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死に身が二つ 2


後をつけられている。


常に、得体の知れぬ誰かに挙動を見張られている気がした。

気がする、という曖昧な表現はやがて確かな確信へとつながるわけだが、今はその段階ではない。


そら、お前、顔色が悪いぞ」

俺は長いこと伏せていた顔を、カウンターから上げた。ぼやける視界の中に、布川の姿がある。口のはじにタバコを加えているスタイルはいつもと変わらない。変わっているのは、いつにもないそいつの気遣う目だ。

「大丈夫か」

「ああ。俺はいつだって大丈夫だ」

「目がイっちまってるぜ」

「今に・・始まったことじゃないだろう?」

愛想笑いのつもりで、口角を上げたがすぐに下がった。あらゆる重さに耐えられず、身体はくたくただった。

「ちゃんと、寝てるのか」

「頼むから、しばらくほうっておいてくれないか。お前の心配性なところは、まるで、俺のかあちゃんみたいだ」

「お前のお袋なんか知るかよ。ただ、りかがお前のことを心配してるんだ。わかるだろう?てめえのことだ、てめえのことは、わかるだろうが」

「知らないよ、俺のことなんか」

俺はカウンターにゆっくりと両手をつき、助力を求めて立ち上がった。

一瞬、ふらっとした。

せつな、両耳の鼓膜がぐっと奥に引っ込み、俺を取り巻く音楽――店に流れる甘ったるい音楽―ーが、よく聴こえなくなった。まるでからだ全体の血液が頭という司令塔によって抗えず、ひゅっと一瞬で引き上げられたかのように、全力が奪われた。そのまま、俺は、店の汚い床に倒れこんでしまった。徐々にぼやける視界と、自ら消滅しようとする意識のなかで、嗅覚だけはなぜか必死に働こうとした。挽きたてのコーヒーのくせえ香りがする。

また、「薬」を飲み忘れちまったなぁ。




目を覚ますと、やはり、店の二階に寝かされていた。

容赦なく秋の西日が、鼻面を照らしていた。

「まぶしい?カーテン、閉めようか」

布川の妹、りかだ。

彼女は相変わらず店の二階に始終こもっているらしい。彼女は、高校に通うのを厭った。勉学が嫌いなのか、といつか訊ねたことがあった。彼女は首を横に振り、あつらえられた笑顔で「見えないものが見える。人って、やっぱり汚いじゃん?そういうもんだよね」と同意を求められたから、閉口してしまったのを思い出す。

「りかちゃん・・。いま、なんじ?」

「午後五時過ぎだよ。おじさん、あれから死んだみたいにグッスリ眠ってたよ」

「いけねえ」

俺は半身を起こしたところで、また眩暈を感じ、難なくソファに崩れてしまった。

「おじさんの仕事なら、お兄ちゃんが代わりに全部済ませてくれたよ」

「ああ。あいつにはいつも迷惑をかけるなあ・・」

面目ない。そう思ったときだ。

背筋に、溶けることのない邪悪な氷の気配を感じた。それがじっくりと時間をかけて首筋から降下していく。

誰かにつけられている、気配が変化して、誰かに見張られていることに気がついた。一枚壁を通して、どこからかじっとりと重たい視線を向けられているような気がして、思わず短く叫んでしまった。

「ど、どうしたの?気分が悪いの?お、おにいちゃんを呼ぼうか?」

りかは、慌てて階下を駆け下りようとしたが、俺がそれを止めた。

「だいじょうぶだ!」

あろうことか、大声で叫んでいる。見えない誰かに居場所を明かしているようなものだ。

「りかちゃん、頼む。そこの窓から下を見てくれ・・」

「通りを見るんだね。わかった」

この子は、兄貴に似て聞き分けのいい子だ。

しばらく、窓の下を丹念に見てくれた。

「おじさん、その、怪しい人ってどんな格好をしているの?」

「く、黒い服装だ」

「くろ?そんなの、この道にはいくらだっているよ」

細い路地には、もう西日も射さない。墨に沈められた道と変わっていた。やがて道にはネオンが灯りだす。が、その前に、彼女は見つけた。

「おじさん!」

居たわ、と彼女は暗い部屋の中で両眼を光らせた。と同時に、俺の背筋は、これでもかと凍えた。がたがたと、歯の根が合わないのをぐっと抑える。

「そ、そうか。そいつは、いったい何をしてるんだ?」

知りたい。俺の感じる視線は、嘘かどうか知りたかった。建物の中にこもってもなお、感じるこの寒気はいったい何なのか、俺には必ず知る権利がある。

「何をしてるって・・」

りかは、少し噴出し、また居直った。

「そうね・・。黒いスーツを着てるわ・・。顔は、よく見えない。うまくビルの陰に隠れてる・・。でも」

でも、と次につながる言葉を次いだ彼女の声が心なしか震えた。武者震いって知ってるか?あれに似た震えた。

「あの人の身体、ずっとこっちに向いているわ。わかる?私たちを見張っているのよ」

わたしたち?

いいや、違うな。

俺だけを――まさに俺を――見張っているんだ。

あいつは、きっと俺を喰らうに違いない。

背筋に張り付く氷は、快楽ではない享楽の色をしているはずさ。

「わたし、怖い」

りかは、窓から離れることもできず、その場にしゃがみ込んでしまった。


だから角砂糖の甘さは、ひどいんだ。


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