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いかにもな棺

 これまで幾多のトラブルに遭遇してきた有門雹夜(ありかどひようや)にとっても、こんな事態ははじめてだった。

 

「なんだ……こりゃ?」


 時刻は日曜日の朝。今日の予定は午後からの一件のみで、午前中は心ゆくまで惰眠をむさぼれるはずだった。

 それなのに――

 

「……棺、だよな」


 そう――ついさっきまで空き部屋だった有門家の二階書斎に置かれているのは、ゴシック趣味というよりは単に悪趣味といったほうがよさそうな、ごてごてと飾り立てられた黒檀の棺だった。

 棺の大きさは、一七〇センチそこそこの雹夜が問題なく収まることができるだろう程度。

 

(……そりゃあ、棺だからな)


 その本来の用途を考えれば当然だ。

 高そうな黒檀製の棺は、正六角形の下半分を思い切り引き延ばしたような形をしていて、金細工で縁取りされた蓋の天板には、荒れ果て傾いた教会の戸口に腰かけ、髑髏を杯にして生き血を啜る美女の姿が浮き彫りにされている。蓋の側面を見ると、英語ではないアルファベットの文字列が、金文字の流麗すぎて読めない字体でずらりと並ぶ。

 そして極めつけは、棺を何重にもがんじがらめにしている金の鎖だ。一見雑に巻き付けられているようでいて、鎖の端は棺底部にとりつけられた金の金具と連結されている。おそらく、鎖をかける方向や、鎖の緩み具合、垂れ具合まで計算して、「それらしく」見えるような巻き付け方を選んでいるのだろう。

 その無駄な気合いの入り具合が、そこはかとなく不気味である。

 その上、

 

(……ずいぶんと念の入った趣味だぜ)


 雹夜は書斎を見回す。

 イタリアで新聞の特派員をしている父の書斎は、天井まで届く大きな本棚に、日本語、イタリア語、ラテン語、英語の書籍が限界まで詰め込まれた、まさしく「書斎」と呼ぶにふさわしい立派なものだが、現在その書斎にはゴシック調の飾り足のついたワードローブと鏡台と天蓋付きのベッドが押し込まれており、床に置かれた棺のせいもあって、足の踏み場もないほど狭苦しくなってしまっている。

 

「くそっ……なんだってんだ」


 現在イタリアにいる両親からも、こんな荷物が送られてくるなどという話は聞いていない。

 そもそも、どうしてこんなものが書斎にあるのか――?

 雹夜は朝の一幕をはじめから思い出してみることにした。

 

    †


 チャイムの音で起こされ、眠い目をこすって玄関の扉を開けると、そこにいたのはテレビCMでおなじみ、黒いコウモリが目印の引っ越し業者の姿だった。

 まだ朝の九時だというのに(朝の苦手な雹夜としては「早い」部類に入る時間だ)CM通りのテンションで話しかけてくる業者の男に辟易しつつ、家を間違えていることを指摘、お帰りいただこうとしたのだが、

 

「こちらで間違いないはずですよ?」


 そう言って業者の男は伝票にある住所を読み上げた。

 たしかにそれはここ――有門家の住所にちがいなかったし、なにより伝票の宛名欄には雹夜自身の名前が記されていた。

 が、肝心の送り主欄は空欄である。

 

(……なんだこりゃ? 親父かお袋の荷物か?)


 雹夜の父親は新聞社のイタリア特派員、母親はイタリア語専門の翻訳家で、去年父親が特派員になったのを機に、一人息子である雹夜をこの浦戸市に残し、二人揃ってイタリアへと渡ってしまった。

 二人は月に一度、離れて暮らす雹夜に電話をかけてくるのだが、先週の電話ではこんな荷物のことなど何も言っていなかった。

 戸惑う雹夜を見て、業者の男も困惑しているようだ。それでもCM通りのスマイルを崩さないのは、プロとしてのプライドなのか、会社の従業員教育が厳しいのか。

 

「あー……。しょうがないですね。たぶん両親が送ってよこしたんでしょう。二階に入れてもらっていいですか?」


 そう言って雹夜は二階の書斎に業者の男を案内し、荷物を運び入れてもらうよう頼んだ。

 そのあいだにまだ寝間着姿だった雹夜は洗面所に向かい、顔を洗い、歯を磨き、寝間着を脱いで、昨夜風呂に入ったときに脱いだままだったジーンズを穿いた。

 

 改めて洗面所の鏡を覗くと、そこには寝癖でぼさぼさの髪をした上半身裸の少年の姿が映っていた。

 引き締まった裸の胸の上には、小さな銀のホイッスルがぶらさがっている。

 雹夜は洗面台のノズルを取りはずすと、頭を洗面台につっこんで、冷水のシャワーをぶっかけた。

 がしがしと乱暴に髪を梳いて顔を上げる。

 

 鏡の中の自分と目が合った。

 水に濡れた長い黒髪の合間からのぞく目を見て顔をしかめる。

 雹夜の目、その中央にある瞳は、ふつうの人のそれとくらべて、赤みが強い。

 

(……吸血鬼だ、なんてつまんねーこと言ってからかわれたっけな)


 男性には珍しい黒くつややかな長髪と白皙の美貌も加わって、鏡の中に映る少年は、たしかに古い映画の吸血鬼を彷彿とさせる。

 が――

 

(へっ。吸血鬼なら鏡に映るかよ)


 雹夜は生粋の人間だ。

 その吸血鬼のような容姿は、母親が日本人とイタリア人のハーフだからである。

 とはいえ、子どもにとってそんな事情などどうでもいいことにちがいなく、からかえるものはからかっておかないと損だとばかりにからかわれたし、酷い場合にはいじめられることもあった。

 いや、

 

(今だって、なんやかんや、奇異な目では見られるけどな)


 まわりがストレートないじめを行わないだけの分別を身につけたのはいいことなのだろうが、仲間はずれを見つけて差別したがるのは、人間の矯正しがたい本能のようなものなのかもしれない。

 

 雹夜は、引っ越し業者が荷物を運ぶごとごとという物音を聞きながら、ドライヤーで髪を乾かした。

 リビングに出て、冷蔵庫から牛乳を取り出し、食卓の上に放置されていたコップにそのまま注ぎ込み、腰に手を当て一息に飲む。

 

 日曜の朝。予期せぬチャイムで起こされはしたが、リビングのガラス戸から差し込む朝日がすがすがしい。初夏の強い日差しが、体の芯に残る眠気を追い払ってくれる。

 

 雹夜は上半身裸のまま日光を浴びつつ、ガラス戸を開けて、玄関口の方を覗きこむ。

 玄関口、表札の前に、引っ越し業者のトラックが駐まっていた。中型トラックのコンテナにプリントされた三つ目の黒コウモリが雹夜を見つめている。

 ――黒いコウモリが目印! クロコウモリ通運は、日本中どこでも即日配達!

 そんなキャッチコピーが耳に蘇る。規模こそ小さいものの、他企業を凌ぐスピード配達で近年シェアを伸ばしているらしい。

 

(……にしたって、不気味なトレードマークもあったもんだよな)


 コウモリの額にある、縦長で黄色い猫のような瞳は、朝の光の中で見てもけっこう怖い。

 小さい子どもが泣き出すと評判の三つ目のクロコウモリだが、クロコウモリ通運は創業以来頑なにそのトレードマークを守り通しているらしい。

 

 初夏の陽光には不釣り合いなトレードマークを何とはなしに見ていると、そのコウモリの後ろ、開け放たれたコンテナの扉から、異様なものが現れた。

 

「……あ?」


 雹夜は目をしばたたかせた。

 が、目にしたものが消えるはずもなく、その異様なものは朝のすがすがしい陽光を浴びながら、業者によってマットで養生された有門家の玄関へと運び込まれていく。

 

 雹夜はリビングのソファに投げ出されていた洗濯済みのシャツをはおると、慌てて玄関へと向かう。

 さきほど目にした異様なものは、業者の男二人に抱えられて階段を上ろうとしているところだった。

 

「それ……なんです?」


 思わず聞いてしまう。

 

「私に聞かれましても……」


 さっき挨拶に出てきた方の男が困ったように答えた。

 

「そりゃそうでしょうが……」


 業者としては指定された荷物を運ぶだけであって、それがなんであるかなど知るはずもないし、また、客の荷物のことをあまり詮索するのも考えものだろう。

 

「見たとおりなら……カンオケ、っすかね?」


 もう一人の男が首をかしげつつ言う。

 

「オレ、葬儀屋でバイトしてたこともあるんすけど、サイズといい重さといい、そっくりっすよ。まあ、ふつうの葬儀屋じゃ、桐みてーな、もっとあっさりしたハコを使うんで。こんな妙なカンオケ、ちょっと見たことないっすね」

「おい、お客さまへの口の利き方に気をつけろ。……すみませんね、系列の葬儀会社から転属してきたばかりの新人でして」

「いや、どうも」


 サイズといい、重さといい……?

 雹夜が眉をひそめているあいだに、業者の二人は声を掛け合いながら階段を上り、二階の書斎に棺を運び入れてしまった。

 

「これで全部です。ご確認ください」


 業者の男(上司らしい方)に言われて雹夜は書斎に入る。

 書斎は棺とその他ゴシック調の家具でいっぱいだった。

 

「ずいぶんありましたね」

「ええ。配置の希望がございましたら動かしますが、ちょっと家具が多すぎて片付かないかもしれませんね」

「……いえ、十分です。ご苦労様でした」


 雹夜が差し出された伝票にサインすると、業者の二人は帰っていった。

 トラックが走り去る音を聞きながら、雹夜は黙考する。



「なんだ……こりゃ?」



 その答えは見つかりそうになかった。

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