眠って候 2
泉田は、実際いいやつだった。
おれよりひとつ年下だったがしっかりした奴だった。
兄貴分の土井さんからどやされてばかりいたが、 同期では誰よりも一番に期待され、信頼されていた。
そいつがなぜ、仲間に殺されなきゃあならなかったのか。
確かな理由なんてのは知らない。内部事情には詳しくないんだ。
ほとんどある程度上のところで情報がストップしちまう。そこでおれのような下っ端が首を突っ込んだところで何がどうなるわけでもなく、終いには突っ込んだ首を一刀両断されてお陀仏だ。命が惜しければ、うろちょろしないこった。ただ与えられた仕事を忠実にこなす。
おれだって、自分の命が可愛くないわけではないからな。
だから泉田が殺されてもよかったのか、と聞かれると、
そりゃあテメェらの息してる世界とは違うんだよ、と言うざるをえない。
「幾さん」
ひどい頭痛だ。
頭が割れるような痛みが後頭部をかれこれ6時間悩ませている。
「幾さん、ごめん。目玉焼きが崩れちゃったからグチャグチャにしといた」
ことん、と頭上のテーブルに、皿が頼り無い音を立てて置かれた。
むくっ、と起き上がるとおれは、覚めてんのかそうじゃないのか分からない状態であたりを見回し、きらきらとした無垢な瞳とかち合った。そいつは俺よりも10は年下だが、まったく侮れない「位置」に立っている坊主だった。
「ご飯は玄米にしといたよ。最近、幾さん不健康みたいだから」
「・・・・・」
そいつの名は、洋 平多。こいつは偽名だ。
何を隠そう、おれたちが所属している組の頭の嫡子だ。
だから弟分であったとしても、それは本当の意味で下というわけではなく、将来おれの「親分」になるわけだ。それが何十年先か、いや何年先か、もしくは明日かわからないが、とにかくおれの下でありながら広く言って、上の存在ってわけだ。
「あ。あと黒酢にもずくにめかぶにおくら・・・それから・・・、ところてん。どうぞ、食べちゃってよ」
はっきり言って、「こんなやつ」がおれの将来の親分になるとは考えられねえ。
「はあ・・・っ」
ため息が出た。それもでかいやつ。
「えっ・・。」
途端に、平多は最高にシケた顔をした。不安なんだろう。おれの機嫌を損ねるのを、こいつは好いてないからな。別にどなりもしないおれだが、どなられるよりもおれにため息を吐かれるのがやつは敵わないらしい。
「えっ、と…。ご飯いらない?」
もずくが嫌いなのかな、ぼそぼそと言っている。
まったく。反吐が出るぜ。
「おい、平多」
はい、と奴は親父に似ても似つかない弱弱しい声で返事をした。まったく困る。困りすぎて途方にくれちまう。
「いま何時だ」
「時計なら・・手首にはめているじゃない」
「・・・・・減らず口め」
「あ。それ、使い方間違ってるから」
「るせぇ!」
おれが立ち上がると平多が目を輝かせた。
「出かけるんだね。ぼくも連れてってよ」
「テメェはここで留守番してろ」
「・・・お父さんからはそう言われなかったけどな。お父さんは、幾さんによくしてもらうように言ったよ」
「はっ!馬鹿をいえ。そこで待ってろ。テメェをつれて歩くと蜂の巣にされちまう」
「ひどいなあ。僕だってもってるよ。幾さんのサポートしてあげるから」
そういうと奴は懐から立派な銃を一丁取り出して、得意顔だ。
おれはぞっとしたね。
親分の親ばかぶりは下にも届いていたが、まさかへな猪口息子にそぐわない立派な一丁を手渡しちまうなんてどうかしてる。こいつが立派なたまになるとは到底思えないが、まさかなあ。
「おい。平多。オメェ、連れてってやるからそいつは置いてけ。な」
「うん!わかった」
ぽいっ、とそれを床に放り投げたときは体中が真っ青になったにちがいない。
「ばかやろおっ」
「だいじょうぶ。中は空だから。幾さんってビビリ〜」
「!!!」
平田は今年でやっと19歳。おれは今年でようやく29歳。
そして、
「あ。幾さん。遅いすよ。早くのってくれなきゃあ約束の三時まで間に合わないすよ」
「あぁ、すまねえ」
あの趣味の悪いセダンの持ち主、大条。
大条。こいつは、今年で20だ。
平田とひとつ違いだが、二人を比べたら雲泥の差がそこに生じる。大条は妙に大人びていてどこか時として子供じみていたが仕事はスムーズにこなしていた。
何よりも下層のやつらとの交渉が上手く、何にしても要領がいいものだからこの半年でいろいろと欲しいものを手に入れ、上から与えてもらっていた。 実をいうと、おれはこいつよりも成績が悪くて上から揺さ振られていた。まあ、崖っぷちに立っている今だが、上からたらされた平多の助けの糸がある限り殺されずにすんでいる。
おかしな話だ。
嫌いなやつに知らず知らずのうちに助けてもらってるんだ。お気に入りの兄貴として慕われているんだなあ。
「○○駅で服部さんと土井さんを拾うんすよね」
「・・・そうだ」
そうだ。
そういうことになっている。
昨日の集まりではそういことになっていた。頭が変になるくらい確認した。
だが、待ち合わせの10分まえに二人からメールがくることになっていたが、それがない。大条と平田を車に残し、おれだけで地下鉄の階段を下りていった。人の波が途絶える時間帯だ。まばらな人の数に目をちらちら走らせつつ、おれは足をせかした。
なにか、妙な胸騒ぎがする。
乗りはしないが切符を買って改札口に通した。ちょうど電車がついたらしい。むっとした汚い熱さに顔をしかめつつ、残りの階段を慎重に駆け下りていった。
服部さんと土井さんが降りてくるだろうとくくっていたものだから、優に構えて開く戸を黙ってみていた。人の流れがどっと流れてくるなか、黒山の流れるひとのなかに大きな隙間ができた。
それが、また妙だった。中には女の悲鳴が混じっている。人がまろぶように逃げている。
直感的にわかった。
土井さんか、服部さんのいずれかだ。
刹那、女のヒステリックな叫び声がどんと跳ね飛ばされた。二人の男がいかつい体をのぞかせて、俺に向かって大声で叫んだ。
「つかまえろ!!やつだ。幾多だ!!」
おれと二人のうちの一人の目玉がかちあった。ちくしょう。なんで俺の名を?
おれは背を向けずに土井さんと服部さんの姿を探した。ない。そこには無かった。そうと分かれば、降りてきた道とは逆のほうから階段を上がり、人の波に紛れ込もうと必死になった。
発砲されずに済んだことがありがたい。
ただ、最後にちらりと振り向いたそこに、いかつい男に右腕をつかまれて血だらけになってぐったりとする土井さんの姿があった。
その視線とあえば、走るしかなかった。
土井さんの顔には自嘲に満ちた奇妙な引きつった笑みが浮かんでいた。
・・・すまない。土井さん。
おれはその後、信じられないくらいに上手く奴らをまけたが、大条と平多のもとには帰らずに絶対見つからない自信のある場所へと逃げていた。
なに?
なぜ親分のところに戻らないのかって?
笑っちまうぜ。
んなとこにもどってみろ。
ドアをあけた瞬間に腹が真一文字に斬られてお陀仏だ。
元凶はどこにあると思ってんだ?
おれは正に仲間内から殺されようとしてるんだよ。
きっと、泉田に関連してるに違いねえ。
なにせ、身を潜めてから二日たったあと、服部さんから電話があった。
「土井がやられた」
と。
誰に聞かれてるかもわからない電話だったが、もう服部さんは投げ捨てたような口調ではなしをつなげた。
「泉田だ。やつだ、泉田だよ。やつのせいで俺らは殺されるぞ」
「・・・大条は?」
「さぁな・・」
大条、やつは絶対に死なない。その確信がおれにはある。