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太月事務所の三兄弟 1

―――触れちゃいけないと思っていた。



だから、



―――決して見ないように、目をそらしていたんだと思う。


それは未完成のまま、

未完成のままに。

わびしさを乗り越えて、まず先に罪悪感がある。

それはきっと、

安易に晴れてはくれない。


きっと、きっと、きっと…。






「あんたの兄貴たちは?」

「出てる」

「いつ帰ってくるのかしら」

「うーん…5時・・くらいか?いや、待てよ・・」

「早くしな。こっちは急いでるんだよ」

「あのな、おばさん。急いでるところ申し訳ないんだが、事務所のソファに座って待っててくれないか」

「私は急いでいると言ったんだ」

「すぐ出るから。勘弁してくれよ」

「なに。悪いものでも食ったか」

うっせえ、と“一晩六花(いちばん・ろっか)”は一つ怒鳴った。

彼は今、トイレのドア越しに白いスーツを着た“加賀谷(かがや)レイ”という女性とやむを得ない状況のもと、話していた。

やがて一枚の戸を隔ててトイレットペーパーがからからと音を立てるのと、水が流れる音、ばしゃばしゃと水が飛び跳ねるのが聞こえたのち、トイレのカギがガチャリと音を立てて下りた。

トイレから出てきた六花は怒りとわずかな恥ずかしさで顔を紅潮させていた。

「大人しく事務所で待ってろよ」

そこで、加賀谷ががつんと一発げんこつをお見舞いした。

「あてえ!!?」

「生意気な口をきくんじゃないよ。これでも一応おたくの客だからね」

「・・・・・って、連れも居たのかよ!!」

白いスーツの加賀谷の後ろに、こぞって黒いスーツを着た4人の男達が黙して直立していた。計5人で、少年がトイレから出るのを待っていたのだ。

さらに顔を赤らめながら、

「ったく、かなわねぇな…」

と六花は軋む廊下を横切って、事務所に続くドアを開けた。




「なんだい。本当に5時まで戻らないっていうのかい」

「ああ」

「また依頼か?」

「じゃなきゃ外に出ねーよ、あいつらは」

「仕事熱心でなによりだけど。おたくの欠点といえば、客から大きな報酬を取らないことだね。だからこの事務所もいつまでたっても陰気臭いままなのさ」

「どーも。お世話様です」

六花は今年で17歳の高校生である。オレンジブラウンに染まった髪はつんつんと跳ねている。耳にはピアスをしてい、腕にはじゃらじゃらと重々しい装飾品が連なっていた。おしゃれに気合を入れる少年だった。それを見た加賀谷は顔をしかめた。

「見てくればかりに気をつかっちゃって。なんとまあ、色気づいてること!」

「うっせえな。用がないんならさっさと帰れよ」

加賀谷は右手を拳にして見せた。六花はそれを見ると、亀のように首をすくめて嫌そうな顔をした。

「私も暇じゃないからね。今日はここでお暇させてもらうとするよ」

「あいつらが帰ってきたらなんて伝えればいい?」

「そうだね」

加賀谷は薄汚れた事務所の窓から眼下を見下ろし、その白い面を皮肉にゆがめて見せた。

「“先日の例の事件は失敗した。まさか横槍が入るとは思っても見なかった。一人で【あれ】を捕まえるのは時間がかかりそうだからあんたも手伝ってくれ”と」

長えな、と言いつつも六花はきちんと一言一句違わず紙に書き写した。次いで、うん?と首を捻った六花が顔をあげれば、加賀谷と連れたちは今にも事務所を出ようとしている。

「この用件はうちの兄貴にいうのか?それとも・・・“隆一(たかいつ)”さんにか?」

「隆一はあんたらの兄貴たちよりもたちが悪い。なんせどこにいるのか分からないからね。だから“玉兎”と“烏兎”に伝えておくれ」

「了解」

玉兎(ぎょくと)烏兎(うと)は、六花の兄だった。前者が長男で後者が次男、次いで六花が三男の三人兄弟である。いまの六花は、兄二人と知人ひとりが経営する事務所の留守番を任されていた。これで小遣いが出ないというから自分も物好きだな、と六花は人知れず思っていた。が、この仕事はっきりいって面白い。様々な客が来る。それを見るのは六花を楽しくさせた。

白いスーツの加賀谷が去って、再び暇な時間が訪れようとしたときだ。

携帯が鳴った。

すばやくそれに出たが、六花はしゃべらない。かけてきたほうからまず名乗れ、という主義であった。

すぐに電話をかけてきた者が喋りだす。飄飄とした声だった。

『六花?加賀谷のおねえさん来なかった??』

「ああ、来たよ」

長男の玉兎である。六花は胡座をかいた足の上に雑誌を広げた恰好のまま、用件をすべて伝えた。この来月号、明日が発売日だよな、と思いながら。

『へえ、失敗か。そりゃまずい』

「あの完ぺき主義のおばさんでも失敗するんだな」

『誰だって失敗はするものだけど、今回のは特に失敗してはいけなかったんだねえ』

「そんなに重いの?」

『あの家族にとっては。・・・っと、これ以上烏兎を待たせたらいけないから切るよ?』

「ああ。 なあ、今日は客がすくねーんだよ。おばさんだけで後は誰も来ないんだ。もう、事務所閉めて帰ってもいいか??」

六花は思った。

―――玉兎はずるい。

六花の切なる思いは無情にも切られた。玉兎はすばやく電話を切ると、帰ってくるまでまだ残っててくれ、という意味をこめて適格な返事を避けたのだ。

「ふん」

六花は携帯電話を放った。電話は硬いソファの上では跳ねもしなかった。


こん・こん。


いつの間にやら事務所のなかまで人が入ってきていたらしい。入ったあとに、その人はハッとして戸をこんこんとノックした。

六花は立ち上がり、緩んでいたネクタイを締めた。

「いらっしゃいませ」

あ、とその人は消え入りそうな声を漏らし、ぺこりと頭を下げた。六花は長く頭を下げたままの姿をじっと眺めて、大体じぶんと同い年だろうかと思った。他校の制服を着ていた。それも名高い進学高校だ。

「あの、依頼したいのですが・・・」

「どうぞおかけください」

「は、はい」

二人の兄がしてきたことを幾度となく脇で見てきた。だから一人で留守を任された今だけど、一人でこなせるんだ、といった風に六花はすました顔をしていた。

「飲み物はコーヒーで宜しいですか?」

「あ。どうもありがとうございます」

六花はさらにすました顔で、コーヒーを沸かしに行ったがコーヒー豆が切れていたことに気づきハッとした。昨日、遅くまで居残って調べ物をしていた隆一がコーヒーを飲み干したことを思い出した。その代わりになるものはないかと冷蔵庫を開けたが、中はすっからかんだった。おおかた、兄二人が依頼主のもとへ行く前に腹ごしらえと称して根こそぎ食べていったのだと思いだした。

白々しい咳をひとつ漏らして、六花はいった。

「今日は暑いですね」

「あ・・。ええ、まあ」

その人は事務所の長いこと磨かれずにくもってしまった窓ガラスごしに外を見た。今日は比較的肌寒い一日だと思ったのだが、と言いた気な表情で外を眺めている。

「じゃあ、冷たいお水でもいっぱいどうですか」

「…おねがいします」

正直に何もないのだと言えばいいのに、とその人はひとしれず思った。少しおかしくもあった。しかし、自分と同い年のような少年がここを切り盛りしているとは到底思えなかった。太月事務所とは高校生が経営していたとは一度も聞いていなかった。かといって、今さら失礼しました・間違いですと去られるわけでもなし。

「おれは一晩六花(いちばんろっか)です。あなたのお名前は?」

大原湊(おおはら・みなと)です・・・」

湊はこれからどうしようかといった途方にくれた顔で名乗った。六花はついでに年も聞いてみた。湊は今年で16歳になったばかりだと応えた。それが分かるや否や、六花は顔をにやりとさせて、

「なーんだ。おれ、先輩じゃん」

と恐ろしいくらいに鼻を高くした。

じゃあ、敬語つかわねーぜ、とファイルを捲りながらウキウキした面持ちで言われて、湊も怪訝そうにするほかなかった。

「じゃあ、湊。あんたの用件てぇーのを聞かせてくれ」

もう、呼び捨てだ。

信じられない、と湊は眉根をよせたが、

「早くしろよ」

と急かされて慌てて詳細を述べ始めた。

「僕の家、最近ヘンなんです」

「ふむ。ヘンとはどんな具合に?」

はい、と湊は静かで長い深呼吸をした。

―――その日、一人で湊は家に居た。両親は共働きで、いつも一人の時間が多かった。その日は珍しく塾をさぼって優雅にソファに寝そべり、レンタルしてきたDVDの新作を見ていた。

すると、二階の戸が立て続けに バタン・バタン と耳に痛い音をたてて閉まった。

風も吹いていることだし、窓を開けていたからそれでドアが閉まったのだろうと思っていた。

だから気にせずにDVDを見続けていた。

それから一時間と経たずに、たしかに戸が開け放たれる音がした。誰かが部屋の内側から癇癪を起こして、ドアをバターンと開け放ったような音だ。びくり、とした湊はソファから起き上がるとテレビの音を消して、耳をすました。

―――何かおかしいぞ。

そう思ったのは、二階で誰かが歩きまわる音がしてからだった。それは、床を軋ませながらちょうど湊の部屋を歩き回っている。

じとり、とした汗が湊のうなじを濡らした頃、彼は立ち上がって側にあったテニスラケットを引っつかむと――テニスは彼の両親の趣味――抜き足差し足で一階の廊下を進んだ。

彼はこう踏んでいた。

―――泥棒だ。

最近、回覧板でまわってきた。近所に空き巣に入られた家が何軒とある、と。

生唾を飲み込み、そのまま階段の一段目に足をかけたのはよかったが、それが思いのほか軋んだ音をだした。湊の家はかなり老朽がすすんだ木造二階建てだった。

「そのとき、ヤバイと思ったんです。泥棒に気づかれたかと思ったのは、二階の足音が止んだからなんです」

足音はやみ、急に静かになった。それがまた湊を不安にさせる。

しばらく二階に上がる勇気さえなく、湊は一段目に足をかけたままじっと二階に耳をすました。

それからどのくらい時間が経ったのか覚えていない。ただ、二階に“確かな”気配を感じていた。だから、まだ何かが二階に居るのだと確信した。

「警察に電話をかけようか、と思いましたが、泥棒の姿も見ていないのに思い込みだけで電話をかけるなんてただのイタズラ電話でしかないですよね。だから、僕は・・・」

だから、湊は勇気をふりしぼって二階にあがった。

その時は気が動顛していたのか、湊でも説明がつかないほどの奇声を発して一気に二階まで駆け上がったという。

だん、と音を立てて駆け上がったときにまず驚いたのは、湊の部屋の戸が開け放たれていただけでなく、両親の寝室も、残りの部屋の戸がすべて開け放たれていたことだった。

唖然と眺めていると、本当の使命を思い出してひとつひとつ部屋を見回ったがおかしなところは見当たらず、そのときはただの風だけで自分の早とちりなのだと思ったという。

「けど、違ったんです・・・。」


早とちりでも、

勘違いでもない。

確かな、妖雲。


「部屋の様子は日に日におかしくなりました」

誰もいないはずの二階から人がバタバタと駆け回る音がしたと思えば、二階から一階の階段をタッタッタッと軽快な音よろしく、駆け下りたり駆け上ったり…。

最悪な場合は、机の中があらされていたり、椅子が逆さにおかれていたり。

トイレに行って部屋まで返ってくると、違和感を覚える。まるで天井から監視されているような視線を感じる。だからといって、確かに具現化されたものの姿はなく、あるのは虚空だけだ。


湊は顔を苦くしたまま、六花の顔を見た。吐き捨てるように彼は言った。

「決まって僕が一人のときに出てくるんです」

両親と一緒に食卓を囲んでいるとき、

両親と一緒に居間に居るとき、

両親が家に居るとき、

湊が、一人でないとき、

「そうなると何も起こらないんです。まるで足音や部屋が荒らされたことが嘘みたいに」

「両親にこのことを?」

「言うわけないですよ」

文字が書き殴られたファイルから顔を上げると、六花はしばし黙った。そして、

「・・・何か理由があるみたいだな」

「言ったところで、母親が泣くだけです」

「ほお」

母親が泣く、とはまたはっきりした応答だな、と六花は思った。

「ただ、早くこの奇怪なことをどうにかしたいんです。部屋に居るときだけじゃない。家のどこにいたって、気味が悪い。見えない誰かに見られているような気がして落ち着けないんです。どうにかしてくれませんか」

「うん。どうにかしてやるよ」

どうにかする、と言ったが、それは六花の出る幕ではない。六花はあくまでも留守番を頼まれた人間である。クライアントの依頼を請け負い、解決する行動をするのは二人の兄の仕事である。

六花に出来る事はこの時点で、まず、無い。

ちょうど壁掛け時計が、正確な時間よりも15分遅く5時を知らせた。

ボーンボーンボーン。

と、三つ濁った鐘の音が響くと、

事務所の戸が開いた。

「ただいまー」

上背のある青年が入ってきた。飄飄とした声色で、おっ、と言うと、滑稽に一礼した。

「お客様でしたか。これは失礼をしました」

これが、長男の玉兎である。六花もそうだが、兄の玉兎も顔立ちが整っていた。

次いで、事務所の入口にスーパーの袋を両手にぶら下げて入ってきたのは、次男の烏兎である。

烏兎は長男とちがって、表情の乏しい青年だった。だからといって冷たい印象を与えないのは、烏兎がはなつ雰囲気から全く殺気だったものが発せられていないからかもしれない。

烏兎は一礼すると、冷蔵庫の戸をあけて冷凍食品を詰め込んだ。

「六花、もう帰っていいよ」

「はぁー!?いま、依頼主さんに話をうかがってたとこだぜ。横取りするきかよ」

「うん、じゃあ、そこに座ってな」

玉兎はうきうきとした面持ちで、六花の脇に腰を下ろした。


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