太月事務所の三兄弟、ふたたび 3
次男と三男が大急ぎで事務所に戻ったとき、すでに大空の姿があった。
事務所の前で彼はプカプカと不味そうにタバコを吹かしていた。まるで、途方にくれてしまったパグのような顔をしていた。
「大空さん、ごめん! ほんとーに御免なさい」
いの一番に、事務所の扉に続く階段を駆け上がった六花の息は切れていた。彼の顔に疲れた色が見られたが、後からたどり着いた次男のほうがより一層疲労の色がひどかった。顔はいつものように無表情だが、顔色が青白く、何より目に輝きというものが足りない。どこか、げっそりしているようにも見て取れる。
「ごめん。 緊急事態が発生しちゃってさ、その、遅れてしまって本当にごめんなさい。約束したのに、破ってしまって。 とにかくお茶を出すよ。のど渇いたでしょ?おれも実は・・・」
と六花が急いで事務所のかぎを開けようとしたが、彼の手を大空の大きな手がガッと掴んだ。六花はつかまれた瞬間にびくっと飛び跳ねた。
「な、なにっ?」
「それよりも、早く屋敷に来てください!」
大空は顔を赤くして訴えた。煙を上げながらタバコが地面で燃えている。
「緊急事態だったりする?」
「また夢を見たんです。 とにかく俺の車に乗ってください!」
「うん」
事務所の階段は赤褐色に錆びている。ひどく音を立てて大げさに駆け下りようものならば、崩れ落ちそうなほどの頼りなさだ。それを、大空はドンドンと音を立てて大急ぎで下りた。まさに古い階段が左右に揺れている。大空もわざとではない。本当に急いでいるのだ。
「烏兎、行くぜ」
六花が大空に続けと嬉々として階段を引き返せば、その後を次男がげっそりとした顔で追った。
「夢を見ました」
大空の運転は、彼の容貌と似合わずとても良心的な運転だった。 つまり安全運転だ。 助手席の六花がシートベルトをかけ忘れていると、無言で彼の分をかけた。
「夢とは、またあの夢ですか」
後部座席から烏兎が身を乗り出して尋ねた。
「はい。 ですが、今までとはかってが違うんです」
大空は運転に集中しながら話し出した。
「同じ部屋。 そして同じ視界。 夢の俺は見下ろしている。そこまでは、同じなんですが」
その晩に、その部屋に泊まった客はいなかった。だから夢をみたとしても、見下ろす自分の目にうつるのは、空のベッドであるはずだ。今までだってそうだったのだ。
しかし、昨晩、大空が見た夢には人間ではないモノがベッドの上にいた。
「何がいたんですか?」
そこで大空は生唾をごくりと飲み込んだ。それにつられて六花も飲み込む。
「ぬいぐるみです。 クマの、ぬいぐるみがまさにベッドの上にいたんです。しかも、動いていたんですよ。跳びはねていたんです」
六花は兄の顔を不安げに見た。兄は、驚くことも無く頷いた。
「そのとき、すぐに目が覚めましたか?」
「ええ、覚めました。 ひどく喉が渇いていましたが、そんなことに構っていられるはずもありません。俺は、真っ先に例の部屋に駆けて行きましたよ。いま走ればクマのぬいぐるみとやらを捕まえられる、と考えたのです。うそにしろ本当にしろ、動くぬいぐるみの存在をおれが暴かないといけないと思ったからです」
大空は興奮したのか、鼻の穴をふくらませて言った。自然とハンドルを握る手に力が入る。
「蛻の殻とはまさにアレのことですよ。 ベッドの上には何もいません。クマのぬいぐるみなんて、いなかったんです」
「では、ただの夢であった、ということになるのですか?」
いいや、と大空は首を振った。
「確かにベッドが乱れていた。 何かがその上にいて、暴れたような形跡がはっきりと示されていたんですよ。間違いなく、化物のしわざです。きっと化物がぬいぐるみの身を借りて、隅田さんの屋敷を乗っ取ろうとしているんだ!!」
「乗っ取る? それはどうでしょうか・・。大空さんのいう化け物とは、確かに実態があるものですか?その目で見なくては存在が認められません。夢も気まぐれなものです。夢があたる日が続くからといって、毎日がそうであるとは断定できません。化け物の存在に、何パーセントの可能性がありますか?」
「それは」
と大空が口ごもると、横から六花が代弁した。
「1パーセントだろーが、そりゃあ十分に可能性のうちに入る。化け物だっているかもしれないだろ。頭ごなしに否定はできねーよ」
「そいつは、屋敷を乗っ取ったりしないだろう。そう、断定しているだけだ」
烏兎は静かに後部座席に腰を落ち着け、しばらくの間、緑ばかりが広がる窓の外を眺めていた。
六花にはさっぱり意味がわからなかった。
点在する家屋。 しかし、それも徐々に見当たらなくなるほど山の奥へと上って行った。林は鬱蒼と茂り、昼の日光が介入する余地もなく、あたり一帯が暗い。
舗装されていた道も今では途切れ、人の手が拒んだでこぼこした道が果てもなく続いている。
大空の安全運転が2時間で導き出したそこに、屋敷はあった。
「うわあ・・なんだコレ・・・」
壮大な土地が切り開かれ、縦横に巨大な屋敷がお目見えした。六花が驚いたのは、その外観が主であったが、ほかに屋敷から人の気配がまったくしないことにひどく驚いた。まるでホラー映画に出てくる化け物の住処に似ていた。
さまざまな家を見てきた烏兎であったが、このように息をしていない家を見たのは久しぶりだった。というのは、実は不適切で、この大きな屋敷だって呼吸はしていた。 しかし、瀕死の呼吸だ。 円満な家族が住まう家というのは、少なからず生き生きとし、どんなに外壁や内壁が古くてもこの屋敷のように淀んだ空気の中に建っていない。生き生きする、というのは、自分の力で周りの淀んだ空気さえもプラスに展開できるというものだ。
「おどろきましたか? これが須田さんの宝物です。立派なものでしょう」
車をとめた大空の第一声がそれだった。とても誇らしげに屋敷を仰いでいる。彼ら三人がしばらく屋敷の外観を眺めていると、近くの大きな窓が開いた。中から若い男が所在ない細面を出した。
六花と烏兎は、登山客の一人であるか、もしくは屋敷の関係者なのだろうと思っていたが、大空は違った。声を張り上げた。
「あんた、また来ていたのか・・・!懲りない奴だ!」
「ご無沙汰しております。 大空さん、また奇抜な格好をしておられるのですね」
男はすました顔で大空を上から下へ眺め、くすっと笑った。まるで狐の面のように目元がつりあがっている。 よほど入念にスーツをコーディネートしたのか、その男の服装は非のうちどころがないほど、完璧だった。
「奇抜だと? んなことはどうでもいい。さっさと出て行ってくれ」
二人の間にただならぬ空気が漂い始めたころ、六花は、開いた窓の間隙から老人の姿を見とめた。彼こそがこの巨大な屋敷の主、須田なのだろう。
「大空くん。 帰っていたのかい?」
「須田さん。 ながらく留守にしました。申し訳ないです」
大空は慌てて大きな一礼をして、近くにいた六花の腕をつかんで引き寄せた。
「こちらが例の、事務所のかたがたです。あの一件を解決してくださるんですよ」
須田は、白いひげを蓄えたやさしい目元をした老人だったが、大空が目を輝かすばかりで彼の顔は晴れ晴れとしていなかった。どうやら他の問題が生じているらしく、屋敷内にほかの人影があり、須田は今まさにその人物と何らかを話し合っているようだった。
「そこで立ち話も失礼だ。 どうぞ、中に入ってください」
それから大空は急いで六花と烏兎を屋敷内に招き入れた。
「ふああ・・すげぇ・・」
六花は大きく頭上を仰いだまま、大きなホールのど真ん中で立ちすくんでいた。屋敷の、一階から二階へと続く吹き抜けに堂々とぶら下がるシャンデリアが、白昼にかかわらずキラキラと煌いて、来訪者を心地よい光で招き入れた。圧倒される六花とは違い、次男はというと、屋敷内をしずかに見回し、何か不可解なことはないかと目を光らせていた。
「さあ、こっちです」
大空が先頭に立ち、二人を先導した部屋はひどく広かった。浩浩とした部屋の真ん中に、須田と先ほどの若い男、それに綺麗に洋装した老婦がいた。大空と一晩兄弟が入室すると、さきほどの狐顔の若い男が立ち上がった。それが六花を見て、大仰に目を見開いて驚いた。六花は小ばかにしたような目つきで、ちらりと彼を見ただけであとは目もくれてやらなかった。
一通り烏兎が自分たちの身分を打ち明けると、須田は申し訳なさそうに大空を見た。
「大変、申し訳ないが、今日のところは引き取ってもらえますか」
須田がいった。大空は、えっと大きな肩をあげて驚いた。
「というよりも、あなた方の力は必要ありません。我々でなんとかします」
「何とかならないから、大空さんがうちに依頼したんでしょう。まさか、帰るわけにはいかないですよ」
六花が兄を見上げると、兄はある人物をじっと見つめていた。六花がその視線をたどると、そこにはソファに上品に腰掛ける老婦の姿があった。白髪が多く混じった彼女の頭は綺麗に結われ、洋装は抜かりなかった。烏兎の視線に気づいて、彼女はこちらを見向いた。その両眼は憂いに満ちていた。今にも悲しみに押しつぶされて泣き出しそうな表情だ。
「須田さん、私たちのほかに、この屋敷を手に入れたい方々がいらしったのですか?」
「いいえ」
須田は首を横に振った。それから、とにかく帰ってもらえないかと重々願った。
「話が違うぜ!」
「須田さん・・。せっかく来ていただいたのに・・」
「放っておいても何も支障はないだろう。今は、『柏木さん』と話をつけたいんだ」
仕方なく六花が帰ろうときびすを返そうとすれば、烏兎が突如として口を開いた。
「柏木花実さん、あなたはなぜこの屋敷が欲しいのですか」
柏木花見と呼ばれた老婦は目をぱちくりさせて、次男を見つめた。
「どうして私の名をご存知なの?」
「教えてくれました」
「まあ、いったいどなたが?」
「・・・・・。それは、大空さんです」
えっ、と大空がひどく驚いたのは、無理もない。彼が烏兎にこの老婦の名など教えていないし、口にもしていないのだから。
「この屋敷にたいして、大変思い入れがあるようですね」
「どうしてお分かりになるのかしら。そうよ、この屋敷は須田さんの物だけれど、どうしても欲しいのよ。でも、あなた達には関係がないわ」
冷たい人だ、と六花が肩をすくめれば、柏木はクスクスと笑い出した。
「でも、まあ、お話しいたしましょう。ちょうどその訳を須田さんにもお答えしようとしていたところだから」
老婦は懐かしそうに目を細め、ようやく話し出した。
「この屋敷はね、うちの別荘だったのよ」
今からだいぶ前のことになる。
柏木花実が十にも満たないころの話だ。
柏木の両親は、体の弱い花実のために、都会から離れて、田舎に大きな別荘を買った。それが、この屋敷である。今は須田が所有しているが、昔は彼女の両親のものだった。
ここに移ってからというもの、人とのふれ合いは都会にいたころよりもめっきり減ったが、花実の具合は徐々によくなっていった。両親も喜び、三つはなれた姉もともに喜んでくれた。
「あのときが一番幸せだったかしら。当時の思い出はさっぱり覚えていないのだけれど、思い出そうとすれば心が温かくなるのよ」
「ですが、どうして別荘を離れることになったのですか?」
「それは・・」
と、柏木はあの悲しみに打ちひしがれた表情のまま続けた。
柏木一家がこの別荘に越してきてから丸一年たったころ、
とある悲劇が一家を襲った。
「大好きだった姉がね、行方不明になったのよ・・」
花実の実姉が、突如屋敷内で姿を消した。当時、召使は3人といたがどれも顔を真っ青にして彼女の姿を探した。結果、見つからない。母親は泣き崩れ、父親は離れた部屋にこもり黙したままであった。それからほどなくして警察の捜索が始まったが、彼女の姿が見つからないどころか、手がかりさえもつかめない。都会から阻害されたような田舎に駐在する警察も、こんな辺鄙なところまで足を運ばせて熱心に調べる気もなかった。当時、その付近では神隠しなるものが後をたたず、人の子が突如姿を消す事件があいついでいた。だから今回もそれだろうと、警察ならず村の人もよくは動いてくれなかった。
それから三日と経たぬ間に、花見の母親が寝室で首吊り自殺をした。ここで父親は初めて涙を流し、この屋敷にはいられない、と幼い花実の手を引き、屋敷を去ったという。
「あの日以来、屋敷には足を運んでいなかったの。まさか、当時の面影を十分に残したまま、この屋敷が建っているなんて思いもしなかったのよ。だから、今回、本気でこの屋敷にもう一度住みたいと思っているの。大好きだった姉なのに、わたしは彼女のことを何一つとしてはっきりと思い出せないの。この屋敷にもう一度住めば、なにか思い出せるかと思って・・。須田さん、どうかこの屋敷を私に譲ってくれないかしら。お金はいくらでも出します」
須田は顔色一つ変えなかった。というのも大金ときいても、心躍る気がまったくしない。彼はすでに金に飽いたためにこの異境の地に安住を決めたのだ。
「柏木さん。あなたのお話は痛く心に響きましたが、この屋敷を譲るとなると話は別です。わかってください」
「そうですか」
柏木はあきらめたわけではない。まだ希望に溢れ、自信の満ちた顔で須田を見ている。
と、そこで烏兎が大きなため息を吐いた。しきりに部屋の隅を気にして、顔色を悪くしているのが六花にはわかった。
もしや。
「それにしても、この部屋は立派だなあ」
そうでしょう、と大空が場の雰囲気をかえるために、つとめて明るい声を出した。
「寝室だった部屋を、改造したんですよ。大きなベッドをどかしたら広々とした空間が存分に楽しめる部屋なんですよ、実際は」
「へえ、もとは寝室だったの」
と六花は次男をみた。次男はその視線に気づき、不快そうに眉根を寄せた。それでもしきりと寝室の隅を気にすることに変わりはなかった。
「すみませんが、われわれはそろそろ退室させて頂きます。解決しなくてはならない依頼が他にもたくさん御座いますので」
烏兎がいうと、大空は残念そうに肩を落とした。やっぱり帰ってしまうのかと。
「しかし」
と烏兎は立ち上がる。
「大空さんが不思議な夢を見なくなるようにしてからのことです。クマのぬいぐるみが夜な夜な出歩かないためにも、わたしがとある部屋にて、この奇怪な出来事をおさめてみせます」
六花にも、ましてやその場にいた者達にも、彼がいったい何をしようとしているのかわからなかった。
「大空さん。あなたは背が高い。それに加え、ここにいる誰よりも力もありそうだ。あなたの協力が必要です」
「はあ・・」
「まずは、大きなハンマーが必要になるでしょう。打ち破ることが大切です」
そうじゃないと、見えてこない、と付け加えた。