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シン・バベル

主要登場人物(二名)紹介

小宮山毅…『コミュニケーション強者』→『コミュ強』から命名

太田…『オタク君』→『太田クン』から命名

「『地球は青かった』…って誰が言ったんだっけ?オタ…太田クン。」


 無機質な床にあぐらをかき、分厚い丸窓ごしに眼下の地表を眺めながら、無重力圏作業員の肩書きを持つ長身の男――小宮山(こみやま)(つよし)は問いかけた。

 薄暗い照明の下で同じように座り込み、時代遅れの情報端末――ノートパソコンを叩いていた小柄な青年は、少し考えてからおずおずと口を開く。


「が、が、ガガーリンだったと、思います、こみゅ…小宮山さん。うちゅ、宇宙飛行士の。で、で、でも、厳密には違ったらしくて…」

「ああ、もういいよ。ちょっと聞いてみたくなっただけ。…ずっと大気圏の外にいたのに、見たこと無かったかもしれないな、って思って。」


 小宮山は鬱陶しそうに携帯食料を持った方の手を振りながら、もう一方の手で握りしめたヘッドギア型携帯端末『ユニ』に力を込めた。

 かつて体の一部同然に機能していたそれは、意味のないガラクタに成り下がっている。


(あと少し。もうちょっとで軌道エレベーターは完成して…俺は彼女を連れて地上に舞い戻るハズだったんだ。それがこんなコミュ障陰キャと二人で、徒歩で地上を目指さなきゃならないなんて…世の中どうなってんだよ?)




 小宮山が産まれるずっと前、二つの技術が実用化…或いは商業化を果たした。

 AI(人工知能)による多言語同時翻訳ネットワークと、AR(拡張現実)機能を搭載したヘッドギア型携帯端末。それぞれ『Wor1d』(ワールド)と『ユニ』が代表的な呼称となり、事実上全ての人類がその恩恵に浴した。

 即ち――言語の壁の完全なる消失である。

 『Wor1d』とリンクした『ユニ』を装着した状態であれば、どこの誰とでもスムーズに会話ができる。例え知らない文字で書かれた文章でも、『ユニ』のグラスごしに見れば即座に自分の使う言語に翻訳される。

 かつて一部の人間が夢想した『全人類共通の言語』は創造の必要性を失った。『ユニ』さえあれば、ゼロから新しく言語を構築するなどという難行に取り組む必要はないのだ。




 小学校に入学する際、両親から『ユニ』をプレゼントされた小宮山は、誰とでもすぐ友人になる事ができた。訛りが強い地方の出身者とも、日本語が不得手な外国出身者とも一切の齟齬や誤解なくコミュニケーションを取る事ができたのだ。

 やがてクラスのリーダー格になった小宮山は、当時もっとも注目を集めていた職業への就職を人生の第一目標に定める。それは『無重力圏作業員になる』事だった。




 『Wor1d』と『ユニ』という二大技術革新によって融和路線に舵を切った世界各国は、複数箇所の適地に軌道エレベーターを建設するという一大プロジェクトを始動していた。

 軌道エレベーター…軽量かつ頑丈なカーボンナノチューブを主な建材として構築される長大な建造物は、気象条件の制約を受けない大気圏外において、人工衛星や宇宙船の建造・発着・管制・メンテナンスを行える宇宙港であると同時に、常時太陽光で発電を行い、地表の施設にレーザー送電が可能な新世代の発電システムという役割を期待されていたのだ。

 工程表通りに計画が進行すれば、小宮山が成人する頃には、無重力環境下で緻密な作業を行える作業員が多数必要となる。それを見越した各国の首脳部は、早い段階から子供達――未来の作業員候補達へのPRを始めていたのだった。

 成長と共に無重力圏作業員に求められる学歴を積み重ねた小宮山は、最後の関門である採用試験にも一発で合格し、所定の訓練課程を修了した上で憧れの地…軌道エレベーターの最終工程である先端部分の建設現場へと赴任する。

 やがて彼はそのリーダーシップをもって、人種や性別、出身を問わず集められた作業チームのリーダーに就任。チームの一員である女性と密かに交際し、前途は洋々、遮るものは何一つ無いように思っていた。

 ――三日前、『Wor1d』が完全にシステムダウンするまでは。




『*****!**、****!』

「待ってくれベス、一体、一体何を怒っているんだ⁉」

『**⁉******!**、**、**…***!』

「アハメドがなんだって⁉まさか君ら…すまない、失言だった!君の愛を疑ってなんて…そうじゃない?じゃあ何だって――」




「――っゲホッゲホ…ひどい夢だ。」


 昼夜の感覚が曖昧な薄暗がりで目を覚ました小宮山は、寝袋から這い出ると自分のリュックからペットボトルを取り出し、水を飲んだ。


(いや、あれは…本当にあった事だったな。『Wor1d』がダウンした途端にみんなの言っている事が全く分からなくなって…現場監督が事態を収拾できないでいる内に、言葉が通じる者同士で集まって、それぞれ独自の行動を始めた。俺のチームも分裂して…ベス、君は俺の事を誰よりも分かってくれていると思っていたのに…。)

「お、お…おはようございます、小宮山さん。」


 小宮山の思考を遮ったのは、小宮山が寝袋に潜り込む前とほぼ同じ姿勢でノートパソコンと顔を突き合わせていた太田の控え目な声だった。


「ああおはよう…何だ、寝てなかったの?」

「ちょっと気になる事があったので…そ、そうだ。軌道エレベーターのネットワークにアクセスした結果、ですが…上下水道の再利用システムと太陽光発電は一部を除いて稼働していて、水とバッテリーの心配はしなくてよさそうです。各層には非常事態に備えて食料や医薬品が運び込まれてますし…無理をしなければ、地表まで安全にたどり着けるかと。」

「ふ~ん…太田クン、意外と優秀だったんだ。じゃあさ、『エレベーター』はどうなってるの?」


 若く美しい恋人がろくな説明もなく自らの隣から消えた代わりに、言葉が通じるという理由で同行する事になった冴えない男が予想以上に『使える』人材だったと知って、小宮山は胸の痛みと高鳴りを同時に覚えた。

 軌道エレベーターの中で『エレベーター』と呼ばれるのは、純粋に人員や物資を運搬するための、構造体中心部に設置された昇降機の事だ。小宮山が太田と二人して徒歩で地表を目指す羽目に陥ったのも、元はと言えば『Wor1d』がダウンした直後、昇降機が使用不可能になったためだ。


「それも調べましたが…ダメです。安全管理の都合上、『エレベーター』は最上層、中間層、地表コントロールのデータリンクの下で動く仕組みになってます。話が通じるのか、そもそも今も職員がコントロール室に残っているのか…。」


 淡々とした太田の返答に、小宮山は最上層における三日前の惨状を思い出して頭が痛くなった。昇降機が使えないと知った現場監督は中間層、次いで地表コントロールと連絡を取ろうとした(らしい)のだが、話が噛み合わないどころか会話が成立せず、激昂した現場監督は職務を放棄して自室にこもってしまったのだ。

 小宮山と太田が最上層を去る直前、現場監督と出身を同じくする作業員達が最上層に残り、現場監督と共に復旧を試みていた所までは見届けたが…。


「ところで、あの、ええと…小宮山さん。『ユニ』を起動してみてくれませんか?」


 太田の言葉の意味が分からないままに、小宮山は愛用の『ユニ』を装着し、電源を入れた。

 瞬間、『Wor1d』の起動を示すロゴが眼前に踊り、小宮山は思わず快哉を叫びかけた、が…その顔はすぐに困惑に染まっていった。


「どうですか、小宮山さん?僕が何て言ってるか分かります?ニンジン、ロウソク、コバルトブルー、シマウマ…。」

『いかがにござる、小宮山どの?わてが何て()うとるか分かるけ?馬のエサ、寿命の暗示、青、モノクロ…。』

「う、うわああああああああああ⁉」


 左右の耳から聞こえてきた同じ声、違う内容に、小宮山は混乱し、反射的に『ユニ』を投げ捨てた。


「…『誤訳』されてましたか?同じ言葉なのに…。」

「なんだ、なんなんだよこれは⁉」


 半狂乱で詰め寄る小宮山に、太田は沈痛な表情で答えた。


「『Wor1d』は復旧したものの、データベースが滅茶苦茶になってしまったようです。当面は他言語でのコミュニケーションに『ユニ』を使わない方がいいと思います。そうしないととんでもない行き違いが…。」


 次の瞬間、窓の向こうから一瞬だけ強い光が差し込んだ。

 太陽光とは異なるその光の正体を確かめようと、小宮山が窓に近付こうとした時、軌道エレベーター全体が大きく揺れた。


「…こ、今度は何だ、太田。」


 揺れが収まってから小宮山が問いを発するまでしばらくかかったが、太田はそんな事を指摘する前にノートパソコンを操作し、原因の究明に努めていた。


「…あった、これだ…速報です。A国がB国に対して、核兵器を使用した模様。」

「か…?ど、どうしてそんな…。」


 呆然とする小宮山に、太田はノートパソコンの画面を見せる。そこにはA国と同じく核兵器を保有する隣国、B国の国家元首が数時間前に投稿した、SNSの書き込みが表示されていた。


「…読めない。何て書いてある。」

「ええと…『我が国の保有する』…『最大火力は常に最大の』…『脅威に対処する用意がある』…といった所でしょうか。支持者ウケを狙った牽制ですね。ただ、A国が先ほど出した声明によると…『B国は事実上我が国への核攻撃』…『を決意した。我が国が行ったのは予防的先制攻撃ではなく』…『自衛権の行使である』。」


 ウケ狙いの投稿が『Wor1d』に誤訳された結果、核攻撃に発展した…受け入れがたい現実を前に膝をついたままの小宮山をよそに、太田はしばらくノートパソコンを操作してからほっと息を吐いた。


「軌道エレベーターの放射線防護は想定通り機能しているようです。爆心地も離れていますし…成層圏に入るまではこのまま下層を目指すのがいいと思います。小宮山さん、今日の目標は何層までに――」

「太田…おまえ、どうしてそこまで分かるんだ。なんで落ち着いていられるんだ。…怖く、ないのかよ。」


 小宮山は、太田が赴任してからつい先日までの事を思い返しながら問いかけた。

 思えば太田は、『ユニ』を介してチームメンバーと会話する事を避けていた。暇さえあれば手のひらサイズの辞書を読み、同僚と自分の言葉で会話しようとしていた。

 『ユニ』があるのに何を時代錯誤な事を…と笑っていたが、太田がいなければ地表への道のりも、非常用水道の使い方も分からなかった。

 それに引き換え、今の自分は…。


「…ぼ、僕…子供の頃、外国人の友達を泣かせちゃったんです。『ユニ』は付けてたし、僕の言葉は正確に翻訳されてたと思います。でも、でも…言い方が悪かった。相手の気持ちを考えてなかった。だから、だから…色んな国の言葉を勉強して、次に会ったら、自分の言葉で謝りたい…って。そう、思ったんです。…怖い、ですけど…生きて地上に戻って、あの子に謝らないといけない、から…だから頑張ります。」


 太田の宣言を聞いた小宮山は二度、三度と深呼吸をすると、寝袋や『ユニ』の片付けを始めた。


「核攻撃のニュースで疑心暗鬼になってるグループが出て来るかもしれない…ここからは慎重に行こう。一日で一層下に行けたら上出来って事で。」

「わ、分かりました。」

「それと…頼みがある。」


 小宮山は真剣な顔付きで、太田に向かって頭を下げた。


「俺にも外国語を教えてくれ。ベスに謝りたいんだ。」

「わ、わ、分かりました。頭、上げてください。ええと…ベスさんの出身からすると…それで、『ごめんなさい』は、確か…。」


 そして二人は歩き出す。

 人類の夢の結晶となる筈だった軌道エレベーターの頂点から、戦火がくすぶる地球の大地へと…。


「あ、思い出しました。『ミーノコ・カンオ・ケ・レ』ですね。」

「…頭下げといてなんだけどさ。それ本当に合ってる?俺に仕返ししようとデタラメ言ってない?」


 歩いて行く。


~オワリ~

本日朝の情報番組で、メッセージや音声通話を即時に翻訳するサービスが実現すると聞いてこの話を書こうと思いました。

読者の皆様の心に響くものがあれば幸いです。

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