太月事務所の三兄弟、ふたたび 1
太月事務所に、一通の手紙が届いた。
といっても、白昼に届いた手紙を日も終わるころに手にとった。
「なあ、開けてもいい?」
「ああ。もちろん、開封してくれ」
ビリビリ、と手紙まで破ってしまう勢いで、三男は荒々しく開封した。
「呼んでくれ、六花」
長男は、ニコニコと笑顔で弟に頼んだが三男の六花は開封した手紙をぽいっと次男に投げた。手紙は次男のあぐらの上に落とされた。おれの仕事はここまでだ、と言うように、六花は白々しくも雑誌を開いて読み始めた。
次男の烏兎はというと、静かにそれを拾って向かい側の長男にすすめた。
「なんだい。お前たちは互いに協力する気もないのか。呆れたなあ」
そう言いながらも、長男の玉兎は始終笑顔でいる。彼が怒った姿を見た者は久しくいなかった。
「どれどれ」
長男の玉兎は、手紙を開いて、目を軽く見開いてみせた。
「おや? 今から依頼主が来るみたいだぞ」
「はーっ!? 今から? もうすぐ次の日を迎える時間だぜ?」
「うん。 でも、9月○日、午後11:55ほどにお伺いします、と書いてあるもの」
六花はもう一度せわしく、はーっと叫んだ。少しうるさい少年なのだ。
「うちのモットーは24時間体勢の事務所だから無下にお引取り願えないよ」
「ありえねー」
三男はあきれた顔をして立ち上がった。それから周りに散らばった自分の荷物をせっせとバッグに詰めこみ、入り口の戸まで歩いていった。二人の兄はいつも通り落ち着いた面持ちで、その姿を目で追った。
「どうするんだい。 今から帰るのか?」
「見てわからねえのかよ。 帰宅だよ。 帰宅! やってられねえっていってるんだよ」
いつもいつも、二人の兄の要望に応えているはずだ。今日も夜遅くまで残って、二人の仕事の手伝いを、珍しく不平をもらさずに手伝ったというのにまだ仕事は続くという。
どんなに働いても、給料は一切支払われない。冗談ではない。
そう思った六花が事務所の戸を開いたときだ。
大きな人影が、物も言わずにどんと立っていた。
それを見上げた六花の口から乾いた叫び声が短く挽き出された。
大男が、事務所の中に一歩足を踏み入れると、すかさず六花がよけた。突然の来訪者の登場にひどく衝撃を受けて、しばらく彼を見つめていた。
しかし、すぐに好奇の目をもって事務所の中に飛び込んできて、次男のすぐ横に身を寄せて座った。次男は表情一つ変えずに弟に離れろという意味をこめて、肘でつついた。
「今晩は、よくいらっしゃいました。太月事務所の玉兎です」
大男は20代前半の青年で、ヒップホップの世界から飛び出したギャングのような格好をしていた。どうぞお掛けになってください、と促されても、その体躯のよい体を直立させたまま一歩も動かずにいた。しかも口を引き締めてだんまりである。
これには三人とも困ってしまった。
「貴方が、大空要さん…ですか?」
大男はここでやっと口を開いてくれた。
三人ともほっとするばかりである。
「はい。 俺の名です」
「依頼とのことですが、どうぞお席におつきください」
「はい。 失礼します」
見た目によらず、彼、大空要は礼儀正しい挙動の青年だった。大空の格好をみると、今にも懐からピストルを取り出してぶっ放すようなイメージを抱いていた六花だったが、今では興味半分と尊敬半分で彼を見上げていた。
「それで、依頼というのは?」
玉兎が促したところ、大空はその広い胸をぴんとそらし、ただでさえ大きな体がより巨大になり、それはまるで大きな一枚岩のように見えた。
「俺はフリーターです」
話はそこから始まった。
「去年、大学を辞めたんです」
「ほお」
「理由は、物足りなかった、からなんです。俺には自分のライフを楽しくする力がないみたいで、毎日キャンパスに足を踏み入れて講義を聞くたびに、ため息がでていました。自分のライフが説明のつかないほど平凡でつまらなくて、そのつまらなさと自分の至らなさとこの世界の虚空をリリックにして仲間と一緒にかましてましたが、なんだかそれさえも億劫になってしまって・・・。 それで、山にこもることにしたんです」
「ほお。山にこもるとは、思い切った行動に移りましたね」
応答した玉兎には、結局のところ、彼が山にこもったことしか分かっていないようだった。
「はい。 山にこもるといっても、暮らしていけないですよね。だから、俺、山奥にある一軒のしがないホテルで働かせてもらってるんです」
正直にいって、六花はどこが依頼なのかと問いたくなった。なんとなく、とある青年の人生の断片を聞かされているような気がした。
「ホテルですか?」
「あ。 ああ・・・。 何と言ったらいいでしょうか。 民宿でもない、コテージでも別荘でもない、もしかしたらホテルでないのかもしれない」
いったいどこで働いているんだ!
と、六花は叫びたくなった。
「見た目は、洋風の屋敷なんです。屋敷といっても、そこらにある一軒屋ではなくて、部屋数が20とある屋敷のようなものなんです。それでも召使がいるわけでもない屋敷なんです。住んでいるのはたった一人で、それも腰の曲がったじいさんです」
「ほお。 で、どうして貴方はそこで働いているのですか?」
「俺の祖父の遠い親戚なんです」
話がぜんぜんつかめねーよ!
と、六花は叫びたくてうずうずしだした。
「名前は隅田 園助という老人です。昔は某財閥のエライ人だったらしいのですが、今では山にこもって悠悠自適に一人暮らしです。残りわずかの余生を、登山客にボランティアで宿代わりとして部屋を貸すことで過ごしています」
「無償で、ということですね」
「ええ。 まったくこちらにとっての利益はないのですが、隅田さんは近くの山に登山しにくる人を手助けすることに生きがいを感じているとのことです」
そうなれば、と玉兎が足を組み替えながらいった。
「大空さん、あなたはいったい何で生活をしているのですか?」
大空は困った顔をして、気分が悪そうにいった。
「ええ…。 俺は、隅田さんを手伝うことによって給料をもらってるんです。登山客、といっても毎日つねに足を運ぶわけでもありません。暇な日だってあります。けど、そういう時は膨大な庭の手入れを手伝ったりします。それで、俺は金をいただいているわけで、暮らしていけています」
「ほお・・」
また、玉兎が足を組み替えた。その足を斜視して、六花はイライラした。先ほどから兄は足を組替えてばかりいる。
「それで、手紙をよこしてからここに来られた訳というのは? 何かおありでしょうね」
時計の短針と長針は、なかよく12の数字を通り越していた。いまや午前一時である。大空は少しわざとらしく、事務所の時計をちらりと見た。三人兄弟も同じくそちらを向く。
「夢をみるのは決まって寝てからなので」
六花は片方の眉を引き上げた。
「そりゃあ、なあ。夢は寝てから見るもんだし」
大空が少し眉根を寄せて六花をにらむように見た。
少しびびった六花は、弁解を求めて隣の次男を見たが、こっちは無表情で相手にも見方にもなってくれない。厄介だから黙っておくことにした。
「『夢』をみるのですね」
「はい」
「寝付くのはいつ頃で? 話だとだいぶ早いようで」
「そうですね。 いつも8時に必ず寝ます」
「健康的でよろしいですね。それで?」
「はい。 俺、あの屋敷で働かせてもらうようになってから、住み込みでひとつの部屋を使わせてもらってるんです。隅田さんは、言わば俺のじいちゃんみたいな人でして・・。とてもいい人なんです。で、なぜ俺が手紙を送ったかというと、意味はないです」
六花はひざに乗せていた腕をずりっと滑らせた。
「屋敷で働くようになってから、変な夢を見るようになったんです。とても奇妙で、俺の頭じゃまったく意味がわからないので、奇怪なことを取り扱ってるここならば助けてくださると思って」
「ええ。 必ずお助けします。それで、夢の内容というのは?」
「夢の俺は、屋敷の天井から部屋を見下ろしているんです」
三人兄弟は、はじめてここで目の色を変えた。
「屋敷の、決まった部屋の天井からベッドを見下ろしてるんです。視界は定まっていて、俺の視線の融通がきくことは一切ありません。ただ、その部屋の天井からベッドを見下ろしているんです」
「また、興味深い夢だ。 その夢は、毎日おなじ内容なのですか?」
大空はかぶりを振った。あまりの振り様に、頭が飛んでいってしまうのではないかと六花はひそかに心配した。
「内容は異なります。その部屋にお客様が泊まったら、そのお客様が眠っている様子を夢で見ます。夢は決まって天井から見下ろすかたちで、もし、その日お客様がいないならば夢をみたとしても誰も眠っていないベッドを見下ろすことになります」
「お言葉ですが、ご自分がご想像で見ている夢だとはお思いではありませんか?」
「いや。 これが、また奇妙なんです。最近、俺はひどい熱が出て一日中部屋で休ませてもらっていたことがあったんです。その日は、40℃近く熱が出てベッドの上から動けずにいて、隅田さんに大変迷惑をかけてしまいました。食事を運んでいただいたりしたのもそうですが、なにより登山客が訪れていたらしくて、その対応を隅田さんがすべてこなしていたようで。俺はその話を聞いたのは、次の日のことでしたし、なによりその日は悪天候だったために客がくるとは思っても見ませんでした。それで、熱にうなされながらその晩も夢を見ました。 あの奇妙な夢です」
ここで大空が大きくつばを飲み込んだ。
「夢では、あの部屋の天井からベッドを見下ろしています。その夢に、一組のカップルが身を寄せるように横になっているのが見えたんです。どちらも若くて20代前半に見えました。二人は目を瞑っていますが、口が動いています。どうやら会話をしているようでしたが、どこか剣呑な雰囲気がただよっているようで、終いには女の人が身を起こして大声でなにごとかを相手に叫んでいるのです。男の人はというと、困り果ててしまい、彼女に背を向けていました。しばし、女の人のヒステリックな様子が夢を通して見て取れました。なんともひどい夢だったなあ、と思いつつ翌朝部屋の外へ出ますと大声で喧嘩をしながら屋敷を出て行くカップルの姿を見たのです。そのときは驚いてしまいました。まさに、夢で見たカップルだったからです」
「だけど、そのカップルの姿を見ていなかったとしても、大空さんの部屋とカップルの部屋が実は隣同士で、喧嘩をする声を耳にしていたために夢に勝手にでてきちまった、っていう可能性はないのか? よくあるよな。 テレビをつけた部屋で寝ていて、その眠りが浅いために耳から入ったテレビの音が夢とごちゃまぜになって形成される夢って。 ない? おれはあるんだけど」
「ありえません」
「なんで?」
「なぜなら、カップルが泊まった部屋と俺の部屋は隣同士ではないからです。カップルの泊まった部屋は、屋敷の東の部屋で、俺がまったく反対の西の部屋にいるからです。いったい幾つの部屋がその間にはさまれるとお思いですか? 不可能なことです」
「ふぅーん」
六花はつまらなそうに口を尖らせ、ソファに身を沈めた。
「これは確実に何かありそうですね。それで、今日はこれからどうされますか?」
「どうしたらいいでしょう。 俺はすぐに手を打ってくださると思っていたので」
「隅田さんには、この事はもう既にお話で?」
「いいえ。 まさか! これっぽっちも話していませんよ」
「ほお。 それはまた何故ですか?少なくとも隅田さんの所有する屋敷で起こる奇妙なことですよ。それに、実の祖父のように仲がよいのでしょう? お話されたらよいでしょう」
「これ“以上”、隅田さんを困らせたくないんですよ・・・。 ただでさえ、隅田さんは自分の屋敷のことで困っているのに」
これまた、夢とは一味違った問題がありそうだった。