帰り道
その帰り道。
「おまえ、ニンニク臭いぞ」
茜色に染まる空を背負いながら、雹夜はアルトと家路を歩んでいる。
「まったくヒョウヤは女性に対する気遣いがなってないですよ!」
再会した金髪の幼友達は、今日一日ですっかりルチアとかるらに感化されてしまったようだ。
「いや、気遣いとかいうレベルじゃねーぞ、これ……」
「うぅ~、そんなに言われると気になっちゃいます……」
アルトは自分の服を引っ張って臭いを嗅ぎ出した。
「自分ではわかんねーんだろうけど、な。ニンニクばっかあんなにおかわりするから……」
呆れた目を向けると、涙目のアルトに後頭部をはたかれた。
「もぅ~! ワタシだってちょ~っと食べすぎた思ってるんですからっ!」
「……ちょっと、ね」
「うぅぅ……せっかくヒョウヤと再会できた記念日なのに……最低です……」
ぐすっと音すら立ててアルトが涙ぐみ、両手の甲で目尻を押さえる。
「あー……。悪かった、俺が悪かったよ。機嫌直してくれよ、な?」
「嫌ですっ」
「だーっ、もう!」
雹夜は靴の裏で地面を擦った。
「ほら、明日はルチアの作ったトマトが食えるんだぞ!? 今日はゆっくり眠って鋭気を養って、それで明日の昼休みに備えようぜ!?」
「……トマト……」
「ブラッディトマトなんて縁起でもねー名前だけどよ、ホントに血でも流れてるんじゃねーかってくらい真っ赤で、中はじゅくじゅくなんだ。数が少ねえから、俺もまだ一度しか食わせてもらってねーんだ。なっ、楽しみだろ!?」
「……ソウです、ね」
「だろっ!? だからもう泣くなって!」
必死でなだめようとする雹夜に、
「……ふふっ」
「な、なんだよ、急に……」
「だって、ヒョウヤ、全然変わってないです」
「変わってない?」
「昔もこうやって、ワタシが泣いてると必死でなだめてくれました」
「……そうだったっけか?」
雹夜はなんとなく恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「一度、ワタシがあんまり泣き止まないから、ヒョウヤまで泣き出しちゃって……」
「だぁっ! そんなことも覚えてんのかよ!」
「あたりまえ……ですよ。大切な思い出、です」
「……そ、そうかよ……」
にっこり微笑んでくるアルトがまぶしくて、
「そ、そういや、ルチアが気になることを言ってたよな」
雹夜は話題をそらせてしまう。
アルトはそんな雹夜の様子に小さく笑みを漏らしながら、
「ソウでした。ルチアさん、吸血鬼、言ってました」
帰り際、ドラキュラランドのゲートでルチアが言ったのだ。
――最近物騒だから、気をつけてね。吸血鬼……なんて話もあるんだから。
と。
――どちらにせよ、雹夜君の耳にも入るはずだから。
そう前置きしてルチアが語ったところによると、事件の概要はこうだった。
一昨日の夜、出産を控えた妊婦がコンビニに立ち寄った帰り、突然背後から何者かに組み付かれた。
何者かは恐ろしい力で妊婦を引っ張り、路地裏へと連れ込んだ。
何者かは鋭い牙で妊婦の首筋に噛みついたが、妊婦が間一髪の所で防犯ブザーを鳴らしたために、何者かはそのまま逃走した。
駆けつけた警察官に保護された妊婦の首筋には二つの深い刺し傷が残されていたという。
失血のショックで妊婦の証言はあいまいだったが、状況からして吸血鬼の仕業であることは明白であり、昨日から浦戸市は表と裏とを問わず警戒態勢にあるのだという。
――気をつけなさいね。まさかあなたを襲おうなんて命知らずな吸血鬼もいないでしょうけど、疑われるようなことは慎むこと。
そう言ってちらりとアルトの方を見たところからすると、ルチアもまたアルトの正体を察したらしい。
「吸血鬼のしわざ、なんて話は公にはならないからな……。ルチアは〈聖霊の声〉の司祭だから、どこからか情報が入るんだろう。最近はなかったんだけどな。吸血鬼事件なんて」
「吸血鬼事件……」
アルトはそうつぶやくと、黙り込んでしまう。
ヴァンパイアとしてひとごとではない、ということなのだろう。
雹夜はうつむいたアルトの頭に手を乗せた。
「大丈夫だよ。そういうときのためにルチアみたいなのがいるんだ。それに――」
「……それに?」
「そんだけニンニク臭けりゃ、吸血鬼も逃げ出すさ」
「あーっ! ひどいですっ! そもそもヴァンパイアがニンニク苦手いうの、迷信ですっ!」
「それはおまえ見てりゃわかるよ」
「ヒョウヤさんこそ、ホントはヴァンパイアなんじゃないですか!?」
「おいやめてくれよ、昔からそればっか言われるんだから! っていうかおまえが言うなっ!」
正真正銘のヴァンパイアであるアルトは、金髪碧眼の華やかな容姿で、青白くて虚弱そうな俗っぽい「吸血鬼」には似ても似つかない。
「そういうおまえはちっともヴァンパイアっぽくねーのな」
「ソウですね。でもヴァンパイア、基本的にフツウの人です」
「みてーだな。だけど、そんなかでもアルトはやっぱ特殊だよ」
「トクシュ……ですか?」
「ああ。俺の知ってるヴァンパイアは、どこかこう、後ろ暗さみたいなものを感じてる奴が多いんだ。やっぱり、氏素性を明かせないってのはキツいんだろうな。自分は迫害されてると思い込んじまったり、逆に優越感に浸って他人を見下したり、精神的なバランスを取るだけでも大変なんだと思うよ」
「よく……わかりません」
「わかんないなら、わかんないでいいさ。アルトにはそのままでいてほしい」
「……ひょっとして、バカにされてますか?」
「そうじゃないよ。純粋でいられるってのは、アルトがそれだけ強いってことさ。おやっさんは、アルトにはヴァンパイアとしての自覚が足りないなんて書いてたが、そんなことはねーよ。俺なんかは、弱くて虐げられたから強くなろうとしてきただけだ」
雹夜は自嘲するように笑い、肩をすくめた。
アルトが唐突に足を止めた。
「……どうした?」
「……ヒョウヤは、弱くなんかないですよ」
アルトが顔を上げ、雹夜の瞳を覗きこむ。
青みがかったエメラルドの瞳には薄く涙がにじんでいた。
「ヒョウヤは、ワタシのこと、いつも守ってくれました。ワタシが強いなら、それはヒョウヤのおかげです。ワタシ、いつも想像します。ワタシの前にヒョウヤが立ってること。ヒョウヤが守ってくれてること。じゃなかったら、ワタシ、ただの泣き虫のアルボーでしたよ」
突然の告白に、雹夜は目を見開き、立ち尽くす。
「ワタシにとって、ヒョウヤはヒーローなんです。そんなこと、言わないでください」
そう言うとアルトは、硬直する雹夜の脇を抜け、先に立って歩きはじめる。
雹夜はなおもしばらく立ち尽くしていたが、
「……まいったな」
つぶやいて、アルトの後を追いかけた。