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死に身が二つ 終わり

黒いスーツを着た「青年」は、いまや無残にも鉄筋の下敷きになってしまった男を前に、人知れず後ずさりした。目の前にする悲惨な光景、といっても、大きな鉄の塊の下にある男の姿はまったく見えないが、赤々とした血の流れが小さな川を作って青年の足元に迫っていた。彼は現場に背を向け、離れたところに出来た黒山の人だかりに姿を消した。

鉄筋は建設中のビルの上から落とされるべくして男に落とされたようだった。言わずもがな、三日の間、黒い影におびえ続けた男の息はもはやない。それまで無機質なグレー色のなかで、人間らしからぬ無の状態を決め込んでいた人々が、今では悲惨な事故を前に、まるで人間のような行動をとっている。恐怖に叫ぶ女もいれば、何も悪いことはしていないのに「ゆるしてくれ」と喚いて逃げ去っていく壮年の男もいる。天から吐き出されたような鉄筋を前に、大多数は事故現場を遠巻きに見ている。口々に何を言っているのか判別できない野次馬のなかで、あの青年は黙したまま頭をフル回転させた。


(見つかってしまった、と思ったのは一度だけじゃなかった・・)


彼は苦そうな顔をして唇をかんだ。

野乃島 天。

その人物こそが、三日の間、青年が尾行し続けた男の名前だった。野乃島が頻繁に足を運ぶといわれた店の前に、何時間も張り込んだこともあった。青年の先輩である同業者のものは、「あいつは頭が良いんだろうなあ」と、言った。「というと?」と彼が問えば、「奴は、どうにかして尻尾を巻くんだ。やっと掴んだぞ、とこちらが小躍りしても、掴んだ手のひらを開けば、手がかりは皆無。奴は本性を現さないどころか足跡さえ残さない」「店には踏み込んだのですか?」

「みせ? ああ・・。中にはそれらしき証拠は何一つ見つからなかった。あれには舌を巻いたな。今回、改めてお前に奴を見張らせることになったわけだが、奴の頭にはお前も文字通り舌を巻くだろうよ」


舌を巻く。


と言われたが、最後まで彼は舌を巻かなかった。

ただ頭の隅にこびり付く疑問は、野乃島の奇怪な挙動である。あんなに頭が良い、足跡を残さない、本性を見せない、とまで言われた男が、彼には頭のねじが緩んだイカレタ男にしか見えなかった。

(最後までわからなかった・・)

青年が、見つかってしまった、と思ったのにはわけがあった。

野乃島を尾行している際、彼は何度も野乃島と目が合ったような気がした。しかし、それは気だけであったのだろうか。

というのも、彼が公園のトイレで愚かなことにも野乃島と遭遇してしまった。顔と、顔を合わせてしまったのだ。

(あの時は・・。そうだ。しまった、と思った)


しまった!


顔を見られてしまったどころか、相手は周章狼狽している。確実に自分の姿を見られてしまった以上、本部に報告しなくてはならなかった。

「代われ」

と、一言いわれ、彼が責任を感じないわけが無かった。

「駅前にいる。そこで車に乗せてやるからお前は俺と交代だ」

と、先輩は言った。どこか最初から分かっていたような諦めた声色に胸が痛んだ。血気盛んな若造は時として自分を過大評価しすぎるんだよ、と先輩が話していたのを思い出す。

言われたとおり、彼が駅前まで向かったときだ。もはやあちらから現れるはずがないと思っていた野乃島が、人の波をかき分けて真っ向から彼に突っ込んできた。彼と野乃島は倒れこんだ。

彼自身は野乃島の姿を公園で見失っていたが、公園の外で張り込んでいた同業者が彼と入れ代わり、その姿を追っていた。

しかし、まさかここでまた会うとは思わなかった。ここで、捕まえるべきなのだと思い、彼は声をかけようとしたし、腕をつかもうとしたのだが、野乃島はわっと叫んで、またもや走り去ってしまった。

(あいつ、まったく俺を見ていなかった)

なぜだろう。

一度、遭遇したときは、酷く驚いたくせに二度目は彼のことを一度も見ずに驚いた。

そこが彼の心をひいた。

「おい、駅前にいるといっただろう。いま、どこにいるんだ」

携帯電話の向こうでとやかく指示されたが、彼は返事をする前に切っていた。

(とにかく、あいつを俺の手で捕まえないことには・・)

という、彼しか知らない正義感が芽生えていたのは事実だ。そして、野乃島を人ごみに紛れて追えば突如落ちてきた。あの鉄筋の固まりが。

野乃島とは、「かなり」離れた場所に立っていたので、彼の命は救われた。

(本部に、どう説明しよう・・)

彼は踵を返した。人の流れに逆らい、二本足が導くほうに歩みを進め、自分は頭をフル回転させた。細い路地に入り込んだことにも無頓着であった。突如現れ、彼の行く先をはばんだ三人の男の登場に、文字通り背中を粟立てた。

背筋に氷の塊が降下していくのを感じた。

三人のうちの一人の顔を、彼は嫌というほど見知っていた。この、3日間の間に本部に手渡された顔写真の面子の一人だ。

男の口の端には、着火されるのを待ちわびたタバコ。それをくわえた男は、彼を黙したまま見つめている。

誰も知らないが、その時、どこからともなく、スーツを着た老人が青年の背後に現れた。

老人は、しわがれた右手を青年の右肩にゆっくりと置き、彼の左肩から白いひげを蓄えた無表情な顔を覗かせた。


青年が目の前にする三人の男には、黒いスーツを着た白いひげの老人の姿は見えてなどいなかった。

いま、彼らが死ぬ出番ではないことだけだ。


「死神」はきっと、

人の形をしているのだと思います。

若者じゃなくて酸いも甘いも知った老人の形をしている、とか。

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