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太月事務所の三兄弟 終わり

キーワード:幽霊、三兄弟


「桶だ」

水色のタイルが敷き詰められた風呂場の床に、桶が転がっている。

先ほどの音の正体はこれであった。

六花は湊と違って、別段気にした風もなく、それを手にとって手ごろな場所においた。

「これか?勝手に物が動いたりするっていう現象っていうのは」

「はい」

でも、と湊が遠慮がちに口を開いた。

「浴室は今回が初めてです。いつもなら、決まって僕の部屋ですから」

「ふうん。‘奴さん’は見たか?」

「はい?や、やっこさん・・・って」

半笑いする湊に、六花は呆れた。

「決まってんだろ。幽霊だよ」

「まさか…」

湊は顔色を悪くした。

「奇怪なことが家で起きた。だからうちの事務所に来たんだろ?見てないのか?一度も?」

鼻を高くしていう六花のそばで、聡介は思う。

(自分だって言えないだろうに)

六花には霊感とか、見える、とか感じるという性質がもともと備わっていない。

「見たことはありません」

「よし、わかった。それじゃあ、聡介にきく。奴さんはいま家のどこにいる?」

三人のなかで幽霊の類を目にすることができるのは聡介だけだ。

「そんなこと言っていいの?」

何を遠慮する必要があるんだよ、という意味をこめて六花は大げさに肩をすくめて見せた。

「それよりも、この家で奇怪なことが起きる理由を考えたらどう?大原くん、なにか思い当たることはない?お風呂場の桶が転がったり、部屋の引き出しが荒されてたり、誰かに見られている気がしたり、誰かが歩く足音が聞こえたり、部屋の戸が勝手に開閉されたり、これらが起きるときは決まって両親がいない時で、大原くんが一人でいるときだ。という節に、思い当たるところがあるでしょう?」

聡介は断定的にいった。

ひょっとすると、とか、もしかしたら、というあいまいな可能性ではなく、確実性を押してきた。

しかし、問われた本人は困惑している。思い当たるふしがあったら、とっくに解決するように自ら動いていますよ、といった。

「ううん。そんなこと、絶対にないと思うよ。ねえ、よく考えてみてよ」

「確かにこの家には何かがいるんだな?」

六花が聡介にきくと、聡介はにっこりわらった。

「いる。でも、かわいそうな事に迷いがあって本来行くべき場所にいけないでいる。この子は幽霊だ」

「ゆ、ゆうれい・・」

ぎょっとした。

「まったく恐れる必要もない相手だよ。この子が湊くんを嫌ったり恨んだりしないように、君も怖がったりすることは絶対にあってはいけないよ。失礼だからね」

「そ、そんなこといわれても…。思い当たることなんて、全くないです。ましてや家に幽霊がいるなんて・・・」

考えただけでもぞっとします。

そういった湊の背後で、階段を駆け上る音が聞こえた。かすかだが風が生まれて、湊の前髪を跳ね上げて行った。

だだだ、と一気に駆け上がる音。しかし、彼らのいるところから階段を上がって行く人影など全く見当たらない。まさに、見えざるものが上がって行ったのだ。

「二階に行ったな!」

六花は躊躇することなく我先にと二階にかけのぼった。

遅れて聡介と湊が続く。

「聡介さん、恐れる必要のない相手っていったいなんですか?思い当たりません」

「きみは遠慮しているからね。無理もないけど、でも、どうして触れてはいけないと思っているの?その子は、むしろ鍵をかけられているあれにまたあの時のように触れて欲しいと思っているし、なにより未完成のままのあれを完成させてほしいとも願っている。これが‘彼女’の願いだ。これだけいっても、まだわからない?」

もうヒントは出し尽くしたよ、と聡介は穏やかに笑っている。反面、悲しそうな顔にも見える。

「なんで…、なんで知ってるんですか?ぼくが、触れていないあれを…どうして…」

不思議そうな顔で湊は顔を上げ、次いで急いで自分の部屋に駆け込んだ。


やっと、分かったらしい。


「六花さん、やっと分かりました。いいえ、気づきました」

そういって聡介はポケットの中から我武者羅にひとつの鍵を取り出し、一番上の机の引き出しの鍵穴に差し込んだ。ひねるとガチャリと音がして、中から譜面が出てきた。


未完成の譜面だ。


「どうして家にへんなことが起きるのか分からなかった。両親がいるときにはなぜ起こらなくて、どうして僕だけが家にいるときだけ可笑しなことが起こるのか、今になってようやく分かりました。理由は、僕が利香との約束に触れないようにしていたからだ」

大原利香。

湊の妹で、去年の暮れに亡くなった。年子の妹で近所でも有名になるほど二人は友達のように仲が良かった。二人は毎日のように音楽に夢中になった。利香が高校受験を控えていたあのときも、二人は音楽を止めなかった。両親はそんな二人を呆れた。

とくに音楽が大好きで毎日のようにギターに触れていたのは湊であった。利香はそれに便乗するように兄と一緒に音楽を楽しんだ。

作曲をして唄うのは利香。それをアコースティックギターで伴奏をつけるのは兄の湊の役目であった。

その日、重宝していた曲が完成するはずだった。

冬の寒い日で、利香は塾の帰り道に交通事故で亡くなった。あっという間の出来事で、両親は悲嘆に暮れ、湊は途方にくれた。

そのまま、あのときの曲は未完成のまま机の引き出しにしまわれた。ギターも触れずに壁に立てかけていた。日に日にギターが埃をかぶっていっても、湊は見てみぬふりをした。またあの日のように触れればどうしようもないくらいに心が死んでしまう。もう、あの日に戻ることはできない。せめて、悲しみを押さえ込みたい。

そう思った湊は、未完成の曲を封印してしまったのだ。

しかし、いま幽霊となって現れた利香はあの曲を湊に完成させて欲しいという。

「つたない曲になってしまうかもしれない。それでもいいというのなら、僕はもう一度ギターを持ちます」

「うん。利香さんはそれが果たされてやっと行くべき場所に行けるんだよ」




あれ以来、湊の家に奇怪なことは起こらなくなった。湊はあれからギターを持つ回数が増えたという。

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