決着
――自分には力がないからこそ、力を使わずに済む道を粘り強く探ることができる。
それが、雹夜が彼らに対して唯一勝っていると言えそうな点だと思っていた。
が、力がないということは、彼らに対してなにものも強制できないということでもある。
そのことの意味を、雹夜は今再び噛みしめる羽目になった。
いつまで経っても決定を下せない雹夜に、ヴァンパイアの間にざわめきが起こる。
そのざわめきは徐々に大きなうねりへと変わっていく。
それはさながら、決壊寸前の堰のようだった。
そこに――
「その女を殺せッ! 血族の面汚しを許すな!」
叫んだのは、配送業者の若い男だった。
その叫びに一瞬、空気が凍った。
集まったヴァンパイアたちは、聞いてはならないことを聞いたかのように、ぎくりと身をすくませた。
が、
「その女を殺せッ! 血族の面汚しを許すな!」
「……そうだっ、殺せ!」
「吸血鬼を赦すなっ!」
くりかえし叫んだ配送業者の男の言葉に、応じる声があった。
その数は少なかったが、叫びがくりかえされるたびに増えていき、やがて広場の周囲は「殺せ!」「吸血鬼を赦すな!」の叫びで席巻される。
あわてて矢野が部下に指示を飛ばし、事態の収束を図るが、ヴァンパイアたちの興奮はいっこうに収まる気配がなかった。
「くそっ……!」
こうなってしまっては、何の力ももたない雹夜にできることはなかった。
雹夜は慣例通りに吸血鬼を処罰するしかない。
人を殺した吸血鬼への処罰は、火炙りだった。
火炙りは、ただの焼殺とは異なる。
まず、十字架に磔にされた犠牲者の足下に薪が積み上げられ、ごく弱い火が焚かれる。
それは、犠牲者を死に至らしめることを目的としていない。
犠牲者がすぐに死んでしまうことがないように配慮されたその炎は、犠牲者の身体をゆっくりと炙る。犠牲者の身体は足先から順にぐずぐずに溶けていく。
それは、想像を絶するような苦しみをともなうが、それでもすぐには――死なない。死ねない。死なせてもらえない。
そんな地獄が、犠牲者がついに力尽き、死ぬまでの間、続くのである。中世の魔女狩りの記録では、犠牲者が半日以上生きていたこともあったという。
守良美芳が――目の前で顔を青くし、震えている少女が、そんな残酷な刑罰に見合うほどの罪を犯したとは、雹夜にはどうしても思えなかった。
しかし、状況は着実に悪くなっていく。
――常に王者として、自らの正義を恥じることなく示せ。
それがおやっさんの教えであり、雹夜の信条でもあったが、ここでその信条を貫くことは、事態を破滅的に悪化させかねない。
業を煮やしたヴァンパイアたちが暴走して、美芳を八つ裂きにしてしまうようなこともありうるし、そうなってしまったら雹夜にはもはや止めるすべがない。
雹夜は必死で頭を回転させて、事態を打開する方法を考えた。
一つの案が、脳裏に浮かんだ。
だが、その案は慣習からかけ離れたものであり、ここまで興奮した群衆をなだめられるものであるとは思えなかった。
案があるだけではダメなのだ。
その案を呑ませるだけの何かが必要だった。
しかし、この破局的な状況を収拾しつつ、自分の望む方向へ興奮した聴衆を導くなどということが、本当に可能なのか?
頭をこれ以上ないほどに絞るが、何も思いつかない。
どうしても、思いつかない。
思いつかないのではなく、そもそも、そんな方法など存在しないのではないか。
雹夜の脳裏に弱気が萌した。
その時――
広場に黄金色の炎が吹き上がった。
巨大な塔のごとき炎の柱が、天を衝くような勢いで吹き上がり、浦戸の夜空を黄金色に照らし出した。
上空にいたヴァンパイアがあわてて待避したが、そもそも、その炎にはヴァンパイアたちを焼く力はないようだった。
黙示録のような光景に、ヴァンパイアたちの怒号がやんだ。
黄金色の炎の柱がふっとかき消えたとき、雹夜の前に立っていたのは――
「アルトっ!?」
雹夜の前に立っていたのは、背を向け、肩幅に足を開き、前方に腕を伸ばしたアルトだった。
ウェーブのかかった金髪が、黄金色に輝きながら、まるで炎に煽られているかのように、ゆらゆらと揺れている。
アルトはゆっくりと腕を下ろす。
その動作に、広場を囲むすべてのものが注目していた。
「あなたたちは……信じられないですかっ!? 自分たちで選んだ王さま、信じられないですかっ!? ヒョウヤのこと、信じられないなら、最初からヒョウヤ、選ばないでくださいっ!」
「アルト……」
「決まりに従うだけなら、ヒョウヤ、いらないです! でも、それだけ、うまくいかないから、ヒョウヤ、王さまにしたでしょうっ!? 王さま、選んで、都合悪いとき、従わない、それ、ただのワガママですっ!」
がんばって勉強した――そう言っていたアルトの日本語は、まだまだ不自由ではあった。
が、だからこそ、何かを言いたいという、その気持ちの強さが、痛いほどに伝わってくる。
背を向けたままのアルトの手が、ぎゅっと握りしめられていることに、雹夜は気づいた。
地中海の魔王ジュリオン・ソラーレの娘であり、今その強大な力の片鱗を見せつけたアルトだが、無数のヴァンパイアに取り囲まれた今の状況が、怖くないわけがないのだ。
アルトは――十年前は恐がりのアル坊だった少女は、足がすくみ、手が震えそうな恐怖を撥ねのけ、堂々と――それこそ、あの日のおやっさん、ジュリオン・ソラーレその人のように、雹夜の前に立ちはだかり、並み居るヴァンパイアたちを威圧している。
その毅然とした姿は、まさしく王者と呼ぶにふさわしいものであり、雹夜が自分自身のふがいなさに思い至る暇すら与えず、ただただ雹夜を圧倒した。
アルトは、まるで王が玉座から綸旨を言い渡すがごとく、あくまでも傲岸に、目もくらむほどの高みから、自らの言葉の剣を投げ落とし、幕下に控えし家臣どもを平伏せしめんとする。
「その程度のカクゴもないアナタたちが、アナタたちのカッテな都合で、ヒョウヤの優しさ、傷つけるなら――ワタシが……〈灼魔の天遣〉の名を継ぐ、アルトディーテ・ソラーレが、アナタたちを滅ぼしますっ!」
アルトの言葉が、夜空に殷々と響き渡った。
落ちたのは、沈黙だった。
その場に居合わせた浦戸市に隠れ住む、一癖も二癖もあるはずのヴァンパイアたちが、年端もいかない少女を前にして、圧倒されていた。
目の前に示された王者の怒りに、ただ息を呑み、呆然としている。
かるらと氷雨は目を丸くしたまま、事態をただ見守っている。
雹夜は、幼友達が突如発揮した威厳に、言葉もなくたたずんでいる。
しわぶきひとつ、身じろぎひとつ許されない沈黙を破ったのは、拍手だった。
矢野が苦笑を浮かべながら手を叩き、橘がそれに乗る。
広場を取り巻く輪の中からも応じるものが現れ、拍手の波がうねり、大きくなっていく。
アルトディーテ! 有門雹夜!
先ほどまでの怒号が嘘のように、二人の名前が連呼される。
その声に押されるように、雹夜はアルトの前に出、両手を大きく広げた。
歓声が徐々に鎮まっていく。
先ほどまで怒号を上げていたヴァンパイアたちは今、自らの選んだ王の言葉を待って、沈黙していた。
肩越しに小さくふりかえると、アルトが励ますようにうなずいてくる。
アルトを後ろにかばうこの位置関係は、十年前と同じく、雹夜に無限の力を与えてくれるようだった。
いや、十年前とはちがって、さっきはアルトの方に助けられてしまったのだが、あれだけのものを見せつけられてしまえば、雹夜としても覚悟を決めないわけにはいかない。
こみ上げてくる緊張を抑え、雹夜はゆっくりと口を開く。
「――聞いてくれ。俺の考えは、さっき言ったとおりのものだ。吸血鬼・守良美芳は、まだ未成年だ。その上、従兄弟であり、彼女の想い人でもある鴇田孝弘が、別の吸血鬼に襲われるところを目撃するという、ショッキングな経験もしている。それだけじゃねえ。その経験によってもたらされた精神的混乱から立ち直らないうちに、今度は超自然的能力に目覚めることになっちまった。それも、歪んだ優越感を持つのに十分なくらい強力なやつを、二つもいっぺんに、だ。不幸な偶然が、まだ精神的に未成熟な女の子に、立て続けに重なっちまったんだ。今回の事件を、慣例通りに処理することには無理があると、俺は考えている」
雹夜は言葉を切り、緊張で粘つく唇を小さく舐めた。
「俺のことを、あんたらが王として認めてくれるというのなら、俺は、俺が王として取るべきだと思う態度を貫くことで、その気持ちに応えたい。
王としての俺は、今回の吸血鬼・守良美芳に対して、寛容の美徳をもって臨むべきだと考えている。
アルトが言ったように、法と前例とにしたがってものごとを処理するだけなら、王なんていらねえ。それでは裁ききれねーことを、一貫した信念に基づいて判断する。それが王ってもんの役割なんだと、俺は思ってる。
もちろん、慣例を破るからといって、べつにあんたらのことをないがしろにしてるわけじゃねえ。あんたらが吸血鬼には厳罰をと考えるのはわかるよ。これはヴァンパイアの存亡にかかわる問題だからな。
だがよ、よーく、考えてみてくれ。守良には、ヴァンパイアも人間も変わらないと言ったけどよ、あんたらが、一面では人間に勝る力を持ってることも事実なんだ。それでもあんたらは、その力をほしいままには振るわず、社会の秩序を乱さないよう暮らしてる。正直それって、すげーことだと思うんだ。誇っていいことだと思うんだ。あんたらは、そういう意味では、まさしく夜の貴族なんだろうよ。自主独立を尊ぶ、気高い精神の持ち主たちなんだと、俺はそう思ってるし、そういう連中に王と認めてもらえてるってことは、俺としても誇らしいことだよ。
でもよ、そんなあんたらが、今回の事件では、吸血鬼に厳罰を、で大団結だ。その裏にあるのは何かって言えば、掟を破った者への感情的な反発と、自分たちの身の安全を図ろうっつーただの保身意識だ。
あんたら、それで満足なのかよ? 年端もいかない女の子を人柱みてーにして自分たちの安全を買って、それで満足できるのかよ!? 俺はそんな情けねー連中の王になったつもりはねーぞ! 精神の気高さってのは、自分が正しいと思うことのためには、ちょっとやそっとの損や危険は進んで被っていくっていう気概のことなんじゃねーのかッ!」
話すうちに感情が昂ぶってきて、雹夜は叫ぶように声を荒げていた。
(……落ち着け。この状況で挑発したっていいこたねーぞ)
アルトのがんばりを、そんな形で無にするわけにはいかない。
雹夜は大きく深呼吸をして、続けた。
「……俺の言いたいことはシンプルだよ。俺は王として、そしてあんたらは誇り高き夜の貴族として、苦難に落ち込んだ同胞に、ちょっとはやさしさを持ってやろーぜってことだ。王として、法や前例を尊重することの大事さは知ってるけどな、人ってのはそれぞれにちがうもんだし、状況だって時と場合によって変化するもんなんだからよ。だから俺は、吸血鬼・守良美芳に対して、俺なりの裁きを下させてもらう。吸血鬼だから即、火炙りだなんて、安易な判断をするつもりはねえ。
――それが、今回の件に関する、浦戸の王・有門雹夜の考えだよ」
最後まで言い切る。
広場を囲むヴァンパイアたちの中に、わずかなざわめきが生まれたが、それもやがて治まり、ちらほらと、散発的な拍手が聞こえてくるようになった。
雹夜の判断に、全面的に賛成、とまではいかないまでも、自分たちの選んだ王の判断を尊重しよう――そんな空気ができつつあった。
雹夜としては、それで十分だった。
ことがことだけに、ここに集まったすべてのヴァンパイアが納得できるような判断は難しい。自分とは多少意見がちがうが、それも一つの判断だろうと、容認してくれればそれでよかった。
ヴァンパイアたちは、雹夜の言葉に、熱狂はしなかった。
自分の考えと照らし合わせて、容認できるものだと冷静に判断して、そして賛成した。
熱狂は、時とともに冷める。
冷静になってみれば自分の判断はおかしかったと、後から不満を持つこともありうる。
ことに自主独立を旨とする夜の貴族にとって、他人に入れあげたり、状況に流されたりすることは、それ自体が屈辱的なことであるから、冷静に判断し、納得してもらうことは重要なのだ。
一見地味ではあるが、この静かで調和のとれた状態こそが、雹夜の理想とするものだった。
雹夜の視界の隅で、矢野と橘が柳眉をさげ、小さく息をついているのが見えた。
張り詰めていた広場の空気が、わずかに緩んでいた。
長かった夜はもうすぐ終わると、その場に居合わせた者の多くが予感した。
が、まだ納得できない者もいた。
「ま、待ってくださいよ! そんなの認められないっすよ! いくら王さまだからって、何してもいいってわけじゃないっしょう!?」
例のクロコウモリ通運の男が、焦った様子で突っかかってくる。
「別に、無罪放免にするつもりなんてねーよ。守良にはしかるべき罰を受けてもらう」
雹夜は落ち着いてそう答えた。
「吸血鬼は絶対に許してはならない! 血の味を覚えた吸血鬼がまっとうなヴァンパイアに戻ることなんて絶対にない! だから吸血鬼は絶対に殺さなくちゃならない! そういう決まりでしょうっ!? 減刑だってありえないっすよッ!」
「そうだな。吸血鬼は確実に滅ぼさなけりゃならない。それはその通りだ。危険な吸血鬼を、安易な同情で野放しにするほど、俺はお人好しじゃないさ」
「だったら――」
「まあ、聞いてくれ。つっても、そう難しい話じゃねえ。――アルト」
「ハイ」
「美芳を『灼く』ことはできるか?」
「もちろん、できますよ」
力強くうなずくアルトに、美芳がびくりと身をすくませる。
「や、焼く……っ!? で、でも、今さっき王さまは――」
「ああ……ちがうちがう。時代遅れの火刑なんてやらねーよ。さっきアルトが名乗っただろう? アルトは〈灼魔の天遣〉と呼ばれる特殊なヴァンパイアの一族だ。俺もついさっき聞かされたんだが、アルトは浄化の炎でもって、超自然的能力でもたらされた悪しき影響を灼き払うことができるんだと。いや、それだけじゃねえ。力でもたらされた影響のみならず、超自然的能力そのものを灼いちまうこともできるらしい」
「超自然的能力そのものを灼く……ですって!?」
作業服の男はぞっとした顔でアルトを見た。
「ヴァンパイアにとって、超自然的能力はプライドの源泉ともいえるものだ。衆に長けた能力を持ってるってことは、当の本人がいくら否定したって、人格の形成に深く関わってくるもんだ。その能力を断たれるってのは、ヴァンパイアにとっちゃ、相当に厳しい刑罰になるだろ? どころか、ヴァンパイアの性格によっちゃ、それこそ死刑にされた方がマシだと思うんじゃねーか?」
「それは……そうっすけど……」
「ここにいる守良美芳は、なりたてのヴァンパイアとはいえ、ヴァンパイアであるルチアを操るほどの強力な暗示能力に加えて、さっき見たとおりの身体強化能力まで持ち合わせてやがる。はっきり言っちまえば、ここにいるヴァンパイアの中で、こいつを超える能力の持ち主なんざ、数えるほどしかいねーはずだぞ」
雹夜の言葉に、美芳は驚いた顔で雹夜を見た。
どうも美芳は、自身の能力を過小評価していた節があるが、浦戸市に棲むヴァンパイアをよく知る雹夜からしてみると、美芳は十分に強力なヴァンパイアだと言えた。
もちろん、〈灼魔の天遣〉であるアルトには及ぶべくもないし、四〇〇年の眠りから蘇ったルチアも別の意味で強力なヴァンパイアである。また、純粋なヴァンパイアでこそないものの、腕利きのハンターだったかるらや、不裏戸衆の当代領袖である氷雨とまともにやりあえば、まず勝ち目はないだろう。
それでも、ヴァンパイアにまで効力を持つ暗示能力などきわめて稀なものであるし、それだけ強力な暗示能力を持ちながら、能力としては別系統に属するはずの身体強化能力まで持っているのだから、美芳は美芳で十分でたらめな能力の持ち主なのである。
「それだけの能力を奪われるんだ。心身の真ん中にあるもんを根こそぎ奪われちまうんだ。その上で、死ぬことは許されない。自分の無力を噛みしめながら、それでも生きていかなくちゃならねえ。同情抜きで考えても、吸血鬼事件の処罰としては、妥当な落としどころなんじゃねーかと思うがな」
「……それは……」
作業服の男が言葉をつまらせる。
「もちろん、その後は国との協定に従って司法手続きを踏んだ上で、この国の司法の常識に照らして適当だと思われる措置を取ってもらう。そこは専門家に任せるが……少年事件として考えるなら、女子少年院に入れられることになるか、精神病院に措置入院させることになるか……どうなんです、槇村さん?」
雹夜の問いかけに応じてヴァンパイアたちの輪から進み出たのは、スーツを着た恰幅のいい中年男性だった。スーツの襟元には八咫の鏡を模した裁判官のバッジが留められている。
「おそらくは雹夜君の言ったとおりになるだろう。事件が事件だけに、正規の司法手続きが踏めないのが残念だが、それでも同程度には厳正な裁判を行うことを約束しよう。……というより」
スーツの男性――浦戸地裁の判事にして浦戸特殊裁判所長・槇村忠嗣は言葉を切った。
「私は元々吸血鬼裁判には反対なのだ。制度的困難はあるにせよ、裁判というからには法律に則って司法の専門家の主導の下に行われるべきだろう。ヴァンパイアの人権を守るという観点からしても、時に共同体の利害で歪んだ判断を下しかねない仲間内での裁きよりも、公開の場で行われる公的な裁判の方が優れているに決まっている」
槇村の態度には、司法の専門家としての不遜とも取られかねない確かな自信があった。
「総理大臣直々の命を受けてこの街の特殊司法に責任を持つ者としてあえて言わせてもらうが……雹夜君の今日の判断は、私の目から見てもまずまず妥当なものだと思うね。むしろこの急場によくそこまで考えてくれたものだ。素人の判断としては及第点をつけてやってもいい」
「槇村さんにそこまで言われるとなんだか落ち着かねーな。でも、人を裁く以上、俺が素人かどうかなんて言い訳にはならないでしょう?」
「ふむ。たしかにな。まったく、地裁の若い連中にも聞かせてやりたいものだ」
「いや、みんな俺なんかよりずっと真面目で優秀な人たちじゃないですか。正直かなわないと、何かあるたびに思い知らされてますよ」
「だが、エリート育ちな分、修羅場には弱くてな。今度龍厳殿にでも頼んで、山伏修行でもさせようかと思ってる」
「……ほどほどにしてあげてくださいよ」
〈天狗の会〉の修行は不裏戸衆の若手でも根を上げるほどキツいともっぱらの噂だった。
雹夜はクロコウモリ通運の男に向き直る。
「……どうだろう? 確かに前例に沿ったものではないかもしれねーけど、決して不公平な処罰ではないと思う」
「…………」
男は黙ったままだが――その沈黙の中に、先ほどまでの怒りはなかった。
もうひとりのクロコウモリ通運の男が、「……安岡」と肩を叩き、うなずきかける。
「さっき、逃げ出した守良の前にトラックで飛び込んできたのは、あんたなんだろ? 吸血鬼を憎んで、自分で捕まえようと思ったあんたの気持ちは、ちゃんとわかってるよ。
でもよ、あんたにはもうすぐ子どもができるんだろ? 親父になろうってやつが、いくら吸血鬼だからつっても、年端もいかない女の子を処刑させるのは……なんていうか、よくないんじゃねーか?」
「…………」
雹夜の言葉に、作業服の男はうつむいた。
男はためらい、苦悩する。
自分の中の感情を味わい、確かめ、納得できる結論を得ようと努力する。
長い沈黙のあと、顔を上げた作業服の男の顔からは、先ほどまでの険は消えていた。
「……わかりましたよ。それで十分ということにしておくっす。せっかくの娘の誕生に、こんなことでケチがついちゃたまんねーっすからね」
「ありがとう」
作業服の男が、上司の男と一緒に輪の前まで下がるのを見届け、
「――アルト。頼めるか?」
「頼めるか、じゃないですよ、ヒョウヤ。王さまらしく、命令してクダサイ」
「……そうだな。浦戸のヴァンパイアを統べるものとして、我、有門雹夜は、地中海の魔王ジュリオン・ソラーレが娘にして〈灼魔の天遣〉たるアルトディーテ・ソラーレに要請する。禁忌に手を染めしヴァンパイア、守良美芳から、その力を奪い給え」
「わかりました、王さま」
アルトはチョーカーからぶらさがる金の十字架をちぎり取ると、宙へと投げた。
金の十字架はまばゆい光とともにふくれあがり、雹夜にも見覚えのある例の棺へと変化した。
「……それは、そういう仕組みだったのか」
「ええ。ワタシの力、強すぎるから、それをコントロールする聖遺物、必要です」
「これも聖遺物……か」
雹夜の知る聖遺物――かるらの持つ黒いフード、〈聖マルチンの外套〉とは似ても似つかないが、それでいて雰囲気に共通する何かがあるようにも思える。
「〈ヴラド聖公の寝棺〉、言われますが、レプリカかもしれないです」
話している間に、棺は空中で分解し、八枚の板となって美芳の周囲を取り囲む。
「では――行きます」
アルトが美芳に向けて手を掲げ、集中を高めていく。
アルトの豊かな金髪が、燐光を放ちながらゆらめき、広がっていく。
アルトはこの力で、かるらに植え付けられた美芳の暗示を灼き、つい先ほどもルチアに残っていた暗示を灼いた。
が、今回は、美芳の超自然的能力自体を灼き尽くそうというのだ。
アルトは集中を高めに高め、その身体からは陽炎のようなゆらめきが漏れ出している。
そして――
「〈天蓋〉、〈夜の零時〉から〈夜の十一時〉まで、〈棺底〉、〈戒鎖〉――ワタシの力を集めてくださいっ!」
アルトの身体から吹き上がった金色の炎が、浦戸の空へと舞い上がった。
上空にいたヴァンパイアがあわてて待避する。
炎は、雲を金色に焦がすと急降下し、椅子に縛りつけられたままの美芳へと勢いよく降りかかる。
「ぐっ……がああああっ!!」
美芳が目を見開き、苦悶の叫びを上げる。
その声には、純粋な苦痛よりはむしろ、大切な何かを失いつつあることへの恐怖が混じっているように、雹夜には思えた。
アルトの棺――アルトによれば〈ヴラド聖公の寝棺〉――は美芳の周囲に等間隔に散らばり、上空から降りかかる黄金色の炎のかけらを跳ね返し、主人であるアルトの〈灼魔の天遣〉としての力を美芳へと収束させている。
「ああああッ……! わたしの……わたしの力が……ッ、ああっ、ああああッ!」
自らの身体的、精神的支柱を、いわば擬似的な形で『火炙り』にされている美芳は、椅子に縛られたまま身をよじり、見るものの胸を破るような、激しく、そして哀れな悲鳴を上げ続ける。
処刑者の任を引き受けたアルトもまた、歯を食いしばり、額に汗を浮かべて、泣き出しそうな顔でその光景を凝視している。まるでそれが、残酷な刑を執行する自分の義務なのだとでも思っているかのように。
アルトの様子に、いまさらながら自分の下した命令の残酷さを自覚した雹夜もまた、苦しげな表情で、即席の火刑場と化した広場を見守り続ける。
それは、居合わせたすべてのヴァンパイアにとっても同じらしく、皆一様に苦しげな顔をして黄金色の炎に灼かれる美芳を見つめていた。まるで、そこで灼かれているのは自分自身であるかのような表情だが、ヴァンパイアである彼らこそ、この罰の過酷さを身をもって理解できるのだろう。
と――
「あれ……っ? 手応えが……」
アルトが怪訝そうにつぶやいたのと同時に、美芳の全身を灼く炎の勢いが弱まった。
炎は急速に勢いを失い、意外なほどの唐突さで、ふっとかき消えた。
アルトの炎が消えた後の広場は、前よりも暗く感じられた。
広場におかれた篝火の弱い灯りに目が慣れてくると、椅子に拘束されたままうなだれる美芳の様子が目に入ってきた。
「……どうして……殺してくれなかったんですか……」
美芳がつぶやく。
「孝兄はもういないのに、吸血鬼でなくなったわたしが生きていたところで、なにがあるっていうんですか……。こんなのは、火炙りよりも残酷ですよ……」
美芳はそう言って嗚咽する。
誰もが息をひそめ、静かに泣き続ける罪人の姿をながめた。
広場を囲むヴァンパイアたちも、それぞれに思うところがあるのだろう、美芳を糾弾する声はもう聞こえない。
恋人を傷つけられたクロコウモリ通運の若い男ですら、刑を科された少女に哀れむような視線を向けている。
沈黙を破って、雹夜が言った。
「――おまえは、おまえの弱さの中で生きていけ。なに、はじめは辛いかもしれねーが、直に慣れるさ。人間ってのは、どうしようもないてめえの弱さを抱えながら生きてるもんなんだよ」
あるいは過酷かもしれない言葉はむしろ、周囲のヴァンパイアたちを意識したものだった。今日のこの刑罰の意味を言葉でもって明らかにし、後になってから処罰の妥当性に疑いをかけられるのを防ぐための、いわば予防線である。
が、心にもないことを言ったつもりはない。
雹夜自身、自分の弱さをよく知っている。自分の弱さを認めることの難しさも知っているし、弱さを抱えたまま生きていくことの辛さもわかるつもりだ。
雹夜の投げかけた言葉に、美芳は力なくうなずいた。
「……そんなこと、わたしにはとっくにわかってます。わたしは昔から……誰よりも弱かったんですから」
「だな。でもよ、おまえはいろいろ弱いのかもしれねーけど、その弱さを生き抜いてきたたいしたヤツでもあるんだよ。ありきたりなことしか言えなくて悪ぃんだけどよ……おまえの大事な人の分まで、ちゃんと生きてくれ。俺はそれが――おまえのしでかしたことへの、相応の罰なんだと判断したんだよ」
言って雹夜は、美芳を拘束する銀の鎖に手をかける。
雹夜が手間取っていると、横から出てきた氷雨が、不器用な雹夜を押しのけて、美芳の縛めを解いた。
雹夜は広場に集まったヴァンパイアに向けて宣言する。
「――吸血鬼・守良美芳への処罰は完了した! 今回の〈召命〉はここまでだ! 急な呼び出しにもかかわらず、速やかに集まってくれたみなに感謝する!」
おおおおおぉぉぉぉっ……
雹夜の放った終幕の宣言に、ヴァンパイアたちが歓声と万雷の拍手で応じた。
もう少し続きます。




