第2話「出航」
「親父、行ってくる」
宇宙ステーション内のとある区画。
100メートル四方の空間には、デルタ型のシャトルが2艘と50メートルはありそうな円筒形の船が1艘停泊している。
正面は開閉可能な大きなシャッターがあり、それぞれの船には乗降するためのタラップが接続されている。
ここは、地球連絡シャトルや火星探査船の発着場である。
家族を見送る人、恋人との別れを惜しんでいる女性、様々な人間模様が織り成す喧騒が辺りを包んでいる。
その一角、円筒形の船へ繋がるタラップの前に、父親と向い合う太郎の姿があった。
地球上であればこのような国際的重要ミッションの隣で別のシャトルへ搭乗する一般人たちが別れを惜しむようなことにはならない。
しかし、宇宙ステーション内の人間は全員が何らかの研究機関の関係者であり素性の知れた者ばかりである。
場所の制約もあり、火星探査隊の出発も一般の同じ出発ロビーにて行われている。
「あんまり無理するんじゃないぞ」
「わかってるって。親父も、元気でな」
過酷なミッションということはわかっているが、有体な言葉しか浮かんでこない。
だがそれだけで親子は通じ合えるものだ。
日本には以心伝心という言葉もある。
それに、積もる話は3日前に済ましてある。
久しぶりに親子水入らずで宇宙ステーション内の和風レストラで食事をしたのだ。
絶滅危惧種であるウナギの蒲焼の味が素晴らしかった。
宇宙での食事事情が改善されたとはいえ、このレベルを味わえるのは帰還後になるであろう。
「太郎、これ持っていけ」
「ん、お守り? ……ありがとな」
古いタイプの日本人である父親は、第4次探索隊の「4」という数字が引っかかっていた。
もちろんそんな事はおくびにも出さないが、心配なものは心配である。
宇宙ステーション内に神社は無いので、手作りである。
祈祷もそれっぽく自分でしてみた。
「ミシェルちゃんも元気で。あと、太郎の面倒もよろしくな」
「親父、ひと言余分」
「ふふっ。まかせてください」
それぞれの別れを済ませた太郎たち4人は、見送りに来た関係者や家族へ背を向けタラップへ足を進める。
総勢20名ほどの小さな見送りである。
取材するカメラも1台しかなく、初回探査隊のときのようなお祭りムードは、もう無い。
目まぐるしい情報が駆け回る昨今、市民は火星探査に目新しさを感じていないのである。
(大きなミッションの割に質素な出立だけど、大げさにされるよりいいな。
アポロだって初めて月面へ着陸した11号と困難を乗り越えた13号は知ってるが、それ以外の印象は薄い。
第4次探索隊なんて誰も気にしちゃいないさ)と太郎は一人ごちる。
タラップを渡り切り、探査船へ乗り込む。
パイロットである太郎は操縦席へ滑り込む。
隣の席に隊長が腰を下ろす。
その後ろがミシェル、太郎の後ろは研究者でもある隊員の席である。
室内に「カチッ」とベルトを装着する音が響く。
それが3回繰り返され、太郎は皆の準備が整ったことを悟る。
「さて」
正面に目を向けると20インチ程度のモニターが4台並んでいる。
モニターの上から頭上にかけて透明なガラスが広がっており、開放感がある。
実はこれ、ガラスよりも遥かに丈夫で軽い素材で、宇宙産業では一般的な素材である。
「パチ、パチ、パチ」
気持ちいいトルグスイッチの操作感が太郎の指先に伝わる。
重要な操作を司るスイッチは22世紀の今でもこのアナログスイッチだ。
「特に問題はなさそう……かな」
モニターに映し出される情報が、刻一刻と変化していく。
そこから様々な情報がもたらされるが、太郎は慣れたものである。
必要な情報を的確に読み取り、頭の中で整理する。
時おり、手元のマニュアルと照らし合わせ、異常がないことを確認する。
前方のシャッターがゆっくりと開く。その向こうには漆黒の宇宙が広がっている。
タラップが外され、宇宙ステーション側の準備が完了したことを伝えるランプが灯る。
「各種機器、異常なし」
「状態、クリアー。出港準備よし」
「隊長、よろしいですか?」
太郎からの問いかけに、隊長は無言で頷く。
「管制室、こちらマーズエクスプローラー4。出港準備が整いました。出港の許可を願います」
『マーズエクスプローラー4、こちら管制室。出港を許可する』
「ラジャ」
太郎はスロットルレバーへ手を伸ばす。
「メインエンジン、オン。出力5%」
カタカタと小刻みな揺れが伝わる。
寸刻の後、探査船はゆっくりと動き出し宇宙ステーションの外へ滑り出る。
明るい宇宙ステーションを出ると、変わって前方に広がるのは漆黒の宇宙。
頭上には青い地球が浮かんでいる。
(この星ともしばらくお別れか)
宇宙ステーションからの距離が取れたことを確認し、スロットルレバーを握る。
「エンジン出力100%」
探査船は赤い炎を吐き出しながら力強く加速を始めた。
船内にも轟音が響き、強い加速Gが体を押さえつける。
きっと大きな成果を持ち帰ってくるに違いない。
そんな期待を背に浴び、太郎たち第4次探索隊は火星への旅路についた。
◇ ◇ ◇
出発から約20分後。
「エンジン停止。予定軌道への投入を確認」
探査船は地球の引力から脱出するために必要な第二宇宙速度を超え、予定軌道に入った。
太郎がスロットルレバーを手前へ引くと、ふわっとした感覚が体を包む。
これから火星までの8か月間、無重力空間での生活となる。
大量に燃料を使用すればその期間もぐっと短縮できるが、予算とのバランスも大切なことである。
「ふぅ……」
太郎の口から無意識にため息がこぼれた。
手にはグローブをしているが、中は汗でびしょ濡れだ。
前半の山場はこれで終了である。
あとは黙っていても火星までは到達する。
「隊長、特に異常などはありません」
「よし分かった。各員通常航行体制へ移行せよ」
「「「ラジャ」」」
シートベルトを外し軽く椅子を手で押す。
ふわりと体が浮き上がる。
体長の後を追い、そのまま後ろのハッチへ泳ぐように滑り込み、居住モジュールへ移動する。
太郎の後ろからミシェルも続く。
管制室と交信をしているもう1人の隊員は、そのまま操縦モジュールへ残る。
居住モジュールはその名の通り、火星を往復する際に使用するモジュールで直径4メートルくらいの広さがある。
トイレ、寝具の他に運動器具がある程度の質素な部屋だ。
太郎は給水器からパックに包まれた水を取り出す。
パックに口をつけ吸い出すように飲むと、カラカラだった喉に気持ちよく水が染み渡る。
「ぷっはぁ」
「太郎、お疲れ様。うまくいったわね」
「ありがとう、ミシェル。訓練通りにいったよ」
「さすがだな、太郎。若きエースとチームが組めてよかったよ」と隊長が続ける。
「ありがとうございます」
ポリポリと恥ずかしそうに後頭部をかく。
緊張続きだった太郎の顔に、ようやく笑顔が戻ってきた。
操縦士としての仕事は、ここから先はそう多くない。
毎日淡々とコンピュータへ向かい、事務仕事のようなものをこなすだけだ。
後方の窓から地球が見える。
もう、月の軌道よりも遠くに来ており、そのサイズは刻一刻と小さくなっている。