死に身が二つ 1
角砂糖の甘さは、むごい。
時として過剰な甘さは、人の大切な部分を腐らせる。
午前零時を過ぎたコンビニで、賞味期限があと数時間と迫ったパンを手に取り、ポケットから百円玉を取り出したつもりだったが、
「あの、お金が・・」
若い店員が、変な奴を見るような目で俺を見上げてきた。
金がなんだっていうんだ、といった気持ちで店員を上から睨んでしまったかもしれない。黒縁眼鏡をかけた若い店員は臆したように口をつぐんだが、彼もそこで引き下がることはできない。また、その必要もない。というのは、俺が出した硬貨は、国内のものではなかったからだ。
「あっ」
すみません、という言葉をほそぼそと口の先で濁らせ、慌てて財布から一万円を取り出した。おつりが9千と9百いくらきた。はじめから財布を手に取ればよかったなあ、と思いつつ、無駄に明るいコンビニを出た。
コンビニの煌々とした明かりに背を照らされながら、暗い色合いの服装をした若者たちが駐車場にいくつもしゃがみ込んで、仲良くたむろっていた。五人と群れる彼らのなかに、ひとり、頭をふらふらと揺らして落ち着きのない奴がいた。そいつは俺と目が合うなり、がなりたてた。残る四人は、初めからそいつが居ないかのように振る舞い、わあわあ怒鳴る彼を気にせず、手元のタバコを吹かしていた。俺にも彼らのような余裕が生まれれば苦労はないんだがなあ、とそう思ったかもしれない。実際、俺には余裕がなかった。パンなんて食わなくてもいいのに、足を運ぶ余裕などないくせに、居ても絶ってもいられずに飛び出してきた。コンビニからの帰り道、足がふらついた。
そろそろ「薬」の切れるころだった。
誰かにつけられている。
そう気づいたのは、あの夜の、コンビニから家に向かうまでの帰り道だったかもしれない。
曲がり角を曲がったとき、背筋に悪寒を感じた。強い視線を背に感じ、確かに誰かがあとをつけてくるような気配を感じた。
遠くで犬の遠吠えが聞こえる。明かりが溢れる繁華街に足を向けたころ、その気配は徐々に俺と近くなってきた。しらふとは名ばかりの人が行きかう細い道にからだを滑り込ませても、その視線は俺の背から外れなかった。振り返ったら全てが終わってしまうような気がするので、決して後ろを振り向かずに、そのまま目的地の戸を開いてまろぶように中に滑り込んだ。
「おい、どうした。真冬だっていうのに汗なんか掻きやがって」
「うん」
「なにが、うん、だよ」
未だ火がつけられないタバコを口に加えたまま、布川は口の端で笑った。タバコはもうふにゃふにゃで将来有望でないことは明らかだ。
「誰かにつけられてる・・」
俺がそういうなり、店の奥で賭け事をしていた奴らが席を立って、店の数少ない窓ガラスによった。
「おい、そんなに立つんじゃねえよ。お前らは奥で続けてればいいんだ」
布川は腕を組んで窓の外をにらんだ。曇りガラスだったら、何が見えるわけでもない。ぼやけたネオンがこちらに不明瞭な明かりを届けるだけだ。
「ふむ」
何もわかったことはないのに、布川は理解したような声を出し、ソファに崩れる俺に向き合った。
「どこからつけられてた」
「そ、そこのコンビニだよ」
「気のせいじゃないのか。おまえ、ここのところ全く寝てないだろう」
「俺は寝なくても大丈夫なんだ。人間、寝なくても生きていけるだろう?」
「馬鹿をいえ。俺はお前と違って健全なんだ。いいから今日は休め」
俺は本当に寝なくても大丈夫だ。寝なくても、生きていける。
だが、布川に無理やり進められたから、形だけでもいい、心を休めるために店の二階を借りることにした。
二階にあがると、布川の妹が雑誌を広げてくつろいでいた。部屋に現れた俺を見とめると、彼女はありきたりな言葉を口にした。
「こんばんは」
返事もそこそこに、二階の曇っていない窓ガラスから、恐る恐る通りを見下ろすことにした。が、怖くて出来ない。
「り、りかちゃん・・」
「なに?」
「窓の外に誰か立ってる?」
彼女は雑誌を手にしたまま、不平を一言も口にせず、嫌な顔をせずに俺の願いを聞いてくれた。
「窓の外に誰かっていってもなあ。たくさん人が歩いてるよー」
「く、くろいひとかげは?」
「くろい?」
「そう。黒ずくめの怪しい人とか・・」
彼女はやがて窓から離れ、
「怪しい人は誰も居ないよ。おじさん、疲れてるんだって」
ゆっくり寝たら、と16歳の女に進められて、俺はソファに横になった。
寝心地は悪くない。足が飛び出る、といったことを除けば。
ただ、誰かにあとをつけられているという事実が怖くて、寝るに眠れなかった。