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大衆食堂〈プリマヴェーラ〉

 海に臨む高台に作られたレストランのテーブル席に、雹夜たち四人の姿があった。

 

 雹夜たちの入った大衆食堂(トラツトリア)〈プリマヴェーラ〉は、本場の味を売り文句にしたイタリアンレストランで、厨房にはピッツァ用の窯まで用意されているらしい。

 テーブルにはとりどりのイタリア料理が並んだ。

 フルコースではなく、ランチ用のセットメニューだが、季節の野菜をふんだんに取り入れた料理の数々は実に食欲をそそる。

 

 が、

 

「……うえっ」


 雹夜がうめく。

 

 その雹夜の視線の先には、アルトの前にでんと置かれた大盛りのペペロンチーノ。

 船型の白い大皿には、こんもりと山状にペペロンチーノが盛られ、その脇には唐辛子まるまる二本とオリーブオイルで焼き揚げたニンニク半玉が添えられている。

 できたてのペペロンチーノからは湯気が上がり、ニンニクの発する独特の香りが向かいの席に座る雹夜のところにまで漂ってくる。

 

「イタダキマスっ!」


 アルトはその大盛りのパスタの山にフォークを突き立て、すごい勢いでかきこみはじめた。

 

 向かいの席で繰り広げられる光景に耐えきれず、雹夜は思わず顔をそらした。

 

「……あんた、相変わらずニンニクだめなの?」

「ああ……匂いの強い食べ物はたいていだめだ。ニンニク、セロリ、タマネギ……」

「あいかわらずのお子ちゃま舌ねえ」

「うるせえ」

「それこそ吸血鬼みたいよね、あんた」

「ニンニクが食えなくたって死にゃしねーよ」

「アルトはもりもり食べてるのにね」

「ヒョウヤ、ニンニクだめなんですか? こんなおいしいもの、他にないですよ?」


 アルトが、信じられない、という顔でそう言った。

 ヴァンパイア姫の好物はニンニクであるらしい。

 

 ちらりと見ると、ルチアもアルトの食事風景を見ていささかげんなりしている様子だ。

 

「シスター・ルチアもニンニクはだめでしたっけ?」

「……ええ。体質的に受けつけないみたいなのよ。アレルギーかしらね」


 ルチアはそう言って、手元のピッツァを一切れ口に運ぶ。

 

「アレルギーじゃしかたないですよね。雹夜のはただの好き嫌いだけど」

「うっせ」


 ちなみに、かるらは煮込みハンバーグを、雹夜は子牛肉のカツレツを頼んでいる。

 

 オードブルの他に前菜はビュッフェ方式で好きなものを選べるし、自家製ミネストローネもおかわり自由だ。

 遊園地のレストランというと、いいのは外観ばかりで、値段が高くて量が少なく、味もいまいちということが多いが、このレストランはどうやら「当たり」だったらしい。値段こそやや張るものの、お腹がいっぱいになるだけの量があるし、なによりおいしかった。

 

 とくにアルトの喜びようは激しく、

「このペペロンチーノ、すごくおいしいです! 日本でこんなペペロンチーノ食べれるなんて思ってませんでした! これなら向こうで食いだめしてくる必要なかったですね!」

 と大はしゃぎ。


 一方、雹夜は、

 

(……何か、懐かしい味だな)


 レストランの料理は、昔おやっさん――アルトの父親であるジュリオンが作ってくれた手料理を思い出させる味だった。

 ジュリオンはいかつい見かけによらず料理好きで、雹夜は何度となくジュリオンに異国の料理を食べさせてもらったのだ。

 幼い頃からなじんだ味に思いがけず巡り会って、アルトがはしゃぐのは当然かもしれない。

 

 その騒ぎを聞きつけたらしく、西洋人らしいシェフが厨房から顔をのぞかせた。

 

Buongiorno(ブオンジヨルノ)! お気に召しましたか?」


 清潔そうなコックコートに身を包んだ大柄な白人男性で、物腰は丁寧ではあるが、どこか茶目っ気のありそうな造作をしている。

 シェフは手にしたみじん切り用の包丁――たしかメッツァルーナとかチョッパーとかいう調理具だ――を厨房に戻すと、雹夜たちのテーブルへとやってきた。

 

 アルトが感動した様子でイタリア語を口走る。

 シェフもイタリア人らしく、アルトにイタリア語で答え、なにごとかを話しはじめる。

 異国の地で同じ国の人間に出会えたということもあるのだろう、会話はなんだか盛り上がってしまっている。

 

 楽しげに話すアルトを見ていると、雹夜は食事が胸に詰まるような気がした。

 

(……なんだってんだ……)


 十年前に親しくしていたからといって、雹夜がアルトにとって外国人であることに変わりはない。同国人の方が気安くしゃべれることだってあるだろう。話題が食に関することとなればなおさらだ。

 もちろん、今日はじめて会ったシェフと雹夜とであれば、アルトにとって重要なのは雹夜にちがいないのだが。

 

 思わず渋い顔になった雹夜を見て、今度はかるらが不機嫌になり、さらにそんな二人の様子を見て、ルチアがにやにや笑っている。

 

 アルトとシェフの話が終わった。

 

「ヒョウヤ! シェフの方、記念にドルチェごちそうしてくれる言ってました!」

「……そうかよ」

「? どしました、ヒョウヤ」

「ふふっ。あなたがあまり楽しそうに他の男と話すものだから、嫉妬してるのよ」

「なっ……ちげえよっ」

「そ、そなんですか……ヒョウヤ、ヤキモチ焼いたですか?」

「だ、だからっ、そんなんじゃないって……」

「……一度死ねば?」


 冷たい目を向けて、かるらがぼそりとつぶやいた。

 

 そこへ、

「ハハッ。少年、心配しなくてダイジョブよ! ボクの愛はトモコとママンだけに捧げられるものだからね!」


 そう言いながらシェフが現れ、テーブルにデザートを置いていく。

 

「トマトのドルチェになるよ。実は試作品でね。感想がほしかったので、先着二〇名様にプレゼントしてるんだ。よかったら、テーブルのアンケートに感想書いてくれると嬉しいね!」


 そう言うとシェフは、雹夜の肩を軽く叩いて厨房へと戻っていく。

 どうやら、同国人の少女への特別な好意からのものではなく、純粋に商売のためのものだったらしい。

 雹夜は頭をがしがしとかいた。

 

「うふふ。かわいいなぁ」


 そんな雹夜をながめながらルチアが言う。

 

「……食べちゃいたいくらい、ね」


 目を細め、ぼそりとつぶやいた言葉の後半は、誰の耳にも届かない。

 

「わぉ! トマトのドルチェ! ワタシ、トマト大好きですよ!」


 アルトが目を輝かせてさっそくデザートに手を伸ばす。

 次いでかるら、ルチアがスプーンを取り、遅れて雹夜もデザートを手元に引き寄せる。

 

 デザートはトマトのシャーベットらしい。くりぬいたトマトの中に、トマトの実とチーズを和えたものが詰められている。

 

 雹夜はスプーンを手に取ると、さっそくシャーベットをすくい、口に運んだ。

 

「……お」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 

「甘すぎなくて、いい感じだな。野菜臭さが抜けてて、ちゃんとデザートになってる」

「へえ、なかなかじゃない」


 雹夜と同じで甘いものの苦手なかるらも頬を緩ませていた。

 

「こんなデザートもあるのね。このお店には初めて入ったけど、当たりを引いたわ」


 ルチアも目を見張っている。

 

「……アルト?」


 向かいの席のアルトを見ると、スプーンを咥えたまま硬直している。

 

「……お」

「お?」

「おい~~~~っ、しいッ……ですっ!」


 青みの強いエメラルドの瞳を、限界まで見開いている。

 雹夜はアルトの瞳の中で星がたくさん輝いているような錯覚をおぼえた。

 

「よ、よかったな」

「ハイ! すばらしいドルチェですっ」


 そう言うとアルトは無言でデザートを堪能しはじめた。

「あぁっ」とか「うぅ」とか、不明瞭な声が時々漏れてくる。


 残りが少なくなってきた頃になって、アルトはようやく落ち着きを取り戻した。

 

「フゥ……」

「おいしかったかしら?」

「ええ。でも、素材のトマト、ちょっと安物ですね」

「わかるのか?」

「もちろんです。このトマトはイタリアのトマトに比べてちょっと水っぽい感じがします。水や土が違うからしかたないかもしれないですが……」

「そりゃ、試作品だからかもしれないな。他の充実ぶりからして、メニューに載せるときには素材も選ぶだろ」

「ソウですね……」


 雹夜が言うが、アルトはまだ不満そうだった。

 食には並々ならぬこだわりがあるらしい。

 

 そんなアルトを見て、

 

「それなら、教会で作ってるトマトを食べてみない?」


 ルチアがそんなことを言い出した。

 

「学園の礼拝堂の裏手に畑があってね。ちょっとした菜園になってるのよ」

「ああ、あれはたいしたもんだよな。ズッキーニ、ピーマン、アーティチョーク、アスパラガス、それにトマトか。バジルとかミントみたいな香草もあったな。イタリア料理に使う野菜はだいたいあるんだったか」

「ほ、ホントですかっ!?」

「ええ。わたしも元はあっちの出身ですからね。ずいぶん長いこと帰ってないけれど」

「そ、ソウだったんですかっ! そ、それで、そのトマトというのは……っ!?」

「ふふっ。よほど好きなのね」


 ルチアは目を輝かせて食いついてくるアルトを愛おしそうに眺めながら、

 

「どの野菜も有機栽培なのは当然だけど、トマトに関しては、土からいじってるわ。原産地である南米の土に近い成分になるよう調整して、与える水分も現地のものに近い水を取り寄せてるの。堆肥も、たいていのものは試してみたわね。最初は失敗も多かったけれど、最近では赤々として糖度の高い、おいしいトマトが採れるようになったわ」


 そんなうんちくを語った。

 

「す……すごいですっ」

「果肉はぷりぷりしてるんだけど、決して固くはなく、身はじゅくじゅくで、フルーツみたいに甘いのよ」

「……ごくっ」

「血がしたたるような真っ赤なトマトでね。わたしは『ブラッディトマト』って呼んでるわ」

「ぶ、ブラッディトマト……っ!」


 身を乗り出さんばかりのアルトに、

 

「物騒な名前よねー」


 冷めた口調でかるらが言う。 

 実際、雹夜やかるらはことあるごとにルチアから菜園の話を聞かされている。ルチアの野菜作りにかける情熱は認めているものの、アルトほど新鮮に感動できないのはしかたがない。

 

「でも、アルトって学園に入れるの? 一応、関係者以外は立ち入り禁止でしょ?」

「う゛……ソウですか……」


 破竹の勢いで有門家に転がり込んできたアルトだが、さすがに「転入手続きなら済ませてありますよ?」などということはなかったらしい。

 

「トマトなら、俺がルチアからもらって帰ればいいだけだろ?」

「で、でも……ルチアさんのすばらしい菜園も見てみたいです……」

「んなこと言われてもな……。あ、日曜のミサの時なら一般入場もできるんだったか?」

「ほ、ほんとですかっ!?」

「たしかにそうだけど、わたしはミサの進行をしなくちゃいけないし、そのあとも信徒の方々のお相手があるから、案内するのは難しいわね」

「そ、ソウですか……」

「あーもう。落ち込まないの。べつに日曜じゃなくても、わたしから学園長に言って許可をもらえば入れるわよ」

「だけど、トマトが食べたいなんて理由で許可が出るもんなのか?」

「べつに問題ないと思うわよ? 目的がどうというより、部外者の安易な立ち入りを防ぎたいってだけなんだから。ま、礼拝堂の見学がしたいってことにでもしておけばいいんじゃないかしら? 学園長も〈聖霊の声〉の信徒なのだから」

「じ、じゃあ……!」

「ええ。明日さっそく許可を取ってあげるから……そうね、昼休みにでもおいでなさい。放課後は所用で出かけなくちゃだから」

「やったです! ルチアさん、ありがとうございますっ!」

「いいええ。わたしも菜園に興味を持ってもらえて嬉しいわ。そこの雹夜なんか、『まだ若いのに枯れた趣味だな』なんて言うのよ?」

「ええーっ!? ちょっと! いくらヒョウヤでもその発言は許せないですよっ!」

「呆れた。あんた、いい加減そのナチュラルな口の悪さ、直した方がいいんじゃない?」

「……あれはもう何度も謝ったじゃないか……」


 かるらはおろか、あっという間にアルトまで味方につけてしまったルチアは、エスプレッソのカップを傾けながらにやにや笑いを浮かべている。

 

 その後も流れは変わらず、かるらとルチアに過去のあれこれを蒸し返され、さらにはアルトが十年前のことまで引っ張り出してきて、女性三人を相手に雹夜は完全にアウェーになってしまった。

 

 女三人寄ればなんとやらを実感させられながら、食後のひとときは流れ、レストランを出た後はルチアまで加わって再びのトランシルヴァニア・マウンテン。

 ドラキュラランドの誇るお化け屋敷キャッスル・ドラキュリアを出た後には、

 

「あんたの方がよっぽど吸血鬼っぽいわよね」

「あのドラキュラさん、ヒョウヤ見て驚いてましたね」

「あれはおかしかったわねえ」


 寄ってたかって雹夜をからかうまでになっていた。

 すっかり息があうようになった三人に、雹夜はむっつりと黙り込む。

 

 かるらとの日曜『デート』はヴァンパイアの少女と美人シスターまで加えたにぎやかすぎるものになってしまったが――

 

(……ま、かるらの機嫌も直ったし、アルトが昔と全然変わってねーこともわかった。これはこれで結果オーライだったのかもな)


 女性陣のパワーに圧倒されつつも、案外それが嫌でもない雹夜だった。

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