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毒舌幼馴染はたぶんツンデレなのでグイグイ行ってみる。

作者: あまたらし

氷室雪音との付き合いは、俺が物心ついたときから始まっていた。


隣の家に住んでいた彼女は、昔からずば抜けて大人びていて、小学生のころから妙に達観していた。

そして――口が悪かった。


「颯ってさ、クラスでいちばん“無個性”だよね。いる意味あるの?」


小学三年のある日、突然そんなことを言われた。ショックだった。というか、

言い回しのセンスが怖かった。

でも、次の日、ランドセルを開けると、中に折り目のついたプリントが入っていた。

昨日、俺が風邪で休んだ分の宿題プリントだ。


彼女はそれについて何も言わない。ただ、黙って席に座るだけだった。


(……あ、こいつたぶん、本当は優しい)


そのとき、そう思った。

そこからだ。俺が雪音の“本当”を知ろうとするようになったのは。


◇ ◇ ◇


そして現在、高校一年生。


星の宮高等学校への入学初日。俺は校門の前で立ち止まり、深呼吸をひとつ。


「ふー……高校生活、なるべく平和に、普通に過ごせたらいいな」


そんな独り言を口にした次の瞬間だった。


ガスッ!!


「いてっ!?」


思いきり後頭部に何かがヒットした。振り返ると、手提げバッグを振り下ろした張本人が、

眉ひとつ動かさず立っていた。


氷室雪音。幼馴染。そして――氷の女王。


「……おはよう颯。何ぼーっと突っ立ってんの? 邪魔すぎて通報したくなったんだけど」


「いや、初日でそんな物騒な対応……っていうか、今の暴力だよね?」


「おはようの代わり。むしろ感謝して?」


「感謝の強要って新しい概念すぎる」


「うるさい。ゴミは黙って踏まれてなよ」


毒舌が容赦なさすぎて周囲の生徒たちが距離を取る。

でも俺は慣れてる。毒が強いのはいつものこと。いや、むしろ今日は控えめな方かもしれない。


なぜなら――


先日、駅前で迷子になっていた小さな子供を、雪音が助けていたのを俺は偶然目撃していたのだ。


小さな手を握って「大丈夫。お姉ちゃんがついてるからね」と、優しく声をかけていた彼女の姿を。

あの表情は、学校で見せるそれとはまるで違っていた。


氷の仮面の下にある、ほんとうの氷室雪音。


その姿が、頭から離れなかった。


「……ってか、なにニヤついてんの? キモすぎ。普通に通報されたいの?」


「いや、なんでもない。今日の雪音も平常運転だなぁって思って」


「殺されたい願望あるの? 保健室じゃ済まない感じにするけど?」


「とりあえず明日も元気に会えるといいね」


「会いたくない。むしろ視界から消えてほしい」


これが俺たちの朝の会話だ。クラスは別だけど、家が近所だから登校時間が重なる。


周りからは「あの二人、付き合ってるのかな……?」なんて冷やかされることもあるけど、違う。


俺は、彼女の“仮面の裏”を知っているからこそ、ただの幼馴染とは思えなくなっていた。


「じゃ、私こっちの教室だから。二度と話しかけてこないで」


「了解、でもたぶん明日また話しかけるよ」


「クズ。生まれ変わっても蠅が妥当」


「蠅にまで落とされてて草」


別れ際、雪音はくるりと踵を返して教室へ消えていった。


◇ ◇ ◇


昇降口近くの掲示板前で、他クラスの生徒たちの話が耳に入ってきた。


「ねえねえ、あの黒髪の子……なんか雰囲気ヤバくない?」

「あー氷室さんでしょ? 入学式の時も先生に敬語使ってなかったし……」

「まじか。怖……女王様みたい」


「……氷の女王、ってあだ名もう付いてるらしいよ。三組の男子が告って3秒で返り討ちだったって」


「3秒!? どうやって!? 物理!?」


たしかに、あいつは怖い。口悪いし、愛想ゼロだし、態度もきつい。

でも、それを“表面”だけで決めつけてほしくなかった。


だって、本当の彼女は――


「……って、なに勝手にしみじみしてんの? 気持ち悪い。顔に“中身ないです”って書いてある」


いつのまにか隣に来ていた雪音が、刺さる一言を放ってくる。


「いや、中身はあるよ!? ちゃんとぎっしりと!」


「へぇー、腐った理論とか? 脳内で何を育ててるの? ウイルス?」


「褒められてると解釈していい?」


「それがすでに病気。認知の歪み」


「俺、強く生きていくから」


「地球のためにやめて」


この会話、俺以外の男子だったら2往復で心折れてると思う。

でも俺は折れない。なぜなら、あの雪音の――


迷子の子に手を差し伸べた姿が、どうしても忘れられないから。


(だったら、グイグイ行ってみるか)


この仮面の奥にある“本当の雪音”を、もっと見たい。


それが、俺の高校生活の目標になった


◇ ◇ ◇


中学時代――雪音の毒舌は、すでに完成されていた。


ある日、給食で牛乳を盛大にこぼした男子がいたときのことだ。

先生が「大丈夫?」と声をかけるより先に、雪音はスッと立ち上がってモップを手にした。そして一言。


「こうなる未来は見えてたよね。無理に紙パック握ったのが間違い。観察力ゼロかよ」


その男子は泣いた。そりゃ泣くよ。でも、雪音はそのあと黙って最後まで床を拭いていた。


手は動く。口は毒。心はたぶん、普通の人よりずっとやさしい。


そのズレたバランスに、俺は昔から惹かれてたのかもしれない。


本人に言ったら「どこの精神科紹介すればいい?」って即答されそうだけど。


それでも俺は、あいつのことを知りたいと思った。


◇ ◇ ◇


高校生活が始まって三日目。


俺と雪音は、通学のタイミングがほぼ同じだということに気づいた。というか、

俺が気づいて合わせてるだけなんだけど。


駅の改札を出て、信号を渡りながら、俺はなんとなく話しかける。


「今日、体育だよね。体力測定かー、憂鬱だわ」


「知らん。勝手に息切れして倒れて、保健室に永久就職でもしてれば?」


「そんなに俺の未来に期待してないの?」


「むしろ絶望してる」


「ええ……。あ、でも雪音って走るの速かったよな? 中学の時、リレーの選抜入ってたろ」


「……よく覚えてるね。キモい」


「そりゃ覚えてるよ。お前、バトン渡すときに相手の手つかんで“落としたら殺す”って言ってたじゃん」


「……言った記憶ある」


「怖すぎて校内放送止まったって噂になってたよ」


「だってあの時の2年男子、マジで手元おぼつかなくて信用できなかったもん」


「やっぱり基本、信頼してないんだな……」


「まあ、あんたよりはマシだったけどね」


「今、自然に俺より下にされたよね? 誰と比べてたの? アメーバ?」


「アメーバに謝れ」


「アメーバごめん」


くだらないやり取りの中に、ふと感じる“緩さ”。


雪音は相変わらず言葉がきつい。でも、ちゃんと返してくる。会話を、成立させようとしてくれてる。


それだけで、俺はちょっと嬉しい。


ただ、他の奴がこんなことしたら、きっと速攻でぶった切られてるんだろうな、とは思う。


雪音の“安全圏”に、俺がちょっとだけ入れてる――そんな気がしてた。


◇ ◇ ◇


夕方。校門の前で、雪音を見かけた。


彼女はひとり、スマホをいじりながら歩いていて、周囲の視線にはまったく頓着がない。

……というか、男子たちは皆、明らかに意識して避けていた。


「あれが……氷室雪音……」

「なんか目が合ったら石になりそう」

「前世で何かしたら、話しかけられる呪いとか背負うのかな……」


おい失礼だぞ。いろんな意味で。


「よっ、雪音」


「……うわ、今日も話しかけてきた。マジで地縛霊か何か?」


「その喩え、新しいけど地味に傷つくからやめて?」


「明日から千切りにして給食の具材にするよ。中華丼とかにする」


「俺って野菜系だったのか……」


「いや、正確には雑草」


「栄養価ありそうだけど?」


「黙れ」


そのまま、なぜか一緒に歩いて帰る流れになる。


誰かに見られたら、“あの氷の女王と並んで歩く男”として学内掲示板に載るんじゃないかとビビる。


けど俺は、たぶんニヤけてた。


(あーあ、もう完全にハマってんな俺)


でも、後悔なんてしてない。


◇ ◇ ◇


その日の放課後、俺は雪音の教室の前を、またも“たまたま”通ることになった。

廊下から覗くと、雪音はまだ席に座っていて、何やらノートを開いていた。


誰も近づこうとしない。


クラスメイトたちはもうほとんど帰っていて、残っている何人かも、

彼女の周囲には自然と距離を取っている。


その中で、雪音は黙々と手帳をめくっていた。

視線は真剣で、誰にも邪魔されない“静かな空間”に、完全に溶け込んでいる。


……俺、入っていいのか?


そんなことを思った瞬間、彼女がこちらに顔を向けた。


ビクッとしたのは俺の方だ。


「……なに、またストーキング?」


「違うよ、たまたま通っただけだって」


「偶然装うには頻度が異常なんだけど? GPSでも埋めた?」


「……なんでそうなるの……」


呆れ混じりの視線。でも、それだけで終わらなかった。


「……今、部活の掲示資料、クラス代表に出せって言われてさ。あー、だる」


「提出すんの?」


「当然。やれって言われたらやるし。サボるの嫌いだから」


そう言って雪音は、面倒くさそうにノートを閉じ、立ち上がった。

でも、その目は面倒くさがってなかった。


むしろ、ちゃんと責任を果たす覚悟をしている目だった。


「雪音って、そういうとこ、ほんとマジメだよな」


「……べつに普通でしょ。普通以下の人間に言われたくないけど」


「じゃあ俺、ちょっとでも“普通以上”になれるように頑張るよ」


「無理。基礎スペックがクソザコ。まずは人語覚えるところからやり直して」


「そんな原始人扱い……」


「むしろ原始人に失礼」


相変わらず言葉は鋭い。でも、今日だけで、何度も“その裏”を見てしまっている。


毒舌に隠された優しさ。棘の中に埋もれた、誰にも気づかれたくない真心。


それを拾ってしまうたびに、俺の中でなにかが確かになっていく。


◇ ◇ ◇


帰り道。今日はなぜか、雪音と一緒になった。


偶然か、気まぐれか、あるいは――ちょっとくらいなら“許してくれてる”のか。


「……今日、マジでうざかった。存在からして目障り」


「ありがとう。俺も雪音の毒に慣れてきたよ」


「慣れないで? っていうか普通は傷つくよ? 泣くよ?」


「俺、昔から打たれ強いタイプで」


「打たれすぎて脳の神経切れてんじゃないの?」


「それはあるかも。でも、雪音がそう言うなら、本望かな」


「……ほんとにバカなんだな」


呆れたような顔。でも、少しだけ、口元が緩んでいた。


歩道橋を上がると、ちょうど夕日が沈むところだった。


西の空が赤く染まっていく中、雪音の黒髪が風になびく。


「なあ、雪音」


「……なに?」


「やっぱ、お前のそういうとこ、俺好きだなって思うわ」


「……はあ?」


振り向いた雪音の顔には、驚きと戸惑いと、ほんの少しの赤みが差していた。


「い、今の撤回しろ。今すぐ。物理的に」


「できません。録音しておけばよかった」


「マジでやめろ! 黒歴史になるから!」


「俺の中では白歴史だから問題なし」


「キモい! 二度と口開くな!」


――でも、その横顔は、いつもよりずっと柔らかかった。


***


四月の風は少し冷たくて、昇降口のガラス扉越しに差し込む夕陽がやけにまぶしかった。

靴を履き替える手が、ほんの少し震えている。

横には、無表情を決め込んでいる氷室雪音。手早くローファーに足を通し、無言で立ち上がった。


「……なんで、今日も一緒に帰るの?」


「雪音が嫌じゃなければ、だけど」


「……ふーん。別に道が同じなだけだし? 勝手に歩いてるだけなんで、勘違いしないでね?」


言葉はきつい。けど、拒否じゃない。それどころか、むしろ“許可”に近い。

それが分かるくらいには、俺は彼女の言い回しに慣れていた。


◇ ◇ ◇


沈黙のまま、並んで歩く帰り道。

信号待ちで立ち止まったとき、俺は意を決した。


「なあ、雪音」


「……なに。今すぐ死にたいの?」


「そう言われるのを覚悟で、ちょっと……言いたいことがあるんだ」


信号のカウントが点滅を始める。

でも俺は動かず、真正面から彼女を見つめた。


その目を、声を、逃がさずに受け止めたかった。


「……俺、たぶん雪音のこと、好きなんだ」


風が止んだような気がした。


雪音はピタリと動きを止めて、俺を睨みつけた。

いや、“睨む”って言葉じゃ足りない。刺すような眼差しだった。


「は、はぁ!? ……あんた、今なに言った!? 言ったよね!? 頭湧いてんの!? 熱でもある!? むしろ風邪ひいて昏睡しとけ!」


「たぶん……熱はないけど、雪音が好きって気持ちは本気」


「やっっっっっば!! お前ほんとやばい!! どうしたの!? 誰かの陰謀!? 

脳を改造されたの!? なんかのバグ!? 修正パッチ配布しろ!!!」


「たぶんこれは、アップデート済みの俺の気持ちです」


「やめろーーー!!! 自覚ある変態ほどキツいもんないんだよ!! 人類代表として拒否したい!!!」


ガッと距離を詰めてきた彼女の声は、周囲に響くほど大きかった。


それでも、俺は退かなかった。


だって――


「……俺さ、雪音のこと、ずっと見てきた。毒舌で冷たくて、誰にも優しくないって思われてるけど……」


「ち、違うし! 別に誰にどう思われようが関係ないし!」


「でも、俺は見たんだよ。駅前で迷子の子に優しくしてたとこ。あのとき、雪音、ほんとに綺麗だった」


「っ……な、なんでそれ覚えてんの!? 見てたの!? 最悪! 恥ずかしすぎる!! 呪う!! もう石にしてやる!!」


「その瞬間から、俺、雪音のことちゃんと好きになった」


「うるさいうるさいうるさい!!! あんたの声、もう聞こえないふりしたい!! 

鼓膜ごと交換したい!! むしろ記憶を消したい!!!」


「俺は消さない。絶対、忘れない」


「バッカじゃないの……。ほんとにバカだ……。ここまでバカだと、むしろ尊敬通り越して哀れだよ……」


雪音は頭を抱えて、しばらく沈黙した。


その横顔に、ほんのり赤みが差していたのは、きっと夕陽のせいじゃない。


◇ ◇ ◇


「……で? だから何?」


ぽつりと呟いたその声は、少しだけ震えていた。


「だから、俺はこれからも雪音と話したいし、隣にいたい。たぶんうざいって思われるけど、

それでもいい。好きって気持ちは変えないから」


「なにそれ、重い……。ウザい通り越して害悪。世界規模で見てもトップクラスの厄介者……」


「うん。でも、そう言ってくれる雪音の毒も好き」


「バカじゃないの!? どこまでいってもバカ!!! バカの王!!! バカの中のバカ!! 

百連バカ!!!」


「それは褒められてると思っておくよ」


「思うな!!! 誤解すんな!!! 誇るな!!!」


そう叫びながらも、雪音は口元をぎゅっと結び、言葉を飲み込んだ。


その沈黙の中に――“拒絶”ではないものが混じっている気がした。


「……勝手にすれば。好きにすれば。あたしは知らないし、興味ないし、相手にもしないし」


「でも、嫌じゃないんだろ?」


「……殺すよ?」


「はいはい。でも、明日も一緒に帰れたら嬉しいな」


「しつこっ!! ほんと、しつこい!! でも……まあ……」


雪音はちらっと俺の方を見て、またすぐに目をそらす。


「……気が向いたら、ね。ちょっとだけ」


「うん。ありがとう」


「感謝しなくていい。存在がうざいのは変わらないし、顔面は許してないし、声もムカつくし、

笑い方とかほんと無理だし」


「それ全部言っても、一緒に歩いてくれてる時点で、俺は嬉しい」


「……はぁ、ほんと損な性格。バカ。……バカだけど、まあ……ほんの少しだけ、見直したかも。

ちょっとだけね? 一粒くらいのレベルで」


「それでも十分、俺にとっては大収穫です」


「……もう喋んな。キモい」


毒舌の雨は止まらない。

でもその合間に差し込まれた“微かな肯定”は、確かに俺の胸を打った。


雪音はまだ俺を好きになっていない。


だけど、少しだけ、認めてくれた気がした。


それで、今は十分だった。


◇ ◇ ◇


歩きながらも、雪音はずっとそっぽを向いていた。

俺を見ようとしないし、返事も「うざい」とか「キモい」とか、いつもどおりの毒舌だ。


でも、明らかに様子が違う。


顔がほんのり赤い。

声のトーンが微妙に高い。

何より――歩く速度を、合わせてくれている。


「……ほんと、なに考えてんのか分かんない。バカだし、空気読めないし、

なんでそんなに明るくて平気そうな顔してるの?」


「うーん……バカなのは認めるけど、平気ってわけじゃないよ」


「え?」


「正直めっちゃドキドキしてる。たぶん今日、人生でいちばん心臓に悪かった」


「……じゃあ、なんで言ったのさ」


「言わなきゃ後悔すると思ったから。雪音のこと、どんどん好きになってくからさ。

伝えないとダメだって思った」


「……そういうとこ、ほんっとムカつく」


雪音が足を止めた。


振り返ると、彼女は顔を伏せたまま、ぽつりと呟いた。


「こっちは、そんなに強くないんだけど」


その声は、今までに聞いたことのないほど――素直だった。


「雪音……」


「私、別にモテたいわけじゃないし。ていうか、誰にも好かれたくないくらい、

うっとうしいの嫌いで、めんどくさくて、だから最初から全部、距離取ってたのに」


「うん」


「でも、あんたはさ……何回言っても、何回毒吐いても、くじけなくて、うざくて、キモくて、

……でも、なんか、それが、ムカついて」


「……それ、俺にちょっとだけ興味持ってくれてるってこと?」


「うるさい!! 調子に乗んな!! 五寸釘打つよ!?」


「でも、“完全拒否”じゃないよな?」


「……しつこい」


雪音は頬を赤く染めながら、うつむいていた。


その手は、小さく握られていた。緊張してるんだ。俺と同じで。


だけど、逃げなかった。


もう、それだけで――十分すぎる。


「ありがとう、雪音」


「……だから調子に乗んなっつってんだろ。ほんと、明日になったらこの話全部忘れてくれ。

記憶ごと消し飛べ。っていうか寝てる間にデータ初期化しとけ」


「できたらまた好きになってると思うけど」


「じゃあ永久ループで地獄だね」


「でも雪音がいるなら天国だな」


「……マジで一発殴っていい?」


「お好きにどうぞ」


「…………クソが」


雪音が、そっと前を向いて歩き出した。


その背中は、いつもより少しだけ――近かった。


***


後日。

昇降口で靴を履き替えながら、雪音はぽつりと呟いた。


「……昔さ、小学生の頃、あんた覚えてないと思うけど」


「ん?」


「あんたのこと、からかった男子いたでしょ。“一ノ瀬って空気だよなー”って」


「……あー……いたね」


「その時、私、言い返したんだよ。“空気がないと生きていけないじゃん”って。

……そしたらその男子、めっちゃ黙った」


「え、それ初耳」


「言わなかったし。言う必要なかったし」


雪音は、ちょっとだけ肩をすくめて、続ける。


「でもさ……私、たぶん昔からそうだったの。口が悪くて、突き放して、

誰にも深入りされないようにして。でも、あんたはさ――」


そこで言葉が止まる。

俺は静かに問いかけた。


「……俺は?」


「……あんたは、そういうの気にしないで、バカみたいに寄ってくるから……ほんと、うざい」


「ありがと」


「褒めてない!」


ぷいとそっぽを向く雪音。

でもその耳が、ほんのり赤く染まっているのを俺は見た。


教室の前に着いた。

チャイムが鳴るまで、まだ少し時間がある。


廊下に立ち止まって、雪音が小さく息を吐いた。


「ねえ、一ノ瀬」


「なに?」


「これ、勘違いしないでよね。マジで。ただの確認なんだけど」


「うん?」


「……私のこと、“好き”って言ったの、何回目?」


「んー、数えてないけど……4回くらいかな?」


「はあ……ほんと救えない」


雪音は目を伏せて、小さく笑った。


「……でもまあ……ひとつくらいは、返事してあげてもいいかもね」


「え?」


「その代わり、条件付き」


「条件?」


「毎朝、私にパン買ってくること。あと、急にデレろとか言わないこと。

あと、調子乗ったら殴る。あと……」


「多くない?」


「うるさい! まだ途中!」


「ごめん!」


雪音は何かを振り払うようにくるりと背を向け、教室のドアに手をかける。


その直前、ほんの一瞬だけ、俺の方を振り返った。


「……とりあえず、今は“少しだけ”なら、好きって言ってくれてもいい」


「えっ」


「でも5回以上は殺す」


「5回以上!?」


「4.9回まで!! 秒単位で管理する!! GPSで監視する!! あと脳内再生も禁止!!」


「それ言ったら夢に出てくるよ!?」


「夢の中でも制裁するからな!!!」


怒鳴りながら、雪音は教室に入っていった。


……でも、俺の胸の中にはしっかりと残っている。


たぶん、あれは――


本当の彼女の“YES”だ。


◇ ◇ ◇


昼休み。購買前で行列を抜けてパンを買っていると、スマホが振動した。


画面には、雪音からの通知。


【雪音】

あんた、メロンパン買ってるならチョコに変更して。気分変わった。

買えなかったら1回“好き”って言っていいよ。

ただし午後の授業中だけ有効。

あと、声に出したら死刑。


俺は吹き出しそうになって、それを必死でこらえる。


画面を見つめながら、自然と笑みがこぼれた。


(……これからも、きっとずっとこんな感じなんだろうな)


毒舌は相変わらず。


トゲのある言葉も、睨みも、たぶん減らない。


でもその奥に、彼女の“やさしさ”と“照れ”が確かにあることを、俺だけは知っている。


だから俺は――今日も、好きって思ってしまう。


心の中で、何度でも。

ある程度見てくれる人がいるようでしたら長編で出そうかなと思っています!

この小説がいいと思ってくれた方は、高評価の方お願いします!

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これは罵倒レベルけと ドMが?
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