赤い塊(エピローグ1)
闇の中から転がり出てきたのは、血に塗れたかのように赤い塊だった。
その塊を、震える手つきで取り上げる者がいた。
その者こそ、幹から切断されたこの赤い塊をこの場へと運んできた張本人だった。
略奪者――そんな呼び名が、この者には相応しいだろう。
略奪者は、さながら薬物中毒者のような危うい手つきで赤い塊を持ち上げ、自らの口へと近づけていく。
略奪者は、その鋭い牙を、鈍く輝くその赤い表面へと突き立てた。
音すら立てて、赤い液体がしぶき、略奪者の牙を、顔を、身体を汚していく。
しかし略奪者は、そんなことにはいささかも頓着しない。
ただ、貪る。
皮を裂いて中の軟らかい身に喰らいつき、噴き出す飛沫を啜り上げ、最後にはその赤い塊を皮ごと咀嚼し、跡形もなく呑み込んでしまう。
そこにいるのは、まさしく、一匹の飢えた獣だった。
貪り喰らった塊は、幹を離れて時間が経ったことで、ほどよく熟していた。
肉はより軟らかく、汁はより濃厚な味わいを返してくる。
略奪者がこれまでに喰らってきた同種の餌食の中でも、飛び抜けて高い味と香りとを誇る、最高級の逸品だった。
――美味い。
あまりの美味さに、略奪者は賛嘆を通り越して不気味さすら感じた。
なぜこんなに美味いのか?
これではまるで魔性だ。
そう。禁じられたこの悦楽から逃れられないのは、決して自分の意志が弱いせいではない。
これが悪いのだ。
これが美味すぎるのが悪いのだ……!
おのれの良心をそんな安っぽい免罪符で誤魔化しながら、略奪者は次の犠牲者へと震える手を伸ばしていく。
噛み、引き裂き、食いちぎる。血肉がしぶき、暗い部屋に独特の臭気が立ちこめる。
略奪者は時を忘れ、禁じられた悦楽に酔い痴れる。
が。
略奪者は、この程度の食事では満足しない。
できない。
貪り、喰らうこと――それこそが、罪深き略奪者の本能だからだ。
略奪者は、こみあげる歓喜に身を震わせながら、次の犠牲者へと手を伸ばし――
「……アルト?」
突然、背後からかかった声に、略奪者がぎくりと身をすくませる。
ぎいっ……と蝶つがいの軋む音を立てながら、書斎の扉がゆっくりと開く。
廊下から差し込む光が帯状に伸びて、床に座りこんで赤い塊にかじりつく獣の横顔を照らし出した。
「……っ! ア、アルト……おまえ、まさか……!」
現れたのは、女性のような長く黒いつややかな髪と、白皙の美貌とを持つ少年――有門雹夜だった。
雹夜は風呂上がりらしく、短いトレーニングパンツとTシャツというラフな格好をしている。
が、その表情はラフとは到底言いがたい状態だった。
目の前にある光景を信じられない、信じたくない。
もっとも信頼する相手に裏切られた者の浮かべる、恐怖と驚愕との入り混じった表情。
そう。本物の吸血鬼を前にしても、いささかも怖じ気づくことのなかった浦戸王・有門雹夜が――戦慄している。
「こいつは……っ!」
雹夜の視線が、室内の惨状に向けられる。
彼の父との記憶のつまった有門家の書斎は、いまや地獄と化していた。
赤、赤、赤……。
そこらじゅうにごろごろと転がる、赤い塊と、その残骸。
さながら血の海といったありさまの部屋の中心に、ぺたんとアヒル座りしているのは、他でもない、有門家の居候にして、地中海の魔王ジュリオン・ソラーレが娘、太陽に祝福されし〈灼魔の天遣〉、アルトディーテ・ソラーレだった。
アルトはしばし、ぽかんとした表情で雹夜を見上げていたが――
「ご……、ごごご、ごめんなさい~~~~~っっ!!」
手にしたトマトを放り出し、雹夜に向かって勢いよく土下座した。
そんなわけでした。
なんとなくわかってた人はいるかもしれませんね。




