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不安

 帰り道のアルトはおかんむりだった。

 

「まったく、ヒョウヤは甘いですよっ!」


 雹夜の家から学園までは歩いて通える距離だ。

 雹夜はすっかり暮れた夜の道をアルトと一緒に歩いている。

 坂道を下り、田畑の間を抜けると、ようやく夜光灯のある市街に入る。

 学園が郊外にあるため、帰り道を進むほど市街に近づく形になるのだ。

 

「しょうがねーだろ? 俺が断ったら、あの子、自分で探そうとしてたぞ」

「それはソウですけど……」


 アルトはなおも納得がいかない様子だ。

 

 ルチアの言葉を信じるわけではないが、雹夜が守良に親身に接したことで嫉妬している……のだろうか。

 かるらやルチアとはすぐに打ち解けていたが、天真爛漫なアルトにもやはり、苦手なタイプというか、毛嫌いしてしまうようなタイプがあるのかもしれない。

 

「ま、早く帰って夕飯にしようぜ。ルチアにそれ、もらったんだろ?」


 雹夜が指さしたのは、アルトのさげているビニール袋である。

 中身はルチア手製のトマトソースの瓶だった。

 

「ブラッディトマトも食べ損なうし、最悪です……」


 食べ物の話題を振れば元気になるかと思ったのだが、アルトの不機嫌は意外に根深いようだ。

 

 雹夜はがしがしと頭をかいて、夜空を見上げる。

 

 用務員の橘はこの夜空に黒髪長髪の人影を見、守良美芳の従兄弟の隣人はあざやかな金髪の若い女を見たという。

 この街にはたしかに、ヴァンパイアと呼ばれる存在がいて、中には空を飛ぶことのできるものや、屋根から屋根へと飛び移る運動能力を備えたものもいる。

 

(それに――)


 そう。雹夜の隣を歩む金髪の少女もまた、ヴァンパイアであることにちがいはない。

 

「ヒョウヤは……」


 気まずい沈黙を破って、アルトがつぶやく。

 

「ヒョウヤは、ワタシを疑わないですか?」


 美芳の話を聞いて、アルトも同じことを連想したのだろう。

 

「……すまん。一瞬だけ疑った」

「金髪の女性、ですか?」

「ああ。……でも、いくらこの国で金髪の女性がめずらしいと言っても、アルトがそんなことするわけなかったな。悪かった」

「ソレ、疑った言いません。連想しただけですよ」

「まあ……そうだな」


 それでも、アルトが気を悪くしたなら謝るべきだと思ったのだ。

 アルトが急に足を止める。

 雹夜は一歩行きすぎてからふりむいた。

 不機嫌から一転、アルトはやわらかく微笑んでいた。

 

「父さまの言ってたこと、すこしわかった気します」

「おやっさんの?」

「内緒……です」


 アルトは小さく笑って、歩き出す。

 

「お腹空いたですよっ。早く帰りましょうっ!」

「何なんだよ、いったい……」


 急に上機嫌になったアルトを追いかけながら、ため息をつく。

 

 そこに――

 

「ん?」


 制服のズボンの中で携帯が震えた。

 

「氷雨か。……もしもし?」


 足を止めて電話をはじめた雹夜に、アルトが振り返る。

 

「トマト泥棒の件か? あれは目下調査中だ。……なに、鏑木(かぶらぎ)さんから?」


 雹夜はしばし口をつぐみ、氷雨の説明を聞く。

 

「……そうか。そいつはまずいな。わかった。今から詰めておく」


 雹夜は携帯の通話を切った。

 

「……ヒョウヤ?」

「悪い、アルト。急用が入った。これから学園に戻らなくちゃいけねえ。先に帰っててくれねーか?」

「ワタシも行きますよ?」

「そういうわけにもいかねーんだ。キッチンの戸棚に鍋とパスタがあるはずだから、ルチアのソース使って夕飯にしてくれ」

「ヒョウヤの分は?」

「いや……いらねーな。帰ってから自分で作るわ」


 言ってから苦笑する。

 

「……? どしました?」

「いや、なんつーかな」


 今の会話が、なんだか同棲しているカップルのようだと思ってしまったのだ。

 

 雹夜はアルトの頭を手のひらで優しく叩いた。

 

「おまえは今、夜はあまり外を出歩かない方がいい」

「……ドウして、ですか?」

「聞いたろ? 吸血鬼事件が起きてるんだ。見慣れないヴァンパイアだってだけで犯人扱いされかねない」

「ソウです……ね」


 アルトはどこか不満そうだった。

 

「でも、万一、俺が〈呼んだ〉ときには、応じてくれ」

「……呼ぶ?」

「そのときになればわかるよ。じゃあ、家で大人しくしててくれよ」


 雹夜は言って、来た道を戻りはじめる。

 

 道の先は夜光灯のない田舎道に通じているため、雹夜の姿はすぐに見えなくなってしまった。

 今から追いかけても追いつくことはできないだろう。

 

 もちろん、超自然的能力(ヴェスペル)を使えば可能だが、アルトは雹夜の前で力を見せつけるような真似はしたくないと思っていた。

 

 十年前、アルトを助けた時に父から諫められて以来、雹夜は力でものごとを解決することを避けるようになった。あれから十年が経ったが、雹夜の考えは変わっていないように見える。

 

 不規則に明滅する夜光灯の下で、アルトはいつになく真剣な……いや、不安げな顔で物思いに沈んでいる。

 雹夜がこの場にいたら、普段は明るすぎるほど明るい少女の変貌に驚いたかもしれない。

 基本的に裏表のない性格をしていると、アルト自身思っているが、だからといって、気になる異性にその内心のすべてをあけすけに見せられるほど幼くもなかった。

 

(でも……)


 隠し事をしているのは雹夜も同じだ。

 

 なぜ、ただの生徒であるはずの雹夜が、学園の礼拝堂で起きた野菜盗難事件の犯人を追おうとするのか?

 なぜ、ただの人間であるはずの雹夜が、街で起きた吸血鬼事件のことを気にかけるのか?

 なぜ、雹夜の元に、吸血鬼を探してほしいなどという依頼が舞い込むのか?

 そして、なぜ雹夜は、さしたる驚きも躊躇いもなしにその依頼を引き受けたのか?

 

 野菜泥棒だけならまだわかる。

 旧知の仲であり、生徒会長でもある氷雨からの依頼もあるし、盗難の被害者は雹夜が何かと気にかけている様子のシスター・ルチアだ。雹夜が自分にできることをしたいと思うのはむしろ自然なことかもしれない。

 ただの高校生の身であっても――いや、浦戸学園に通う生徒だからこそ集められる情報だってあるだろう。

 

(……ヒョウヤは顔が広いみたいですし)


 午後ルチアから聞いたところでは、雹夜は学園ではちょっとした有名人らしい。

 それも、あのドラキュラじみた特徴的な見た目のせいばかりではないらしい。

 学園で起こる厄介ごとに首をつっこんでは仲裁しようとするせいで、学園のもめごと調停人(トラブルシユーター)と見なされているのだと、ルチアが教えてくれた。

 

(……ふふっ。なんだか、お父様のマネ、みたいですね)


 そんな雹夜を微笑ましくも思うが、アルトとしてはジュリオンではなく自分を見てほしいとも思う。再会した時、父の名前は覚えていたのにアルトのことはすぐには思い出してくれなかったことを思い出し、アルトは頬をふくらませた。

 

 が、雹夜が学園でそういう役割にあるのなら、生徒から情報を集めるには適任なのかもしれない。

 また、野菜泥棒の聞き込み程度ならば、危険に巻き込まれるようなこともないだろう。

 

 しかし、吸血鬼事件となると――

 

(ヒョウヤは……人間です)


 雹夜が何を隠しているにせよ、ヴァンパイアでないことだけは確かだ。

 アルトにはそれがわかる。

 もちろん、ヴァンパイアとしての気配を絶つ技術は存在するが、生半可な偽装ではアルトの感覚を欺くことはできない。

 

(いえ――)


 そもそも、アルトの父――地中海の魔王ことジュリオン・ソラーレがその目で見、親しくつきあっていたのである。当時幼かった雹夜が父を欺きおおせた可能性などないと言っていい。

 有門雹夜は、紛れもなくただの人間なのである。

 

(そういえば……)


 かるらと氷雨からは、それぞれ独特の気配を感じた。

 かるらは人でありながらヴァンパイアに通じる気配を纏っていたし、氷雨はその身体の中にヴァンパイアの血を引いているように思えた。

 それでいて、どちらも完全なヴァンパイアではない。

 

(ハンター……でしょうか?)


 だとすれば、初め彼女たちがアルトに向けてきた敵意にも納得がいく。

 

(もちろん、ヒョウヤのこと、別にして、ですが)


 多少意味合いが異なるにせよ、二人が雹夜のことを大切に思っているらしいことはまちがいない。だとすれば、突然雹夜の家に転がりこんだ自分にいい顔をしないのは当然だ。

 

 しかし、別の疑問も浮かんでくる。

 ヴァンパイアにせよハンターにせよ、表を歩いていて簡単に出くわすような存在ではない。

 なのに、雹夜のまわりには、アルトが気づいた限りでもハンターが二人、ヴァンパイアが一人――雹夜のまわりに限らなければ、他にもいる。

 

(でも……それだけじゃありませんね)


 学園を――街を淡く覆うこの気配。

 

 人口の多い都市には、漂う生気を目当てに隠れ住むヴァンパイアが一定数いるものではあるが、それだけではこんな気配にはならないはずだ。

 この気配はむしろ、アルトの慣れ親しんだジュリオンの居城の方に近い。

 アルト自身紛れもないヴァンパイアではあるのだが、この理由のわからない同胞の気配の濃さには、安心感よりもむしろ不安をかき立てられてしまう。

 

(この街は、いったい、何なのでしょうか……?)


 そして何より、

 

(ヒョウヤは、いったい、何を隠してるんでしょうか……?)


 それらの疑問への答えが、雹夜の消えた闇の奥にあるような気がしてならなかった。

 

 アルトは、月が傾く程の間、その場に佇んでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。

 

「……ごめんなさい、ヒョウヤ」


 つぶやくと、雹夜の消えた方へ向かって歩きはじめた。



 そしてその途中で――アルトは肝心なことを忘れていたのに気がついた。

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