猫目の狩人
ヴァンパイアは、いる。
雹夜はいくつかの偶然から、彼ら〈夜の貴族〉の存在を知っている。
とはいえ、その実態はフィクションに描かれているものとは大きく異なる。
彼らが好むのは血ではなく人間の生気であり、血など好むのはごく限られた変質者にすぎない。そのような嗜血癖のヴァンパイアは他のヴァンパイアからさげすみをこめて「吸血鬼」と呼ばれている。
神話や伝承、あるいはフィクションの中に描かれる耽美的で嗜虐的で血を好む「ヴァンパイア」の原型は、彼ら「吸血鬼」にあるのだ。
吸血鬼ではない一般のヴァンパイアは、基本的に無害な存在である。
彼らが必要とする人間の生気は、人が多く暮らす街で生活していれば大気から自ずと吸収できてしまう程度の量でしかない。
彼らの多くは生物としても人間とほとんど同じ身体構造を持ち、怪力、発火、飛翔、念動力、治癒、催眠、夢見、変身、不老不死などの超自然的能力を持つものは、全体の一割にも満たないといわれる。
ヴァンパイアの多くは、したがって、ごく普通の小市民的な生活を送っているし、またそうせざるをえないのが実情である。
だから、巷間に紛れて生きるヴァンパイアを「吸血鬼」と呼ぶのは、善良な一般市民を殺人鬼と呼ぶのに等しい侮辱となる。
彼らもまた、平和で静かな暮らしを望む点では、ただの人間と変わりがないのである。
しかし、ここで当然の疑問が湧いてくる。
――彼ら〈夜の貴族〉は、いったいどこからやってきたのか?
それは当然の疑問ではあるが、信用できる根拠に支えられた定説は、現在に至るまで確立されていない。
それでも、ヴァンパイアの起源が有史以前に遡ることは確実だといわれている。
一説には、神への反乱を企て地上へと投げ落とされた堕天使たちの長・ルシファーの魂のかけらが人へと宿り、半神半人の存在となったのが、ヴァンパイアなのだという。
他にも、零落した神々や精霊の末裔だという説もあれば、イエティのような未確認生物と同祖であるという説、ヒトの突然変異の一種にすぎず、自然科学の枠を超えるものではないとする説、果ては古代に地球に逢着し、この惑星の環境に適応した宇宙人であるという説など、数え上げればキリがなく、それはつまり、明確な根拠に基づく決定的な説明がまだ見つかっていないということでもある。
が、それらの説の真偽はさておき、とにかくも彼らヴァンパイアが実在することは事実である。
そして彼――有門雹夜という名の、フィクションの吸血鬼のような容貌を持つぶっきらぼうな少年は、ひょんなことからヴァンパイアの存在を知ることになり、現在、夜の世界に片足を突っ込みながら「日常」生活を送っている。
それは例えば――
†
「あんたの近くにいると退屈しないとは思ってたけど……今回のはとびきりね」
雹夜の向かいの席でそう言って肩をすくめたのは、雹夜の『彼女』――鈴城かるらである。
栗色に染めた髪、ピアス、ラメの入った口紅。えりを開いたブラウスの上には大きめのカーディガン。チェックのミニスカートに黒のニーソックス。
派手めの格好ではあるが、下品に見えかねないラインはきちんとわきまえているらしく、清楚とまではいえないまでも、清潔な印象を与える姿ではあった。
背はやや低めだが、均整の取れたスタイルをしている。
シャギーのかかった栗色のショートヘアーに縁取られた顔は整っていて、猫のようにつり上がった目が美貌にひと匙の勝ち気さを加えている。
「人をトラブルメーカーみたいに言うな」
雹夜は憮然とした表情で言った。
雹夜がいるのは、浦戸湾を埋め立てて作られたレジャー施設・ドラキュラランド内のフードコートである。
日よけのパラソルが立てられたテラス席で、『デート』に遅れた詫びとしておごることになったドリンクを飲みながら、かるらに事情を説明していたところだ。
「トラブルメーカーではないけど、トラブルを呼び込む才能は確実にあるわよね」
「…………」
唇の端を歪めて言ってくるかるらに、雹夜はむすっと黙り込む。
そこに口を挟んできたのは――
「おお? ヒョウヤは人騒がせな人なのですか?」
「お・ま・えが言うなッ!」
フライドポテトをぱくつきながら無自覚なことを言ってきたアルトに雹夜がツッコむ。
テラス席の丸いウッドテーブルを囲んでいるのは、雹夜とその『彼女』であるかるらに加え、今朝荷物とともに到着したヴァンパイアの少女・アルトディーテだった。
「しっかし、たまにつきあってくれたと思ったら、デートに他の女を連れてくるだなんて、どういう神経してるのよ?」
かるらが呆れ顔で言ってくる。
「しょうがねーだろ? 家に置いとくわけにもいかねーし。それに、俺とおまえはべつにつきあってるわけじゃない」
「そ、それはそうだけど……っ! い、一応、『つきあってる』ように見せかけないといけないんだから……っ」
「つっても、誰が見てるわけでもねーし、デートまでしなくてもいいだろ……」
「だ、誰が見てるかわからないでしょ!? やつらの追跡はしつこいんだから!」
がたんと立ち上がってかるらが言ってくる。
その顔は真っ赤に染まり、猫のようなコケティッシュさを持つ美貌が台無しだった。
目の前にいる雹夜の『彼女』――鈴城かるらは、元・ヴァンパイアハンターである。
吸血鬼ハンターではなく、「ヴァンパイア」ハンター。
人に害なす吸血鬼ばかりか、平和に暮らす無害なヴァンパイアをも狩りの対象とする、差別主義者たちの剣。
東欧の狂信的なキリスト教系暗殺教団に育てられた凄腕のハンターであり、〈黒ずきん〉といえば、その道では知らないもののない存在だった。
だが、それはすべて過去のことである。
ひょんなことから雹夜と出会ったかるらは、血なまぐさいハンター稼業から足を洗い、今では平凡な女子高生として、素性を隠しながら暮らしている。
今のかるらは〈黒ずきん〉として知られた頃のかるらとは外見からして別人ではあるが、執念深い暗殺教団の追求を恐れて、多少とも効果のありそうな『煙幕』はなんでも張っておくよう心がけている。
そのひとつが――雹夜という恋人がいる、というものなのだ。
「つっても、俺が彼氏のふりをしたところで、おまえの素性を隠す上でどれだけの効果があるかは疑問だけどな」
何度目になるかわからないツッコミを入れると、
「あ、あたしみたいな美少女に彼氏の一人もいなかったら怪しいでしょーが!」
と、かるらは妙に焦った様子で言った。
「……いや、んなこともねーだろ。ていうか自分で美少女とか言うな」
呆れまじりに言う雹夜に、
「オー。ヒョウヤはオンナゴコロがわからない人なんですか?」
かるらの様子をじっと見つめていたアルトが、ジト目を向けてきた。
「は? どういう意味だよ」
「ソレはですね……」
「っと! ストップストップ!」
にやりと笑って口を開きかけたアルトを、かるらがあわてて制止する。
「……この街で生きていたかったら余計なことを言うな、ヴァンパイア」
一転、表情を消し、顔を寄せてぼそっとつぶやいたかるらの台詞に、アルトがびくりと身を震わせる。
「おい、あんまり脅かすな。大切な預かりものなんだからよ。……っていうか、やっぱりわかるか」
「そりゃあね。あたしもほら、ああいう稼業をやってたわけだから……だいぶ勘も鈍ったけど、これだけ強力な気配を垂れ流してたら、そりゃ気づくわよ」
「ま、そういうこった。だからなおさらおやっさんとしても心配なんだろう。俺んちに住むってのはともかくとして、同年代との交流を持ちたいってんなら、たしかにこの街ほど適した場所もねーな」
「ホームステイ先としてあんたのとこを選んだのも、そういう意味では正解だけど……」
顔をしかめて、かるらが言う。
「女の子と同棲なんて許さない! って言いたいとこだけど、あんたに言っても無駄でしょうしね」
「安心しろ。何もしねーよ」
「あんたからは何もしなくても……ねえ?」
かるらはアルトをじろりと睨む。
「だ、大丈夫ですよ、かるらさん。や、ヤマシイことは何もないです」
「本当~?」
「ホントウ……です」
「神に誓って……は言わないか。ヴァンパイアとしての矜恃に誓ってそう言えるの?」
「そ、それは……」
なぜか言いよどむアルトをなおもジト~っと見ていたかるらだったが、
「……はあ。もういいわよ。来るものは拒まずがあんたのモットーだものね?」
「そんなモットーを持った覚えはないが、しょうがねーだろ? もう来ちまったんだから」
雹夜の言葉にかるらは深いため息をつき、
「あぁ! もうっ! 今日はあんたのおごりで遊ぶわよっ! 遊んで遊んで遊び尽くしてやるっ! 行くわよ、ホラ!」
勢いよく立ち上がり、ずんずんと歩き出したかるらに、苦笑しつつ雹夜が続き、雹夜の後をひょこひょことアルトがついていく。