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アルカドの眷属  作者: 天宮暁


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27/34

独白

 守良美芳と鴇田孝弘は従兄弟同士だが、二人の家族は交流が多く、自然、子ども同士で一緒にいる機会が多かった。

 

 五つ年上の孝弘は、美芳にとって頼れる兄のような存在だったが、二人が年を取るにつれて、その関係性は別の形へと変わっていくことになった。

 

 美芳は孝弘に恋愛感情を抱くようになり、孝弘の方も美芳の気持ちをないがしろにはしなかった。

 

 とはいえ、当時の美芳はまだ中学生で、すでに大学生だった孝弘としては、関係のありようについて思うところがあったのだろう。

 二人はともに想いあっていながら、その関係は遅々として発展しなかった。

 

 しかし、自身が高校に入ったのを機に、美芳はついに孝弘に想いを告げることに決めた。

 

 だが――

 

「……わたしの気持ちは、受け止めてもらえませんでした。もちろん、孝兄だって、わたし以外の女の子と出会って好きになることはあると思います。素敵な人ですから。でも、その時の孝兄はぜったいにおかしかった」


 鴇田孝弘は目に見えて衰弱していた。

 

 美芳は、明らかに精神に不調をきたしている孝弘を見舞い、身の回りの世話をするようになった。


 そうするとやはり、孝弘に美芳以外の女の影がないことは確実だと思えた。

 

 孝弘は日中からぶつぶつと訳のわからないことをつぶやき、夜には雨の日でも窓を全開にした。美芳が手作りしたレースのカーテンが風雨で傷んでいくのを見て、美芳は心が張り裂けそうになった。

 

 夜明けまで何かを渇望するような表情で窓の外を狂おしく見つめる孝弘を見て、孝弘は何かを「待っている」のだと、美芳は思った。

 

 美芳は孝弘の部屋に泊まり込もうと考えた。

 孝弘が激しく拒むので、孝弘の部屋に泊まり込むことはできなかったが、孝弘の両親に頼んで隣の部屋を貸してもらうことはできた。

 

 一週間、泊まり込んだ。

 

 連日の徹夜でふらふらになり、やはり何も起きないのかとあきらめかけたその夜、孝弘の部屋に、何者かが降り立つ気配を感じた。

 

 美芳は気づかれないよう気をつけながら、孝弘の部屋をそっとのぞいた。

 

 そして、見てしまった。

 

 孝弘の首に牙を突き立てる、金髪の美しい吸血鬼の姿を。

 

「金髪の……吸血鬼?」


 放課後、礼拝堂で美芳が目撃証言として口にしたのも「金髪の吸血鬼」だった。

 それはもちろん、雹夜を惑わすための嘘だったのだが、美芳はたしかにそういう吸血鬼を目にしたことがあったのだ。

 そのときは、金髪と聞いてアルトを連想してしまったが、鴇田孝弘が美芳とは別の吸血鬼に襲われていたのは、当然アルトが雹夜のもとにやってくるずっと前だということになる。


「月の射しこむ屋根裏部屋で孝兄の首筋に牙を突き立てるその吸血鬼の姿は、本当に恐ろしくて……そのくせ、奇妙に妖艶で、美しくすらあって……わたしは圧倒されて、何もできませんでした。その吸血鬼は、短い逢瀬を終えると、みじんのなごりも残さず、窓の外にさっと消えてしまいました。孝兄は、消えてしまった吸血鬼の面影を追い求めるように、窓辺にかじりついて、いつまでも夜空をながめていました。

 わたしは孝兄の部屋の前でへたりこんでいました。本当に恐ろしくて、圧倒されて……それもたしかでしたけど、それ以上に、わたしはその吸血鬼がうらやましくてしかたなかったんです。わたしが何年も想い続けて手に入れられないでいたものを、いともたやすく、まるで背の低い果樹から実をもぐように手に入れてしまったあの人が、うらやましくて、ねたましくて、ゆるせなくて、たまらなかったんです……」


 美芳の痛ましい告白に、雹夜はもちろん、居合わせたもののすべてが呑まれ、息をつくことすら忘れて聞き入っている。

 

「わたしは学園の礼拝堂に通いつめて、祈りました。わたしをヴァンパイアにしてほしい、と。うちは両親ともに〈聖霊の声〉の信徒で、わたしも小さい頃から日曜にはミサに連れていかれました。でも、孝兄のことがあるまでは、神さまになんて本気で祈ったことはありませんでした。どうも本気で神の存在を信じているらしい両親のことを、冷ややかな目で見てすらいました。でも、そのときは、何かにすがりつかずにはいられなかったんです。とにかくわたしは祈り続けて――そして、今の力を手に入れたんです」

「祈って……?」

「べつに、祈りそのものに力はなかったと思います。後で知りましたが、〈聖霊の声〉の裏の顔のことを思えば、熱心な信徒である両親の家系のどこかにヴァンパイアの血が入っていても不思議ではないわけです。だからきっと、わたしの中にも、きわめて弱いものながら、ヴァンパイアの素質が眠っていたんでしょう。その素質が、心身ともに追い込まれた状態で、一心に祈り続けたことがきっかけとなって目覚めた――それがまともな解釈だと思います。べつにそれを『神の奇跡』だと主張したところで問題はないのかもしれませんけど。……そこから先は――もう、わかりますよね?」

「ああ……そうだな」


 力を手に入れた美芳は、孝弘を襲った吸血鬼に自分を重ね、自らも吸血鬼となる道を選んだのだろう。

 

 力を試しながら吸血行為におよんだのが、若い女性が襲われた一件。

 その件でヴァンパイアとしての力の使い方を学び、吸血という行為にも慣れ、満を持して本命――従兄弟であり想い人でもある鴇田孝弘を襲ったのだ。

 

 致死量を超えるほどの大量の血液を飲み干しながら、美芳がいったい何を思っていたのかはわからない。

 美芳自身、そのことについては語るつもりがないらしい。

 

 自分を振った男に復讐しようとしたのか、それとも、愛しい人の体液を取り込むことで、相手を所有しようとしたのか。

 

 抑圧されてきた幼い恋心と、突然降って湧いた吸血鬼。

 美芳の中でまだはっきりとした形をとっていなかった未熟な欲望が、想い人を貪る吸血鬼の姿を見たことで、歪んだ形で定位されてしまったのだろう。

 

 もちろん、本当のところは美芳にしか――いや、美芳自身にすらわからないのかもしれない。

 

 雹夜はひそかに嘆息した。

 

 と――

 

「……それで、どうするつもりなんだい、雹夜くん」


 広場を囲む輪の中から進み出たのは、浦戸学園高等部化学教師にして〈白銀の十字剣(シルバー・クレスト)〉の団長でもある矢野だった。いつも通りの白衣に手を突っ込んだまま、猫背気味の姿勢で立っているが、よく見ると、その白衣の影にレイピアの柄のようなものが見える。いざとなればそんな姿勢からでも一瞬で刺突を放つことができる矢野という使い手の実力を、雹夜はよく知っている。

 

「その娘に、同情すべき余地が多々あることは、よくわかったよ。だが、それでも――法は法だ。われわれヴァンパイアは、吸血鬼の跳梁を許してはならない。絶対に、だ。われわれヴァンパイアは、高度な政治的判断によって自治を許されているが、それはヴァンパイアとこの国の政府との間にある、絶妙な力の均衡なしには成り立たないものだ。吸血鬼の跳梁を許すことは、その均衡を崩してしまいかねない。国はわれわれヴァンパイアを社会に仇なす危険な存在と見なし、いかなる犠牲を払ってでも、ヴァンパイアを根絶しにしようとするだろう。仮にそこまではいかなかったとしても、ヴァンパイアの自治権は当然のように取り上げられ、われわれは政府の厳しい管理に服さざるを得なくなるだろうね。そんなことが起こらないようにするために、われら〈白銀の十字剣〉が存在する。吸血鬼から無辜の市民を守る、ヴァンパイアによる祓魔部隊として、ね」


 感情を交えず、淡々と指摘してくる矢野に、雹夜はうなずいてみせる。

 

「もちろん、〈白銀の十字剣〉の立場は理解しています。でも、今回の吸血鬼は、高校生になったばかりの少女なんです。しかも守良は、ヴァンパイアとしての力に目覚めたばかりで、心身ともに不安定な状態にあった。ここで慣例通りに厳罰をもって臨むことが、大人として正しい判断だと言えるでしょうか?」


 広場を取り巻く聴衆から、散発的な拍手が起きた。

 

 が、その数は少ない。

 大多数のヴァンパイアは、矢野に近い意見のようだ。

 

 囲みの中から、見覚えのある作業服の若い男が飛び出してきた。

 

「吸血鬼を許すなんて、ありえないっすよ! 王さまは、もし王さまの身内――そこにいる元ハンターや金髪のヴァンパイア娘が殺されてたとしても、同じことが言えるんですかい!?」


 感情的に抗議の声をぶつけてきたのは、昨日の朝、雹夜の家にアルトの荷物を運んできた、クロコウモリ通運の若い従業員だった。

 

 その従業員を追って、輪の中から同じ作業服の男が飛び出してくる。

 

「お、おい! 王に向かってなんてことを――! 安岡っ、口の利き方に気をつけろッ!」


 そう言って若い男の肩をつかんだのはやはり、昨日の朝と同じ先輩株の従業員だった。


 先ほどヴァンパイアに包囲された美芳が逃走しようとしたとき、その前に割って入ったトラックを運転していたのが、この若い従業員だったのだろう。


「口の利き方なんてカンケーないっす! ココの問題じゃないっすか、ココの!」


 そう言って若い従業員が自分の胸を叩く。

 

「たしかにオレには難しいことはわかんねーっすよ! でもね、王さまは忘れてるんじゃないっすか!? そこにいる吸血鬼に血を吸われたヤツがいるってことをッ! 一歩まちがったら死んでたんすよ!? オレの――オレのガキが腹ん中にいるアイツが――ッ!」

「お、おいッ、やめろ! 落ち着くんだ! 王はかならず正しい裁定をしてくださるから!」


 二人の言葉に、雹夜は苦虫を噛みしめたような気分になった。

 

 そう。たしかに彼の言うことも正しい。

 幸いにして死ななかったとしても、愛するものを傷つけられたものが、犯人のことをたやすく赦せるはずもない。

 ましてや、例外的な扱いを受けて、本来ならば受けるはずだった罰を受けずに済んでしまうかもしれないとなれば、怒るのも当然だった。

 

(……早まったか?)


 ここにきて、雹夜はすこし後悔していた。

 

〈召命〉を用いて事態を打開しようとしたことを。


 美芳を密かに捕らえ、内々にことを進めることができていたら、美芳に対して見せしめじみた刑罰を科すことは回避できたのだ。

 

(つっても、あのときは他に打開策もなかったんだが……)


 美芳に対して後手にまわってしまったツケを、思わぬ形で払うことになってしまった。

 

 なまじ美芳がヴァンパイアとして強力で、策略を巡らせて慎重に立ち回ってきたために、雹夜としてもなりふりを構っていられなくなってしまったのだ。

 

 が、目の前で椅子に縛りつけられている少女は、ヴァンパイアとしての実力にまったく不相応なほど幼く見える。

 

 ためらいを見せる雹夜に、

 

「……雹夜くん。辛いとは思うが、必要なことだよ。ヴァンパイアたちは、よくいえば自主独立だが、その実質は実力主義だ。断固とした処断を下せない王には、誰もついてこない。わかっているだろう?」


 矢野の口調はおだやかで、頭ごなしに言われるよりかえって逆らいづらい。

 

 もはや、王と家臣という厳然とした縦関係はほころび、年長者が年少者をやさしくたしなめる形になってしまっている。

 これでは、いくら雹夜が己の意見を主張したところで、聴衆が雹夜の中に見るのは、「大人に逆らう聞き分けのない子ども」といった印象でしかなくなってしまう。

 

 雹夜の脳裏に、十年前の公園での出来事が蘇る。

 

 幼いアルトをかばい、同級生の呼んできた大人と対峙したときの絶望感。

 相手はこちらをまともに話をするべき相手と見なしておらず、何を言ったところで子どものたわごとと片付けられてしまう。

 

 あのときは、おやっさんが助けてくれた。

 突然割って入ったおやっさんの、魔法じみた事態収集の手腕に、幼い雹夜は強い憧れを抱いたものだった。

 

 だが今度は、雹夜を助けてくれる者はいないのだ。

 

 矢野の言葉に何も言えないでいる雹夜を見て、聴衆の中にざわめきが起こる。

 

 輪の中から、似合わない巫女装束を身に纏った橘美波が進み出た。

 橘は日焼けした顔を険しくしかめて言った。


「どうしたんだい、王さま。あたしを失望させないでくれよ」


 その言葉に、雹夜はまた一段視界が暗くなったような感じがした。

 

 小さくふりかえる。

 

 視線が合った氷雨は、目をつぶって小さく首を振った。


 殺せ――というのだろう。若くして不裏戸衆をまとめる立場にある氷雨にとっては、むしろ当然の判断なのかもしれない。

 

 かるらは、雹夜に目をあわせず、広場の真ん中に拘束された美芳を険しい顔で睨みつけている。

 まるで、こんなことになったのは、目の前で拘束されている少女自身のせいだ、と言わんばかりに。

 

 実際、かるらは美芳の暗示によってもう少しでアルトを殺してしまうところだったらしい。

 雹夜の〈召命〉があと少し遅かったら。

 氷雨が現場に駆けつけるのが少しでも遅れたら。

 そう考えれば、美芳を許す気になれない気持ちはわかる。

 

 が、その実、美芳を憎みきることもできないのがかるらという少女で、雹夜に目を合わせようとしない頑なさは、内心の同情を気取られたくない気持ちの表れだろう。

 

 礼拝堂の木戸の前に佇むアルトは、不安げな顔で雹夜を見つめている。

 

 降魔の塗油を受けたかるらに襲われ、殺されかけたというのに、アルトには美芳を憎む気持ちはないらしい。今はむしろ、追い詰められた雹夜のことを案じているように見える。

 

 その顔は、十年前の幼いアルトを思い出させるものだった。

 

 そんなものをこそ、守れるようになりたいと思ってきたのに、結局のところ自分もまた、誰かをかばい、守れるだけの力など、手に入れられてはいなかったのかもしれない。

 

 美芳を見やる。

 美芳は、すべてをあきらめたような、透明な笑みを浮かべていた。


「……いいんですよ、先輩。ありがとうございます。わたしは……お気持ちだけで結構ですから」

「……っ」


 雹夜はこぶしを強く握りしめた。

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