きゅぅ
「……ヒョウヤ!」
「うおっ!」
顔を寄せて大声を上げてきたアルトに、雹夜は思わずのけぞった。
「どうしたですか? 急に黙っちゃって」
「ああ、いや……昔のことを思い出してな」
「昔のこと、ですか?」
「ああ。あの公園でアルトが泣いてたこととか、な」
「な、泣いてなんてないですよぉ!」
アルトが頬をふくらませる。
その様子には、確かに十年前の面影があった。
公園での一件以来、雹夜はアルトやアルトの父親――ジュリオンと親しくつきあうようになった。
ジュリオンは雹夜のことをずいぶんかわいがってくれた。
それこそ十年越しの手紙に「友にして義父」などと署名してくれるほどに。
ジュリオンとアルトがヴァンパイアだなんて当時は考えもしなかったが、だからといってアルトやジュリオンとの絆が嘘だったとは思わない。
雹夜は苦笑しつつ、
「で、アルトはうちにホームステイしたいわけだな?」
「そうですっ」
「つっても、うちはちょうど両親がイタリアだから、俺ひとりだぞ? おやっさんも両親がいると思ったからおまえを送ってきたんじゃないのか?」
「たぶん、大丈夫です」
「大丈夫って……」
「父さま、雹夜のこと信頼してます」
「そうは言っても、若い男のところに娘が住むとなったら話は別だろ?」
アルトは首を振る。
「父さま、言いました。『おまえにはヴァンパイアとしての自覚が足りていない。雹夜のもとで暮らしてヴァンパイアのなんたるかを学んでこい』と」
「俺はヴァンパイアじゃないんだが」
「でも、父さま言ってました。『わたしがこれまでに出会った男の中で、真の意味でヴァンパイアと言いうるものは数えるほどしかいないが、有門雹夜がその一人であることはまちがいない』と」
「いや、だから……」
「『わたしは雹夜にヴァンパイアとしての心得をすべて授けた。わたしの後継者と呼びうる男がいるとしたら、雹夜を置いて他にはない』」
雹夜はぽりぽりと頬をかく。
十年前のジュリオンとの交流が今の雹夜の精神的な基盤となっていることはたしかだが、まさかそこまで評価してもらえているとは思いもしなかった。
そんな雹夜に、アルトは覗きこむような視線を向けてきながら、
「……なんなら婿にしてもいいぞ、言ってました」
「それはさすがに冗談だろ」
「父さま、そういうことで冗談言わないですよ。父さま、ヒョウヤのこと本当に買ってる」
「…………」
そうまで言われてしまうと、何も言えなくなってしまう。
戸惑う雹夜に、アルトは不安げに眉を寄せて、
「……それとも、ヒョウヤはワタシと暮らすは嫌ですか?」
「……っ」
うっすら涙すら浮かべて言ってくるアルトに雹夜はたじろぐ。
そして――
「あーもう……わかったよ! 好きにしてくれ!」
「ホントですか! やったぁ!」
バンザイして喜ぶアルトを見ながら、雹夜はこっそりとため息をつく。
と、
「……ん? って、あ!!」
雹夜はジーンズに入れっぱなしだった携帯電話を取りだした。
メール数件に、着信が――十件を超えている。
家具を搬入する物音のせいで気づかなかったのだろう。
「やっべぇ!」
「ど、どうしたですか? ヒョウヤ」
「約束があったんだよ! ったく、急に引っ越し業者なんか来るから……」
引っ越し業者が来なかったら来なかったで寝坊していた可能性が高かったのだが、あわてた勢いでついそんな言い方をしてしまった。
「ご、ゴメンナサイ……」
「い、いや、アルトは悪く……なくはないが。まあ、こんなこともあるさ」
「そ、それで、約束いうのは大事なものだったですか?」
「あ、いや、その……」
急に歯切れの悪くなる雹夜。
「ヒョウヤ……?」
首をかしげてのぞきこんでくるアルト。
べつに突然やってきたアルトに遠慮するようなことではないはずなのだが、雹夜はなんとなく言いあぐねる。
雹夜としては、アルトが向けてくるあけすけな好意に気づかないほど鈍感ではないつもりだが、かといって、それが親愛の情だけによるものなのか、それともいくぶんかの恋愛感情をも含んでいるのか――それがすぐにわかるほど、異性とのつきあいに慣れているわけでもなかった。
とはいえ、隠しておくこともできないし――そもそも、隠すほどのことでもない……はずだ。
「あーっと……一応、デート、になるのかな」
視線をそらしつつも、思い切って言った雹夜だったが、
「…………きゅぅ」
「だーっ! もう、だから言いたくなかったんだよ! しっかりしろ!」
卒倒したアルトの肩を揺さぶりながら雹夜が叫ぶ。
床に投げ出された雹夜の携帯からにぎやかな着信メロディが流れた。