラフを見て、自分とはここが違うと言うようなことを、隣の友人にひそひそと話しているものもいる。


 まあ、中には眠そうにしてプリントをあまり見ていない生徒もいることはいるが、俺はそんな生徒の一人にちょっとした異変を感じた。興味がなくてプリントを見ていないのではなく、まるで目の前にプリントが無いかのように振る舞っている女子生徒がいるのだ。


 窓側の一番後ろの席に座るその女の子は、優恵のように大きくて毛に覆われた耳が生えていた。そして、驚くことに光を完全に反射するのではないかと言うほど立派な銀髪をしていた。髪質が堅いのか、所々はねている。

 ふとその女の子がこちらを見つめる。その視線に俺は背筋が凍り付きそうになった。どこまでも深くて何もない眼差し。彼女の瞳の色が髪と同じような銀色、正確には青みがかった銀色をしているから、そんな印象を受けたのだろうか。いや、そうではない。彼女の瞳には、この世界が写っていないような錯覚に捕われたのだ。


 俺は生唾を何度もの見込むと、その女の子に声をかけた。かけてしまった。

「あー、窓際の一番後ろの君、名前をまだ憶えてなくてごめんね。でさ、悪いけど、このグラフを見てみてくれないかな。オレンジ色の数値は何を表しているかな?」


 俺の言葉に、教室がしんとなった。空気が一瞬で変わってしまった。何人かの生徒は気まずそうに俺とその女の子を交互に見つめ、ある者は無表情にプリントへ目を落としたままになった。俺は自分が何かとんでもない過ちを犯してしまったのかと、脂汗が額から流れ落ちるのを感じた。なんだよ、なんなんだよ。あの子に声をかけちゃいけないのか? もしかして、いじめられっ子だったりするのか?

 俺が憮然と生徒たちを見回すと、優恵が一人でわたわたとせわしなく動いている。そして、俺が声をかけた銀髪の少女はぼんやりと俺を見つめるだけ。俺はその子に

「だから、オレンジ色の数値だよ。オレンジ色の数値は何パーセントで、何を示しているかな」と問いただした。


 だが、それでもその子は俺を見つめたまま。俺は不安になると同時に、少しカチンときてその女の子の席へ行こうとする。すると、誰かが俺の服の裾を引っ張った。見下ろすとそこには登校時にであった少女、会田由美がいた。

「先生、あの子、色を見分けることができないんです。だから」と由美は小声で言う。俺は一瞬耳を疑う。そして窓際の少女を見つめると、急に申し訳ない気持ちと、なんで学校側はそんな重要な情報をあらかじめ与えてくれないんだと言う腹立たしい気持ちが、同時にわき起こってきた。俺はその少女に謝ろうと声を出すが、かすれてしまって上手く出ない。何度か唾を飲み込んでから、ようやく一言発することができた。


「すまないことをした」とだけ。


 そんな俺にフォローを入れようと身を乗り出した佐藤先生だが、その瞬間、チャイムが鳴り響いた。俺は、再びぼんやりと窓の外を眺める銀髪の少女を気にしながらも、次回の授業について簡単な説明をし最初の授業を終えた。最悪な授業だった。


 そんな授業であっても、何とか生徒たちの関心は惹けたようで、チャイムが鳴り終わってからも何人かが教卓に集まってくる。集まってきた生徒たちは、しきりに俺に質問をしてくるが、どれも他愛のない質問だった。授業の内容に関する質問はほとんどなく、プライベートなものばかり。俺はそれらの質問を半ば適当にあしらう(表面上は丁寧に答えていると思うが)。先ほどの少女に事が気になって仕方がないのだ。ふと、窓側の席へと視線を移すが、そこには誰もいなかった。


「お昼ご飯はどうするですか? 今日は、拓人先生のお弁当を用意して来なかったですよ?」と微妙な敬語で優恵が訊ねてくる。生徒たちのなかにまぎれているので、なんとか俺を教員と見なして声をかけようとしているのだろうが、残念ながらその努力は失敗だ。


 優恵のそんな呼びかけに、辺りの生徒はざわつき始めたが、俺はそれを無視した。

「いや、まずはさっきの生徒に謝ってくる」俺がそう言うと、優恵はちょっと難しい顔をしてから、照れたような笑みを浮かべ

「霜月さんなら、多分屋上であります」と言った。俺は礼を述べて、屋上へ向かった。背後から聞こえる、由美の「二人はー、どう言ったご関係でーー」という声を無視しながら。

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