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相談者

 礼拝堂に着く頃には、夏の日も傾きかけていた。

 

 雹夜の目の前に立つ、質素ながら教会であることがひと目でわかる三角屋根の平屋の建物が、浦戸学園〈聖霊の声〉礼拝堂である。

 三角屋根の上には、小さいものながら鐘楼がついていて、日曜の礼拝の際には、ミサの進行に合わせて係の信徒が鐘をつくことになっている。

 

 礼拝堂のまえには、半径十メートルほどの、微妙に勾配のある円形広場がある。

 石畳になったその広場は、教会主催のバザーや、菜園で獲れた野菜を販売するときなどに使われる。今回盗まれたトマトも、本来なら今週の土曜にこの広場で販売され、教会の貴重な収入源となるはずだった。

 

 雹夜はなんとなく来た道を振り返った。

 

 礼拝堂は高台に作られているため、浦戸学園の敷地が一望できる。

 橙色に染まりはじめた学園は綺麗だったが、ひょっとしたらあの中にトマト泥棒がいるのかもしれないと思うと複雑な気持ちになる。

 

 が、いつまでもこうしていてもしかたがない。

 雹夜は広場を横切り、ペンキで白く塗られた両開きの木戸を押し開く。

 

「ヒョウヤ!」


 木製の長いすから立ち上がって言ってきたのは、もちろんアルトだ。

 

「遅かったわね」


 聖壇の前にひざまずいていたルチアも立ち上がった。

 

「野暮用でな」


 軽く答えて、礼拝堂の中を見渡す。

 

 長いすの並んだ会衆席と向かい合う位置に聖壇があり、その奥にキリスト教のシンボルである十字架がある。そこまではカトリックやプロテスタントの教会と同じだが、聖壇には段差がなく、十字架がとりはずしのできるタペストリーになっているのが特徴的だ。禁教時代、幕府の役人の立ち入り検査を逃れるためになされた工夫の名残なのだという。

 とはいえ、それだけでは寂しすぎるので、説教壇にはロマネスク調の木彫りの装飾が施され、要所に金の燭台が置かれているし、説教壇の後ろには赤褐色の緞帳が引かれている。緞帳の奥には特別な儀式の時に使う祭壇や洗礼盤などがあるので、ふだんは地味めの聖壇も、行事の際にはそれなりに華やかに変身する。

 

 礼拝堂の出入口は、今雹夜の入ってきた正面の両開きの木戸の他に、聖壇の左右にひとつずつ片開きの木戸がある。その片方は昼休みに見たルチアの菜園に続いている。

 

「……ん? お客さんか?」


 会衆席の最前列、雹夜たちからいちばん遠い場所に女子生徒が座っている。

 

「そうよ。ただし、わたしの、じゃなくて、雹夜くんの、だけれど」

「俺の? 誰だ?」

「さあ……初めて見る子ね」


 雹夜が自分を指さして聞き返すと、その声が聞こえていたのだろう、少女が立ち上がった。

 

 少女は浦戸学園の制服姿で、リボンの色を見ると一年生のようだ。

 今時珍しい三つ編みおさげに黒縁メガネ、スカートのすそは膝下までと、かなり野暮ったい格好をしているが、よく見ると顔立ちは整っていて、不思議に男心をくすぐるところがある。

 少女は長いすを回り込んで雹夜の前にやってきた。

 目の前に立つと少女は小柄で、雹夜を下から見上げる形になる。

 大きなメガネがずれ下がり、その奥に隠れていたアーモンド色の瞳が雹夜をとらえた。

 

「有門先輩……ですよね?」

「あ、ああ……」


 少女の真剣な様子に雹夜はたじろぐ。

 

「雹夜くんにお話があるそうよ」

「俺に……?」


 そう言われて真っ先に思いついたのは――告白されるのではないか、ということだった。

 かるら曰く「中身はいろいろ残念だけど見た目だけはそれなり」らしいので、実のところこれまでにもそういうことはあった。半分くらいがいたずらだったあたりは、雹夜の学園での立ち位置を象徴しているのかもしれない。


 しかし、少女の真剣な面持ちは、そういう種類の緊張とは別のもののように思えるし、もしそうだとしたら、ルチアあたりはもっといやらしいニヤニヤ笑いを浮かべていないとおかしい。

 

「わたしは外した方がいいかしらね?」


 ルチアがそう気を利かせる。

 

「いえ……その、シスターも一緒にいてくれた方が……」


 ちらっと雹夜を見て、少女がうつむく。

 視線の意味がわからず、雹夜は首をかしげる。

 

 が、ルチアはぽんと手を打って、

 

「ああ、そこの野獣さんと二人きりになるのはちょっと不安ってわけね」


 そんなことを言ってくる。

 

「おぉいっ!」

「きゃっ!」


 思わず抗議の声を上げた雹夜だが、少女にとってはいささか音量が大きかったらしい。

 

「わ、悪いな」

「い、いえ……わたしこそ、すみません……。昔から男の人って苦手なんです……」


 しゅんとなってうつむく少女に、

 

「ちょっと! アナタ、ヒョウヤに用あって来たのに、そんなの失礼ですよっ」


 アルトが頬をふくらませて突っかかる。

 

 普段のアルトらしからぬ剣幕に、

 

「お、おい、そんなに怒るなって。男が苦手だってのに、それでも俺のところに来たんだ。よほどのことがあるんだろうよ」

「それは……そうですけど……う~っ!」


 アルトはつんと顔を背けて、ひとり、離れた席に座ってしまう。

 

(……どうしたんだ、アルトのやつ?)


 いつもは天真爛漫を絵に描いたようなアルトが、こんなふうになるのを雹夜は初めて見た。

 もちろん、アルトと再会してまだ二日も経っていないのだから、雹夜の知らない一面があったところで不思議ではないのだが、十年前のアルトも知る雹夜としては、やや腑に落ちない感じはする。

 

 一方の少女は、

 

「ご、ごめんなさい……っ! わたし……わたし……」


 アルトに怒られたことですっかり取り乱してしまっている。

 

「いや、いいから。まずは落ち着け、な?」


 雹夜は少女に目線を合わせ、なだめようとしたが、男性の苦手な少女には逆効果だったようで、少女の顔色がますます白くなった。

 

「あーっと……まいったな」


 つぶやき、頬をかく。

 

「ほらほら、誰もあなたのことを責めたりはしてないから。ゆっくり息を吸って……吐いて」


 ルチアが後ろから少女の肩を抱き留め、深呼吸を促す。

 少女は肩越しにルチアを振り返り、視線を合わせながら、ゆっくりと深呼吸する。

 小刻みに揺れる少女の目と、安心させるように目尻をさげたルチアの目とが合い、お互いの呼吸を同調させるように、しばしリズムをとった。

 数秒後、少女はようやく落ち着いてきたらしく、

 

「す、すみません……」


「いいんだよ。苦手なものくらい誰にでもあるさ」


 雹夜はなるべく明るく聞こえるようにそう言った。

 

「とりあえず、座って話そうぜ。……ルチア、この席、ひとつだけ逆向きにしてもいいか?」


 礼拝堂の会衆席は説教壇に向かって平行に並んでいるので、そのままだと座って話が聞きにくい。

 長いすは、他の教会でよく見かけるような、六、七人が並んで座れる長いものではなく、三人がけのいすが二つずつペアにされているだけだ。

 そのうちのひとつを反転させれば、新幹線の座席のように、即席のボックス席を作ることができる。

 雹夜は以前、ルチアがそのようにして信徒からの相談を受けているのを見たことがあったのだ。

 

 が、

 

「…………」


 ルチアからの返事がない。

 

「……ルチア?」

「……え? ああ、そうね。別にかまわないわ」

「大丈夫か? 疲れてるんじゃねーのか?」


 ルチアは礼拝堂の管理者として、また〈聖霊の声〉の司祭として、規則に基づく禁欲的な生活を送っている。

 そのうえ今日は、収穫したばかりのブラッディトマトが盗まれてしまった。

 菜園からの収入は、少ないながらも礼拝堂維持のための貴重な現金収入であるし、なにより他に趣味もなく、天涯孤独で心を開ける友人も少ないルチアが、唯一入れ込んでいる活動なのだ。

 

「大丈夫よ。ちょっと立ちくらみがしただけだから」

「……そうか? 今日はホントに、ゆっくり休んでくれよ」

「ふふっ。そうさせてもらうわ。でも、この後もまだ用事が残ってるのよね」

「おいおい……後回しにはできないのか?」

「それが、そうもいかないのよ。ほら、例の――」

「ああ、そういうことか。くそっ、まったく間の悪いときに……アルト」

「ハイ。なんですか?」

「ルチアを休ませてやってくれないか?」

「わかりました。でも、その人はどうしますか?」


 アルトは少女を目で示す。

 そのしぐさには、アルトらしからぬトゲが含まれているように見えた。

 

「わ、わたしは……」


 少女は困った様子で雹夜とルチアを見比べる。

 

「雹夜くん。わたしは大丈夫って言ってるでしょ。アルトさんと一緒に、近くの席で休ませてもらうわ」


 ルチアはそう言って、手を振った。

 

 それから雹夜の耳元に口を寄せて、

 

「アルトさん、わかりやすくてかわいいわね」


 とささやいてくる。

 アルトの少女へのトゲのある態度を、ルチアはそう解釈したらしい。

 

「……っ。ああ、もう。そんなことが言えるんなら大丈夫なんだろうよ……」


 ルチアはにやりと笑ってみせてから、アルトの隣に腰を下ろした。

 雹夜は長いすを一脚動かして、向かい合わせの席を作る。

 動かしにくそうにしていたら、少女が手伝ってくれた。

 

「悪い、待たせちまったな。ええっと……」

(かみ)()……です。(かみ)()()()。この学園の一年生です……」

「守良、ね。それで、俺に話っていうのは?」

「はい……。でも、その前に……ひとつ、聞いてもいいですか?」

「ああ。なんだ?」

「……笑わないでくださいね。有門先輩は、その……吸血鬼って、信じますか?」


 雹夜はぴくりと眉を動かした。

 

「吸血鬼、ね」


 そっとルチアとアルトの様子をうかがう。

 ルチアは何気ない表情で、アルトは驚きをあからさまに見せて、雹夜と少女のやりとりに注目していた。

 

「まあ、俺はこんな外見なもんで、よくそういうことを言われて、からかわれるんだよ。ついさっきも、一年の女子が『伯爵』だなんだと囁いてたな」

「い、いえ、そういう話じゃないんです。雹夜先輩の……その、容姿に関する噂ではなくて……、もっと都市伝説みたいな噂の……。『課外活動』って、いうんでしょうか……」

「やっぱりそっちかよ」


 雹夜は眉間にしわを寄せ、少女――守良美芳を改めて観察する。

 

 ファッションに関しては野暮ったいのひと言だが、その野暮ったさが男に対しての魅力ともなっているという、希有なタイプの女子生徒だ。

 

 そのことを本人が自覚しているかどうかはわからない。

 先ほどから見ていてわかるとおり、男性が苦手だという以前に、他人とかかわること自体が苦手なようだ。

 人見知りといえばそうもいえるし、控えめで気配りができるタイプだと評価することもできるだろう。

 

 かるらにせよルチアにせよ氷雨にせよ、あるいは昨日からそこに加わったアルトにせよ、強烈な個性の持ち主ばかりに囲まれている雹夜としては、彼女のような大人しいタイプの女の子は新鮮だし、心惹かれる部分がなくもない。

 何かに困っているのなら、力になってやりたい――美芳には雹夜にそう思わせるだけの何かがあった。

 

「あまりおおっぴらにはしないでほしいんだが、その噂は、部分的には事実だ」


 美芳の口にした『課外活動』――それこそが、雹夜を学園の有名人たらしめている理由のひとつだった。

 

 学園でのもめごとを見過ごせず、首をつっこんでいるうちに、雹夜はいつのまにか一種のもめごと調停人(トラブルシユーター)と見なされるようになってしまったのだ。

 

 困ったことがあったら『伯爵』に相談するといい――そんな噂が流れているらしい。

 そして実際に、持ち込まれた相談事についてはなんとかしてやろうとしてしまうのが雹夜の性格ではあった。

 

「じ、じゃあ――」

「だが、俺であんたの力になれるかどうかは、話を聞いてみなくちゃわからねえ。それでよければ、話してくれ。ここで話したことは口外しないし、あんたがたとえ一般的には奇想天外と思われるようなことを言ったとしても、それを笑ったりすることは絶対にない」


 言外の意味を含んだ雹夜の言葉に、美芳はごくりと唾を呑み込み、居住まいを正して、ゆっくりと口を開いた。



「わたしの従兄弟のお兄さんが――吸血鬼に……殺されたんです」

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