門前で、待つ 3
また雨だ。
憂鬱な気持ちで教室に入れば、眼鏡をかけた鈴木君が出迎えた。
「よー、おはよう」
「うん…」
僕が彼を前に腑抜けてしまったのは、鈴木君の眼鏡があまりにも旧式だったからだ。
金縁眼鏡に1cmはありそうな分厚いレンズ。これは酷かった。
「眼科はどうしたの?コンタクトレンズは買わなかったの?」
「うん。面倒くさいから週末に行くことにした。久しぶりの眼鏡なんだけど、どうだ、似合うか?」
「うーん・・・」
正直、ダサい。鈴木君の目がありえないくらいでかく見える。それがニッと笑うと、無気味で仕方なかった。
「やっぱ駄目か」
そういって鈴木君は別の眼鏡を取り出して、それとかえた。
「あ・・」
「あ?うん。この分厚いレンズの奴はな、ちょっと思い入れが強くてなあ。でも、この眼鏡をかけると決まって自分の周りが寂しくなるんだ。言ってる意味、わかるだろ?」
うん、と僕が頷けば、鈴木君は昨日の放課後の出来事を、まるでおさらいするかのように語りだした。
そして、
「立川麗佳」
ぽつり、と“彼女”の名を漏らした。ちらり、と鈴木君を見ればうんと頷く。
「たしか、立川さんは隣りのクラスだよね・・」
僕は彼女のことをよく知らない。鈴木君も左に同じだ。
「いっちょ偵察に行くか」
「うん」
鈴木君と僕は何気なく席を立った。それはまるで、連れ立ってトイレに用を足しに行く生徒のように見えただろうが、実はそうではない。昨日の放課後、あの例の家を通り過ぎたときに、あの女性から頼まれた。
『立川麗佳という子がどんな子か教えて欲しい』
と頼まれて、僕らは困惑した。理由を問えば、必ずだんまりだった。
僕らもよく知らないから、今のように偵察をしているのである。
隣りのクラスはHRを前にして、生徒達の話し声で騒がしかった。クラスでは馬鹿騒ぎしているものたちがいて、相当賑わっていた。朝からハイテンションな生徒達の中でひときわ場違いの女子生徒がいた。
場違い…といっては、非常に失礼だろうか。彼女だけが違った雰囲気をだしていた。
「窓際の一番後ろの席のひとか?」
鈴木君は神妙な声で僕に言った。僕は頷き、彼女をじっと遠くから見た。
セーラー服は、彼女のような小柄な人には少しばかり大きく見え、
低いところで一つに結われた髪は、漆黒。
顔色は青白く、僕の見かけた笑顔の魅力的な彼女とはかけ離れるが如くやつれて見えたのは嘘ではない。
「…で、俺たちはどう伝えればいいんだかなあ」
「うん・・・。見たままを伝えれば、ひとまずいいんじゃないかな?」
「外見だけ報告ってか?」
「うん」
そうとしか言いようがない。いずれにせよ、僕ら二人はこれっきりであの女性には干渉しないようにしていた。なにか、彼女が門前で立つ理由は、そこはかとなく僕らが踏み込んで良いような領域にあるものじゃあないような気がする。一切、彼女と関わらない方が身のためだ、とも思える。
「ねー。なに見てるの?」
びくっ、と僕ら二人は文字通り飛び上がる。ばっと後ろを振り向けば、上背のある女子生徒が僕ら二人を興味深深に眺めている。見知らぬ人だ。無論、鈴木君も知らない。
「あー。立川さんのこと見てたでしょ?」
彼女は僕らに口を開く暇さえ与えずに自分から喋りだした。鈴木君は、ぺらぺらと喋りたてる彼女を訝しげに眺めている。
「なに?わたし?わたしはこのクラスの学級委員長よ。で、貴方達は隣りのクラスの鈴木君と馬上くんでしょう。二人の事は知ってるわ。名前だけだけどね」
彼女はちらりと立川さんを見たが、本人は机と睨めっこするばかりでこちらには気づいていない。上背のある学級委員長は僕ら二人の手を引っ張ると、クラスから離れさせた。
「なんで立川さんのこと見てたの?うん?どうなのよ〜」
どうやらしつこい人らしい。
僕などは感情を顔には出さないものの、自分で言うのもなんだが、結構腹黒いからこういうタイプを目の前にすると心の中で悪態をついてばかりいる。
そのときだ。
何の予兆もなしに鈴木君は、はっとして、きらきらと輝く目を僕に向けてきた。それが何を意味するのか僕にはさっぱりだったので、眉根をよせてみたけどそれは何の効果ももたらさなかった。
すぐさま鈴木君が口を開いた。
「馬上ったらさ、見かけ通りおくてな奴なんだよ。もちろん、恋ってのにはめっぽう弱くてね。こいつったら立川さんに惚れたのはいいものの、声をかけられずにもじもじしてるってわけ」
あることないことを言った鈴木君は胸の前で手を合わせてこういった。
「頼む!立川さんのこと、少しでもいいから教えてくれないかなあ」
「へえ〜」
彼女は僕と鈴木君を交互に眺めて、うんと頷いた。
「いいよ。 なんだ。そういうことだったのね?早くいってよ」
早く言うもなにも、こんなこと嘘っぱちだ。僕は自分の顔色が徐徐に色を失っていっていくのが、手にとるようにわかった。ただここでは余計な事は喋らない方がいいと思ったし、もう、どうにでもなってしまえと二本目の心の匙をなげていた。
午後7:10.
僕と鈴木君はぶらぶらと暇を潰してから、赤い屋根の家へと向かった。
やはり。
彼女は昨日と同じ恰好で立っていた。
ここで忘れてはならないのが、今が梅雨で大雨だということ。雨は、止まるという行為を知らず、猶も降りしきる。
「待っていたのよ」
彼女は閉ざされた門を見つめながら、僕らにいった。鈴木君は昨日とはまた違った傘をさしながら、彼女に伝えた。
「立川麗佳。1の2。彼女はバスケットボール部のマネージャーを務めていたけど、つい最近からさぼる様になった。部員から言わせればウソみたいな話で、彼女ほど部に忠実な人はいなかったらしい。クラスでの彼女は男子達からも大変人気で、それはきっと彼女の誰とでも気軽に話せることができる大様さがそうしているのかもしれない。けど、最近の彼女は何がおこったのかわからないけれど・・・・・とにかく元気がないらしい、ですよ」
すべて鈴木君が彼女に伝えてくれた。
彼女は聞き終わると、表情をひとつも変えずに
「・・・そう。ありがとう・・・・・」
と一声もらした。
ちっともあり難がっていなく、ただ恨みをはらんだ言葉の連なりにしか聞こえないほど、その声は低く耳に痛いものだった。
僕らはそれだけ伝えると、
「じゃあ、失礼します」
さっさとその場を去った。もう、これ以上かかわったところで、得するわけでもなく、彼女だって僕らはもはや用無しだろう。
猶も雨が降る。
あれから一週間、
僕は彼女を視界の隅に移しながらも、会釈をするだけで立ち止まったりはしない。
彼女も会釈をしてもこちらに笑顔を向けるような人ではなく、相変わらず赤い屋根の家の門ばかりを見ているだけだ。
その日の放課後、
赤い屋根のうち、つまりは立川麗佳の家の前に二台のセダンが止まっていた。僕はつい足を止めそうになったが、そのまま歩調を乱さずに歩き続けた。結果、セダンから降りてきた一行をみて、ぎょっとした。
黒いスーツを着た男が四人、それにまじって真っ白なスーツをきた女性がいる。
女性は、門に手をかけようとした一人の男に大声で怒鳴った。
「触れるんじゃあないよ!裏から入るんだ。」
門に触れようとした男は何度も頭を下げて、すみませんと唱えるように謝っていた。
ちょうど、家の真前を通り過ぎようとした時に白のスーツの女性と、例の女性の間に挟まれて双方から一本に伸びる強い視線に僕は串刺しにされた。
白いスーツの女性は、確かに僕ではなく、例の女性を見ていた。逆に、例の女性は恨みがましい目つきで白いスーツを睨んでいた。
「ふっ」
白のスーツはヒールの高い靴をカッカッカッといわせて、
「さて裏門から入らせていただくんだよ。折角、計画を重ねてきてここで壊されたらたまったもんじゃないからね」
白いスーツを着た女性は、とにかく、あの中では1番偉そうだった。居丈高でもあった。
ただ、例の女性を見て勝ち誇った笑みを向けたのは確実で、例の女性はというと深い恨みで混濁した双眸で相手を睨みすえていた。
全くもって、関りたくない。
立川麗佳を軸にして、何かが回っているのはうすうすわかる。
けれど、見る限りこの家の者たちが出入りする場合は、立派な正門は通らずに裏門から出入りするのはどういった理由からだろう。
そこが分からない。
全く、何の理由で例の女性は雨に濡れてまで立川家を見ているのか。
考えれば考えるほど、分からないものだ。