依頼
美芳には、五つ年上の従兄弟がいたのだという。
ともに市内――学園からそう遠くない場所に住む美芳の両親と従兄弟の両親は、家族ぐるみのつきあいをしていて、なかでも美芳の従兄弟は美芳のことをずいぶんかわいがってくれたらしい。
その従兄弟が――死んだ。
いや、殺された。
「孝弘兄さんは、昔わたしとよく遊んだ屋根裏部屋で、朝、冷たくなっているのを発見されました。兄さんの首には、アイスピックで突いたような深くて小さい穴が二つ空いていて、そこから流れ出した血が、兄さんの首と胸と寝具を真っ赤に染めていたそうです」
「…………」
淡々と語る美芳に、雹夜はかける言葉が見つからない。
しばし、礼拝堂に沈黙が落ちる。
最初は疑わしそうに美芳を睨んでいたアルトも、目に涙を浮かべて沈黙している。
しかし、いつまでもそうしているわけにもいかない。
「それで、守良は、俺にどうしてほしいんだ?」
美芳の従兄弟が本当に吸血鬼に殺されたのだとしたら、ただの高校生にすぎない雹夜にできることなどない――普通ならば。
「その吸血鬼を……見つけてください」
「見つけて、どうする」
「わたしがこの手で……殺します」
そう言って顔を上げた美芳の表情は、怒りと悲しみと、従兄弟に対する思慕の念が入り混じった壮絶なものだった。
ここまで聞かされれば、男女の機微に聡くない雹夜にもわかる。
彼女は――美芳は、従兄弟のことが好きだったのだ。
恋人同士だったかどうかはわからないが、片思いだったからこそ、未練が残るということもありうる。
雹夜は返答に窮した。
その様子を拒絶と受け取ったのか、美芳が雹夜に詰め寄ってくる。
「探してくださいッ! そうでないと、わたし……わたし……っ!」
男を怖がっていたはずの美芳が、雹夜の肩を掴み、雹夜の赤みがかった瞳をのぞきこんでくる。
瞋恚に燃える美芳の瞳が、視界の中でぐっと膨らみ、雹夜の意識を圧倒する。
激しい情動に呑み込まれそうな感覚。
雹夜は咄嗟に美芳を振りほどき、椅子から立ち上がろうとした。
が、
「……っ」
ぐらり、と身体が傾き、雹夜は元の長いすに倒れこんでしまう。
「だ、大丈夫ですか……?」
毒気を抜かれた様子で聞いてくる美芳に、
「あ、ああ……疲れてんのかな」
雹夜は首をかしげつつ、座り直す。
「あら。雹夜くんも人のこと、言えないんじゃないの」
「うるせーな。ルチアほどじゃねーよ。いろいろあったし、知らず知らずのうちに疲れてたのかもな」
低血圧気味で朝が弱いという以外に、これといった持病はない。アルトがやってきたり、かるらとデートしたりで、いつもは使わない部分の神経を使っていたのかもしれない。
雹夜は首を振ると、真剣な表情で美芳に向き直る。
「守良、気持ちはわかる。……いや、わからねーのかもしれねーな。おまえがその吸血鬼を殺したいと思う動機は理解できるが、その感情の深さまでは、本人にしかわかんねーだろうよ。
守良だって重々わかってることだろうと思うが、仮に吸血鬼なんてもんがいたとして、そいつが守良の従兄弟を殺したんだとしたら、そいつを殺そうだなんて危険すぎるぞ。
いや、そもそも、だ。何の手がかりもなしに、吸血鬼なんていう、存在するかどうかもしれねーもんを探し出すなんて、いくら俺にだって不可能だよ」
雹夜はあきらめさせようとしてそう言ったのだが、
「手がかりなら……あります」
美芳から返ってきたのは意外な答えだった。
「孝弘兄さんの近所の人が、夜中、家の屋根から屋根を飛び渡る人影を見かけているんです!」
「……屋根から屋根を飛び渡る人影、か」
どこかで聞いたような話だと思った。
「まさか、長い黒髪の人影……か?」
用務員の橘の目撃情報を思い出した雹夜は、思わずそう聞いてしまった。
聞いてから、失敗したと思った。
目撃者の証言を得るまえに、聞き手の先入観を見せてしまうと、証言の内容が聞き手の先入観に引っ張られて歪んでしまうことがあるのだ。
まして、守良美芳は、従兄弟を殺した吸血鬼を探してほしくてたまらない状態にある。
雹夜の見せた先入観にここぞとばかりに食いつき、自身の持っている情報を意識的に、あるいは無意識的に歪めてしまうかもしれなかった。
だが、案に相違して、美芳の口から漏れたのは否定の言葉だった。
「いえ……わたしが聞いた話では、吸血鬼はあざやかな金髪の若い女だった、ということなのですが……」
「金髪の、若い女……」
そう聞いて、雹夜の脳裏にごく自然な連想が浮かんだが――
(……っ)
反射的に動きかけた視線を、雹夜はむりやり押さえ込んだ。
「……背は?」
「低くはなかったそうです。すごく高いわけでもなかったそうですけど……」
夜、屋根の上を飛び移る人影の身長が、正確にとらえられるわけもない。
逆に、何センチくらいと具体的な数字を上げてくるようだったら、証言の信憑性はかえって低くなる。
(といって、そんなに信頼できる情報とも思えねーけどな)
橘の目撃情報と、美芳から得た近隣住民の目撃情報とは、ともに確度の低いものであり、それだけでは「手がかり」とは言いがたい。
そこからはっきりとした結論を得ようとすることは、まだ避けるべきだろう。
「悪ぃけど、それだけじゃ、何とも言えねーよ」
「そう……ですよね……」
美芳が意気消沈した様子でうつむく。
本人としても、そのことは自覚していたのだろう。
となれば、雹夜としては、吸血鬼を探し出すなど無理だと言って断ることもできる。
が、
(それでこいつが納得するとは思えねーな)
最悪、自分ひとりでも吸血鬼を探すと言い出しかねない。
そうなれば、この大人しい人見知りの少女が、夜中に街をうろつきまわるようなことをはじめないとも限らない。
どうも自覚に乏しいようではあるが、一見野暮ったく見える守良美芳は、男にとって磁力となるような魅力を持っているようでもあり、慣れない夜歩きなどしたら、トラブルに巻き込まれてしまう可能性は高かった。
ひょっとしたら、これまでにもそうして嫌な目に遭ったことがあり、そのせいで男性が苦手になってしまったのかもしれない。
いずれにせよ、話を聞いてしまった以上、知らないふりをするわけにもいかない。
また、仮に彼女からの依頼がなかったとしても、雹夜は立場上、遅かれ早かれ、この事件に巻き込まれることになったはずだ。
「……わかった。俺の方で探してみる」
「本当ですか!?」
「ああ。俺は一度交わした約束は絶対守る。だが、それには条件がある」
「条件……ですか?」
「そうだ。俺が吸血鬼を探している間、あんたは何もするな」
「――っ」
「素人にふらふらされちゃ、迷惑なんだ。こっちの世界にはこっちの世界のやり方ってもんがあるからな。だから、俺が動いてる間はあんたはじっとしてろ。余計なことはするな」
それはほとんどでまかせだった。
これくらいの言い方をしておかないと、感情を持てあました美芳が暴発しかねないと思ったのだ。
美芳はしばらく迷った後、
「……わかりました。それでいいです。でも、有門先輩がいつまで経っても吸血鬼を見つけられないようなら、わたしは自分の判断で行動します」
決然とそう述べる美芳に、雹夜は舌打ちしたい気持ちになった。
「……まあ、それはあんたの自由だよ。あまり賢明なやり方だとは思えねーけどな」
雹夜は嘆息とともにそう言った。