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プロローグ(一年前)

 一年前のその日、俺は対立の真っ只中で立ち尽くし、笑い出しそうになる膝と、全身をじっとり濡らす汗とを必死でこらえていた。

 

 前門の虎、後門の狼――そんな言葉があるが、状況はそんな生ぬるいものですらなかった。

 

 俺の前には、重武装の「十字軍」が、埠頭を照らす常夜灯で白銀の板金鎧(プレートメイル)を輝かせながら展開し、俺の背後には鍛え抜かれた躰に黒装束をまとった紛れもない本物の忍者たちが、騎士たちとは逆に闇に紛れるようにしながら、鋭い眼光を目の前に蝟集するキリストの軍勢めがけて投げつけている。

 両者からは、戦いの素人である俺にすらわかるほどの、激しい殺気が溢れ出していた。

 

 まるで生きた心地がしなかった。

 

 彼らはただ重武装しているばかりでなく、その一人一人が、文字通りに超自然的な力を持つ超常の戦士なのだ。ただの人間にすぎない俺には抵抗することすら考えられない。彼らがその気になれば、俺の躰は嵐の前の木の葉のようにたやすく吹き飛ばされ、粉々に打ち砕かれてしまうだろう。

 

 俺は踊り出しそうな奥歯を食いしばりながら、必死でおやっさんの教えを憶い出す。


「――常に心に天秤を持て。おまえ一人の考えで決めていいことなどこの世には存在せぬと心得ておけ。偏するな。執着するな。どんなに自分が正しいと思っても、必ず一度は自分の立場を捨て、その外から物事を眺め、それから断を下せ。

 おまえはこの天秤の支点だ。おまえはその両手を、天秤の皿のように二方に向かって平等に差し出すのだ。そして、二つの皿に載せられたものの重みをよく確かめろ。天秤の揺れが収まった後には、おまえの求める答えがはっきりと示されているはずだ。 

 だが、これはすさまじく難しいぞ。片方に同情すべき心境を、片方に動かしがたい現実を載せられたらどうする? 片方に若い寡婦の命を、もう片方にその幼子の命を載せられたらどうする? 

 量れ。虚心に量るのだ。我欲を捨て、私利なき天秤となったつもりでよく量るのだ。さすれば、道は自ずから見えてこよう。 

 そうして道を見定めたなら、たとえそれがどれほど困難に思えたとしても、怖れなく進め。おまえの選んだ道が正しければ、おまえの覚悟が確かなものであれば、おまえの隣を歩んでくれるものも自ずと現れてこよう」


 おやっさんの教えはいつだって正しい。その確信に疑いはない。


 だが、この状況において、ただの観念に過ぎない「教え」はあまりに無力に思えた。

 この場で試されているのは、つまるところ、おやっさんの教えではなく――あくまでもこの場に居合わせた俺という存在そのものなのだ。


 おやっさんがこの街を離れてから九年が経ったが……それでも、幼いあの日に掲げた誓いに変わりはない。

 目の前に立つ巨大な背中へのあこがれと、俺の背に隠れて震える華奢な少女を守りたいという、めばえかけた少年としての意地と。

 俺の中に根づいた二つの感情が、全てを抛り出してこの場から逃げ出すことを許さない。


「生身で私たちの前に飛び出してきた度胸は買いますがね……はっきり言って、意味がありません。私たちには、君の青くさい感傷につきあっている暇はないのですよ」


 白銀の板金鎧に身を包んだ青年がそう言った。

 その言葉に、向かいに立つ赤銅色の肌をした巨漢の忍者が鼻を鳴らす。


「ま、そういうこった。少年、おまえの気概はまったく悪くねえ。悪くねえが……それだけで全てがうまくいくほど、世の中ってのはうまくできちゃいねえのさ」


 投げつけられる辛辣な言葉。

 心が折れそうになる。


 が、それでも俺はくじけるわけにはいかなかった。


「だが、こんなことは馬鹿げてる! もっとマシな解決策があるはずだろう!」


 その場に踏みとどまるために叫んだ言葉は、冷笑を以て迎えられた。


    †


 別れの日、おやっさんは言った。


「どれほど強力な力の持ち主であっても、こればかりは人間と同じだ。ここの強さが試されるのだ」


「ここ」という箇所で、おやっさんは自らのぶ厚い胸板を叩いてみせた。


「おまえはただの人間だ。何の力もない、ただの人間だ。だが、おまえはたしかにここに大事なものを持っている。それはどんな力、どんな富、どんな味方よりも強力な、無上の武器なのだ。そのことを忘れるな」


 おやっさんはそう言って俺に背を向けた。

 ばかでかい背だ。俺が大人になってもこんなでかい背中は手に入らないだろう。


「おやっさん……本当に行っちまうのかよ」

「ああ。私はあまり長くここに居すぎたようだ。私の同胞連中がピリピリしている。彼らの静かな暮らしを乱すのは、私の本意ではないのでな。余計な騒ぎにならぬうちに、私は城へ帰ろうと思う」

「……同胞?」

「いずれわかる。わからなければそれでもかまわない。だがわかった時には……そうだな、彼らの力になってやってくれ。彼らは強い力を持ってはいるが、だからこそ彼らは危うく、脆いのだ。おまえのような存在が彼らには必要なのだ」

「んなこと言われても……わかんねーよ」

「おまえは何も言われなくても私の娘を守ろうとしてくれた。それでいいのだ。しかるべき時が来れば、おまえにはそれとわかるはずだ。おまえがおまえらしくありさえすれば、なすべきことは自ずからわかる」

「自ずからわかる、ねえ。おやっさんはそればっかだ。でも、わかったよ。俺に何ができるかはわからねーけど、おやっさんの頼みは心に留めておく」


 まだこまっしゃくれたガキだった俺は、少しばかりの背伸びと強がりとから、おやっさんとそう約束した。


 ――自分が交わした約束の意味がわかるようになったのは、つい最近のことだった。


    †


 緊迫した状況でふいに思い出したのは、なつかしい九年前の約束だった。


(……こいつらが危うい? 脆い? まぁ、ある意味危ういとは言えそうだけどな)


 目の前の彼らが自分の力を必要としてるとは到底思えそうになかった。


 が、それはどうでもいいのだ。

 たとえ必要とされていなくても、見過ごすわけにはいかないことだってある。


 おやっさんのように生きたいと思った幼い日の記憶は俺の中で薄れてはいない。

 おやっさんがこんな状況を目の当たりにしたら、やはり身体を張ってでも止めようとしただろう。自分におやっさんと同じことができるだなんて思わないが、できるはずのことをやらなかったら絶対に後悔する。


 だから、胸を張り、挑むような光を視線に籠めて、俺は口を開いた。


「……あんたら、どっちが正しいかを決めようとしてないか? そんなの、無理だぞ。自分の正しさで相手の正しさを打ち負かそうだなんて考えたら、そりゃケンカにもなるだろうさ」


 俺はそう言って肩をすくめてみせた。


 俺の虚勢なんて、歴戦の戦士たちにはあっさり見抜かれてるのかもしれないが、そんなことは気にしない。堂々とふるまう自分をイメージして、そのイメージにしがみつく。虚勢だ。でも、虚勢ってのは張り通してしまえば本物になる。

 ……これもおやっさんの教えだが、あのおやっさんにも内心の恐怖をこらえて虚勢を張っていた時期があったなんて、ちょっと想像がつかねーな。


 そんな俺の内心をわかっているのかいないのか――いや、わかっているに違いないが、わかっている様子なんてかけらも見せずに、それまで沈黙を守っていた厳めしい顔の修験僧が、重々しく口を開いた。


「……では、おぬしが決めてみよ」

「……は?」


 唇を釣り上げて修験僧が口にした言葉に、俺は間抜けな声を返してしまった。


「フッ……それはいい。そこまで言うからには、君には妙案があるのだろう?」


 西洋の鎧姿の騎士が皮肉な笑みを浮かべて言ってくる。


「い、いや……俺は元々部外者なんだ。こんな大事なことを軽々しく決めるわけには……」

「儂らがよいと言っておるのだ。クリストフが決めれば不裏戸(ブラド)の若造どもが反発しようし、かといって驟雨(シユウ)が決めたところで〈白銀の十字剣(シルバークレスト)〉が受け入れるわけもあるまい。であれば、奇しくも中立の立場にあるおぬしが決めればよい」

「……俺が決めたとして、不裏戸衆の青年組や〈白銀の十字剣〉はその決定に素直に従うのか?」

「それはむろん、おぬし次第じゃな。決める以上は従うべし、とここで約することは簡単じゃが、おぬしの言い分に彼らを納得せしめるだけのものがなければ、遅かれ早かれ違約は起きよう」

「それじゃあ意味がないだろ」

「そんなことはない。夜の領域は昼の秩序の及ばぬ世界じゃ。ここでは力こそがものをいう。じゃが、力とは何も腕力や能力ばかりを指すのではない。おぬしが何かを信じておるのなら、その信念を力に変えてみせよ。彼らを黙らせてみせよ。よもや、その覚悟もなしにこの場に飛び出してきた訳ではあるまい?」

「……じゃあ、俺が双方にとって受け入れ可能な案を出せれば、争いをやめてくれるんだな?」

「当然じゃろう。こやつらとて何も好きこのんで争っておるわけではないからな。まぁ、中には血の気の多い輩もおるやもしれぬが、そのようなものの手綱を握るべきはそれぞれの頭目であろう。何もそこまでは求めぬよ。――じゃが」


 修験僧は言葉を切ると、俺をじろりと睨んでくる。巌窟の中からのぞく野獣の目のような危険な目だ。


「生温い妥協案、結論などとは到底言えぬような代物でお茶を濁すようであれば、やはりやりあうしかなくなろうがの」


 迂闊なことを口にしようものなら殺される――まさか、と思いながらも、本当に殺されかねないと思わせるだけの力がその目にはあった。


(……そうだ。こいつらはまともな人間じゃない。超常的な力を振るう――なんだ!)


 今更ながらにそのことを実感し、俺の背中を冷たい汗が駆け抜けていく。

 いや、それは汗なんかじゃなかった。

 背筋に怖気が走るという感覚を、俺はその日に初めて知ったのだ。



「さあ……どうするのじゃ? アルカドの末裔よ?」



 威嚇するように問いを投げかけてくる修験僧に向かって、俺は覚悟を決めて口を開いた。



 ――今思えば、その瞬間こそが、俺が夜の世界に足を踏み入れた瞬間だったのだ。

今回はおぼろげに雰囲気だけつかんでもらえれば。


次回から本編開始です。

『アルカドの眷属』、よろしくお願い致します。

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