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ホラー系

赤子を抱いた女

作者: 花厳 幽花
掲載日:2026/08/31

電柱の上に翕然(きゅうぜん)と並んだ雀が(さえず)る。早朝、夏にしてはやけに肌寒い。片原裕二(かたはらゆうじ)が部屋着姿のまま、ゴミステーションへ向かっていた時のことだ。


まだ辺りを出歩く者は見当たらない。彼一人、ゴミ袋の結び目を指に引っ掛けて持ち歩いている。


住宅街の狭くも広くもない中途半端な道の白線内、サンダルのカパカパという独特の足音を鳴らしながら、裕二は進む。

ポケットに手を突っ込んで煙草を触る。ソフトのさらさらとした質感が、指に優しい。


裕二はゴミステーションに到達し、網の中へゴミ袋をぶち込んだ。

帰宅するために後ろを顧みる。すると電柱の影、そこに奴がいた。


赤子を抱えた女だ。雨は降っていないのに、全身が濡れている。ぼさぼさの髪、赤黒い染みがまばらに付いた白いワンピース。赤子は裸で、(へそ)の緒の痕がまだ綺麗に残っている。産まれたばかりなのだろうか、全体的に皮膚が赤っぽい。


子が産声を上げた。おぎゃああという泣き声が、辺りに響いた。


異常だ。女の肌の白さは生気を感じさせない。幽霊。そんな言葉が似合う。


裕二はその場に固まって動けなかった。思考は目の前の女に汚染され、手足は小さく震えて竦んでいる。(しじかが)まった様子の裕二を、女はその黒い瞳でじっと見つめている。


「なんなんだよ・・・」


裕二がぼそりと呟く。


女は赤子を抱えたままこちらを見つめているだけで、動かない。裕二は恐る恐る足を踏み出して、女のいる電柱の横を通った。女の側を通ると、卵の腐ったような生臭いにおいがした。


後ろを振り返る。女はこちらをじっと見つめていたが、やはり動いた形跡は見られない。

すると突如として女が手を動かした。指を動かし、裕二の近くを指す。そこには猫がいた。猫は足早に道路を横断していく。


裕二は半ば逃げるように歩調を早めた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


翌日の早朝、裕二はコンビニの喫煙スペースで煙草を吸っていた。ゴミステーションまでの道を経由してこのコンビニに行ったが、昨日遭遇した謎の女はいなかった。


きっと昨日は朝早かったから寝惚けていたのだろうと、裕二は無理やり片付ける。


煙草を吸い終えた。吸い殻を灰皿の中へ放って、コンビニの屋根の下から一歩出る。それと同時だった。

突然雨が降り始めたのだ。


急雨に見舞われた裕二は走り出す。傘は持ってきていない。体が雨で濡れていく。

ゴミステーションが視界の端に映る。あの女がいた電柱もまた、見える。


「最悪だ・・・」


裕二は舌打ちする。

直後、雷が鳴った。雨が勢いを増していく。


家まではまだ距離がある。幸いなことに今日は休日。濡れても家で風呂に入れば、なんとかなる。


――ミャアオ。


猫の鳴き声が聞こえた。するといつの間にか、目の前に猫がいる。裕二は足を止められず、また猫も避けなかったため、蹴り飛ばしてしまった。


猫を蹴り飛ばした衝撃で足がもつれた裕二は思い切り転ぶ。鈍痛が頭に広がる。顔の右半分を地面に強打したようで、血が地面に流れている。


蹴り飛ばされた猫も倒れていた。昨日、あの女が指をさした猫だった。

弱々しく横たわったその猫の腹が、ふと、膨らんでいることに気付く。

だから避け切れなかったのだと裕二は理解した。同時に、猫に対する罪悪感が沸き起こった。


痛みの残る頭を上げ、濡れた地面に両手をついて立ち上がる。猫の方へ歩み寄る。金色の瞳が、裕二を捉えていた。


――おぎゃああ。


赤子の声がどこからか聞こえてきた。辺りを急いで確認してみるも、赤子の姿など見当たらない。


何を見つけようとしていたのか。この声は、猫の声だ。倒れた猫の腹の中で、泣いているのだ。裕二はその膨らんだ腹を凝視する。


濡れて(けば)だった白い体毛、膨らみ。間違いない。やはり、この声は猫の腹の中から聞こえる。


裕二は猫を拾い上げた。そして腹を耳元へ寄せる。

猫はやけに大人しく、呼吸以外の動作を見せなかった。


声が聞こえる。おぎゃああ、おぎゃああと、泣き叫ぶ声が。


裕二の思考は不思議と冷静だった。猫を車に()かれないよう、道の隅へ運ぶ。猫がゆっくりと立ち上がり、のそのそと道路を横断し始める。


これでは裕二が車に轢かれないように道の隅へやった意味がない。


次の瞬間だった。車が猫へ迫ってくる。


裕二はただ呆然とその光景を眺めていた。凄まじい衝突音。猫は遠くまで吹っ飛ばされていった。


音に驚いたのか、運転手が車を停めて降りて来る。中年の男だった。男は猫を轢いたのだと知ると、露骨に嫌な顔をした。


猫は道の隅へ吹き飛んでいた。これでもう車に轢かれる心配はないが、死んだ今それに意味はない。


裕二は猫の死体へ歩み寄る。猫は頭が砕けて、口からだらしなく舌を垂らしている。血が、雨と混ざって水溜まりを作っている。内臓が破けた腹から飛び出していて、生まれるはずだった赤い皮膚の子猫が、頭を覗かせていた。子猫もまた死んでしまっていた。


裕二はどことなく気が(ふさ)がった。


「帰るか」


アスファルトのにおいが鼻を刺激する。


雨のことなどもう気にしていなかった彼は、ゆっくりと、猫の死を噛み締めるように歩いて行った。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


数週間後、早朝。裕二は仕事だったため駅まで向かった。通勤ラッシュが発生する少し手前の時間、裕二は目的の電車に乗る。

車掌がアナウンスを出す。鼻にかかった声が、耳障りだった。


「はら!!!!」


早朝から、電車内には騒ぐ老人がいた。長い(ひげ)を生やした禿頭(とくとう)の男。男は吊り革を掴んだまま、視線をキョロキョロと動かしては大声を上げる。


この地域ではこういう気の狂った人物は珍しくない。裕二は何度も出くわしたことがある。


すると男の視線が裕二を向いた。その瞬間、男はぎょっとした様子で目を見開く。


「はらのこ!!!」


男が唾を飛ばして叫ぶ。裕二の着たスーツに、唾が付着した。泡が、スーツの生地に染み込んでいく。


「はらのこじゃ、『胎の子』!!」


男がまた唾を飛ばして大声を上げる。電車が次の駅に到着したようで、停まった。男は電車を降りて行く。


『胎の子』。一体あの男は何を言っていたのだろうか。

この車両にはもう裕二しか乗っていないようで、静寂が訪れた。電車が発進する。車掌のアナウンスが、また耳障りに鳴る。


裕二は先ほど男の唾が飛んできた箇所を目にした。すでに乾いたようで、跡は残っていない。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


仕事を終えて、帰宅した。家に帰ると共に、妻が作る料理の良い香りがした。


「ただいま」


裕二がスーツ姿のままリビングへ行き、声をかける。


「あら、おかえり。今日は早かったね」

「ああ。今日はたまたま残業がなかったからな」


自室へ向かい、ネクタイを外す。スーツを脱ぎ、消臭スプレーを振りかけて部屋に干す。風呂に入ろうと思い、裕二は着替えの下着を持って脱衣所へ向かった。


身に着けている物を脱いで、洗濯機の中へ投げ入れる。風呂場の扉を開けると、湯気が顔に直撃した。どうやら今日は風呂を溜めているらしい。


裕二は風呂の時間を満喫した後、脱衣所へ出た。脱衣所にある棚の中からバスタオルを取り出して、体を拭く。不意に洗面台の鏡を見た。湯気で曇ってはいるが、自分の姿が窺える。


――おぎゃああ。


赤子の声がした。裕二は思わず風呂場の扉を開け、確認する。赤子などどこにもいない。それならば一体どこから聞こえているのか。

裕二とその妻の間に、子供はいない。


結局、声の出所は掴めないまま時間だけが過ぎて行った。


あの日見た謎の女と、轢かれた猫の光景が頭を過る。どれも鮮明に記憶している。


自室のベッドに寝転がり、スマートフォンを開いた。体を包む柔らかな感触が心地良い。

スマートフォンをいじるのにしばらく夢中になっていると、


――おぎゃあああ。


また赤子の声が聞こえた。今度は外から聞こえた気がした。ここは二階建ての一軒家で、裕二の部屋は二階。ゆっくりと窓辺へ向かい、カーテンを開いた。


外、電柱の側にあの女が立っていた。女は相変わらず全身が濡れている。黒い瞳が、じっとこちらを見ている。

彼女の腕の中で赤子が(しき)りに泣き声を上げている。このままでは耳に残って一生離れないのではないかと、思うくらいに。


すると、突然女が指をさした。指先は裕二の後ろを指している。


「――」


女が何かを言葉にした。声は聞こえないが、確かに女は何かを言ったのだ。


すると、部屋のドアがノックされた。裕二は肩を跳ねさせ、おずおずと振り返る。


「あなたー、ご飯食べないの? もうとっくにできてるよー」

「すまん、今行くから」


言い終わってから、もう一度窓の外を見た。女の姿はどこにも見当たらなかった。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


今日はやけに晴れていた。目を覚ましてからカーテンを開き、朝日を浴びると、裕二は一階のリビングの方へ降りて行った。


「おはよう」

「おはよう、朝食できてるわよ」

「ありがとう」


朝食に手を付けようとした途端だった。


「あなた、実は私――」


そう、妻が話を切り出した。


「――妊娠したみたい。月経が来ないからなんだと思ったけれど、やっぱりそうだったのね」


裕二は喜びたくなる。だが、どうしてもあの女のことが頭を過った。赤子、車に轢かれた猫。何か不吉な兆しなのではないかと、裕二は思った。


「そうか・・・それは良かった。ああ、とても」


裕二は妻を抱きしめた。彼女の体温が、裕二の心に芽生えた不安を溶かしていく気がした。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


妻は子を産んですぐ亡くなった。裕二の心にはぽっかりと穴が開いてしまった。なんとか、子は生まれたのが救いだった。


生まれた子は元気な男の子だった。


裕二は一人、我が子の世話をしながら、ふと考える。


あの女はあれからもう出てきていない。一体、何だったのだろうか。

あの女が出てきた後に猫は死に、妻は死んだ。あの女が死でも呼び寄せているのだろうか。


ふと、我が子が泣いた。裕二は子をあやしてやる。


なんとしてでも妻が遺したこの子を、裕二は大切に育ててやると誓った。誓った矢先、またもやあの女が姿を現した。


早朝、ゴミステーションにゴミ袋を投入した後の帰り道だった。また、あの女が立っていたのだ。

しかし、あの女は赤子を抱いていなかった。


女が指をさす。指先は、丁度裕二を向いていた。


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― 新着の感想 ―
XのRT企画から伺わせていただきました! なんとなく煙に巻かれているような、ホラー的なモチーフを作った上でそれ一本で物語を引っ張っていくような強引さで押し切る感じが少し潔さも感じる作品のように思いま…
Xから飛んで読ませていただきました。 淋しげな情景と、日常の景色が赤子によって混ざっていく感じが、いい意味で不気味で、良い作品だと思います。 また、最後まで顛末を描かずに読者へと回す感じがまた怖さを引…
こ、これはじわじわとくる怖さですね…… 女が最後に指差した意味が色々想像を掻き立ててきて、めちゃ怖い…… 予言なのかそれとも……
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