浦戸――ヴァンパイアの棲む街
浦戸の歴史回。細かい設定に興味がない人はざっと読み流してもらって問題ないです。
現在浦戸と呼ばれている土地にヴァンパイアが棲みつくようになったのは、今から五百年近く前のことである。
当時の浦戸は、不裏戸衆と呼ばれた忍びの一族の治める自治都市だった。
裏戸(当時の浦戸)は、溶岩台地が浸食されてできた鋸歯状の峻険な山々に囲まれた秘境であった。
しかしながら、唯一海に面した裏戸湾は、対アジア貿易や南蛮貿易の中継地点として栄え、裏戸は戦国の世にあって分不相応なほどの富を蓄積していた。
当然、周囲の国々は裏戸を攻め取ろうと軍を送ったが、家康による天下統一までの間、裏戸はその自立を侵されることがなかった。
なぜ裏戸は、再三にわたる戦国大名の軍勢を退け、独立を維持することができたのか――?
一般には、裏戸が峻険な山に囲まれた天然の要害であることに加え、天下一とも賞された忍者集団・不裏戸衆の活躍があったからだと言われている。
もちろん、その二つ――裏戸の特殊な地勢と不裏戸衆の存在とが、裏戸が独立を維持することができた主要な要因であることはまちがいない。
だがそれに加え、南蛮船に乗って裏戸にやってきたキリスト教の宣教師たちの影響も無視することができない。
長崎へ宣教師が漂着したのと前後して裏戸へとやってきたキリスト教の宣教師は、不裏戸衆の中に信徒を増やし、国内ではかなり早い段階で裏戸に大きな天主堂を建設するまでに至った。
宣教師たちは、おもに精神的な面で、不裏戸衆やその配下の民衆の結束を促す役目を果たしたが、峻険な山々に囲まれた裏戸はもともと結束の固い集団ではあった。
したがって、宣教師たちのもたらした精神的支柱としてのキリスト教が、戦国の世の裏戸を支えたというのは言いすぎであろう。
宣教師たちの重要性は、むしろ別の面にこそあった。
キリスト教の宣教師たちに混じって裏戸の地にやってきたヴァンパイアたちの存在である。
当時のキリスト教は、吸血鬼であるとないとにかかわらず、ヴァンパイアすべてを悪魔の化身とみなし、異端審問や悪魔祓いの対象としていた。ヴァンパイアにとって、法王庁の異端審問官やエクソシストに捕まることは死を意味していたのである。
が、それでいながら、ヴァンパイアとキリスト教とは、切っても切れない関係にあった。
そもそも、ヴァンパイアにとって、神の奇跡を信じることは、ただの人間の場合よりも容易なことである。
なぜなら、ヴァンパイアの中には超自然的能力――怪力、発火、飛翔、念動力、治癒、催眠、夢見、変身、不老不死など――を持つ者がおり、科学的には説明しがたいそれらの能力を、彼らは日々目の当たりにしながら生きているからである。
そのため、少なくないヴァンパイアが神の存在を信じているし、超自然的能力を持つ者の中には、神の存在を確信しているとまで言い切る者もいる。
かつてヴァンパイアの中には、狂信的なほど原理的に神を信じる一団があり、彼らがキリスト教の布教や、異教徒との抗争に果たした役割は量りしれない。ブラム・ストーカーの生み出した架空の吸血鬼・ドラキュラ伯爵のモデルとなったことで有名な、ハンガリーのヴラド串刺し公もまた、キリスト教側に立ち、異教徒と戦ったヴァンパイアであったと言われている。
キリスト教側としては、彼らヴァンパイアの人知を越えた戦闘能力を利用しながらも、「悪魔」とみなす存在と共闘せざるを得ないことに忸怩たるものを感じていたにちがいない。
キリスト教会内では彼らヴァンパイアの処遇に関して相反する立場が生まれ、歴史の裏舞台で互いを激しく排斥し合うことになった。
純粋なまでに敬虔にして、神の奇跡にも似た力を振るい、それでいて「悪魔」とみなされる彼らヴァンパイアの処遇を巡る対立は、古くはキリスト教会が東西に分裂する一因ともなり、さらには宗教改革が起こる下地を作ったとも言われる。
そして、教会内での対立の激化に嫌気がさしたヴァンパイアたちは、キリスト教徒としての活路を海外への宣教活動へと見いだしていくことになった。
そう――裏戸へとやってきたキリスト教の宣教師たちは、ヴァンパイアだったのである。
極東の島国へと流れ着いた彼らヴァンパイアは、現地の権力者であった不裏戸衆との間に血縁関係を結び、やがて不裏戸衆は、伝来の忍びの技に加えて、ヴァンパイアの持つ超自然的能力をも獲得することになった。
超自然的能力を組み込んだ独自の忍術を編み出した不裏戸衆は、周辺諸国から「鬼神」と恐れられるほどの活躍を果たす。
結果、裏戸は、江戸幕府が成立するまでの間、度重なる他国の戦国大名の侵入を跳ね返し、独立を維持することができた。
そして、浦戸市には、戦国時代に不裏戸衆と混血したヴァンパイアの末裔たちが、今もなお、暮らしている。