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地中海の吸血姫

 とりあえずこうしていてもしかたがないので、雹夜はド本命から調べてみることにした。

 棺だ。

 

 が――

 

「くそっ。鎖がからまって解けねーぞ」


 一見無造作に巻かれているように見える鎖は、複雑に交差していて、無理にひっぱろうとすると他の鎖とからまってしまう。


「だーっ。なんだこれは……新手の嫌がらせか?」


 雹夜がふだんやっている『課外活動』は、多くの場合相手に感謝される種類のものだが、一歩間違うと見知らぬ誰かの恨みを買ってしまうようなこともある。実際、嫌がらせを受けたことも一度や二度ではない。きわめて不本意なことではあるが、そのような嫌がらせを受ける心当たりもいくつかあった。

 とはいえ、

 

「こんな手間暇かかった嫌がらせもしねーだろ……」


 趣味の良し悪しは別として、この棺も、家具も、そんじょそこらに売っているような安物ではないことはたしかだ。引っ越し業者まで雇ってこんなものを送りつけてくることが、いったいどんな嫌がらせになるというのか。

 もう一度、棺を観察してみる。

 

「……ん?」


 棺の蓋の側面に刻まれた、装飾が激しすぎて判読の難しい筆記体の文字列の中に、なんとか識別できそうな部分があった。

 その部分だけ字体が真新しく、書体も他の部分に比べて装飾が少なかったのだ。

 それでも蔓草のようにのたくっている文字は読みづらいが、一字一字解読していくと――

 

 

「ARTO…DITE……、SOLARE。……人名か?」



 雹夜がつぶやいた瞬間――



 がたん!



「どわっ!」


 棺が揺れた。

 棺の蓋がわずかに持ち上がって、何かが覗いたような気がした。

 

「ゆ……指じゃなかったか?」


 棺の蓋の隙間から、一瞬だけ、白くて細長い何かが覗いたのだ。

 

「……ひょっとして……」


 雹夜の脳裏に一つの仮説が浮かんだ。

 とりあえず、試してみることにする。

 

「ラテン語……か? たしかこの辺りに辞書があったはずだが……」


 語学に堪能な雹夜の父親の蔵書にはラテン語の辞書もあったはずだ。イタリア語はラテン語と縁の深い言語だということで、雹夜の両親は簡単なラテン語の読み書きができるし、雹夜に教えようとしていた時期もある。雹夜は複雑な活用表を見せられた時点でやる気をなくしてしまったのだが。

 

 ともあれ、辞書を引きながら、雹夜は銘文の解読にかかる。

 

「棺よ、開け……、汝が……主人……、アルトディーテ……ソラーレを、この世に……顕現、させよ――」


 雹夜が言った瞬間、棺から光が溢れた。


「あ、当たり……か!?」


 雹夜は思わずのけぞった。

 

 が、そこからくりひろげられたのは、なんとも間抜けな光景だった。

 

 蓋ががたごとと動くが、金鎖に邪魔されて開くことができない。

 その時点で、雹夜の位置からは、蓋を必死に押し上げようとする白い腕がばっちり見えてしまっていた。

 ウェーブのかかった金髪のようなものがちらりと覗いたような気もする。

 

 棺の中身はしばし、蓋を押しのけようと無駄な努力をくりかえす。

 そのあいだに棺から溢れていた光もすっかりおさまってしまった。

 

 場に沈黙が下りる。

 

 どうしたものか対処に困った雹夜だが、このまま見ているだけではいつまでたっても話が進まない気がする。


「お、おい……鎖、鎖」


 見かねた雹夜が声をかけると、

 

「そ、ソウデシタ……」


 女性の声が聞こえた。イントネーションが少しおかしいが、たしかに日本語だった。

 

「か、〈戒鎖(かいさ)〉っ……、と、解けてください!」


 女性の声とともに金鎖が光り、環のひとつひとつが輪郭を失って、虚空に消えた。

 

「よ、よいしょ……」


 がこん、と音を立てて棺の蓋が開く。

 

 棺の中から現れたのは――



「ヒョウヤ! おひささ……おひさし、ぶりです!」



 ウェーブのかかった豊かな金髪、真夏の地中海のような明るい輝きを宿す碧眼、すらりと通った鼻梁に、みずみずしい桃色の唇。

 棺から飛び出してきたのは、そんなブロンドの美女だった。

 ブロンド美女は呆然とたちすくむ雹夜の首根っこに抱きつくと、雹夜の両頬に猛然とキスの雨を降らせてきた。


「お、おい……!」


 不意を打たれた雹夜は美女を引きはがすこともできず、なされるがままになってしまった。

 ブロンド美女はなにやらイタリア語で(両親の影響で、意味はわからないまでもイタリア語であることくらいはわかるのだ)わめきながら雹夜を翻弄する。

 

「会いたかったですよぉ、ヒョウヤ!」


 美女はようやく雹夜から身体を離し、うっとりした口調でそう言った。

 

 美女――と思ったが、こうして見ると雹夜とそう変わらない年頃に見える。

 日本人の少女とくらべると、背も高いし、顔立ちもやや大人びていて、いろいろな部分の発育もいいが、両親の仕事の関係で知り合ったイタリア人の少女たちを思い出すと、同年代と見ていいはずだ。

 

 ごてごてしたゴシック調の棺とは打って変わって、少女の出で立ちはふつうだった。

 ローライズのジーンズにラフなTシャツを合わせ、ウェストに革のベルトをつけただけのシンプルな装いだ。首につけたトップのないチョーカーが、アクセントと言えばアクセントだろうか。

 

 が、そのシンプルさがかえって少女の魅力を引き立てている。

 スリムなジーンズは少女のほどよく引き締まった脚線をこれ以上ないくらいに見せつけているし、ぴったりとしたTシャツは肩から胸、腰にかけてのボディラインをいやがうえにも強調する。ちらりとのぞく白いへそや、狭い袖口で絞られた二の腕のふくらみもまた、少女の健康的な色気を訴えてやまない。

 

 少女は透き通るように白い頬を紅潮させ、青みがかったエメラルドの瞳に光を湛えて、雹夜の目をまっすぐに見つめてくる。


 が――



「あーっと……。どこかで……会ったっけ?」



 無情極まる雹夜の言葉に、ブロンドの美少女――アルトディーテ・ソラーレは泣き崩れた。

 

    †


「……で、どういうことなんだ?」


 泣きじゃくるブロンド少女をなんとかなだめ、リビングに連れてきた。

 とりあえずダイニングテーブルに座らせ、麦茶を出す。

 泣きはらした目の少女はストローをじゅるじゅると吸った。

 

「うぅ……。ほんとに覚えてないですか?」

「……悪いな。あんたみたいな綺麗な女、見たら忘れねえと思うんだが……」

「き、綺麗……っ?」

「ああ、そりゃ、綺麗だろ。あんた……アルトディーテ、でいいのか?」

「……そうですよぉ。アルトディーテ・ソラーレです……。アルトでいいですよ……」

「ふむ。アルト、か。アルトディーテ……ソラーレ? んん……?」


 雹夜の記憶にひっかかるものがあった。

 

「まさか……おやっさんの関係者、か?」

「……その『おやっさん』というのが、ジュリオン・ソラーレのことなら、ワタシの父ですよぅ……。なんで父さまのことは覚えてるのにワタシは忘れてるですか……」

「おやっさんの……娘ぇっ!? ってことは、おまえ……アル坊かよ!?」


 思わず椅子を蹴って立ち上がり、アルトの手を握る。

 

「ひゃぅ!」

「ひっさしぶりだな! いやぁ、全然わからなかった! あん時の泣き虫がこんな美人になってるなんてなぁ!」

「び、びび、美人……っ」


 雹夜に手を握られたアルトが真っ赤になった。

 湯気でも噴きそうな顔である。

 

「そうかそうか……なっつかしいなあ!」

「お、思い出してもらえましたか……」

「おう、もちろんだ! っていうか、ノーヒントじゃ無理だって! おまえ様変わりしすぎだろ」

「え、えへへ……。そうですか?」


 まんざらでもなさそうに頭をかくアルト。

 

「でも、いったいどうしたんだ? いきなり引っ越し業者なんか来たから驚いたぞ」

「あはは……感動的な再会、演出しよう思ったのに、失敗してしまいました……」

「演出って」


 いくら仲がよかったとは言え、十年ぶりに再会する相手の家にいきなり家財道具を送りつけてくることのなにが演出になるというのだろうか。

 首をかしげる雹夜に、アルトが言った。

 


「だって、ヴァンパイアといったらカンオケじゃないですかー」



 あっけらかんと言ってくるアルトに、雹夜はため息をついた。

 あの棺を見たときから、そうではないかと思ってはいたが、よくよく自分はヴァンパイアに縁があるらしい。


「あー。やっぱりそうなのか。ってことは、おやっさんもヴァンパイアだったってことか」

「アレ? 聞いてなかったんですか?」

「聞いてないよ……。頼りがいのあるおっさんだなって思ってただけだ。そりゃあ、あんな白人系の大男なんだから、この街じゃ目立ってたけどな」

「……ひょっとして、父さまの出したお手紙も読んでないですか……?」

「手紙? 心当たりがないんだが……いや、ちょっと待て」


 雹夜は立ち上がるとリビングから出、玄関の外にある郵便受けをのぞく。

 まだ取っていなかった今日の朝刊のあいまに(父親は仕事柄数紙の新聞を取っている)赤青白のストライプに縁取られた国際郵便の封筒が挟まっていた。

 雹夜はリビングに戻りながら宛名と差出人を確認する。

 宛名は「ARIKADO Hyoya」、差出人は「Jurion Solare」とある。

 

「今朝着いたみたいだぞ」

「ソウデシタか。南イタリアのイナカなので、時間かかってしまいましたね」

「あっちの郵便局はいい加減らしいしな」


 両親からの手紙や宅急便も、時折ひどく遅れて到着することがある。

 

 雹夜は封筒をさっそく開封する。

 中からは金糸の織り込まれた高そうな便せんが出てきた。

 便せんには流麗な筆記体で文章が綴られている。

 どうやらイタリア語ですらなく、ラテン語のようだ。

 

「読めるか!」


 思わずツッコむ。

 だが、

 

「……あれ? おやっさん、この街にいた頃はやたら流暢に日本語しゃべってたぞ?」


 十年前、アルトとアルトの父親に出会った頃、アルトの方は外国語しかしゃべれないようだったが、父親である『おやっさん』はネイティブと聞き紛うほど流暢に日本語を使いこなしていた。また、そうでなければ幼い雹夜と意思疎通できたはずがない。


「父さま、とても強力なヴァンパイアです。ダテに長く生きてないです。話すだけなら、ひと月もその国いれば、言葉覚える言ってました。でも、書き言葉、まちがいあるといけないから、ラテン語が多いです。ヒョウヤの両親なら読めるはず言ってました」

 十年前に別れて以来、連絡を取り合っていたわけでもないので、両親が今イタリアにいることは知らなかったようだ。

「ひと月でって……マジかよ。そんなの聞いたこともねえ。おまえは?」

「ワタシは、まだ若いから無理です。日本語も、がんばって勉強しました」

「そう……なのか」


 雹夜も両親からイタリア語やラテン語を習っていた時期があるが、それだけにひとつの言語をマスターすることの大変さはわかるつもりだ。少なくとも、「親に言われて」なんていう消極的な理由では続かない。雹夜自身、どちらの言語も文法の段階で挫折してしまった。


 目の前の少女は、地中海の明るさを体現したような活発そうなタイプで、屋内で地道な語学の学習を積み重ねることを好むようなタイプには見えない。

 いったい、どんな動機があれば、母語からかけ離れた異国の言語を、このレベルまで習得することができるのだろうか。


「ワタシ、翻訳します」

「あ、ああ。頼む」


 アルトはつっかえつっかえ、荘重な文体の手紙を日本語に訳し変えていく。

 その内容に――雹夜は呆れてしまった。

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