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巨大な背中


 我が朋輩 アリカド・ヒョウヤ殿


 ひさしく無沙汰であるが、壮健にしておるか?

 五〇〇年を生きてきた蒼き血の一族にとって十年はさしたる時間ではないが、ヒョウヤほどの歳の人間にとっては貴重にして決定的な時間であったことだろう。

 貴君の成長を我が目で確かめ得ぬこと、まことに遺憾であるが、(われ)が王と見込んだ貴君なれば、かならずや人として幾回りも成長していることだろう。現在の貴君を想像するだに、我は微笑を禁じ得ぬ。

 

 さて、かねてからの無沙汰を破って、突然かような手紙が届き、貴君は戸惑っておられるであろう。

 十年前、貴君がいまだ幼き少年であった頃、我は貴君に王としての薫陶を授けつつも、我が本性については語らずに済ませてしまった。

 幼き貴君への配慮という面も否定はせぬが、やはり我自身どこかで恐れていたのであろう。異類としての我が、貴君の目にいかに映るかということを。常に王者として、自らの正義を恥じることなく示せ、などと言っておきながらのこのざまであるが、それだけ我は金剛石の原石がごとき貴君の可能性に入れ込んでおったのだ。

 

 このような形での告白となることは容赦願いたいが、我はヴァンパイアと呼ばれる存在である。

 我が娘、アルトディーテもまた、ヴァンパイアである。

 

 今回かような手紙を寄越した理由は、他ならぬ、アルトディーテのことである。

 アルトディーテは、我が手塩にかけて育てし姫であり、その性、天真爛漫にして天衣無縫、今後どれほどの美姫となるか、親ながら末恐ろしく思っておる次第であるが、肝心要の王としての気性には、残念ながらあまり恵まれておるとはいえぬ。その優しさと明るさとは、女性として、あるいは人として、なによりの魅力ではあろうが、王として君臨するに必要な威厳や、厳正なる裁きを下す胆力などは持ち合わせておらぬ。

 

 永き時を生きてきた我ではあるが、はじめて持つ娘でもあり、この先もアルトディーテ以外の子をもうけるつもりはない。亡き母の面影を残す愛娘に、厳正なる王であったはずの我が目も曇り、王としての自立を促すよりは、いつまでも我が娘であってほしいと、そのような願望に屈して、少々……その、かわいがりすぎてしまったのかもしれぬ。

 が、貴君と同様、我が娘も人生の春を迎えつつある時期であり、人格を陶冶する上でもっとも重要にして決定的なる時期にさしかかっておることを、認めないわけにはいかぬ。


 そこで、断腸の思いではあるが、我が娘を信頼のできる同年代の友人たちの中へと送り出すことに決めた。


 しかし、貴君も知る通り、人間の社会というものは、洋の東西を問わず、異質なる他者をとかく排除したがるものである。箱入り娘であるアルトディーテには辛いことも多かろう。

 アルトディーテには同年代の友人がおらぬから、そばにいて面倒を見させるなり、友人づきあいをさせるなりできる適切なものが、我が身辺にはおらぬ。

 

 どうしたものかと悩みに悩んだ。王としての職務においては即決即断を旨とする我であるが、やはり愛娘のこととなれば、分別も何も失せ果てるものらしい。夜を眠らぬのは我が本性でもあるが、それこそ夜通しで悩み続け、困じ果て、いよいよ我が正気すら疑わしくなってきたとき、我が寝室に満月の光が差し込んで参った。その光を見たとき、我は思い出したのだ。遠き異国の街でまみえし、我が眷属がごとき容貌と魂の気高さとを併せ持つ、幼き少年のことを。

 

 遠き追憶の少年、アリカド・ヒョウヤよ。これは王たる我の心からする願いである。あるいは、王である以前の、愛娘アルトディーテの父としての我の願いである。我が娘アルトディーテをしばしの間逗留させ、貴君が友として遇してやってはくれまいか。短い間ではあったが、貴君に我は王としての薫陶を授けたつもりであるし、なにより貴君の人としての気高さを我は十分に買っておる。

 

 我が願い、どうか聞き届け給わらんことを。


貴君が友にして義父たらんとするもの 

ジュリオン・ソラーレ 


    †

 

「お父さま……こんなにもワタシのことを……」


 目に涙を浮かべ、感動しているアルトに対し、

 

「……なんていうか、おやっさんもけっこう親ばかだったんだな」


 雹夜は紙面にジト目を向けている。

 

「なあ……おやっさんは、どんなヴァンパイアなんだ?」

「ワタシとお父さま、〈灼魔(しやくま)天遣(てんけん)〉呼ばれるトクシュなヴァンパイアの一族で、ナカでもお父さま、史上最強言われるヴァンパイアです。地中海の魔王、呼ばれてます」

「ま、魔王ぉっ!? なんだそりゃ!?」

「ここ数世紀、アドリア海とティレニア海とその沿岸、お父さまの支配下です。だから、正確には、地中海、言いすぎですが」


 アドリア海とティレニア海は、イタリア半島の東西に広がる内海で、その沿岸といえば、イタリアはもちろん、クロアチア、アルバニア、ギリシアの西岸に加え、シチリア島とサルデーニャ島、さらにはフランスの南岸をも含む、広大な地域である。

 たしかに地中海の全域を覆っているわけではないが、

 

「いや、それだって十分すげえだろ……」

「いま、これだけ広い地域のヴァンパイア、従えてるの、お父さまだけです。お父さま、『ヴァンパイアの王』とか、『魔王』とか呼ばれます」

「は、ははっ……」


 途方もない話に、乾いた笑いしか出てこない。

 

 だが、アルトの話を疑う気にはなれなかった。

 雹夜の知るおやっさん――アルトの父ジュリオン・ソラーレは、当時の雹夜の目から見てもまさに『傑物』で、地中海の北隅を支配するヴァンパイアの魔王なのだと聞かされても、なるほどそうだったのかと素直に納得してしまう。

 

 そんなおやっさん――ヴァンパイアの王、ジュリオン・ソラーレが、自分のことをそこまで買ってくれていたことは嬉しかったが、

 

(お願いって言っておきながら、返事もしてねーのに押しかけてきちまうんだからな)


 こちらが断る可能性など、考えてもいない……いや、思いつきすらしなかったのだろう。

 命令することになれきった王の発想だともいえるし、本人が書いているとおり、娘を想うあまり世間並みの分別などなくしてしまっているのかもしれない。

 

(ま、昔から強引なおっさんだったけどな)


 雹夜は十年前のことを思い出す。

 

    †


 十年前。

 

 今はもうなくなってしまった公園でのことだ。

 

 まだ七歳だった雹夜は、きょろきょろと周囲を見回して、誰も追ってきていないことを確認してから、大きく息をついた。

 

 当時から整いすぎた白皙の美貌と女の子のようによく伸びる長い黒髪で有名だった雹夜は、年上の女性からの人気こそ高かったものの、同年代の子どもにはよくいじめられていた。

 その日も入ったばかりの小学校の同級生にからまれ、数人がかりで髪を引っ張られたり、ベルトで叩かれたりしていた。

 からんできた同級生の一人を突き飛ばして逃げてきたが、こちらが手を出したことで向こうは興奮し、雹夜のことを執拗に追いかけ回してきていた。

 

 そこで、こんなときのために調べておいた、公園の塀の抜け道を使って、雹夜は公園へと逃れてきたのだ。

 

 が、じっとしていてはすぐに見つかってしまうだろう。

 抜け道を通ることで目をくらませることはできただろうが、絶対的な距離の面ではまだ逃げ切れたとは言いがたい。

 

 雹夜は公園の植え込みをがさりと割って、噴水のある遊歩道へと身を乗り出した。

 

「ひゃぅっ!」


 雹夜の間近で悲鳴が上がった。

 

 見ると、すぐそばにあるベンチに、やたら目立つ女の子が座っていた。

 金髪碧眼、白を基調としたフリフリのドレスを着たその女の子は、驚いた拍子に手にしたアイスクリームをドレスに零してしまっていた。

 

「ふ、ふえぇっ……」


 女の子の目にみるみる涙がたまっていく。

 雹夜はあわてて、

 

「わっ! さわぐなよ! 気づかれちゃうだろ!」


 雹夜はとっさに女の子の口を押さえた。

 

「んー! んんんーっ!」

「だ、だからっ! 静かにしてくれ! あ、あばれるなって……わぁっ!」


 少女が暴れた拍子に、アイスクリームのコーンが手からすっぽ抜け、空中を半回転して、雹夜の頭に墜落した。

 コーンの中に残っていた溶けたアイスが雹夜の頭に垂れてくる。

 

「うげっ! 気持ち悪っ! べたべたするっ!」


 雹夜はあわてて近くにある水飲み場で頭を洗う。

 

「あーもう……ぐちゃぐちゃだ……」


 雹夜は髪が長いので、一度濡らしてしまうとなかなか乾かない。

 頭を前に垂らしたまま、髪を絞って水気を切る。

 

 と、

 

「……ン」

「……俺に、か?」

「ン」


 いつのまにかそばにやってきていた少女が、ハンカチを差し出してきた。

 

「……ありがと」


 雹夜はそのハンカチで髪の水分を取る。

 実のところ、薄いレースのハンカチでは水分はほとんど取れなかったが、それまでに感じていた苛立ちは嘘のようになくなっていた。

 

 雹夜はそのハンカチを水に浸して絞り、

 

「おまえのも拭いてやるよ」


 言って少女の前にかがみ、少女のスカートをぬぐってやる。

 

「ア、アリ……ガト」

「いや、俺こそ驚かしちゃったな。ごめん」


 少女はふるふると首を振った。

 

 雹夜は改めて少女を見る。

 ウェーブのかかった肩までの金髪、大きく見開かれた青みがかったエメラルドの瞳、白くて透き通る肌の色。

 人形みたいにかわいい女の子だった。

 

「……おまえ、外国の子?」

「ガイコク……?」

「……言葉わかんねーのか? ま、いいや。そうだ、代わりのアイス買ってやるよ」


 小首をかしげる少女の手を引いて、公園内にあるアイスクリームの屋台に向かった。

 

 仕草で、好きなアイスを選ぶように伝えると、少女は首を振って、選ぼうとしない。

 しょうがないので、雹夜の好きなアイスを二つ選んで、片方を少女に押しつけた。

 

 近くの噴水に腰かけて、ふたりでアイスを食べる。

 それまでさんざん遠慮してたくせに、いったんアイスを食べ始めると、少女はものすごく真剣な表情で、一心不乱にアイスを食べた。

 

「おまえ、名前は?」

「ナマエ……?」


 少女が首をかしげる。

 

 雹夜は少し思案してから、

「雹夜」と言って自分を指さし、それから少女を指さす。


 少女はぱっと顔を輝かせて自分を指さし、

「アル!」と叫び、雹夜を指さして「ヒョーヤ!」と言った。


「アル、か。じゃあ、アル坊だな」

「アルボー?」


 少女――アルが不思議そうな顔をする。

 

「そう。あだ名だよ。あぁ、あだ名って言ってもわかんないか……」


 雹夜はふたたび思案して、

 

「友達」と言って、自分とアルを交互に指さす。


 少女はわからなかったらしく、また首をかしげている。

 

「雹夜、アル、友達……あーっと、どう言えばいいんだ?」


 雹夜はがしがしと頭をかく。

 この辺りの癖はいまの雹夜とほとんど変わらない。

 

 そういえば、と思い出す。

 雹夜の両親が言っていた。

『いたりあ』という外国では、親しい友人や家族は、特別な方法で親しさを表現するのだと。

 雹夜は、見よう見まねで、その方法を試してみることにした。

 

 すなわち、

 

「んっ……」


 雹夜はアルの両肩をつかむと、アルの両頬にキスをした。

 唇に伝わるやわらかであたたかい感触と、アルの髪から漂ういい匂いが心地よかった。

 唇を離してからもう一度、

 

「友達」


 と言って互いを指さす。

 アルは顔を輝かせて、

 

「トモダチ! ヒョーヤ、アル!」


 そう叫ぶと、今度はアルの方から雹夜を抱きしめ、両頬にキスをした。

 

「友達」

「トモダチ!」


 言い合って、微笑む。

 男女のことなんてなにもわからない歳だったが、夕日に照らされたアルの横顔はとても綺麗で、雹夜は恥ずかしくなって、おもわず目をそらせてしまった。

 

 が、その先には――

 

「――っ」


 例の同級生たちが、意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。

 雹夜はすぐに立ち上がり、アルを後ろにかばう。

 

 その先のことは――お決まりだろう。

 雹夜は『ガイジン』の少女との仲をからかわれ、同級生たちに突き飛ばされて、起き上がれないまま身体中を蹴られた。

「吸血鬼をやっつけろ!」とかなんとか言われた気がする。その週はたしか、テレビで吸血鬼ものの映画が放映されていたのだったと思う。


 アルはその光景を泣き出しそうな顔で見ていた。

 雹夜は目で「早く逃げろ」と訴えたのだが、気づかないのか、怖くて動けないのか、少女は棒立ちになったままだ。

 

 やがて、同級生たちの矛先が、アルの方へと向いてしまった。

 

 同級生の一人が、アルの肩をつかむ。

 アルは身をよじって逃げようとする。

 その拍子に、アルのドレスが裂けてしまった。

 勢いあまったアルと同級生は反対側の地面に倒れた。 

 膝をすりむいて痛がるアルに、起き上がった同級生が拳を振り上げた。

 

 雹夜の中で、何かが弾けた。

 

「やめろよっ!」


 雹夜は痛む身体をむりやり起こすと、同級生の腕を掴んで、地面に引きずり倒した。

 

 同級生の顔に拳を打ちつける。

 同級生が鼻血を噴いた。

 

 それを見た他の同級生たちが騒ぎ出し、その中の一人が、大人を呼びに走っていく。

 

 やがて、大人たちがやってきた。

 

 大人たちは状況を見て取ると、暴力を振るった雹夜を責めた。

 

 もちろん、雹夜は先に暴力を振るわれたことを訴えたが、大人たちは聞く耳を持たない。

 

 同級生たちは、自分たちは暴力を振るったのではなく、じゃれて遊んでいただけだと主張したし、大人たちは「鼻血が出た」という結果だけを見て雹夜が悪いと決めつけた。

 

 もちろん、言葉の通じない外国人の少女の話など、はじめから聞こうともしなかった。

 

 それでも雹夜は自分の正当性を主張し続けた。

 

 大人たちは明らかに、この厄介な事態をさっさと片付けたがっていた。

 そしてついに、大人たちの中でいちばん短気な大人が、拳をふりかぶり、「聞き分けのない」雹夜の頭にそれを振り下ろそうとした。

 

 雹夜は、その大人の顔を睨みつけたまま微動だにしなかった。

 ここで怯んだら負けだと、本能的に判断したのだ。

 

 が、その拳が振り下ろされることはなかった。

 横あいから突き出された毛むくじゃらの太い腕が、拳を振り上げた大人の腕をがっちりと掴んでいたからだ。

 

 雹夜は顔を上げて、毛むくじゃらの腕の持ち主を見た。

 

 夕日を背にしたその人影はとてつもなく大きかった。

 他の大人たちより頭ふたつ分以上背が高く、肩幅に至っては倍近い。

 顔の大部分は影にかくれて見えなかったが、無精髭にまみれた口がにやりと歪められて、その隙間からはみでる大きな犬歯がぎらりと光った。

 

「よくがんばったな、坊主」


 言って男は雹夜の髪をかきまわした。

 その動作は乱暴だったが、不思議に悪い気はしなかった。

 

「ここから先は、俺に任せとけ」


 歯をむき出しにして笑いながらそう言った男は、さっそく事態の収拾にかかった。

 ぐずぐずと言い訳をする大人たちと同級生を一喝すると、雹夜や少女の話も聞きながら、男はあっというまに事態を収めてしまった。

 

 大人たちのやりとりは当時の雹夜にはよくわからなかったが、それだけに男の仲裁はまるで魔法のように思えた。

 

 決まり悪げに公園から去っていく大人たちと同級生を尻目に、男が言った。

 

「ありがとな、坊主。まったく、あんなうすら汚れた大人なんぞより、おまえの方がよっぽど大人じゃねえか」


 その一言で、雹夜はひとりきりの戦いが報われたような気がしたのだった。

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