2.
蓮司がしまったと思ったときにはもう遅かった。子どもたちの姿が見えない。
紙守本家の一つ、蒼井家の当主として社交はそつなくこなす必要がある。いくらこういった場が苦手であっても、さすがに年も三十を過ぎたのだから、立場はわきまえているつもりだ。
だが、それがよくなかったのかもしれない。他の本家の当主に挨拶周りをし、分家筋にも声をかけていたら、おとなしく料理を食べていたはずの子どもたちの姿が見えなくなっていた。
まして、二人の子どもは五歳と三歳。分別がつく年齢かと問われると難しい。長男の朔也は年齢のわりには大人びているところがあるが、妹の琴葉はしゃべることすらできない。
朔也が琴葉を置いてどこかに行くとは考えられず、二人一緒に行動しているとは思うのだが。
それでもおとなしいからという理由で、子どもから目を離した蓮司の責任である。
子どもがこの会場を抜け出したとしたらどこに行くか。何か珍しいものがあるとか、遊べそうなものがあるとか、そういった場所だろう。とはいえ、子どもたちが以前、ここに来たのは一年前。どこに何があるかなんて、覚えているはずもないし、把握しているはずもない。
会場からそっと抜け出した蓮司は、使用人たちが控える別邸で、従者の大和に声をかけ外に連れ出した。二つ年下の彼は、乳兄弟として育ったため、気の知れた仲でもある。
「旦那様、もうお帰りですか?」
蓮司をよく知る彼が怪訝そうに顔をしかめたのは、園遊会終了予定の時間よりも、まだ一時間も前だったからだ。
「いや、子どもたちがいなくなった」
「わかりました。すぐに探します」
「子どもたちの行きそうな場所はわかるか?」
「まぁ、こういった小路があれば進んでみたくなるものではありませんか?」
大和が示したのは木漏れ日が差し込む小さな小路。遊歩道と呼べるほど整備はされておらず、ただ頻繁に人が行き来しているがためにできた道のようなもの。
「この先に何があるか、わかるか?」
「お屋敷の裏のほうに続いているようですね。となれば、楮の畑と漉場ではないでしょうか?」
紙守一族の者であれば、幼いころから紙漉きに慣れ親しんでいる者も多く、蓮司の子どもたちもそうである。となれば、楮の畑があればそこで遊んでいるのかもしれない。収穫前のこの時期の楮は、子どもならゆうに隠れるくらい成長しているはずだ。
蓮司は足早に小路を進んでいく。子どもたちに何かあったらと、気が気ではなかった。
朔也と琴葉は、別れた妻、花純との間に授かった子だ。花純は琴葉を産んでしばらくしたら、義務を果たしたと言わんばかりに離縁状を突きつけてきた。
花純とは典型的な政略結婚だった。蒼井一族の漉姫の中で、もっとも家柄がよかったから選んだだけ。向こうも本家の妻という地位を手に入れ、誇らしそうにしていた。
だが花純は蒼井の家に馴染めなかったらしい。蓮司も紙守本家の漉守として家を空けることも多く、花純の気持ちに気づいてやれなかった。彼女のことは母の菫に頼んでいたから問題ないだろうと、たかをくくっていたのは認める。
結果、一年前に花純は他に男を作って出ていったのだ。朔也と琴葉を残して。
いまだに彼女がどのような不満を持って家を出ていったのかはわからない。公にはしていないが、菫は嫁がいなくなったショックで寝込んでおり、紙漉きすらしなくなった。このままでは琴葉に紙漉きを教える者がいない。
蒼井の一族は、教えは親から子に、そしてまたその先へと受け継がれていくものとなっている。
早く次の相手をと思うものの、本家の嫁がいなくなったという話は、面白おかしく尾ひれまでついて噂になっており、出会いの場である園遊会ですら、漉姫たちは蓮司に声をかけようとしない。その代わり、彼女たちは紅梅家当主に群がっているようだが。
遠縁の誰かと縁がないだろうかと親戚筋に声をかけてみても「娘には本家の妻は荷が重い」とやんわり断れてしまう始末。蓮司の代で本家の教えを途絶えさせてはならないという焦りだけが生まれていく。
カサササ……と楮の葉が揺れていた。
「朔也~、琴葉~」
楮の葉の中に隠れている可能性も考え、蓮司は声を張り上げる。
「父さま!」
息子の声が聞こえ、蓮司はもう一度「朔也」とその名を呼んだ。
「まったく、どこへ行っていたんだ? 琴葉も一緒だな」
朔也としっかり手を繋ぐ娘の姿を見て、ほっと胸をなでおろす。
「朔也ぼっちゃま、そちらの手にしているものはなんでしょうか?」
蓮司が怒る隙を与えないように、大和が朔也と目線を合わせた。
「これ、千咲お姉ちゃんからもらったの。きれいな紙だよね? 千咲お姉ちゃんは、漉姫なんだって」
「千咲お姉ちゃん……漉姫? 紅梅家の漉姫か? だが、漉姫はあちらの園遊会に参加しているだろう?」
「千咲お姉ちゃんは、賑やかな場所は苦手なんだって。僕たちと一緒」
だが、そんな理由で漉姫が園遊会に出ないなど許されるのだろうか。
紅梅家では、年頃の漉姫を集めて面倒みていると聞いているが、それがまるで異国の後宮のようであるため、紅宮とも揶揄されている。環が漉姫たちを囲っているはずだが、その彼が「苦手だから」という理由で漉姫の園遊会の欠席を認めるだろうか。
となれば、女性特有の人間関係が絡んでいるにちがいない。まして後宮であれば、女性たちに序列があってもおかしくはないはず。
さらに金のない者は本家に娘を売るとも聞いており、それを隠すための紅宮だという話もある。だが、それはその一族の考えがゆえ、他家が口を挟むものではないが、そこまで考えたうえで、蓮司は一つの結論を導き出す。
つまり千咲という漉姫は、後宮にいる他の漉姫たちによって、園遊会に出られないように仕向けられたのだ。そして環が何も言わないとなれば、その娘は実家から売られるようにして紅梅家へとやってきたのだろう。
「旦那様、こちらは落水紙のようですね。このような繊細な模様を描くとは、漉姫としての腕はなかなかなのではないでしょうか?」
朔也が手渡した紙をまじまじと見つめていた大和は、感嘆の声をあげる。大和がそこまで褒めるならと蓮司も落水紙を受け取った。
レースのような細やかな模様が、紙いっぱいに描いてあるせいか手触りがよい。
それに、この紙からは特別な力が感じられた。
「これは……大和の言うとおりだな」
「琴葉もね、千咲お姉ちゃんと一緒に紙を漉いたんだよ。ね」
興奮気味の朔也の言葉に、琴葉は小さく頷く。
「紙、乾いてないから、持って帰れないんだって。だから代わりにこれをもらったの」
よっぽど嬉しかったのか、楽しかったのか、気持ちが昂ぶっている朔也は、いつもより饒舌である。
「そうか、よかったな。琴葉もきちんとできたのか?」
いつのまにか大和に抱っこをせがんでいた琴葉は、彼の腕の中で首を振る。
「父さま、家に帰ったら、この紙をおばあさまにも見せたいな。いい?」
「ああ、おばあさまも喜ぶだろう」
朔也がまたどこかへ行かないように、蓮司は息子の手をきつく握った。
会場へ戻ると「おや? どちらかに行かれていたのですか?」と環がめざとく声をかけてきたが、「子どもたちが飽きてしまったから、その辺を散歩してきた」と適当なことを言って誤魔化す。
「なるほど。まだお子様も小さいようですから。大人の中にいては退屈でしょう」
「環殿は、やっと漉姫たちから解放されたのか?」
冗談の一つのつもりだったが、環は「えぇ、本当に愛らしい漉姫たちです」と返ってきたため、これ以上、どう言葉を交わしたらいいかがわからなかった。
「朔也、喉は渇いていないか?」
とりあえず、子どもを盾にしてこの場から去るのが得策だろう。
「父さま、僕、何か飲みたい」
「かわいらしいお子様ですね」
環も当たり障りない言葉をかけて、その場を去っていく。
「朔也も琴葉も座りなさい。もう少しで終わるから、それまでおとなしくお菓子でも食べていなさい」
テーブルの上には、デザートの菓子類が並べられている。琴葉を席に座らせた大和が下がろうとしたため、「ここにいてくれ」と蓮司が言えば、彼もその言葉に従い、琴葉の後ろにそっと立っていた。
本来であれば、園遊会の会場には、本家とそれに次ぐ家柄の者、そして独身の紙守しか入れない。従者の大和は、漉守であるものの結婚しているため、別邸で待っていた。
だが、いくら慣例とはいえ、このような幼い子どもを連れて園遊会に出席するのは、蓮司一人では無理な話だったのだ。
少しこめかみが痛むような気がして、そこを指でぐりぐりと押した。
なんとか園遊会を終えて屋敷に戻れば、朔也は「おばあさまのところに行ってくる」と、バタバタと廊下を走っていってしまう。その後ろをちょこまかと琴葉がついていく姿は見ていてかわいいものだが「廊下は走らない」と蓮司がピシャッと注意する。
すると朔也は早歩きに変えたようで、やはりその対処法が子どものものだと、顔が自然とほころんだ。
蓮司も子どもたちの後ろを追いかけ、菫の部屋へと向かう。今の菫を、子どもたちだけで会わせるのは避けたい。
「おばあさま~みてみて~」
布団の上で身体を起こす菫の隣で、朔也と琴葉が落水紙を広げていた。
菫は目を開けてはいるものの、ぼんやりしていてどこを見ているのかわからない。花純が出ていってから、こんな状態が続いている。意識はある、食事もできるし、生きるための必要最低限な行動はできる。だが、それ以外はこうやって座ってぼんやりしているだけで、言葉もない。
そのとき、朔也が手にしている落水紙の端が黒っぽく変わっていくのが見えた。
「朔也。それを貸しなさい」
「父さま?」
「『邪』に反応している。それに封じる」
「それ? 千咲お姉ちゃんからもらった紙?」
「そうだ。漉姫が漉いた紙だから、形代にできる。いいな?」
蓮司の勢いに押され、朔也は「うん」と頷いた。蓮司が印を結べば、朔也が手にしていた落水紙は、人型に変化し形代となる。
「ふんっ」
その形代を菫に向かって投げつけると、じゅっと音を立てて真っ黒に染まった。
「おばあさま?」
朔也の呟きに、菫は反応を示し、ゆっくり顔をこちら側に向けた。
「あら、朔也ちゃん。琴葉ちゃん。どうしたの? 蓮司さんまで」
目を丸くして子どもたちの姿を見る菫の姿に、驚きたいのは蓮司のほうだった。
声をかけても反応を示さなかった菫が、今ではしっかり言葉を交わしている。
「まぁ、素敵な落水紙ね」
「もらったの。でも僕のは形代になって消えちゃった」
「それが漉姫の漉いた紙のお役目だもの。お務めを果たしたのよ」
「おばあさま、元気になったね。よかったね、父さま」
そうだな、と曖昧に答えた蓮司だが、なぜ菫に『邪』がついていたのか。なぜそれに今まで気づかなかったのか。そして、千咲お姉ちゃんが漉いたという落水紙。これらが気になってしかたなかった。




